理系と一般人の最大のギャップ

今から書くことは、理工系の人にとっては当たり前過ぎて話題にすら上らないのに、
そうでない人にとってはひどく理解に苦しむ、「理系と一般人の最大のギャップ」についてです。
それはずばり、
 「方程式を解く」
という言葉の意味です。

まずは有名な例を挙げてみましょう。
・アインシュタインの宇宙方程式:

この「方程式を解く」と、「シュヴァルツシルト解」などという答が出てきたり、宇宙の過去と未来の姿が予想できたりします。

・シュレーディンガーの波動方程式:

この「方程式を解く」と、原子や分子の形がわかったり、物質の性質(物性)が言い当てられたりします。。。

「そんなのあたりめぇじゃね〜か!」
はい、そう思ったあなたは理系人間ですね。もうここから先は読む必要ありません。
でも、(私が知る限り)たいていの人の反応は少し違っています。
「宇宙に、波動、だと?! こいつ、頭湧いてんじゃね〜か!」
・・・そこまで露骨に言う人も希ですが、とにかく、こういった「方程式を解く」プロセスに違和感を覚える人は少なくありません。
なぜ、方程式から宇宙のことがわかるのか? きっと自分には理解できない何かがあるに違いない。。。
そういったわけで、「方程式を解く」という言葉に対する反応が、理系と一般人を隔てるギャップを形作っていると思うのです。
実際、いわゆる理系の論文では、本当に大事なことは方程式の中に書かれています。
なので普通の人から見れば、一番大事なところが「方程式の壁」に阻まれていて、納得のゆく理解にはたどり着けません。
本当に知りたかったら数学を勉強し直せ、みたいな感じ。これでは取り付く島も無い。

それでは、理系人がイメージする「方程式を解く」とは、どういったものでしょうか。
私が思うに、それは
 「答が線で出る」
というイメージです。
一方、普通の人が考える方程式は、
 「答が点で出る」
というイメージだと思うのです。
どういうことかというと、
 「答が線で出る => 答は関数の形になる => 関数方程式」
 「答が点で出る => 答は数字の形になる => 代数方程式」
ということです。

私がこう思うようになったのには、ちょっとしたきっかけがあります。
それは例によって、数学は役に立つのか、という話題からでした。
とある友人が言うには、「どんなに数学を一生懸命やったって、やはり世の中とはずれていると思う。
たとえば野球のボールの落下地点を計算しようとしても、そこにはボールの回転や、風の動きや、
ピッチャーやバッターの心理、、、などなどが無数に絡み合っていて、絶対に正しい答なんて出るわけがない。」
そう言われて、ふと思ったのです。
友人の考えている「答」とは、ボールの落下する、ただその一点の数字のことなのではないかと。
だとすれば、友人の主張はあながち間違ってはいません。
それでも、この友人は1つ勘違いしています。
数学の答は必ずしも一点の数字だけではなく、傾向を示す線である場合もある、ということです。
もし、様々な要因が絡む元でボールの落下地点を予測せよ、と言われれば、、、

答はこんな風に、確率密度の「線」として表すこともできるのです。
「線」がわかれば、この辺で待ちかまえていればボールがキャッチできそうだとか、
この辺にはボールが来そうにない、といった対策が立てられるわけです。
 ・点の答は、絶対の正解にはたどり着けない。
 ・線の答は、ある一定の傾向を示している。
これが友人と私の、「答」にまつわるイメージ・ギャップではないかと思ったのです。
答が「線」になる、ということさえわかれば、あの「数学の答はただ一つ」という教義が無意味であることに気付くはず。

では、なぜこんなイメージ・ギャップが生じたのか。
それは、少なくとも中学校までの方程式は、全て「点」で答が出てくるからだと思うのです。
# 高校はどうなっているかと思って調べてみたら、今時の高校では微分方程式は教えないらしい。
# 私が高校の時にはあったぞ、もうずいぶん昔の話だけれど。
中学校までの方程式のイメージって、およそ次のようなものでしょう。

わからない数をxと置いて、式を立てる。
あとは機械的な規則(公式とか)に従って変形すれば、答が出てくる。

「太郎さんが100円持って買い物に行って、りんごを3個買ったら、おつりが10円だった。りんご1個はいくら?」
 100−3x=10  ・・・これが方程式
 100−10=3x  ・・・あとは機械的な変形
 90=3x
 90÷3=x
 30=x    ・・・答が出た!
基本、こんな感じ。
あとは式が長く複雑になってゆくだけで、数学の勉強とは、ひたすら式変形の機械的な規則を覚えること。。。
・・・こんなイメージが植え付けられていると、方程式を解いて「線」の答が出てくる、といった発想が浮んでこないわけです。

「点」の方程式と、「線」の方程式の間には、解き方の上で1つ大きな違いがあります。
「点」の方程式の場合、式変形の規則とはつまるところ+−×÷の四則演算処理のことです。
# あと、冪乗X^n(エックスのn乗)だとか、冪根 √(ルートとか)が出てくることもある。
なので、方程式に
 ・足し算が出てきたら、その反対の引き算を、
 ・かけ算が出てきたら、その反対の割り算を、
 ・冪乗が出てきたら、その反対の冪根を、
施していけば、いずれ答にたどり着く。
 (たどり着けないこともある。そういう方程式は代数的には解けない。)
ところが「線」の方程式には、四則演算とは全く種類の違う、新たな一組の演算が登場します。
それが「微分、積分」なんです。
「線」の方程式に、
 ・微分が出てきたら、その反対の積分を、
施していけば、いずれ「線」の答にたどり着く。
 (こっちもたどり着けないことがある、というか、たどりつけないことの方が多い。)
そんな仕組みになっているんです。
微分、積分って、何のためにやるんだろう?
それは「線」の方程式を解くためです。(別の目的にも使えますが、中心となるのは方程式です)
ちょうど「かけ算方程式」を解くために、かけ算九九を覚えるのと同じように、
「線」の方程式を解くための道具として微積分があるのです。
(だから、微積分だけ覚えて終わりにすると、苦痛なだけで何のためにやったんだかよくわからないってことになるんです。
 今の高校がそんな感じ?)
そして、いままで「線」の方程式、と言ってきたものは、一般には「微分方程式」と呼ばれています。

それでは1つだけ、最もシンプルな「線」の方程式を解いてみましょう。
ニュートンの運動方程式、物体の自由落下について。
物体の垂直位置を x、水平位置を y、時刻を t として、運動方程式を立ててみる。
垂直方向:
 m d^2x/dt^2 = - m g    ・・・これが運動方程式
 (物体の位置を時刻で2回微分したものは、物体にかかる重力に等しくなっている)
 dx/dt = - g t + C1     ・・・方程式を解くために、両辺をtで積分します
 x = - 1/2 g t^2 + C1 t + C2  ・・・もう一回、両辺をtで積分、これが「線」の答です
水平方向:
 m d^2y/dt^2 = 0    ・・・これが運動方程式
 (水平方向には、全く力がかかっていない)
 dy/dt = C1     ・・・方程式を解くために、両辺をtで積分します
 y = C1 t + C2  ・・・もう一回、両辺をtで積分、これが「線」の答です
でもって、この答の x と y をグラフに描いてみると、「放物線」という形が浮かび上がるわけです。

式の細かい意味がよくわからなくても、
 ・微分を含んだ方程式を立てて、
 ・それを積分すると「線」の答が出てくる、
という雰囲気が伝われば、それで十分。
なぜ物理では「力学」をまっさきに取り上げるのか。
それは、「方程式を解く」ことの意味が一番はっきりわかる題材だからです。

最初に挙げた、アインシュタインの宇宙方程式も、シュレーディンガーの波動方程式も、実はある種の微分方程式なんです。
方程式の複雑さは自由落下の比ではありませんが、とにかく積分して解きさえすれば、答の「形」が求まります。
例えば宇宙方程式の場合、答は「線」ではなくて、四次元時空の歪み、言うなれば「体」になるわけです。
それでも大事なのは、答が一点の数字ではなくて、ある種の「形」である、というところです。

以上のことは、最初に断ったように理工系の人にとっては当たり前なので、いまさらどこにも書いてないと思うのです。
その一方で、方程式などというものに縁のなかった人にとっては、下手すると一生知らずに終わることかもしれません。
「方程式を解く」とは、どういうことなのか。
このギャップが埋まれば、数学恐怖症も多少は緩和されると思うのです。

「線」の方程式って何だ? と思った人には、この本が役に立つかも。

とんでもなく役に立つ数学

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