BE:FIRST、Number_iらを手がける気鋭プロデューサー、MONJOEの歩みとビジョン

Photo by Kohei Watanabe

BE:FIRST初の全編ラップ曲「Milli-Billi」の共同プロデュース、「Grow Up」と「SOS」の作曲を手がけているプロデューサー/トラックメイカー、MONJOE。ShowMinorSavage、JUNON、MAZZEL、BMSG POSSEといったBMSG所属アーティストの楽曲に加えて、Number_iの衝撃のデビュー曲「GOAT」や「BON」「INZM」など、制作に携わった楽曲は枚挙にいとまがない。2013年に結成したロックバンド、DATSのボーカルとしてキャリアをスタートし、2015年にはyahyelを結成。今では多彩なアーティストに関わる引く手あまたのプロデューサー/トラックメイカーとなったMONJOEに迫った。

※この記事は2024年9月25日発売の『Rolling Stone JAPAN vol.28』に掲載されたものです。


活動の出発点、DATS/yahyelについて

―MONJOEさんの音楽的な原体験というと何になるんでしょう?

MONJOE:中学のときに従兄弟に勧められてニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」のミュージックビデオを見たら興奮して、バンドがやりたくなったんですよね。当時僕は中高一貫の男子校に通っていて、周りでバンドを組み始める同級生が多くて。当時すごく人気があったELLEGARDENやASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKENのコピーをやるケースが多かったんですけど、僕はそういったバンドのコピーもやりつつ、もうちょっとニッチなところに行きたいと思ってニルヴァーナのコピーバンドを始めました。


MONJOEがボーカル/ギターを務めた「ニルヴァーナのコピーバンド」には、Dos Monosの荘子itもギターで参加していた

―DTMに触れるきっかけはSBTRKTだったそうですね。

MONJOE:そうですね。高校2~3年の頃だったと思うんですが、レディオヘッドのトム・ヨークと親交のあるエレクトロ系のミュージシャンを掘っていく中でSBTRKTを知って、「この音の少なさでここまで人を踊らせることできるんだ」って衝撃を受けました。同時に、この音数の少なさだったら自分でもできそうだなと思ってDTMを始めました。


SBTRKTはロンドンのプロデューサー、2011年のセルフタイトル作がポストダブステップのシーンで話題に。

―その後、DATSを2013年に結成するわけですが、改めてMONJOEさんとしてはどんな音楽性をやりたいと思っていたんですか?

MONJOE:当時はクラブミュージックとバンドサウンドの橋渡し的存在になりたいとうっすら思ってました。その頃はストロークスやアークティック・モンキーズが出てきた後、UKでダンスミュージックの文脈のあるインディロック/ポップが盛り上がってて。僕はフォールズがすごく好きなんですけど。ああいうサウンドを日本でもうまくやっていきたいと思ってましたね。



―2015年にはyahyelを結成しますが(2019年3月に脱退)、MONJOEさんの中でDATSとの明確な差別化はあったんでしょうか?

MONJOE:始めた当初はとりあえず周りにいた人たちとどんなかっこいいことができるかっていうことしか考えてなかったですね。DATSとの差別化やyahyelの役割は後から生まれていった気がします。ジェイムス・ブレイク以降、ポストダブステップが盛り上がっていた時代で、SBTRKTとかのエレクトロクラブミュージックが好きだったこともあり、打ち込みだけでああいう肉体性をどこまで表現できるのかっていうことがやりたかったんだと思います。


MONJOEが参加した、yahyelのデビューアルバム『Flesh and Blood』(2016年)

Hair & Make-up = Natsumi Semba

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