「芸術」の利用と「営利」の利用は別物?

以前に、センター評論文第1問を各所から「削除」に至らしめた別役実氏が著作権の保護期間の延長に対して「慎重論」の立場から団体を結成した件を取りあげた。
http://d.hatena.ne.jp/phenotex/20061110

僕は入試での使用について厳しい立場を取っている別役氏の行動と、この保護期間への慎重論という点に違和感を感じ上記の記事とした。(「マスコミ不信日記」さんや、「エンドユーザーの見た著作権」さんでも、とりあげられている。)

この件についての別役氏の見解が「日本ビジュアル著作権協会」のwebに掲載されている。
http://www.jvca.gr.jp/news/news05/jvcanews05_08.html


この記事について僕が気になったのはこの部分だ。

>芸術の分野と営利の分野はまったく別のものだと思います。

と別役氏は述べている。「芸術と営利」という対立軸の設定の仕方がそもそも納得いかないが、今回の入試過去問の著作権問題の文脈の中にそれを受け入れてみるなら、「演劇は芸術だから著作権については自由な方がよい。問題集は営利だからとにかく著作権を守れ!」という理屈になるのか。では別役氏の舞台も含めて演劇活動というのは、全て非営利で行なうものなのだろうか? また逆にセンター試験などの公の機関が行なうものも含めて教育活動は全て営利目的で行なわれるものなのだろうか?

僕は別役氏の論から「芸術という言葉をあたかも水戸黄門の印籠のようにかざして特権を訴えている」というような印象を受けた。この別役氏の論の立て方は、「教育という言葉をあたかも水戸黄門の印籠のようにかざして特権を訴えている」などと予備校や教育出版社が非難される際の論と構造上は全く同じではないのか?

別役氏の論から「芸術家であるボクって特別だよね」というおごりのようなものを感じる。じゃあ僕らも言っていい?「教育者であるボクらも特別だよ」って。

かつて様々な入試問題で別役氏の文章を読んで、時にその着眼点や発想の面白さに唸らされることもあっただけに、正直言って別役氏の今回の「自己の矛盾した行動のつじつま合わせをしようとしておごりを露呈したコメント」は期待外れだった。続編を期待します。