音楽に哲学を

~国境を超えた音楽哲学がそこに~

【歌詞考察】Ado(アド)/エルフ この曲の意味とは?ドラマ『クジャクのダンス、誰が見た?』主題歌!てにをは作詞のこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Ado
エルフ

について哲学的に考察していく。


 

Ado「エルフ」MV

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エルフの歌詞

走りなさい疾く
もっと疾く哀しみに追いつかれないように
探しなさい 明かりの灯る道を 
それはそれは眩いでしょう
挑みなさい 君の美しさや尊さを傷つけるモノに
眠りなさい疲れたら眠りなさい 
神話を持たないあの星座のように
手を離した後君は気づくだろう 
指の形体温
その名残が胸を刺す
忘れたことも忘れてしまえ
哀しみも温もりも消えてしまえ
されど今も耳に残るは
固く再会を希うような
「さようなら」
Adieu Adieu
Love You And you?
踊りなさい 
誰に笑われても淡雪を払う枝のように
叫びなさい 心から叫びなさい 
ここに確かにいたんだと
響かせて
行合いの空に遠花火が滲む
帰るべき家を探す 長い長い旅路を行くなら
高らか鳴らせ 
その心臓は最後の一打ちまで君の物だ
涙涙溢れるがいい 
降る雫が君の森を育てるだろう
それは千年のホームシックでした
無限さえも数え終えて
怪物のような世界の隅っこで戦い続ける人
君はエルフ エルフ
(愛しき)旅は続く
忘れたことも忘れてしまえ
哀しみも温もりも消えちまえ
されど今も今も耳に残るは
固く再会を希うような
「さようなら」
Adieu Adieu
Love You And you?
Adieu Adieu


序論

少年とメロディウスは、

Adoの「エルフ」の歌詞を

通じて人間の存在、孤独、

そして希望について考察を始める。

 

この歌詞には、人生という

旅路の中での

苦しみや成長、自己肯定といった

テーマが散りばめられており、

それがどのように私たちの

生き方や価値観に結びつくのかを

紐解くための対話が展開される。


 

旅路としての人生

 

この歌詞はまるで
果てしない旅路を
描いているようだね。

「哀しみに追いつかれないように
走りなさい」だとか、
「長い長い旅路を行くなら
帰るべき家を探す」
といった表現から、
僕たちの人生も何かを
追いかけたり逃げたりする
旅なんだと思う。

でも、哀しみから
逃げるだけで、
本当に幸せになれるのかな?

確かに「旅」という
モチーフは、人生そのものを
象徴しているだろう。

しかしこの歌詞は
単に哀しみから逃げることを
勧めているのではない。

むしろ、哀しみを
乗り越えるために
前へ進む力を求めているのだ。

特に「高らか鳴らせ
その心臓は最後の
一打ちまで君の物だ」
というフレーズは、
自分の命が尽きるその瞬間まで、
自らの意思を貫き通すことを
訴えているように思える。

君の「走る」行為も、
ただの逃避ではなく、
希望への挑戦だ。

 

そうか。
旅は逃げるためのものじゃなくて、
むしろ自分を試す冒険なんだね。

でも、それでも
「帰るべき家」が
見つからなかったら、
どうすればいいんだろう?

その問いこそが、
この歌詞全体の核心に
触れている。

ここでいう「家」とは、
単なる物理的な場所ではなく、
自分自身が心から
安心できる存在の証明を
指しているのだろう。

それを探すのが
人生という旅の目的であり、
時にそれを見つけられなくても、
探し続けること自体に
価値があるのではないか?


 

別れと再生

 

「手を離した後
君は気づくだろう
指の形体温」とあるけれど、
これは大切なものを
失った後に初めて
その価値を知る、
ということだよね。

でも「忘れたことも忘れてしまえ」
とも歌われている。

これじゃ、記憶や感情を
無理に消し去ることが
良いことのようにも思えてしまう。

忘却の勧めは、
少し誤解を生む
表現かもしれない。

ここで言われているのは、
苦しみや悲しみが
いつまでも心に留まることで、
前に進む力を
奪われてしまうことへの警鐘だ。

だから、忘れるべき時には忘れ、
しかし心の奥底には
再生の種として
その記憶を残しておくのだろう。

その証拠に、
「耳に残るは再会を希うような
『さようなら』」と
語られている。

完全に消えるのではなく、
別れの中にも再び出会う
希望が残っているのだ。

 

じゃあ、
「Adieu Adieu」や
「Love You And you?」
といった別れの言葉も、
ただの悲しみじゃないんだね。

再生への序章
みたいなものなのかな?

その通りだ。
別れは終わりではなく、
次の始まりのきっかけだ。

だからこそ、
「涙涙溢れるがいい
降る雫が君の森を育てるだろう」
と続くのだ。

悲しみを受け入れ、
その涙を糧として
新たな自分を育てる。

そのような
「再生」の可能性を、
この歌詞は示唆している。


 

孤独と存在の証明

 

歌詞の中で
「怪物のような
世界の隅っこで戦い続ける人」
という表現があるけど、
これって孤独を抱えた
人々のことを言っているのかな?

まさにそうだ。
この表現は、
広大で冷たく
感じられる世界の中で、
それでも自分自身を
証明しようと戦う
人間の姿を描いている。

特に「君はエルフ」と
呼びかける部分には、
特別な存在としての
孤独を感じさせる。

エルフは人間とは
異なる存在であり、
その美しさや尊さゆえに
疎外感を抱くことがある。

だが同時に、彼らは
その孤独を力に変えて
世界と向き合う強さを
持っているのだ。

 

孤独って辛いけど、
それが自分を
特別にしている
証でもあるんだね。

じゃあ、この「旅は続く」
という言葉も、
孤独の中で生き続けることの
意味を教えてくれているのかな?

その通りだ。
孤独は避けられないものだが、
それを悲しみとして捉えるのか、
あるいは自分を
高める糧として捉えるのかは
自分次第だ。

この歌詞は、孤独を
抱えながらも
希望を持って
旅を続けることの
尊さを謳っている。


 

結論

 

Adoの「エルフ」の歌詞は、
人生という旅の中での
苦しみや孤独を描いているけど、
同時にそれを乗り越える
希望も示しているんだね。

哀しみから逃げるのではなく、
それを受け入れつつ進むこと。

別れを悲しむのではなく、
新たな始まりを見つけること。

それがこの歌詞の
メッセージなんだ。

そうだ。
この歌詞は、私たちが
日常的に感じる
孤独や苦しみを
普遍的なテーマとして
描きながら、
それを乗り越えた先にある
再生と成長を見せている。

そして、
それを可能にするのは、
自分の心臓の
「最後の一打ちまで」
生き抜こうとする意志だ。

人生の旅路は長く厳しいが、
希望は常にその先にある。

少年よ、その希望を
忘れずに進むのだ。


【歌詞考察】星街すいせい/ビーナスバグ この曲の意味とは? 3rdアルバム「新星目録」収録!川谷絵音作詞のこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

星街すいせい
ビーナスバグ

について哲学的に考察していく。


 

星街すいせい「ビーナスバグ」MV

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ビーナスバグの歌詞

渋谷5時
私、今誰かになれそうな気がしたの
強がりなんて超えていくよ
got you got you got you
茶化されない物語
え?いつの間に?
口癖になった
進み方がバグ
呑まれない光に
染まるよ
猛スピードで
どうせ上がるなら
もっと上で歌うだけ
渋谷5時
私、今誰かになれそうな気がしたの
強がりなんて超えていくよ
got you got you got you
茶化されない物語
雨音が小気味良く叩く窓に映る顔を見て
歌う意味が浮かんだ
I bet you bet you bet you
脳が変えていく
あの日から全身を献上した
私の物語
涙ぐむ
少し頑張り過ぎた私を見てる星
出来過ぎた夜明けに包まれた
渋谷5時
私、今誰かになれそうな気がしたの
強がりなんて超えていくよ
got you got you got you
茶化されない物語
シンデレラにはならない
解けない魔法で歌うわ
誰も迎えに来ない
都会の真ん中で
染まってく私


 

序論

 

この歌詞を見て、
何だか都会の渋谷での
夜明け前の風景が浮かぶんだ。

ここで語られているのは、
ただの日常じゃなくて、
自分の中の変化とか、
何かを乗り越える
瞬間の話のように感じるよ。

特に「私、今誰かになれそうな
気がしたの」という言葉には、
希望と不安が
混ざったものがあるよね。

確かにそうだね、少年。

この歌詞の背景には、
現代人が抱える
アイデンティティの模索や、
社会の中での自己確立の
課題が見えるようだ。

「渋谷5時」という
具体的な時刻と場所を
使っているのも興味深い。

都会という象徴的な
舞台で語られることで、
普遍的なテーマが際立つ。

では、歌詞全体を通して、
主人公がどう変化し、
何を伝えようとしているのか
考察していこうか。


 

都会の中でのアイデンティティの模索

 

「茶化されない物語」
という表現が出てくるけど、
これって自分が
誰かに揶揄されたり、
価値を軽んじられたり
しないような人生を
求めているのかな。

都会では、他人に
どう見られるかが
すごく重要視されることがあるけど、
この主人公はそれを超えて、
自分だけの本当の物語を
作ろうとしている気がする。

その通りだ、少年。
「got you got you got you」
と繰り返される言葉は、
ただのフレーズではなく、
自己の確信や他者との
繋がりの象徴と読める。

誰かに認められることで
初めて強がりを超え、
自分の物語が
動き出すのではないか。

そして「呑まれない光に染まる」
という言葉には、
流されるのではなく、
自ら選んだ道を進む決意が
込められている。

都会の光は眩しいけれど、
それにただ溶け込むのではなく、
自分らしく染まるんだ。


 

内なる変化と歌う意味の発見

 

「雨音が小気味良く叩く
窓に映る顔を見て」
という部分、
何かを反省している
瞬間のようにも思えるんだ。

雨音はリズムを刻むようで、
主人公が自分の中にある
リズムやペースを
再確認しているんじゃないかな。

そうだね、少年。
この部分は内省的な時間を
象徴しているように感じる。

そして、その内省の中で
「歌う意味が浮かんだ」
という言葉が続く。

ここでの「歌う」は
単に声を発する行為ではなく、
生きる意味そのものを
示しているのかもしれない。

雨音が主人公の思考を整理し、
前に進むための意義を
導き出したのだろう。

 

それに続く
「I bet you bet you bet you
脳が変えていく」という部分、
面白いよね。

考え方そのものが変わる、
つまり主人公は
過去の自分を捨てて、
全く新しい視点で物語を
始める準備をしているんだと思う。


 

シンデレラではない物語の選択

「シンデレラにはならない
解けない魔法で歌うわ」
というフレーズ、
強い意思を感じるね。

ここで主人公は、
誰かに助けられる
おとぎ話のような存在ではなく、
自分で自分を救うという
覚悟を示している。

魔法という表現は、
周りの期待や
理想の象徴でもあるけれど、
それに依存しない
姿勢が感じられる。

 

確かにそうだね。
「誰も迎えに来ない
都会の真ん中で」という部分も、
それを裏付けている。

渋谷という都会の真ん中で、
自分を迎えに来る誰かを
待つのではなく、
むしろその場所で
自分を確立していくんだ。

依存ではなく、
主体性を持つという
メッセージが
込められている気がする。

この「都会の真ん中で
染まってく私」という
最後の表現も、
流されるというより、
選択的に染まることを
意味しているのだろう。

都会の光や喧騒の中でも、
自分の色を持ちながら
その環境を取り入れているんだ。

この物語は、他者との
関わりの中で、
しかし自分自身を
失わずに生きるという
挑戦を描いている。


 

結論

 

最初はただ「渋谷5時」
という時間と場所が示す
都会の一場面だと思ったけど、
この歌詞を通して、
都会に生きる人間が
アイデンティティを模索し、
他者との関わりの中で
成長する物語が浮かび上がったよ。

そうだね、この歌詞には、
一人の人間が葛藤を超えて
自己を確立しようとする
過程が巧みに描かれている。

そして、それは現代社会に
生きる私たち一人一人にも
当てはまる普遍的なテーマだ。

強がりを超え、
茶化されない物語を
生きようとする
主人公の姿は、
私たちに希望を与えてくれる。

 

結局のところ、
この歌詞が伝えたいのは、
他人や環境に依存せず、
自分自身を信じて
歩む勇気だよね。

都会の真ん中で染まるけれど、
ただ流されるのではなく、
自分の色を持って生きる。

そんな姿勢を、
僕たちも見習いたいね。


 

【歌詞考察】星街すいせい/DEADPOOL(デッドプール) この曲の意味とは?サビで韻を踏んで癖になるこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

星街すいせい
DEADPOOL

について哲学的に考察していく。


 

星街すいせい「DEADPOOL」MV

www.youtube.com

 

DEADPOOLの歌詞

アタシ何もしてないのですが
気に障るよなコトしちゃった?
何度目だか分からないまた着火 ×2
…焦げてる
アナグラム執拗に助長早くトばして
ほし空判らない
応えも見えなかった
ねえ、まだ寝ないんですか?
アタシ眠いんですが
お元気で
左様ならまた明日
こんな熱帯の夜
けったいなアタシ
絶対、見られている!!
あなたに後ろはもう振り返れナイ少しもそう、
残されていない暗い水面へ逃げる、先に
Darling
は?!
Mother
撃たないで > <
Get you まだ行かないで
不均衡パラって後はどうにかしてよね
Die for you なんてウソ
追い掛けるのもやんなって
地べた愛してあいうおんちゅ〜しよ
延滞金払ってまで観たかった
早く来て
この路が正しい方でこのミチがタダしいほうで
ねえ早く逃げ出さないと
こんな熱帯の夜
けったいなアタシ
絶対、見られている!!
あなたに後ろはもう振り返れナイ少しもそう、
残されていないこれがアタシの…
こんな熱帯の夜
けったいなアタシ
絶対、見られている!!
あなたに後ろはもう振り返れナイ少しもそう、
残されていない暗い水面へ逃げる、先に
Darling


序論

 

この歌詞は一見すると
混沌とした感情の流れや
断片的なイメージで
構成されていますが、
その裏には人間の内面に
潜む不安や孤独、
そして自己認識への問いが
込められているように思えるんだ。

何から話を始めればいいかな?

少年、この歌詞は
「熱帯の夜」という
象徴的な舞台を通じて、
心の中に広がる焦燥や
葛藤が表現されている。

そして、主人公が
その混乱の中で何を求め、
何を捨てようとしているのかを
探ることが鍵だろう。

では、第1章として
「熱帯の夜」と
「けったいなアタシ」の
象徴について議論してみようか。


 

熱帯の夜と「けったいなアタシ」

 

熱帯の夜って、
普通は暑苦しくて
眠れない夜のことだよね。

でもこの歌詞では、
それが心理的な状態の
メタファーになっている気がする。

「熱帯」という
言葉が持つ混沌と情熱、
そして息苦しさが
主人公の感情に
重なっているんじゃないかな。

そうだな。
「けったいなアタシ」という
表現も重要だ。

これは、主人公が
自分自身を異質で、
不安定で、どこかおかしな存在
だと感じていることを示している。

この自己認識は、
他者の視線を過剰に
意識している部分とも
繋がっている。

「絶対、見られている!!」
という言葉がその証だ。

ここには、孤独と同時に
承認欲求が入り混じった
複雑な心情が見える。

 

つまり、この夜は
主人公にとって
「他者の目」によって
構成された世界なんだね。

熱帯の息苦しさは、
他者に見られることへの
不安が生み出したものなのかも。

次はその不安が
どこから来るのかを掘り下げたい。


 

着火と焦げる:感情の暴走

 

「何度目だか
分からないまた着火 ×2」
というフレーズがあるけど、
これは怒りや激情が
制御不能な形で
繰り返されることを
指しているのかな。

それとももっと
深い感情の断片なんだろうか?

それは感情の暴走と、
それに伴う自己破壊を
象徴しているように思える。

特に「焦げてる」という
表現が印象的だ。

感情を抑えきれずに
燃え上がり、
その結果として
自分自身が消耗してしまう。

主人公は自分の行動が
他者にどう映るかを
気にしているが、
その気遣いさえも
燃え尽きている状態だ。

 

燃え尽きてなお続く
このループには、
どこか「答えが見えない」
もどかしさがある。

アナグラムや
「判らないほし空」
という言葉も、
混乱と無力感を
強調している。

これって人間が
自分のアイデンティティを
求める苦しみと似ていない?

その通りだ。
主人公が「アナグラム執拗に助長」
と言うとき、
それは無意味なものに
意味を見出そうとする必死さだろう。

しかし、その努力が
むしろ混乱を助長している。

人間が何か確かなものを
求めながら、
その過程で自らを
失っていく様が浮かび上がる。


 

暗い水面と逃避:現実からの逃避

 

「暗い水面へ逃げる、先に」
という言葉は、
現実の世界から逃げたいという
願望の表れだよね。

でも、暗い水面って
どこか不吉な響きがする。

これって完全な逃避じゃなくて、
さらに深い孤独に沈むことを
意味しているんじゃないかな?

鋭い洞察だ。
暗い水面は、
現実逃避の行き着く先が
必ずしも希望ではないことを
示唆している。

主人公は後ろを
振り返ることを拒み、
前に進むと言いながらも、
その「先」が明るい未来ではなく、
不安定で得体の知れない
領域であることに気づいている。

 

その中で出てくる
「Darling」「Mother」といった
呼びかけは何だろう?

頼れる存在への訴えにも
見えるけど、
すぐに否定されたり
混乱したりしている。

これも主人公の孤独感を
強めている気がする。

そうだな。
主人公は誰かに助けを
求めながら、
その助けを受け入れることが
できない自分にも気づいている。

これが「撃たないで」
「行かないで」といった
矛盾した感情表現に
繋がっている。

これは現実の人間関係に
おいてもよく見られる葛藤だ。


 

結論 自己と他者、そして逃避の果てに

 

結局、この歌詞の主人公は
何を求めているんだろう?

答えは見つからないままなのかな。

歌詞全体を通じて、
主人公が求めているのは
「自分自身の安定」だろう。

しかし、その過程で
他者の視線や孤独、
逃避というテーマに囚われている。

つまり、完全な安定を
得ることはなく、
矛盾を抱えたまま
「暗い水面」へ進むことになる。

 

それは悲しいけれど、
人間の本質を描いているとも
言えるね。

この歌詞が多くの人の
心に響くのは、
誰もが少なからず
自分の中にこうした
矛盾や孤独を抱えているからなのかも。

そうだ。
この歌詞は単なる
混沌の表現ではなく、
人間の内面に潜む
深い真実を象徴している。

それを「熱帯の夜」という
舞台で展開させたことが、
この曲の哲学的な奥深さを
際立たせていると言えるだろう。


【歌詞考察】ポルカドットスティングレイ/あのね、この曲の意味とは?アニメ『この会社に好きな人がいます』オープニング主題歌の言葉について哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

ポルカドットスティングレイ
あのね、

について哲学的に考察していく。


 

「あのね、」MV

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あのね、の歌詞

あのね、
昨日の夜に君が私に言ったこと
嬉しくないと言ったら
たぶん嘘になるな
特別でいたかった
はずなのに怖かった
私は私を守るだけで精一杯
でもね、
きっと私は古いまま
私の毎日の中でさえ
主役になれないところだった
だから、
最初のスターを君にあげよ
って本気になったの
私は救われる、
君のせいで昨日の涙は
君が持ってて私はまた走る、
君のせいでたまには一緒に脱線もしよ?
って最高なんだもん
あのね、
今くらいは名前で呼んでみてもいい?
税密も好きだけれど
たまにもどかしいな
現実主義だからさ
カッコつけてる君をときどき笑っちゃうけど
ずっと一緒に居て
でもね、
堂々巡りで怖くなる長いまつげ、
やさしい顔もったいないほど綺麗だから
こんな私に炎をくれた君が幸せになってよ
箒星は走る、
君のせいで昨日の私は探さないでね
私はまた走る、
君のせいでたまにはこっそり冒険もしよ?
って退屈なんだもん
知っている
君の努力とか
私と真逆のところでさえ
ありあまるほど好きになった
だから、
消えないピークを君にあげよ
って本気になったの
私は救われる、
君のせいで昨日の涙は
君が持ってて私はまた走る、
君のせいでたまには一緒に脱線もしよ?
って最高なんだもん


 

序論

少年と哲学者メロディウスは、
ポルカドットスティングレイの
「あのね」の歌詞について
対話を通じてその深淵を探求する。

この歌詞は感情の揺れ動き、
自己と他者の関係、
そして日常と特別な瞬間との
対比を織り交ぜた複雑な物語である。

二人はこの歌詞を通じて、
「私」と「君」が表す存在と、
それによって描かれる
人間の内面的なドラマを
読み解こうとする。


 

感情の誠実さ

 

この歌詞を読んで感じたのは、
素直であることの難しさだよ。

たとえば
「嬉しくないと言ったら
たぶん嘘になるな」
という部分。

喜びを感じつつも、
それを完全には信じきれない
気持ちが伝わってくるんだ。

どうして人は、
素直に自分の感情を
受け止められないんだろう?

それは、自分が
何者であるかに対する
不安が原因だろう。

「特別でいたかった
はずなのに怖かった」
という言葉には、
自分が特別であることへの期待と、
それに見合わないかもしれない
という恐れが共存している。

人は自己の不完全さを
意識するほど、
感情に対して疑念を
抱くものだ。
君はどう思う?

 

そうだね。
それに
「私は私を守るだけで精一杯」
という言葉も気になる。

自分を守ることで精一杯だと、
相手の感情まで考える
余裕がなくなってしまう。

感情を共有するのが
どれだけ難しいか、
改めて思い知らされるよ。


 

日常と特別の交差

 

「きっと私は古いまま
私の毎日の中でさえ
主役になれないところだった」
という部分、僕には
すごく切なく感じられる。

日常の中で自分が
埋もれているような感覚って、
誰もが一度は
経験するんじゃないかな?

でもそのあと、
「最初のスターを君にあげよ」
って決意がある。

この流れ、
どう解釈すればいいんだろう?

この部分は日常における
自己の位置付けと、
特定の誰かとの関係による
転機を描いている。

日常の中で「主役」に
なれないと感じるのは、
自分の存在価値が曖昧だからだ。

しかし、「君」という
存在が現れることで、
日常が特別なものへと
変わりうる。

スターを「君」に
捧げるという表現は、
自己を超越する意志の
表れだろう。

それは愛の一形態とも言える。

 

つまり、「君」がいることで、
自分の視点が変わるってことか。

自分の存在が単なる日常から、
誰かのために輝ける
特別なものになる。

そう考えると、
「私は救われる」という
言葉がとても重く感じられるよ。


 

不完全さの美学

 

歌詞には、
「堂々巡りで怖くなる」や
「やさしい顔もったいないほど
綺麗だから」という
部分もあるけど、
こういう矛盾を含む
感情はどう解釈すればいい?

矛盾こそが
人間の感情の本質だ。

「堂々巡り」というのは、
自分の感情や思考が
行き詰まる状態を指している。

しかし、それを「君」が
持つ美しさや優しさが
中和してくれる。

この歌詞の中では、
不完全さそのものが
魅力的であり、
関係性を豊かにしている。

だからこそ、
「君」によって
「炎をくれた」と感じるのだ。

 

「不完全だからこそ、
人は誰かと繋がろうとする」
ということか。

自分ひとりでは
乗り越えられないものを、
他者と共有することで
強くなれるんだね。


 

共有される冒険

 

「私はまた走る、
君のせいでたまには
こっそり冒険もしよ?」
という言葉は、
少し軽やかに見えるけど、
実は深い決意を含んでいる
気がする。

日常の中で
冒険を求めるって、
どういう意味だろう?

それは、日常における
小さな挑戦や新たな
視点を意味しているのだろう。

歌詞全体を通して、
「君」が「私」の日常を
特別に変える存在で
あることが描かれている。

冒険とは、
単に物理的な旅ではなく、
感情的な旅でもある。

「君」がいることで、
日常の一瞬一瞬が
新しいものとして
感じられるようになる。

 

それって
すごく素敵だね。
誰かと一緒にいることで、
何気ない日常が特別になる。

たとえそれが
小さな冒険だとしても、
一緒に経験することで
退屈が輝きに変わる。


 

結論

 

この歌詞を通じて
思ったんだけど、
「私」と「君」の関係って、
ただの恋愛じゃなくて
もっと深い繋がりを
示しているんじゃないかな?

その通りだ。
この歌詞では、
「私」と「君」が
互いに影響を与え合い、
日常と特別を織り交ぜながら
成長していく姿が描かれている。

「君」は「私」を救い、
「私」は「君」に
何かを捧げる。

この循環が、歌詞全体を
支えるテーマだろう。

 

うん。
最終的に、この歌詞は
「人と人との繋がりが
もたらす意味」
について教えてくれるんだね。

それは、どんなに
小さなことでも
日常を変える
力になるってことだ。

そうだ。
「あのね」という
語りかけ自体が、
その繋がりを象徴している。

言葉を通じて感情を共有し、
新たな物語を紡ぎ出す。

それがこの歌詞の
本質だと私は思うよ。


【歌詞考察】ずっと真夜中でいいのに。/シェードの埃は延長 この曲の意味とは?ドラマ『アイシー〜瞬間記憶捜査・柊班~』主題歌の言葉について哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

ずっと真夜中でいいのに。
シェードの埃は延長

について哲学的に考察していく。


 

「シェードの埃は延長」MV

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シェードの埃は延長の歌詞

吐き出せないまま消えてった
溶けてったそれでよかった
吐き出さないまま
消えてってお願い
吐き出せないまま
消えてった
溶けてったそれでよかった
吐き出さないまま消えてってお願い
聞こえない また隅で塞ぐだけ
蜘蛛の巣の狭間で立ち尽くす裸足
わたしがわからない変わらない?
容易くは放てない?
絡み付いた先に何もないくせに
ひとりごと続けてゆく
シェードの埃は延長
平然ぶって砕けてくぬるい記録
涙を凍らせて笑うんだ嗚呼
平然ぶって踊ってみる容赦なく
息が痛く鳴る君のせいだよ
吐き出せないまま消えてった
溶けてったそれでよかった
吐き出さないまま消えてって
お願い
期待なんてしたくないけど延長
諦めてるわけではないから
暗いホーム ステイゴールド
心が貧乏 共感できないことだもん
それは通常 ずっと予測できたこと
誰のためでもない言葉に縋って居座って
リハビリが必要
雑に生きられない
わからないでもそれはしょうがない?
わかろうとする想像力はいつしか
つぶつぶと弾け飛ぶ
シェードの埃は延長
平然ぶって砕けてくぬるい記録
涙を凍らせて笑うんだ嗚呼
平然ぶって踊ってみる容赦なく
息が痛く鳴る君のせいだよ
シェードの誇りは戦場
まだ見てしまう
瞬間的に覚えてしまう血飛沫
はみ出したらまた無事シャットダウン
仕事だからやるけど自分で楽に考える方が不安定?
おとなしく大人らしくしたけど人目は気にしない。
話して放て
誰かが喜んでいるぬるい記録
涙を凍らせて笑うんだ
嗚呼
平然ぶって踊ってみる容赦なく
息が居たくなる君のせいだよ
吐き出せないまま消えてった
溶けてったそれでよかった
吐き出さないまま消えてってお願い
愛す余地もなく消えてった
溶けてったそれでよかった
愛す余地もなく消えてってお願い


序論

 

この歌詞全体には、
吐き出せない感情、
孤独、不安定さ、
そして矛盾が織り込まれているね。

「吐き出せないまま消えてった」や
「溶けてったそれでよかった」
という繰り返しの中に、
自己表現の苦悩と、
それに対する諦念が見える。

けれども、その一方で、
完全に諦めきれない
葛藤も感じられるんだ。

この言葉たちは、
自己と他者との関係性を
どう見つめているんだろう?

少年、それは人間の内なる
闇と光のせめぎ合いだよ。

この歌詞はまるで
「シェード」という
カーテン越しに、
私たちが内なる真実を
垣間見ているようなものだ。

「平然ぶって砕けてくぬるい記録」
という表現があるが、
これは仮面の下に隠された
感情を象徴しているのではないか。

その「埃」というのは、
時間の経過や放置された
感情が積もった結果とも読める。

では、このテーマを
元に進めてみよう。


 

感情の詰まりと孤独

 

「吐き出せないまま消えてった」
という冒頭の言葉は、
何かを表現したいけれど、
結局表に出せないまま
終わってしまう悲しみを
示しているのかな。

溶けていく、
という表現も興味深いよ。

感情や存在そのものが
徐々に消失していくような
感覚がある。

でも、それを「それでよかった」
と受け入れているのは、
ある種の無力感と
自己防衛の現れだと思う。

確かに、しかし
「それでよかった」
という言葉には、
少し皮肉めいた
響きもあるよね。

本当に良かったと
思っているのか、
それともそう思い込もうと
しているだけなのか。

人間の孤独や未解決の感情は、
蜘蛛の巣のように
絡みついて身動きが取れなくなる。

歌詞にある
「蜘蛛の巣の狭間で
立ち尽くす裸足」という表現は、
無防備さや迷子になった
心の姿そのものだよ。


 

仮面とその裏にある脆さ

 

「平然ぶって砕けてくぬるい記録」
というフレーズは、
感情を隠して日常を送るけれど、
その記録はいつも壊れやすい
という意味だろうか。

社会では平然としているふりを
しなければならないけれど、
その下には壊れやすい自分がいる。

このギャップが苦しいんだろうね。

その通りだ。
仮面をかぶることは、
一時的な安全策にはなるけれど、
長期的には自分を
削る行為でもある。

そして、
「涙を凍らせて笑うんだ」
という言葉には、
感情を抑え込んだまま
生きることの痛みが
表れている。

凍った涙は、解けて
流れることを拒まれている。

つまり、感情を
処理できないまま、
偽りの笑顔を保つしかない。


 

不安定な希望の欠片

 

でも歌詞の中には、
完全な絶望ではなく、
何かしらの希望の断片も
感じられる。

「諦めてるわけではないから」
という言葉や、
「誰のためでもない言葉に
縋って居座って」
という部分には、
まだ自分を見つけようとする
意志があるように思える。

そうだね。
この歌詞には絶望と
希望の微妙なバランスが
存在している。

「共感できないこと」が
通常であると
歌っているけれど、
それでも何かしらの意味を
求め続ける姿勢が垣間見える。

それが、辛くとも
人間らしい営みそのものだ。


 

結論

 

この歌詞全体を通して、
自己の内面を掘り下げながらも、
それを他者と共有できない
葛藤が表現されていると思う。

「吐き出せない」まま
日々を送る中で、
感情の凍結と解放の間で
揺れる心が描かれているね。

でも、それでもこの歌は、
完全な終わりではなく、
どこかに続いていく感覚を残している。

そうだ、少年。
人は不完全で矛盾を
抱えながら生きる存在だ。
この歌詞はその苦しみを
ありのままに描き、
仮面の下の真実に
目を向けさせてくれる。

そして同時に、
どんなに矛盾した
感情であっても、
それを受け入れる勇気が
必要だと教えているように感じるよ。

それは難しい道だけれど、
歌詞が語る希望の
断片に支えられながら、
一歩ずつ進むことができるはずだ。


【歌詞考察】THE RAMPAGE(ランページ)/蜘蛛の糸 この曲のWEBの意味とは?スリボの歌声と和風ラップが圧巻のこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

THE RAMPAGE
蜘蛛の糸

について哲学的に考察していく。


 

THE RAMPAGE「蜘蛛の糸」MV

www.youtube.com


蜘蛛の糸の歌詞

Caught in a WEB
In a WEB
静寂の中
響くVibration
上しか狙えないーか八かのFace off
数え切れないTraps, Enemies
潜めた毒がThrill
争うほど鋭く尖るMy vision
容赦ない Who's on top?
2nd placeはいらない
It's getting hot 糸が描くのは “Do or Die”
傷から流れる
真っ黒な血を白く光らせた昇る太陽
何度だってHPはRound 1
Oh 強くなる波動で全てを巻き込んで
It's time to become a symbol
Huh 危険はむしろ I'm down
Caught in a WEB
奪い合う The last one
抜け出せない迷路
Caught in a WEB
絶え間ない The game is on
予測出来ない
In the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER
WEB
息を止めてLurk
時を待つ本能
クロスするTrapwork
Gettin' hooked on danger
ぶっ壊れたこのSatety zone
弱肉強食 勝ち残るのは本物しかない
そん中でも俺の一発はCritical hit
致命的すぎる Spreading damage
近付いてるFinal round
Oh 強くなる波動で全てを飲み込んで
It's time to define the symbol
Huh 恐れは今 I'm down
Caught in a WEB
奪い合う The last one
抜け出せない迷路
Caught in a WEB
絶え間ない The game is on
予測出来ない
In the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER
WEB
Own the throne
Whoa!
Max out
In a WEB
Make'em feel it
一人も残さず撃ち込むSniper shot
乱れた糸くずの中で
見つけた王座(いっぽん)の輝き
Caught in a WEB
奪い合う The last one
抜け出せない迷路
Caught in a WEB
絶え間ない The game ison
予測出来ない
In the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER WEB
SPIDER WEB
SPIDER WEB
We're trapped in the SPIDER
WEB


序論

 

この歌詞、
蜘蛛の糸をテーマに
したようだけど、
ただの戦いとか闘争心を
描いているだけじゃない
気がするんだ。

迷路や毒、波動って
言葉が織り交ぜられていて、
どこか深い問いかけを感じる。

僕たちの生き方
そのものに
関係しているんじゃないかな?

鋭い観察だ、少年。
この歌詞は単なる
生存競争の記録ではない。

むしろ人間が運命の網に
絡まりながらも、
その中で抗い、選び、
登る姿を描いている。

糸で繋がれるというのは、
単なる制約ではなく、
関係性や生きる道筋
そのものを象徴している。

では、これを哲学的に
掘り下げてみようか。


 

蜘蛛の糸と運命の迷宮

 

まず、「Caught in a WEB」の
繰り返しが印象的だよね。
この「WEB」は蜘蛛の巣の
物理的なイメージだけじゃなくて、
人が避けられない
環境や運命の象徴にも見える。

生まれた瞬間から僕らはすでに
「迷路」にいるような
ものなんじゃないかな?

その通りだ、少年。
この「WEB」は
一種の構造であり、
世界そのものだと言える。

生きるためには必然的に
誰かと繋がり、
また制約の中で
動かざるを得ない。

しかし、それは
必ずしも悪いことではない。

「静寂の中 響くVibration」
の部分は、動きがなくとも
命が響き合い、
何かが生まれる瞬間を
暗示している。

迷路は混乱だけでなく、
創造の場でもあるのだよ。

 

そう考えると、
「上しか狙えない
ーか八かのFace off」
はどうだろう?

全ての糸が縦横無尽に
交差している迷路の中でも、
選び取れるのは
前に進むことだけだっていう
覚悟みたいに感じる。

運命に囚われている一方で、
自由も感じさせるんだ。

興味深い視点だ。
運命の網は私たちを
縛ると同時に、
選択肢を与えている。

ここでいう「上」は
単なる成功や
勝利だけではないだろう。

自分の存在をどう定義するか、
自分の価値を
どう証明するかという問いが、
この「Face off」には隠れている。


 

毒と波動の狭間

 

次に気になるのは
「潜めた毒がThrill」
という部分だね。

毒って普通は
危険なものだけど、
ここではスリルや興奮と
結びついている。

これって
どういうことなんだろう?

毒とは、
一見すると破壊的で
避けるべきものだ。

しかし、それが逆に
人を研ぎ澄まし、
自己を覚醒させることもある。

「争うほど鋭く尖るMy vision」
と続く歌詞が、
それを証明している。

毒が恐怖を生む一方で、
それに直面することで
視界が広がり、
意識が高まる。

人生にはそうした
逆説的な構造があるのだよ。

 

確かに。
だからこそ、
「強くなる波動で
全てを巻き込んで」
という部分に繋がるんだね。

この波動って、
個人の意志がどんどん
広がっていく様子を
表しているみたいだ。

毒を克服することで、
逆に自分の存在を象徴する力に
変えるってことなのかな。


 

SPIDER WEBという象徴

 

「SPIDER WEB」という
フレーズが歌の中で
何度も繰り返されているけど、
これは何を
象徴しているんだろう?

ただの迷路や戦いの
舞台だけじゃない気がする。

そうだね、少年。
蜘蛛の巣は単に
閉じ込めるものではなく、
同時に作り手の意思の結だ。

蜘蛛は巣を張り巡らせて
自らの生を成り立たせる。

「SPIDER WEB」は
一種の世界そのものの
メタファーとして、
個々の生命が織りなす
繋がりを示唆している。

「We’re trapped in the SPIDER WEB」
とあるが、私たち自身も
またその巣を構築する存在なのだ。

 

ということは、
この巣の中で繋がりや
葛藤を通じて、
個々がどう自分を証明するかが
問われているんだね。

「Own the throne」という部分は、
蜘蛛の巣の中で
自分の王座を見つける
っていう強いメッセージなんだ。


 

結論

 

この歌詞全体を通して
感じるのは、
運命の網に絡まりながらも、
その中で自分の道を選び、
戦い抜く覚悟を描いている
ってことだよね。

蜘蛛の巣は
ただの閉じ込めるもの
じゃなくて、
繋がりや挑戦の象徴なんだ。

その通りだ、少年。
この歌はただの競争や
戦いではなく、
いかに自分を見出し、
定義するかという
哲学的なテーマを秘めている。

「Caught in a WEB」とは、
決して不自由や絶望を
表すだけではない。

それは生きるという
本質的な現実の中で、
いかにして自由を手にするか
という挑戦でもある。


 

【歌詞和訳考察】KickFlip(キックフリップ)/Mama Said(ママセッド) この曲の意味とは?デビュー曲であるこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

KickFlip
Mama Said

について哲学的に考察していく。


 

KickFlip「Mama Said」MV

www.youtube.com


Mama Saidの歌詞

Mama said, what are you gonna be?
ママは言った、あんた何になるの?

I don’t wanna
なりたくないよ

Some say, who does he take after to be like this?
誰に似てこんな風になったんだろうって言う人もいる

Some say, what’s he even trying to be?
一体何になろうとしてるんだろうって言う人もいる

Well, you know, it’s easy to say anything
まぁね、何だって簡単に言えるけど

But I’m doing fine, I’m doing fine, fine, fine
でも僕は平気さ、大丈夫、大丈夫、大丈夫

(Ah) The nagging sound’s getting louder, do this, do that, shout out
(ああ)あれしろこれしろって小言がどんどん大きくなる

You’re too young to understand, but back in my day, blah, blah
「お前にはまだ分からないだろうけど、昔はこうだった」って

Sorry mom, I don’t mind even if I’m bad with chopsticks
ごめんねママ、お箸が下手でも気にしてない

Don’t worry, I still eat just fine (Duh)
大丈夫、ちゃんと食べてるからさ(当然でしょ)

Because
だって

Mama said, what are you gonna be? (I don’t wanna)
ママが言った、あんた何になるの?(なりたくないよ)

Like this, you can’t get a job (Woah, woah)
こんなんじゃ仕事につけないわよ(うわ、うわ)

Mama said that I need a goal (I don’t wanna)
目標が必要だってママが言った(いらないよ)

What I’ll become, I’ll figure out (No cap)
僕が何になるかは自分で決めるから(本当だよ)

(Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh)

I like it just the way it is, no matter what they say, so what?
そのままでいいんだ、誰に何を言われても、だから何?

(Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh)

I’m not bothered, I don’t care Mama, I’ma do my thang
気にしないし、どうでもいいよ、ママ、僕は自分のことをやる

Mama said, I’m just playing house
ママは言った、まるでおままごとしてるみたいだって

To my mom, I might seem like a clumsy kid
ママには、不器用な子供に見えるかもしれない

But those who are meant to succeed will succeed, it’s all a matter of luck
でも成功する人は成功するさ、運次第だよ

Do whatever I want, the nagging, swing (Ayy)
好きなことをする、小言なんてスルーだ(あい)

Why you looking so mad? (Ayy)
なんでそんなに怒ってるの?(あい)

Ugh, why you acting like this again? (Ayy)
ああ、なんでまたそんな態度なの?(あい)

I don’t need your worries, no thanks
心配なんていらないよ、ありがとう、でも大丈夫

Ah-ah, ah-ah, ah-ah-ah

Ooh-ooh, you know what they’re gonna say next, right?
うーうー、次に何を言うか分かってるよね?

Ooh-ooh, it’s all for your own good, they say
うーうー、全部君のためだって言うんだ

Sorry mom, I don’t mind even if I’m bad with chopsticks
ごめんねママ、お箸が下手でも気にしてない

Don’t worry, I still eat just fine (Duh)
大丈夫、ちゃんと食べてるからさ(当然でしょ)

Because
だって

Mama said, what are you gonna be? (I don’t wanna)
ママが言った、あんた何になるの?(なりたくないよ)

Like this, you can’t get a job (Woah, woah)
こんなんじゃ仕事につけないわよ(うわ、うわ)

Mama said that I need a goal (I don’t wanna)
目標が必要だってママが言った(いらないよ)

What I’ll become, I’ll figure out (No cap)
僕が何になるかは自分で決めるから(本当だよ)

(Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh)

I like it just the way it is, no matter what they say, so what?
そのままでいいんだ、誰に何を言われても、だから何?

(Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh)

I’m not bothered, I don’t care Mama, I’ma do my thang
気にしないし、どうでもいいよ、ママ、僕は自分のことをやる

On my own way
僕は自分の道を行く

I’m just a little different, that’s all
ちょっと違うだけ、それだけさ

This is only the beginning
これが始まりに過ぎない

Nothing’s gonna stop me now
今、僕を止めるものなんて何もない

Mama said (I don’t wanna)
ママが言った(なりたくないよ)

Don’t need to grow (I don’t wanna)
成長なんて必要ない(なりたくないよ)

No, no, no (I don’t wanna)
いいや、いいや(なりたくないよ)

No, no, no (Nothing’s gonna stop me now)
いいや、いいや(今、僕を止めるものなんて何もない)

Because
だって

Mama said, what are you gonna be? (I don’t wanna)
ママが言った、あんた何になるの?(なりたくないよ)

Like this, you can’t get a job (Woah, woah)
こんなんじゃ仕事につけないわよ(うわ、うわ)

Mama said that I need a goal (I don’t wanna)
目標が必要だってママが言った(いらないよ)

What do you mean, what will I be? I’ll just be me (No cap)
何になるかって?僕は僕になるだけ(本当だよ)

Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh (Alright)

Just wanna blow up, no problem, go on
ただ突き抜けたいだけ、大丈夫、進んで行こう

Ooh-ooh, ooh-ooh, ooh, ooh-ooh-ooh

I’m not bothered, I don’t care Mama, I’ma be myself
気にしないし、どうでもいいよ、ママ、僕は僕でいるよ


 

序論

 

この歌は親からの期待や
社会の声に対する
若者の姿勢を描いているよね。

でも、それ以上に
「自分らしさ」と
「自由」を求める
叫びのように感じるんだ。

僕たちの存在のあり方や、
自分の人生をどう選ぶか
という哲学的テーマが
隠されている気がする。

確かに、少年。
この歌はただ反抗的な態度を
示しているだけではない。

むしろ、自己実現の
プロセスにおいて、
外部の価値観を
どう取り込むか、
あるいは拒絶するかという
深い問いを投げかけている。

そして、それは古代哲学の
「善く生きる」とは
何かを問う姿勢にも通じるのだ。

では、この歌詞を
章ごとに紐解いてみよう。


 

期待の声と「I don’t wanna」

 

最初に登場する
「Mama said, what are you gonna be?」
という問いかけは、
家族や社会が僕たちに
投げかける「未来への期待」だよね。

でも、それに対する
「I don’t wanna」という返答は、
何かを否定している
だけじゃなくて、
選択の自由を
主張しているように感じるんだ。

「何になるか」じゃなく
「どう在るか」を
選ぶための第一歩に思える。

その通りだ、少年。
この「I don’t wanna」は
拒絶の言葉ではあるが、
同時に「私は私のままでいたい」
という存在の宣言でもある。

それは、外部から
押し付けられる価値観に
対する挑戦だ。

この歌詞の中で語られる
「I’m doing fine」は、
必ずしも完璧な状態を
意味していない。

しかし、主体的に
自分の在り方を
肯定する強さがあるのだ。

ソクラテスが言ったように、
「何かを知るということは、
自分の無知を知ること」
なのだろう。

まだ明確な答えは出なくとも、
自分で考える意志がここに見える。


 

伝統と変化の狭間

 

「You’re too young to understand,
but back in my day, blah, blah」
という部分、
これ、まさに大人たちが
自分たちの経験を押し付ける
瞬間を表しているよね。

昔の価値観を絶対視し、
それが若者にも
適用されるべきだという主張。

でも、この「blah, blah」
という表現、
完全に無意味と
切り捨てているようにも見える。

実は、この「blah, blah」には
深いアイロニーがある。

過去の教訓や伝統には
確かに学ぶべきものがある。

しかし、それが一方的な
押し付けになると、
対話ではなく命令に
変わってしまう。

この歌詞では、
そんな命令を意図的に
「無意味」と表現することで、
若者の視点を
浮き彫りにしている。

ヘラクレイトスの
「万物は流転する」という
言葉を思い出す。

時代や価値観は
常に変化しており、
若者たちは
その変化を受け入れ、
新しい形で生きる権利があるのだ。


 

個の選択と自由の肯定

 

「What I’ll become,
I’ll figure out」という部分は、
この歌詞全体の
核のように感じるよ。

親や社会の声に従うのではなく、
自分の未来は自分で切り拓く。

確かに不安もあるけど、
それでも「I’ll figure out」と
言い切る勇気がここにはある。

それは、まさに
自由意志の表現だ。

この歌詞の語り手は、
自分の選択が
完全ではないことを
理解しているが、
それでも自らの道を
進むと決意している。

それは、
ジャン=ポール・サルトルの
「人間は自由の刑に処せられている」
という言葉に通じるものがある。

自由であるがゆえに、
選択の責任は自分にある。

それでも、この歌詞は
その責任を受け入れる
覚悟を示している。

「Mama, I’ma do my thang」
という言葉には、
恐れを抱きながらも、
自己を信じる力強さがある。


 

結論

 

最終的に、
この歌は反抗の歌ではなく、
自己肯定の歌だと思う。

親の期待や社会の声を
無視するのではなく、
それを一度受け止めた上で、
自分自身を選び取る
決意の物語だよね。

その通りだ、少年。
この歌は、外部の価値観と
個人の自由が対立する中で、
どのように自分自身を
見出すかを問いかけている。

そして、その答えは、
どこかに固定されたものではなく、
変化し続けるプロセス
そのものなのだ。

この歌の語り手は、
伝統や規範を
「否定」するのではなく、
それを一つの背景として
「自分」を築こうとしている。

これは、すべての時代を
生きる人々にとって
普遍的なテーマだ。


【歌詞考察】Vivid BAD SQUAD x 鏡音レン/ヘイヴン この曲の意味とは?煮ル果実作曲!MVで冬弥の人生のような世界を描いたこの音楽の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Vivid BAD SQUAD x 鏡音レン
ヘイヴン


 

「ヘイヴン」MV

www.youtube.com


ヘイヴンの歌詞

散々な夜に可燃性の言葉がやたら気になって
キリなくて気付けば火傷して
正しく生きれなくて矛盾と半端の瓶詰め
塗りたくってさ嫌を勘脂で蓋する
ただこうだそうだ
焦ってせるばっかで
本来したいことは、とは?出来てんの?
人は云う「逃避行、「逃避行、有耶無耶な勘定」
沈んだ僕を君は色んな声で叱って
その度に宙に浮かべるんだ
壊れた幻想を愛せるなら不慣れな現実だって愛せるかな
ずっと探しているんだ
今日も明日も辛くたって強がって辿り着けない
ヘイヴンは ヘイヴンは何処にあるんだ
思い出せる限りの希望を抱き締めるよ
笑い飛ばしてくれよメイリー
君といない世界は味気ない
正論や真実が火を生むなら
いつか虚構の雨を降らすからさ
離さないで。歌っていく(離さないで。歌っていく)
どちらの意味も解る未来に生を託して
暗転がらんどうな部屋の中
惰性で吸うコンテンツなぞる古典
憧れも消費して
「無意味を集めりゃ意味になる」
「不幸が続けば幸がある」とか
綺麗事でも信じてみよう
ってもう何度目?
ただこうだそうだ焦って競るばっかで
本来したいことは永遠出来ていない人は云う
「逃避行逃避行それに 邪道蛇行、摩耗!」
いつの日にか僕も君の声を無くして
地に足をついて生きるのかな
いいんだよ もういいんだよ
すべてなのにいいんだと
もういいんだと思えずずっと痛めて
何を守ってるの壊れた幻想を愛したいよ
このまま現実だって愛したいよ
それでも最低が襲う夜はいつだって傍にいる心を澄まして
ヘイヴンはヘイヴンはきっと あるんだ
思い付ける限りの理由を抱き締めるよ
笑い飛ばしてくれよメイリー
君といない世界は味気ない
正論や真実が火を生むなら
いつか虚構の雨を降らすからさ
無謀だって思うだろ 夢想だって思うだろ
それでも信じる
ヘイヴンはきっとあるから
絵空事でも愛していくよ
がらんどうな部屋 灯る光
君と共に選んだ 確かな今
ヘイヴンはきっと見つける自分だけの鼓動を
離さないで。歌っていく(離さないで。歌っていく)
どちらの意味も今は解る生を続けて Yeah


序論

 

ヘイヴンという言葉に
僕は引っかかっているんだ。

それは「安息の地」や
「避難所」を意味するけど、
歌詞の中では、
それがどこにあるのか
分からない様子が描かれている。

迷いながらも
探し続ける姿勢は、
現代を生きる僕たちの
姿そのものに感じられる。

メロディウス、
この歌詞全体のテーマを
どう解釈する?

ヘイヴンは確かに
「安息」を意味するが、
この歌詞では単なる場所ではなく
「精神の安らぎ」や「存在の目的地」を
象徴しているのではないだろうか。

散々な夜に火傷を負うほどの
感情のやり取り、
矛盾を抱えた生き方の葛藤——
これらは現代の不安定さを
象徴している。

少年よ、君は
この歌詞の冒頭で感じる
「火傷」とは、
何を意味していると思う?


 

火傷と矛盾の中で生きる現実

 

火傷というのは、
人と人との間で交わされる
言葉や感情の
ぶつかり合いだと思う。

特に「可燃性の言葉」
という表現は、
簡単に火がついて
傷つくような鋭い言葉を
指しているんじゃないかな。

それに続く
「正しく生きれなくて
矛盾と半端の瓶詰め」
という部分も、
完璧でいられない自分と
現実への苛立ちを
表しているように感じる。

その通りだ。
火傷は単なる痛みではなく、
感情的な衝突や
現実との軋轢から
生まれるものだ。

そして、ここに
描かれているのは、
答えの見つからない
矛盾の中で「仮面」を
被るように生きる人間の姿だろう。

「嫌を勘脂で蓋する」という
フレーズには、
自己欺瞞の行為が
隠されている。

だが、その蓋は
決して完璧ではない。

火傷の痛みが蓋を溶かし、
矛盾が顔を覗かせる。

 

つまり、僕たちは
「仮面」を被りながらも、
それを維持するために
苦しんでいるということだね。

でも、その苦しみの中で
もがきながら、
僕たちは本当に
「生きている」と言えるのかな?


 

幻想と現実の対立

それがこの歌詞の
核心の一つだ。

特に「壊れた幻想を愛せるなら、
不慣れな現実だって愛せるかな」
という部分が示しているのは、
人間が抱く理想と、
それに抗う現実の対立だろう。

幻想は希望でもあるが、
同時に脆いものだ。

その壊れた欠片を
愛せる覚悟があれば、
現実にも意味を
見出せるのかもしれない。

 

でも、幻想が壊れたときに、
人は絶望して
しまうんじゃないかな?

現実を受け入れるのは
簡単じゃない。

だからこそ
「今日も明日も辛くたって
強がって辿り着けないヘイヴン」
と歌われているように、
僕たちは自分だけの
ヘイヴンを探し続けるんだと思う。

まさにその通りだ。
だが、この歌詞の
主人公はただ
逃避しているわけではない。

「笑い飛ばしてくれよメイリー」
という呼びかけに
象徴されるように、
誰かとの繋がりを
通して救いを求めている。

この繋がりこそが、
壊れた幻想と現実の狭間で
生きるための鍵ではないだろうか。


 

ヘイヴンの存在と虚構の雨

 

でも、それでも
僕たちのヘイヴンは
どこにあるんだろう。

「正論や真実が火を生むなら、
いつか虚構の雨を降らすからさ」
という部分では、
正しさや現実が
人を傷つけるなら、
嘘でもいいから
救いの雨を降らせたい
という願望があるよね。

これって希望のようで、
絶望にも感じられる。

それは逆説的な希望だ。
虚構は一般的には
否定的に捉えられるが、
この歌詞では
むしろそれが救いになる
可能性を示している。

「無謀」「夢想」と
他人に嘲笑されても、
自分だけのヘイヴンを
信じる姿勢だ。

虚構の雨は、
現実に疲れた心を
洗い流すためのものだと言える。
君は、この虚構をどう捉える?

 

それは、現実を
否定するための嘘ではなく、
現実を生き抜くための
支えなんじゃないかな。

人が完全に現実だけを
受け入れるのは難しいからこそ、
僕たちは虚構を通して
希望を見出そうと
するんだと思う。

歌詞の
「絵空事でも愛していくよ」
という言葉が、
それを象徴している気がする。


 

結論

この歌詞全体を通して
感じるのは、
「ヘイヴン」という
言葉が単なる安息の地ではなく、
現実と幻想の狭間で見つける
「個人の意味」だということだ。

矛盾や痛み、
そして虚構を
受け入れながらも、
自分だけの鼓動を
見つけて生き続ける。

その姿勢こそが、
この歌詞の核心だろう。

 

そうだね。
「ヘイヴンはきっと
見つける自分だけの鼓動を」
という部分で
歌われているように、
僕たちは迷いながらも
自分なりの答えを
探し続けていくんだ。

この歌詞は、僕たちが
その過程を
肯定してくれているように感じるよ。

そしてその過程には、
必ず他者との繋がりが必要だ。

メイリーのように、
笑い飛ばし、
共に歩んでくれる
存在がいるからこそ、
人は壊れた幻想や
不慣れな現実を愛する力を得る。


【歌詞考察】羊文学(ヒツジブンガク)/声 この曲の意味とは?ドラマ「119エマージェンシーコール」主題歌の言葉を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

羊文学
声

について哲学的に考察していく。


 

羊文学「声」MV

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声の歌詞

忘れられたらよかった
今も苦しいのは逃げ出す勇気もないからなの?
わからないまま目を閉じた
沢山の仮面は何を守るためにあるのか、答えは?
慣れない痛みから自分を守るため?でも
あなたが呼んでる
声が聞こえてる私は怯えても呼び返す
何度でもこの声でどんな深い闇の底でも
必ず行くと誓うから覚えていて
あの日くれた言葉
いつも考えてる小さな戦いなの、
日々は言うほど単純じゃない確かな道なんて
どこにもないと知ったけど
それでも、ずっと消えない理由がそこにあるのなら
あなたが呼んでる
声が聞こえてる私は迷いなど放り投げ、
祈っていたただ強く
人生を語るふりをする人たちすら
誰もラストシーンは知らない
癒えない傷を背負ったまま
歩き続けてる危うさや胎さは、
何を私に問いかけるだろう
あなたが呼んでる
声が聞こえてる私は怯えても呼び返す
何度でもこの声で二度と戻れない
あの日々が私を導いていくから
どんなに長い夜の先にも
必ず明日を繋ぐから信じてほしい


序論

 

この歌詞、どうしてだろう、
読んでいると心がざわめくんだ。

「忘れられたらよかった」
から始まるけれど、
全体を通して何か諦めや
絶望を超えた強い意志を感じる。

でも、その意志って
どこから来るんだろう?
ただの感情の発露に思えないんだ。

少年よ、この歌詞は
人間の内なる葛藤と、
それを乗り越えようとする
意志の表れだ。

絶望や迷いの中でも響く
「声」があり、
それが導きとなるという
主題がある。

しかし、なぜ人は
苦しみながらも進むのか、
その背景を掘り下げていこう。

まず、この歌詞が
どのように人生を
語ろうとしているのか、
全体の流れを追いながら
考えてみようか。


 

苦しみと逃避の狭間

 

「今も苦しいのは
逃げ出す勇気もないからなの?」
という言葉が、
特に強く心に残った。

苦しみの原因が
逃げられない
自分にあるという自覚。

でも、どうして
逃げられないんだろう?

それは、少年よ、
人間が本能的に
過去に縛られるからだ。

過去の記憶や傷が
心に深く刻まれ、
それが仮面をつけるような
行動を生む。

この歌詞にある
「沢山の仮面」という言葉は、
自己防衛の象徴でもある。

痛みを避けるために
自分を隠すのだが、
その一方で仮面を
つけること自体が苦しみを
引き延ばしてしまう矛盾がある。

 

でも、それなら仮面を
捨てるのは
どうして難しいんだろう?

仮面を捨てることは、
少年、自分自身の脆さを
露わにすることだからだ。

人は脆さを
見せることを恐れる。

それゆえ、この歌詞では、
仮面を持ちながらも
「あなたが呼んでる
声が聞こえてる」と
進む意思が示されている。

逃げることはせず、
その「声」に
向き合う選択をするのだ。


 

声が持つ意味と導き

 

「あなたが呼んでる」という
言葉が何度も出てくるけれど、
この「声」って何だろう?

誰か特定の存在を
指しているようで、
もっと広い意味がある気がする。

良い視点だ、少年。
この「声」は、
特定の誰かの存在で
あると同時に、
自分自身の内なる声や
信念の象徴とも言える。

人間は孤独の中で、
自分を支える何かを
探し続ける。

その「声」は、
時に他者の言葉や存在、
時に自分の記憶や
理想として現れる。

この歌詞では、
「どんな深い闇の底でも
必ず行くと誓う」とあるように、
その声は行動を促す
力強い指針となる。

 

そうか。
だから「覚えていて」と
呼びかけるんだね。

誰かがくれた言葉や記憶が、
その人を進ませるんだ。

でも、そうした声を
聞くことって、
やっぱり怖いんじゃないかな?

確かに、少年。
それは「怯えても呼び返す」
という言葉に象徴されている。

怖れはあるが、
それでもその声に
応える選択をする
勇気が描かれている。

この歌詞が特別なのは、
恐怖を否定するのではなく、
それを抱えたまま
前に進む人間の姿を
描いている点だ。


 

過去と未来の交差点

 

「二度と戻れない
あの日々が私を導いていく」
という部分も印象的だよね。

過去の記憶が導くというのは、
どういうことだろう?

少年よ、過去は
二度と取り戻せないが、
それでも人間は過去に学び、
それを糧にして未来に向かう。

この歌詞では、
「どんなに長い夜の先にも
必ず明日を繋ぐから」
とあるように、
暗闇を抜ける希望がある。

過去の苦しみや迷いは、
決して無駄ではなく、
未来への道しるべとなるという
メッセージだ。

 

なるほど。
だから過去を否定せず、
それを力に
変えるということか。

でも、どうして人は
そんなに未来を
信じられるんだろう?

それは、少年、
人間の本質が希望を
求める生き物だからだろう。

この歌詞では
「信じてほしい」と
祈りに似た言葉が登場する。

その信じる力は、
自分一人だけでなく、
他者や未来への
連鎖的な想いを含んでいる。

この歌詞全体を通じて、
人間の弱さと強さが共存し、
それが未来を繋ぐ鍵に
なることを示している。


 

結論

 

この歌詞、ただの苦しみの
告白じゃないんだね。

仮面をつけることや、
逃げ出す勇気のなさに
苦しむけれど、
それを乗り越えようとする
意志が描かれている。

そして、その力は
「声」という導きに
支えられているんだね。

その通りだ、少年。
この歌詞は、人間の弱さや
迷いを否定せず、
むしろそれを抱えながらも
進む姿を描いている。

そして、その先にある
未来を信じる力こそが、
この詩の核心だろう。

人生に確かな道はない。
しかし、それでも前に進む理由を
探し続けるのが人間だ。

この歌詞は、
そんな人間の姿を
哲学的に深く描いたものだと言える。


【歌詞考察】Mrs. GREEN APPLE(ミセス)/Darling(ダーリング) この曲の意味とは?大森の18祭での言葉が刺さるこの音楽を哲学的に徹底解説!

諸君、ごきげんよう。

 

我は音楽を哲学的に考え思考する

メロディウスである。

 

今回は

Mrs. GREEN APPLE
Darling

について哲学的に考察していく。


 

「Darling」MV

www.youtube.com


Darlingの歌詞

負けない何かが欲しい ”私”だけの愛が欲しい
そうすればきっと僕らは 比べないで居れる
あれこれ理由が欲しい ”私”だけ独りのような
寂しい夜には 何に抱きつけばいい?
羨ましい ただ虚しい
嫌われたくもないけど 自分を好きで居たい
darling 僕の背中に乗って泳いでて
やるせない日々の海はとても深いから
「誰かの私でありたかった」
勘違いしちゃうから ひとりにしないでよね。
信じれる何かが欲しい 解(ほど)けない絆が欲しい
そうすればきっと僕らは 呆(あき)れないで居られる
大事にしていてもいい? 強がりが崩れる夜は
体丸めて 布団で小さくなってる
羨ましい ただ虚しい
自分で選んだ道でも たまに振り返ってしまう
darling 私の腕の中で休んでて
悲しくて堪(たま)らない 人はとても弱いから
「誰かの私でありたかった」
彷徨ってしまうから ひとりにしないでよね。
限りある世の中のせいで狂ってる
果てしなく続く時間に燻(くすぶ)ってる
みんなと同じだからって 僕の 私の
ワダカマリが楽になるわけじゃない
darling 本当の音を聴いて
やるせない日々の膿(うみ)は出切らないけど
ねぇ 私の私で居てもいいの?
あの子にはなれないし なる必要も無いから
darling
darling 
darling 
darling 
darling 
darling 
darling 
darling 
darling 
darling
darling 
darling 


 

序論

 

僕、この歌詞を
読んでいて、
「負けない何かが欲しい」とか
「私だけの愛が欲しい」っていう
言葉が胸に刺さったんだ。

なんというか、
自分らしさとか、
自分だけの価値を
探す苦しみが描かれている
気がしてさ。

でも、それと同時に
「羨ましい」とか
「虚しい」って
感情が出てくる。

何を求めているのか
明確なようで、
すごく揺れているよね。

これって何なんだろう?

いい着眼点だ、少年。
この歌詞全体には、
人が抱える矛盾や
葛藤が詰まっている。

「自分」を確立したいという
強い願いと、
他者に寄り添いたいという
想いが交錯しているんだ。

それは、人間存在
そのものの本質的な
悩みと言えるかもしれない。

この歌詞を通して、
私たちは「私」という
存在がどう他者や世界と
関わるのか、
そしてその中で
どう自分を見つけるか
について考察してみよう。


 

「欲望」と「愛」の二面性

 

最初の部分では
「負けない何かが欲しい」
と言っているけど、
それって単に
他者に勝ちたいとか、
強くありたいっていう
ことなのかな?

でもその次に
「私だけの愛が欲しい」と
続いている。

これ、なんだか
勝ち負けの話じゃなくて、
もっと深い孤独を埋めたい
って感じるんだ。

その通りだ、少年。
「負けない何か」とは、
他者との競争の中での
勝利を意味するだけではない。

それはむしろ、
自分が自分であるための
核のようなものだろう。

「私だけの愛が欲しい」
というのも、
自分を他者に認めてもらいたい
という願望と、
自分が何か唯一無二の
存在でありたいという
欲望が同時に現れている。

この二面性は、
私たちが他者と関わる上で
常に直面する課題だ。

 

確かに。
でも「比べないで居れる」
って言葉が続くことで、
この人は誰かと自分を
比べることに
苦しんでいるって
わかるよね。

他者との比較が生む
「羨ましさ」や「虚しさ」って、
避けられないものなのかな。

比較そのものは、
人間が社会的存在である以上、
避けられないだろう。

ただし、それが苦しみに
なるかどうかは、
愛や絆の質に関わる。

もし「私だけの愛」を
手に入れることができれば、
比較から生まれる苦しみを
和らげられるかもしれない。

しかし、果たして
その「愛」は本当に
手に入るものなのか?

ここに、この歌詞の核心がある。


 

「孤独」と「絆」の探求

 

次の部分では
「独りのような寂しい夜には
何に抱きつけばいい?」って
書いてあるけど、
これって本当に切実だよね。

孤独な夜には誰かを
求めてしまう。

でも、それって誰かに
依存しているだけなんじゃないかな。

良い指摘だ、少年。
「抱きつく」という行為は、
物理的な安らぎを
求めるものの象徴だ。

しかしそれは同時に、
心の中の空白を
埋めようとする
一時的な手段でもある。

この歌詞に
込められているのは、
孤独の中で求められる
「絆」の存在だ。

「信じれる何かが欲しい」
「解けない絆が欲しい」
という言葉が、
それを裏付けている。

しかし、ここでの
「絆」もまた、
完全に孤独を拭うものではなく、
むしろ孤独の中で得られる
希望の光のようなものだ。

 

なるほど。
でも、それでも
「たまに振り返ってしまう」とか
「彷徨ってしまう」って、
どれだけ絆があっても
不安や迷いはなくならないんだね。

これは結局、人は完全に
孤独を克服することは
できないってことなの?

その通りだ。
人間は本質的に孤独な存在だ。
しかし、その孤独を
完全に消すのではなく、
共に歩む他者を
見つけることで
孤独を受け入れながら
生きる道を探している。

この歌詞が語るのは、
孤独に直面しながらも
「誰かの私でありたかった」
という願望に揺れる心だ。

孤独を避けるのではなく、
その中で他者と
どう向き合うかが問われている。


 

「私でいること」の意味

 

最後の部分で、
「みんなと同じだからって
僕の 私の ワダカマリが
楽になるわけじゃない」
って言葉があるよね。

ここがすごく印象的で、
結局「私」という存在は、
他者と同じであることでも
安心できないってことだよね。

そうだ。
この部分は「私」が
「個」でありながら、
同時に「他者」との
関係性の中で
存在していることを示唆している。

「限りある世の中」
「果てしなく続く時間」
というフレーズが、
有限性と無限性の狭間に
生きる人間の矛盾を
浮かび上がらせている。

そして最後の
「私の私で居てもいいの?」
という問いかけに、
すべてが集約されている。

つまり、他者になれない
「私」が、どれだけ
不完全でも自分で
あることを肯定できるかが、
この歌詞のテーマだ。

 

それでも
「あの子にはなれないし
なる必要も無いから」って、
最後には自分を
受け入れようとしている。

これが歌詞全体の答えなのかな?

そうだろう。
この歌詞が語るのは、
完全な救済ではない。

それでも、孤独や不安、
他者との比較の中で、
自分自身を認めていく
小さな一歩だ。

それは決して
簡単ではないが、
深い自己肯定と
他者との共存を
目指す道でもある。


 

結論

 

この歌詞って、
「私」という
存在の矛盾や葛藤を
真正面から描いているけど、
最後には希望も感じられるね。

完全に孤独を
克服することはできなくても、
自分を受け入れられれば、
少しずつ生きる意味が
見つかる気がする。

その通りだ、少年。
この歌詞は、
人間の弱さと、
それを抱えながら
生きる強さを表現している。

負けない何かや
愛を求めることは、
自分を探す旅そのものだ。

そしてその旅の中で、
完全な答えではなくても
「私でいること」の
尊さに気づくことができる。

それがこの歌詞の
哲学的な核心だよ。