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書評日記  パペッティア通信

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Jul 13, 2007
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▼     読了後、涙があふれた。 押しつけではない「真理の教授」と「民主的社会の建設」は調和する、と心から信じることができた、「美しい夢」の時代に。 そしてそれは、「滝山コミューン」として、現実の世界で結実したのである。 本書の筆者、原武史氏にとっては、「苦い思い出」として描かれた「滝山コミューン」。 歴史のかなたへと消えた、抑圧の象徴「滝山コミューン」に、わたしは何故か感動と憧憬を禁じえなかったのである。 


▼     本書をおさらいしよう。


▼     1970年代は、一般にいわれているように、「政治の季節の終焉」「左翼運動の衰退の時代」ではなかった、という。 「全共闘世代」は、教育現場に入っていったからである。 西武沿線郊外の団地は、革新勢力の強い地区であった。 そのような団地の一つ、東久留米市滝山団地。 その東久留米市立第七小学校に、1人の若い教師がのりこんでいく。 かれの名は片山勝(仮名)。 かれは、学校現場に異色な教育 ―――― 遠山啓「わかるさんすう」による『水道方式』による数学授業と、日教組の民間教育研究団体、全生研がとなえる『学級集団づくり』 ―――― をもちこみ、保護者のみならず子供たちから、絶大な信頼をうけることになった。  


▼     全生研の唱えた教育方法は、「日の丸、君が代、特設道徳」という上からの「反動勢力」の押しつけに対して、護憲派リベラル的「個性重視」の立場から、子供を守ろうとするものではなかった。 かれらは、旧ソ連の教育学者マカレンコから示唆をうけ、『学級集団づくり』という「集団主義教育」をおこない、「民主的集団」の形成に意をそそいだのである。 先生の権威によって維持される「よりあい段階」から、こどもたちの中に「核」がめばえ学級活動をになう「前期的段階」をへて、学級集団の「外」に活動をひろげる「後期的段階」へ。 片山勝は、同じクラスを持ちあがりで3年も担任をつとめ、このルートに沿うかのような実践をおこなう。 そして、かれのクラスが6年になった時、原武史氏が「滝山コミューン」とよぶ、「6年5組支配」を小学校にもたらすのだ。 「父母」と「先生」の密接な提携の下、6年5組は、「集団的力量」を発揮。 6年5組の児童は、全委員会の委員長を独占し、「全校が6年5組化」してしまう。 


▼     「班づくり」と激烈な「班競争」。 生徒たちが自分の力を自覚するための「合唱教育」。 漢字をまちがえれば、班で「共同責任」を負わされる。 罰則は、数値化されていて、過酷な「目標点競争」が班単位でおこなわれた。 掃除場所ですら、班で「立候補」しなければならない。 それも、文章を入念に準備して、「方針演説」を読みあげ、信任を勝ち取らなければならないのである。 それも、「ボロ班」「ビリ班」 ―――― のちに「イジメ」の温床になる ―――― にされ、クラス中にさらしものにされてしまう恐怖におびえながら。 「自覚した学級」の裏にひそむ、陰湿な「相互監視」「粗探し」も、しばしば見られたという。 それでも、6年5組の生徒たちは、「直接民主主義」の下、学級委員、生徒会役員に、「代表児童委員会をみんなのものに!!」をかかげ、果敢に進出していく。 


▼      6年2組の原武史少年。 かれは、個性や自由を認めない教育に反発と息苦しさを感じるものの、周囲の友だちは、どんどん「6年5組」的なるものに蚕食されていく。 原少年の想いをよそに、着々とすすめられる、国家権力に立ち向かい、児童を主人公とする民主的な学園建設の試み。 それは、7月の林間学校と、その後の「8ヶ月」で頂点に達する。 「わんぱくマーチ」の大合唱。 火の神もいなければ火の子もいない、全生徒参加のキャンドルサービス。 祝祭と儀式を通した「心地よい一体感」が、原少年にまで襲いかかるのだ!!!! 


▼     ここに「滝山コミューン」は完成した。  先生を事後承認させるだけの関与にとどめた、「運動会」の自主運営。 肥大化する「課外活動」は、仮装大会、遠足、学芸会、年賀状コンクール ………。 なんと、全生研は「集団」の名誉をまもるための、集団的制裁=リンチ=である「追求」を称揚していたらしい。 「集団の和をみだす児童」とみなされた原武史少年。 かれは、同じ児童から「追求」をうけ、間一髪でリンチから逃れることに成功する。 こんな所には、いられない。 原武史少年は、進学塾・慶應義塾中学に進学することで、エクソダスをはたしたという。


▼     本書の問いかけるものは、とほうもなく大きい。 みずからの教育行為が、みずからの理想に反してナチスや近代天皇制に通じる権威主義をはらむことに対し、どうしてこれほどまで無自覚でいられるのか、批判してやまない。 その無自覚こそ、異質的なものを排除・絶滅させることへの荷担を生み続けてきたのではないか。 旧・教育基本法は、「個人の尊厳」を重視することで個人と「国家・伝統」とのつながりをたち、教育荒廃をまねいたと批判され、昨今、改正されることになった。 ウソだ。 教育基本法は、決して「個人の尊厳」を守ろうとはしなかった。 ただ、一方でこのように語る。  「平等」「集団」に重きをおいた「滝山コミューン」は、西武沿線の団地という等質な空間下ではあったが、成人男性のみが政治参加する伝統の「のりこえ可能性」を秘めた、児童や女性を主体とする画期的な「民主主義の試み」ではなかったか、と。 東京圏の大規模緑地のほとんどが皇室と密接な関係にあること。  氷川神社が出雲系の神社であること。 「鬼のパンツ」は、全生研教育の「集団を高めさせる」ことを目的におこなう「集団遊び」のひとつだったこと。 本書は、こうした豆知識・エピソードを随所にからめながら、万感のおもいをこめて終わる。


(その<2>はこちらあたりになる予定です。応援をよろしくお願いします) 


評価: ★★★★☆
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Last updated  Jul 18, 2007 10:13:10 PM
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