警察犬、盲導犬や介助犬など人間の生活や仕事をサポートしてくれる動物たちがいる。犬ほど身近ではないが、馬も古くから人間と共に暮らしてきた動物だ。今回はその中で、警察で活躍する馬を紹介する。警視庁 交通部第三方面交通機動隊に所属する騎馬隊を訪ねた。
交通安全や防犯への意識向上に馬たちが貢献
----:騎馬隊の仕事は?
菅原規人 巡査長(以下、敬称略):警視庁騎馬隊の任務は、主に交通安全教育などの啓発活動を通した交通事故防止です。交通ルールを守る大切さを理解してもらうため、小学校や幼稚園などを訪問します。また、毎朝、小学生の登校を見守る学童交通整理も行います。各地域の警察署が行う、交通安全や防犯活動のパレードに参加することもあります。そのほか、新しく着任した外国の大使が天皇陛下に信任状を提出する「(ほうていしき)」*では、馬車列の警護にあたります。
信任状捧呈式----:交通安全や防犯になぜ馬なのですか?
菅原:やはり「馬が来た!」というインパクトは大きいと思います。馬をきっかけに交通安全や防犯に関心をもっていただいたり、交通安全教育が強く記憶に残ったりする効果があります。
----:馬の力を借りて注意喚起や情報発信を強化するわけですね。制服もかっこいいですね。
菅原:騎馬隊の制服を着て馬に乗ると、確かに目を引きますね。交通整理の時はドライバーの気持ちを引き締め、交通違反の抑止につながっていると思います。子どもたちからは、「馬のお巡りさん」と親しみを込めて呼んでもらうこともあります。横断歩道での安全確認など、学童の交通安全に対する意識向上にも馬たちは大きな役割を担っています。
小学生の登校を見守る学童交通整理24時間体制で隊員がケア
----:仕事がない時、馬たちはどうしているのですか?
菅原:訓練をしています。ここに来る馬たちは、ほとんどがサラブレッドの元競走馬です。走ることが仕事だったので、じっとしていることには慣れていません。一方、騎馬隊では立ち止まっている時間が長いので、それができるように訓練を行います。「走る仕事」と「止まる仕事」の違いを教えます。
----:馬にお休みの日はありますか?
菅原:隊員1人に1頭、担当の馬が決まっています。我々にも休日はありますので、その日は基本的に馬も休みです。ただ、パレードなど大きな活動が近い時は、担当者が休みでも別の隊員が訓練することがあります。逆に、仕事が続いたら、「今日は休ませよう」という判断もします。
----:給餌や厩舎(きゅうしゃ)清掃などの世話は?
菅原:基本的には担当者が行いますが、夜間の世話は交代制で行います。
----:隊員のみなさんには夜勤もあるのですね。
高宮勇治 警部補/騎馬隊小隊長(以下敬称略、高ははしごだか):6日に1度、夜勤があります。夜の給餌もあるので、常時3人態勢で馬の世話をします。馬は水を大量に飲むのですが、飲んだ量を把握することも必要です。少ないと疝痛(せんつう)を起こしたり、病気になって活動できなくなったりします。常に状態を確認できるよう、24時間体制を敷いています。また、交通安全教室は朝早いことがあります。そんな時は、早朝から馬をウォーミングアップさせる必要もあります。
警視庁騎馬隊の厩舎にて半年から1年かけて騎馬隊の馬へ
----:訓練は、どんなことをするのですか?
高宮:最初は乗馬用の馬としての訓練です。走ることが正しいと思っている馬たちなので、まず「走るだけじゃない」ことを教えます。乗馬では、常歩(なみあし)、速歩(はやあし)、駈歩(かけあし)と「3種の歩様(ほよう)」があります。競走馬は駈歩だけできれば良いのですが、乗馬は常歩や速歩に加え、停止、バック、旋回なども求められます。人の指示に従って、基本的な動きができるようにしていきます。
警視庁騎馬隊の訓練の様子----:そのような動きを覚えた後、騎馬隊にデビューですね。
高宮:それを覚えた後は、騎馬隊の馬としての訓練に移っていきます。まず、音に慣らします。パレードでは音楽が演奏されるので、太鼓や楽器の音を聞いても驚いたり怖がったりしないよう訓練します。マットを敷いてそれを跨いだり、お子さんを乗せたり、といった訓練も行います。
----:「再訓練」の難しさは?
菅原:馬には1頭1頭、個性があります。性格が違いますし、得意・不得意もあります。そういったことを見極めて根気強く向き合うことが大切です。粘り強く、日々の経験を一緒に積み重ねることが、馬と良い仕事をするためには大切だと思います。
----:そうした訓練は、どのくらいの期間行うのですか?
高宮:半年から1年です。物覚えの良い馬は半年で一人前になりますが、3年かかる馬もいます。そうした場合は、できるものから活動を始めます。例えば、交差点でじっとしていることは難しくても、パレードで歩くのは得意だという馬もいます。
髙宮小隊長は、騎馬隊所属23年のベテラン。昭和51年高校入学時から馬術部に在籍し、馬に関わってきたという。日々馬と隊員の指導にあたっている1頭1頭の個性に合わせた意思疎通がカギ
----:仕事の内容も個性に合わせて考えられているのですね。1頭1頭違うとは思いますが、教えるコツは何でしょうか?
菅原:馬との意思疎通です。出した指示を理解できた時はしっかり褒めます。間違えた場合は、「今のは違うよ」と分かりやすく伝えます。人間で言うと、“3歳児と接するようなイメージを持つように”と言われます。好きなことや嫌いなことに関する記憶は良いので、一度、怖いと思うとやらなくなることがあります。特に最初は、少しずつ「大丈夫だよ。怖くないよ」と馬に寄り添いながら訓練していきます。
----:訓練以外も含め、馬と接する際に意識していることは?
菅原:言葉が通じない相手なので、些細な変化にも気付けるように意識しています。
----:最後に、騎馬隊員のやりがいは何でしょうか?
菅原:馬と一緒に、交通安全に対する意識を高めていただくのが私たちの主な仕事です。幼稚園や小学校の子どもたちが嬉しそうに馬を見ながら、私たちの話に耳を傾けてくれる姿を見ると「やっていて良かった」と感じます。仕事の手ごたえが、直接感じられるのは嬉しいです。
菅原規人巡査長と命翔号人間と馬との太い絆
動物と暮らした経験がなかった菅原巡査長は、まず馬を好きになろうと心がけたそうだ。できるだけ馬と接する時間をとった結果、今では馬に「惹(ひ)かれてしまいました」と語る。厩舎では、ふざけて菅原巡査長の帽子を取り上げる愛馬「命翔(みこと)号」のおどけた表情と菅原巡査長の笑顔が印象的だった。騎馬隊担当の齊藤貴之警部も、「16頭の馬がいますが、自分の担当者が来ると反応が違います。人と馬との間には、太い絆があるのを感じます」と話す。
菅原規人巡査長と命翔号動物たちから人間が学ぶべきこと
馬とのそんな絆を築くには、1頭1頭に個性があることを意識しながら、少しの変化も見逃さないきめ細かな意思疎通を図ることが大切なようだ。印象深かったのは、「みんなそれぞれ」の個性を尊重した関係性の大切さ。それは、盲導犬や介助犬、麻薬探知犬や警察犬の育成とも共通している。世界中で「多様性」の大切さが叫ばれる昨今、私たち人間が動物や動物の訓練から学ぶところは多いかもしれない。
地域に愛される騎馬隊
朝の学童交通整理では、たくさんの小学生たちが命翔号と菅原巡査長に元気で「おはようございます!」と挨拶しながら登校する様子が見られた。「馬のお巡りさん」に会うために、厩舎からの通り道で待っている親子にも遭遇した。地域に愛される存在としても、騎馬隊が警察全体に果たしている役割は大きいと言える。
なお、馬は臆病なところがあるので、近くで大きな声を出したり突然触ったりするのは避けたい。騎馬隊の馬を近くで見たい時は、まず警察官に声を掛けてほしい。
* 信任状捧呈式:各国の大使は、自国の元首から託された信任状を持って来日する。馬車で東京駅から皇居まで移動する際、馬車列を警護するのが警視庁騎馬隊と皇宮警察。馬車をひくのは、宮内庁職員が行う。菅原規人(のりと):警視庁第三方面交通機動隊 騎馬隊/巡査長
経験豊富な騎馬隊員として班長を務める。配属前は機動隊で実業団のバレーボールチームにも所属したスポーツマン。体力には自信があるが、馬に乗り始めた頃は使い慣れない部分の筋肉痛に悩まされたという。