「日本でまともな就職活動はできない」 インドで選んだ第二のキャリア
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スタートアップの現地法人を立ち上げた永田さんはインドで約7年を過ごした
永田さんは、早稲田大学を卒業後、新卒で日系企業に就職したが、2年ほどで退職した。その後、ベンチャー企業に転職したものの、家業の関係で静岡に戻ることになった。そこで新規事業にかかわる予定が白紙になり、日系企業の現地採用としてインドで就職することになった。その後、サグリの代表・坪井俊輔さんに出会い、インド担当として市場を開拓。現在では、南米やアフリカにも拠点を広げる一方、今年4月にインドから日本に拠点を移した。新興国の醍醐味と苦労を聞いた。
大多数が戦っていないところでポジション取るのが持ち味
―――最初からインドに行きたかったのでしょうか
最初からインドと決めていたわけではありません。北米は競争率が高く、ロシアや欧州はビザが難しかった。中米はスペイン語が主流なので言語が厳しく、香港やシンガポールでは、現地採用は給料の面で不利でした。結果としてベトナムかインドを考えたのです。
特に、インドは2017年当時、13億人のマーケットに対して日本人は9900人しかいませんでした。私は、結果として一つの会社に長くいるのではなく、複数の企業を転々とすることになってしまいました。再び、ゼロベースで新卒としてやり直すことを考えたときに、国としての成長性や、キャリアの珍しさを考え、インドを選びました。
―――海外には最初から興味を持っていたのでしょうか。
正直、特に強い興味を持っていたわけではありません。家業の新規事業が白紙になった時、私は27歳でした。人材会社からは「こんな中途半端なキャリアで、日本でまともな就職活動はできない」と言われ、すごくショックを受けました。
しかし、自分の人生を振り返って良さを探したときに、大多数が戦っていないところでポジションをとってきたことを思い出しました。なので、海外でのキャリアに挑戦してみようと思ったのです。
―――どのような仕事を行っていましたか。
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