Facebook をさわり続けて感じた事

みなさん、Facebook してますか?僕はもう肩までずっぽりはまっています。
ゆーすけべー日記のわださんや IT戦記の amachang、id:HolyGrailとid:HoryGrailの区別がつかない日記のほりたんを中心として Facebook が加速してから早4ヶ月が過ぎようとしています。
今日はこれまでに僕が感じたこと、そしてこれからの予想を立ててみたいと思います。

Twitter との比較

ウェブサービスとしての性質が違うため一様に比較する事は難しいですが、ある側面にフォーカスして考えてみたいと思います。
まず、Twitter は僕の中でウェブとメールの弱点を併せ持ってしまった悪例となりつつあります。シンプルなデータモデルとインターフェースは爆発的な普及を促しましたが、その普及の波に隠されている意図は善意だけではありません。

ハッシュタグは共有資源であるため「先に利用しはじめたクラスタが優先される」というローカルルールの共有によって成り立っています。ハッシュタグを占有するインターフェースは用意されていません。
利用者の多いハッシュタグを付けてツイートするだけで露出が得られるためスパム的な利用が可能である他、愉快犯的にハッシュタグを”荒らす”事も可能です。ユーザーを無視するなどの対処療法は存在していますが、根本的な解決方法はありません。これはメールが持つ仕組み的な脆弱性と合致しており、悪意の十分な考慮が為されていない事が原因の一つとして考えられます。

インフラとして唯一の価値である普及度の点から言えば、明らかにキャズムを超えた Twitter は成功したサービスであると言えるかもしれませんが、上記の理由からこれ以上の本質的な発展は望めないのではないかと僕は考えています。メールにおけるメールマガジンやメーリングリストなど、運用でのフォローにとどまると考えています。つまりは、ソーシャルフィルタリングという運用によってソーシャルメディアとしての価値を高める事と、スパムのようなノイズによって価値が貶められる事のバランスを維持するような安定しか望みにくい状況になったと考えています。

これに対して Facebook はあくまでもウェブサービスとして、様々な形のリソースを表示するインターフェースをコンテンツとして提供しています。例えばエッジランクという、人間同士の関係性に由来する評価システムにより自動的なフィルタリングが為されているなど、ノイズの流入に対して機械的なアプローチが取られています。
また、Twitter の取っている単一のリソースをクライアントやサードパーティのウェブサービスによって姿を変える拡散的手法に比べて、様々な形を持つ複数のリソースをニュースフィードという形で集約する手法を取っている事も注目すべき点です。
mixi のように「他のユーザーの日記にコメントを残すにはその人の日記ページにアクセスしなければならない」という必然性の薄い行為は必要ありません。つまり、インターネットの世界に受動的な情報収集コンテンツを持ち込んだウェブサービスと言えるわけです。

これによりユーザーはテレビに対するそれと近い依存性を示すこととなり、必然的に Facebook に滞在する時間は長くなります。
滞在時間が長くなれば情報アンテナとしての依存度も上がり、インターネットへのインターフェースという Google の立ち位置すらも狙えるようになります。つまり、ソーシャルフィルタリングの本質は集約にあると言えます。

実名主義

Facebook は一貫して「実名で登録しなければならない」というルールを設けています。しかし、勝間さんとひろゆきが論じた実名主義×匿名主義の論調は僕から見て Facebook のそれとは少し違います。ウェブで散見される Facebook の実名主義に対する反論も同じように観点が違うと僕は考えています。
Facebook が求める実名主義とは、文化的にフラットな関係性を考慮しての事です。文化や社会に依存する事で人間のパーソナリティが構築され、文化や社会に対してどのように認められたか、どのように認められたいのかという称号的位置づけとして存在するのが通り名やあだなであり、逆にそのような意図が排除されたものが実名です。
エッジランクという評価軸からも判るとおり、Facebook が実名から求める意図は「Facebook の中で社会を築いて欲しい」というものです。Google で言うところのページランクが、Google の外から持ち込まれた基準で評価されてしまうことは望ましくありません。なぜならば真実が隠蔽されてしまうからです。

以上の事から、ソーシャルという関係性にブラックボックスを持ち込まれたくないという思いから実名主義をルールとして設けているのであって、常識だとか利便性といったユーザー的視点に基づいているわけではないと僕は考えています。
ただ、副次的にスパムが成立しにくいなど、インフラとしての純粋さを保ちやすい効果があることも事実です。

また、実名主義において IT に傾倒している人が持ちやすい盲点の一つに「IT に疎い人は実名でないコミュニティの実在性に疑問を持つ」というものがあります。
いくら建設的な意見があり、有用なコミュニティであったとしても、発信する人間の実在性に重きを置く文化があります。僕もそうですが、IT に傾倒していると”発信源の実在性”よりも”情報としての確実性”に重きを置いてしまいがちですが、これは世間一般で言えばマイノリティです。

これからのウェブ

iPhone や Android といったスマートフォンの出現により、ウェアラブルコンピュータの世界が広がりユビキタス社会の入り口も見えようとしています。そのような世界において最も重要なのは個人と社会の間にあるインターフェースであると僕は考えています。Google の出現によりインターネットの入り口が集約されたことからも判るとおり、インターフェースとしての価値は情報の集約によって計られます。
これからのウェブはユビキタス社会で予測された「冷蔵庫にパソコンが搭載される」というような短絡的なものでは無く、スマートフォンのようなウェアラブルコンピュータをインターフェースとして、様々な機器や社会に隠蔽されたコンピュータがクラウドとして存在する、そのような姿がこれからのウェブなのではないかと僕は考えています。