将棋ソフトの勝率から見る振り飛車迫害の歴史

振り飛車は不利飛車である。きのこたけのこ戦争の煽り文句で出てきそうなこの文言は今や将棋界の暗黙の了解になりつつあります。

タイトルホルダーを居飛車に独占され、勝率の上でも居飛車に押され、プロ棋士にwebニュースで冬の時代到来と言われてしまうなど、振り飛車にとって厳しい時代が到来しています。

さて、人間にとって振り飛車が冬であるように、コンピュータにとっても振り飛車は冬の状態を迎えているのでしょうか。本稿では将棋ソフトの振り飛車の歴史を紐解いていきます。

 

【将棋ソフトの振り飛車の黎明期(1990〜2000年初頭)】

意外にも(?)、この頃の振り飛車は将棋ソフト界隈のエース戦法の一つでした。というのも、当時の将棋ソフトは水平線効果で序盤、中盤の挙動が怪しく、序盤で変な悪手を指させないためには「初手、3手目は76歩、66歩として角交換を避ける」などの特別な処理を人間が逐一組み込まなければならなかったからです。

この頃もプロ棋士の間では居飛車のほうが主流ではあったのですが、能動的に戦型を選びやすい振り飛車のほうが調整が簡単などの事情で振り飛車を得意とする将棋ソフトが多々いました。

この時期無敵を誇った金沢将棋も振り飛車を得意戦略としており、大会の大一番などで振り飛車を多用している他、市販版の金沢将棋も最強レベルでは振り飛車を積極的に狙ってきています(uuunuuun氏のレーティングサイトからvs 技巧などの棋譜を閲覧可能)。

この頃の将棋ソフトは評価関数と戦型が密接に関係していたため、戦型の良し悪しを判断するのは難しいですが、振り飛車党のソフトの活躍を加味すれば互角に近い戦いができていたと考えられます。

 

【Bonanzaの到来と居飛車の躍進】

コンピュータの序盤戦事情は2009年のBonanzaの公開に伴い大幅に改善されました。Bonanzaは評価関数をプロ棋士の棋譜から学んでいるため、様々な戦型への対応が可能であり、序盤の精度はまだまだ荒削りではあったものの、アマチュア有段者でも苦戦する程度の精度を持っていました。その結果、手動調整が難しいという理由で敬遠されていた居飛車の戦型も採択しやすくなりました。

とはいえ、当時のソフトは振り飛車を圧倒できるほど居飛車が上手く指せたわけでもなく、人間による手調整の結果振り飛車を採択することもままありました。事実、渡辺竜王(当時) vs Bonanzaの対局や、清水女流王将(当時) vs あから2010の戦いでは将棋ソフト側は振り飛車を採択しています。

 

【強化学習と振り飛車の苦難】

将棋ソフトにおいて本格的に振り飛車が迫害され始めるのは電王トーナメント以降、特にAperyややねうら王といった強豪ソフトがオープンソースになってからです。戦型選びの細かい手調整から開放されたことに加え、ユーザ数に立脚したデータ収集が進んだ結果、振り飛車は勝率の上でも居飛車に押され始めてしまいます。2016年頃のAperyでの振り飛車の勝率は後手ノーマル四間飛車で45%弱であり、この頃から開発者間で振り飛車を避けるように定跡を調整する(初手を26歩に固定する)戦略が流行し、大会から振り飛車の姿が激減しました。

 

【絶望の時代へ】

HoneyWaffleなどの振り飛車をコンセプトとした将棋ソフトの登場で振り飛車は完全に絶滅こそしなかったものの、2017年以降も振り飛車の旗色は悪くなり続けています。ソフトがソフト自身の棋譜から学ぶ強化学習が主流になった結果、将棋ソフトは定跡オフでも振り飛車を指さない完全な居飛車党へと転向してしまいました。そして、2017年頃の振り飛車の勝率は後手ノーマル四間飛車で40%前後にまで減少してしまいました。

更に2018年に生まれたNNUE関数によって、より複雑な盤面評価が実現した結果、2019年現在、後手番の振り飛車の勝率は30%を切るレベルにまでなってしまいました。下図はorqha1018で後手ノーマル四間飛車を指し継がせた際の勝率です。30%を切るどころか25%すら切ってしまっています(たややんさんの検証結果を加味すると、流石に勝率が悪すぎる気がしますが、3割を切るのは間違いないと思われます)。

 

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対局結果スクショ。うそやん

 

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初期局面スクショ。この局面ですでに後手の勝率は25%ない

 

【纏めと今後の展望】

20年前には将棋ソフトのエース戦略であった振り飛車は今となっては野球の打率並の勝率になってしまいました。将棋ソフトは多様な手を受け入れ戦型の多様化をもたらしてくれると信じていた身としては大変悲しい話です。

 

しかし、盤面評価精度の向上に伴い、振り飛車に特化した盤面評価の効果が顕著になり始めています。振り飛車に特化した関数は数%ではありますが、居飛車党のソフトよりも振り飛車の勝率が高く、更に良いことに、一部居飛車党のソフトには互角以上の戦いをすることさえもできています。今後の改善によっては振り飛車の更なる躍進もあるかも知れません(ないかもしれません)。

 

 

 

【最後に宣伝】

技術書典7で本を出します。お題は「コンピュータ将棋における振り飛車の研究」です。これに伴い現在振り飛車の評価関数を育成しています。現在の時点でorqha1018に対して勝率35%、KristallWeizenに対して勝率50%まで到達しています。振り飛車ソフトの研究というニッチなネタにどの程度ニーズがあるかは解りませんが、宣伝してくれると嬉しいです。

評価関数は今週末 or 技術書典のサークルカット公開に合わせて公開する予定です。よろしくお願いします。

 

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現在育成中の振り飛車ソフト。正直何を考えているのか理解できない