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カテゴリ:音楽
週末土曜日の夕方、いつものようにFMラジオをかけっぱなしにしていたところ、7時のニュースに続いて始まったのが「クラシックの迷宮」。あの片山杜秀氏がMCを務めるクラシック音楽バラエティ(?)のような番組です。杜秀クンのマニアックな音楽談義でラジオに張り付けられるのもイマイチ、と普段であればさっさとバロック専門のネットラジオに切り替えるところですが、表題のようなお題目が耳にとまり、そのまま拝聴することに。
記憶を頼りに、お題にある問いかけに対して杜秀クンが用意した答えの論点をごく大雑把にまとめれば、20世紀初頭に活躍したマリピエロ、カゼッラ、あるいはレスピーギといったイタリアの作曲家たちが、モダンオケでも演奏できるようにパレストリーナ、モンテヴェルディ、ヴィヴァルディといったいにしえの音楽家たちの作品をアレンジして世に紹介したから、ということになります。音楽である以上、演奏される機会なしに復活の目はない、と言うわけです。(そういえば、ドイツでバッハが復活したのもメンデルスゾーンのアレンジによるマタイ受難曲演奏が契機でした。) 実際、20世紀初頭といえばまだピリオド楽器というものは存在しないに等しく(博物館の楽器はほぼ演奏不能の状態で、アーノルド・ドルメッチなどの先駆者が楽器の復元を試みていた時代)、楽譜にしても古い印刷譜か筆写譜が図書館に眠っているという状況で、これをクラシック業界から見れば、「古楽」とはもっぱら音楽学者の研究対象であるところの歴史上の遺物だったと思われます。 では、なぜ20世紀イタリアの作曲家たちがバロック以前の音楽を復興しようと考えたのか?杜秀クンによれば、その答えはストラヴィンスキーのバレエ音楽「プルチネルラ」にあるというわけです。12音技法や「春の祭典」による調性音楽の破壊を経て来たるべき音楽のあり方を模索していた当時のクラシック音楽界において、このイタリア・バロック時代の音楽家ペルゴレージの作品(と称されるもの)からの素材に基づいたパロディのような作品が、新たな方向(新古典主義とも呼ばれる)をさし示すことになったとのこと。 (偶然なのか、前日金曜の夜に流れた「クラシックTV」というテレビ番組でもストラヴィンスキーが取り上げられ、「プルチネルラ」について類似のコメントがなされていました。) さらに、杜秀クンはそのようなバロック音楽復活の時代背景として、ちょうど第一次世界大戦前後からヨーロッパ中で吹き荒れ始めたナショナリズム・ファシズムを指摘します。自国に誇るべき(ローカルな)文化があることを喧伝するのは、国家間の争いにおいて国民を鼓舞するための常套手段。イタリアではムッソリーニがヴィヴァルディの音楽をそのような目的で使っていたことは、以前このブログでもご紹介したサルデッリによる歴史小説「失われた手稿譜—ヴィヴァルディを巡る物語」の中にも生々しく描かれています。 「迷宮」では、他のバロック以前の作品のアレンジとして、ヴィンチェンツォ・トンマジーニのバレエ音楽「ご機嫌な女たち」(ドメニコ・スカルラッティの鍵盤ソナタに依拠)、レスピーギの「リュートのための古風な舞曲とアリア」(スパニュレッタなどのリュート作品に依拠)やモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」の有名な序曲(「トッカータ」)、さらにはメドレー形式のパロディ作品としてマリピエロの「ヴィヴァルディアーナ」と「チマロジアーナ」、カゼッラの「スカルラッティアーナ」が流れました。特に最後の「スカルラッティアーナ」は、比較的最近(2016年)の音盤で全曲がオンエア。 ちなみに、カゼッラの方は亭主が持っているホグウッドの指揮による「プルチネルラ」の音盤の一部として入っており、たまに聴くことがありましたが、トンマジーニ(トマジーニ)の方は音になったものを聴くのは初めてで(1950年代のモノラル音源)、大変興味深く拝聴。これだけでもラジオの前にいる甲斐があったというものです。 ところで、杜秀クンのまとめ、やや不正確なところがあるのでついでに指摘しておくと、トンマジーニの「ご機嫌な女たち」(1917年)は「プルチネルラ」(1920年)より先行する作品で、前者が後者の影響を受けた可能性はまずありません。さらに、いずれもディアギレフによる委嘱作品として書かれたという点から考えれば、これらイタバロ復興を着想したのはむしろディアギレフ本人と推測されます。(実際、ウィキによれば「ペルゴレージの曲をもとにするという案はもともとストラヴィンスキーのものではなくディアギレフのものであり、また原曲の旋律をほとんどそのまま使っていて、原曲に対してストラヴィンスキーが加えた部分があまりにも少なく、作曲というよりは個性的な編曲に近い(Taruskin (1996) pp.1462-1465)」とあります。) また、カゼッラやマリピエロとちがい、レスピーギの方はもっぱらイタリアのローカルな音楽家として活動しており、ストラヴィンスキーやロシアバレエ団とは接点がなさそうです。 というわけで、ストラヴィンスキーが20世紀前半のクラシック音楽界のビッグネームであることは確かですが、イタバロの復興が彼の「プルチネルラ」に帰されるようなまとめ方はやや贔屓の引倒しというもの。むしろ当時の「ナショナリズム〜反グローバリズム」の盛り上がりの一環として、自国のいにしえの音楽を再評価するという潮流がイタリアでも大きな流れになった、というのが当を得た見方ではないかと思われます。 思い起こせば、ロンゴによるドメニコ・スカルラッティのソナタ全曲がピアノ用校訂譜として出版されたのも20世紀初め、1906年のことでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 23, 2021 09:29:56 PM
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