2011/03/16

ミシェル・レリス『レーモン・ルーセル ――無垢な人』(1987)

レーモン・ルーセル―無垢な人
岡谷公二訳、ペヨトル工房(1991)

《私は、父がルーセルのごく親しい友人の一人だったため、彼をよく知っていたので、ルーセル・ファンの関心を引くかもしれないと考え、以下主として、この驚くべき作家の芸術上、文学上の好みや、その仕事振りについてのいくつかの資料をつけ加える。》p10

 本書には、(1)ミシェル・レリス(1901ー1990)が、レーモン・ルーセル(1877-1933)について書いた種々の文章のほかに、(2)ルーセル自身のエッセイ「私はいかにして或る種の本を書いたか」と、(3)訳者・岡谷公二による論考「『アフリカの印象』から『幻のアフリカ』へ」が収められているが、以下はすべて、(1)からの引用を並べたものであり、本当に引用だけである。
 なぜなら、そのほうが手っ取り早くて楽だからだし、それにそのほうがいいような気がしたから、というのは読んでいただければおわかりいただけるのじゃないかと思う。相当に、長いけれども。
 そして、もしレーモン・ルーセルに興味をもつかたがいらしたら、おわりにこの特異な人間の書いた特異な小説を2冊リンクしておくから、ぜひとも手に取ってみていただきたいなと思う。
(こんなふうに書いているけど、私じしん、その2冊以外にルーセルのことを知りません)

■ 「レーモン・ルーセルに関する資料」:
《車で旅行をする時、彼は、風景はそっちのけで、読書をしていた。丸々一冊は持ってゆかず、一部のページを破って、ポケットにつっこんでいったのだが、それは、何を読んでいるかを人に知られるのが嫌だったからである。》p12

《子供向きの見世物に夢中で、ばかにせずに人形劇を見にゆき、「お子様劇場」の上演は欠かさなかった。それでも、デュフレーヌ夫人と、子供も連れずに大人だけでそうしたところへゆくのがいくらか気恥ずかしかったとみえて、しまいには、知り合いの少女に一緒に行ってくれと頼むようになった。この少女を介して、正解コンテストに参加し、耳打ちした正解の賞品として、少女がおもちゃをもらった時には、大喜びだった。》p13

《文体について言うと、ルーセルが追求したと思われる目標は、出来るかぎりの文法上の正しさを別にすれば、最大限の正確さと簡潔さだけである。[…]「一つ一つの話を、できるだけ少ない言葉で書いてみようと思ったんだ」、ルーセルは、おおむねこんな意味のことを言った。ルーセルの精神が生み出した奇想天外な創造が、雲をつかむような想像から、疑いようのないリアリズムへと忍耐づよく移され、現実性を帯びるに至ったのは、このような明確さに対する細心の配慮のおかげであり、また、その詩的着想から必然的に生まれた、きわめてばらばらな諸要素のあいだに、なんとしてでも厳密な論理上の連関を作り出さねばならぬとしたその努力の賜物である。》pp18-9

《栄光を当然のものとみなし、たとえば、まだサロンに出入りしていたころ、誰一人、彼の発する輝きに気付かないようにみえたことに、ただ素直に驚いていた彼は、どんな賞賛にも満足しなかった。いかなるほめ言葉も、自分が当然期待してしかるべきものに比べたら及ばないと考えたからである。》p20


■ 「旅行者とその影」:
《ルーセルが行った最初の旅行の一つは、第一次大戦の数年前に、母とともにしたインドへのクルージングだった。この母親は、途中で死ぬかもしれないという考えにとりつかれていて、棺を持って行った。ルーセルはといえば、船が南十字星を見ることができる緯度まで南下する随分前から、いつ見えるかと毎日船員たちに訪ね、これから彼を待ち構えているどんな変わった風景や住民よりも、はるかにこの星に関心があるように見えたという。》p25

《世界一周の間、ルーセルはあまり何度もトランクの荷造りをしたので、見るだけでぞっとするほど、あらゆる種類の手荷物が大嫌いになってしまった。これが、キャンピングカーを作らせた理由で、この車に乗って、彼はイタリアへ行った。》p28

《いくつかの町、とりわけ子供の頃の幸福な思い出の結びついている町は、彼にとってタブーだった。たとえば、エックス=レ=バン(そこを、彼は汽車で通ろうとさえしなかった)、リュション、サン=モリッツがそうで、思い出を台なしにするのを怖れて、これらの町へもう一度行こうとは決してしなかった。》pp31-2

《実際、彼は、いついかなる時にも観光には心をうばわれず、外部は、彼が心の中に持っていた世界と決して相わたることなく、どの国を訪ねても、予め心の中に持っていたもの、つまり彼固有のこの世界と完全に一致した要素しか見ようとしなかったらしい。》p32

《すべての真の詩人同様、誰よりも、この世界で自分は一人きりだと感じていたにちがいないルーセルは、おのれの天使と悪魔の行列を、至るところにひきつれて歩いた。つまりそれは、星に対する固定観念であり、贅沢さと快適さに対する嗜好であり、甘いものに対する好みであり、最高の名誉や、格付けされた奇蹟や、ゴータ年鑑に名が出ることへの偏執や、老化と死に対する強迫観念、幼年期へのノスタルジー、トンネルの中にいる時だけ彼の胸を締めつけたわけではない強い不安であった。》pp33-4


■ 「『新アフリカの印象』をめぐって」:
《彼の書くところによると、一九一五年に着手された『新アフリカの印象』の初稿では、「直径二ミリの左右の筒の一方には、カイロのバザールの、他方にはルクソル河岸の写真がはめこまれていて、目をあてて覗き見ることのできるようになっていた、ごく小さなペンダント式の小型双眼鏡が問題だった」という。》p44

《その構成自体がめまいを起こさせるようにできている、半ば暗号文に近い本文の余白に、詩の或る種のくだりを直接絵解きした一連のデッサンが並んでいる。私は他の場所で、画家ゾーの作品であるこれらの挿絵が、注文によって、いかにして描かれたかを書いたことがある。ルーセルは、私立探偵事務所を介して、本文を知らない画家にその指示を伝えたのであった。》p46


■ 「レーモン・ルーセルにおける想念と現実」:

[…] シャルロット・デュフレーヌ夫人が私に語ってくれたところでは、彼は、彼女が歯医者に対して抱いている恐怖について(蛇に対する恐怖も同様)、絶対に話してくれるなと頼んだという。というのも、その恐怖が自分に伝染するのを怖れたからなのだ。》p65

《現実にはあちこちに罠が仕掛けられているため、それと日々接触するには、ルーセルには、多くの用心が必要だった。たとえば、トンネルの中にいると不安でならないので、それに、自分がどこにいるかをいつも知っていたかったので、或る期間、彼は夜汽車で旅行するのを避けた。》pp66-7

《「疑いようのない栄光に対して、尊敬が払われないとはおそろしいことです。悪口を言う唯一人の人間の方が、三百万の賛美者よりも、私の眼にはおそろしい。満場一致でないと、私は、気が済まないんです」》p68

《「あの人の生活は、あの人の本と同様、秩序だったものでした」と、ピエール・ジャネ博士は、彼の死の数ヶ月後に私と交わした会話の中で言った。この著名な精神病医は、彼を診察し、きくことのできたさまざまな打明け話を記録したのだが、彼を、博士自身の言葉に従うなら、「哀れな病人」とみなしており、その天才を全く認めていなかった。》p69

《ルーセルとその特殊な学殖について私と話していて、「あの人は中学生だ」(その場合、他の人々は小学生なのである)と言ったマルセル・デュシャン》p78

《大衆の眼にどれほど突飛で異様なものに映ろうと、彼は、民衆や子供の想像力と同じ泉から水を汲んでいる》p81

《この天才的作家の生活には、なんらかの神秘的な意図が彼のなかに存在したことをうかがわせるものは――「あまねき栄光」の感覚につらぬかれたという事実も含めて――何もないのである。》p83

《ルーセルの作品の中に解かねばならない謎がまだあるとしても、それは、彼が、子供劇場で、得々として解いてみせた謎々と同じ種類のものではないか、と思わずにはいられない。》p86

《彼が作り出すものは、ひたすら、こしらえものであればあるほど、現実に少しも頼らず、彼の天才の力だけで真実となっていればいるほど、価値があるのだ。》pp86-7

《「彼らは言うのだった、
 翼を身に感じるこのわれら、いかにして
 いやしい肉体を捨てるべきか、と。
 死ね、と彼女らは言うのだった。」》p87

《一九三二年、レーモン・ルーセルはもはや書かない。彼はチェスをはじめ、睡眠薬(バルビツール剤)の中毒になる。》pp87-8

《当時彼は、コップを持ち上げるのがやっとで、殆んど食べさせてやらねばならなかったほど体が弱っていた。薬を飲んでいるので、寝台から落ちるのを心配し、床にじかにマットレスを敷いて寝ていた。食べたくないときに彼が口にした理由は、《よい気分》を乱すから、というのだった。》pp91-2

《晩、彼は夫人に向い、今夜はあなたはゆっくり寝てほしい、今日はとても気分がいいし、睡眠薬も余り沢山はのまなかったから、と言った。》p92


■ 「レーモン・ルーセルについての対話」:
《言葉による構築、言葉遊び、それだけです。でもこれで十分じゃありませんか? 全然神秘家なんかじゃありませんでした。あの人が錬金術の秘義に通じていたとブルトンが考えたのは間違いです。》p99




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どうもありがとうね。