日曜夜の「ゴールデンタイム」に…
その映像に、息を呑んだ。
NHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」の番組開始から33分が過ぎたころ、主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)が駆けつけた先には、4人の女性の裸体が並んでいた。亡くなって寺に投げ込まれた遊女の遺体である。遺体は、身ぐるみをはがされて、うつぶせのまま、打ち捨てられていた。遊女たちは、まともな食べ物も与えられず、劣悪な衛生状態で病にふせった挙句に命を落としたばかりか、着物までも持ち去られる。
日曜夜のゴールデンタイムに見ていた視聴者の多くは、驚きを隠せなかったのではないか。
SNSでの反響をまとめた多くの「こたつ記事」が書かれただけではなく、Yahoo!ニュースは、フリーライターの木俣冬氏による、「#専門家のまとめ」を掲載した。
「大河ドラマを中学受験対策としてチェックしておくように」と、塾で言われた9歳の私の娘とともに見ていたから、わが家には、気まずさというか、戸惑う空気が流れた。けれども娘は、一瞬、目を背けたものの、それでも最後までドラマを見続けたし、「次も見たい」と言う。
吉原をテーマにした展覧会をめぐる「炎上」
娘の反応を見ながら、私は、去年あった、ひとつの「騒動」を思い出していた。東京藝術大学大学美術館で開催された「大吉原展」の炎上である。「べらぼう」と同じ「吉原」をテーマにした展覧会が、開催前に多くの批判にさらされた、あの「騒動」である。
およそ1年前、私は、「アートだから許される」が通用しなくなったのは、「たかがアート」の視点が欠けているからではないか、との文章を、本サイトに寄せた(なぜ開催されてもいない「大吉原展」が炎上するのか…「アートだから許される」が通用しなくなった根本原因)。たとえ、会場となった東京藝術大学美術館のような公的機関が主催する展覧会であったとしても、アートは非力であり、だからこそ魅力がある。その立場から考え直したい、と結んだ。
そうすると、今回の「べらぼう」もまた、「たかがテレビドラマ」だととらえれば良いのだろうか。日曜夜8時に放送され、小中学生も見るものの、それでも、しょせん、フィクションにすぎない、と深刻に受け止めすぎなければ済むのだろうか。