琉球セメント、一皮むけば宇部興産 - 山口県の国策会社に沖縄の海を埋めさせるな ! 何百という命を海にうずめてきた宇部炭鉱の100年の歴史を振り返るとき、いまもかわらず死と戦争のために人々を働かせる国策会社の姿がそこにある
背信の「琉球セメント」
今朝からだ。
地域とともに歩む
を、うたう琉球セメントが、
今朝から辺野古を埋める土砂積み込みをやるという。
どういうことだろうか。
承認撤回と知事選で、沖縄は、その声を再び力強く政府に突き付けたにもかかわらず、
それでも防衛局が「私人」になりすまし「行政不服審査」を申請し、そしらぬふうで工事を再開。
私企業が軍事仕様のカミソリ有刺鉄線を
さらに石材積み込み予定の本部港が台風で破壊され使用できないことがわかると、今度は民間企業である「琉球セメント」の港を、国道449号線沿いの桟橋を、白いテントとカミソリ有刺鉄線で張りめぐらした。
歩道沿いに設置された目隠しのシートと軍事用の有刺鉄線
おおよそ、民間企業のやることとは程遠い。海側をテントで目隠しし、さらに軍事用のカミソリ有刺鉄線を張り巡らす。
カミソリ有刺鉄線
積み上げられた土砂(岩ずり)は、昨日の時点では、那覇空港行きだと答えたらしいが、県民にそんな見え透いた嘘をついてまで、一体「琉球セメント」はどちらに向いているのか。
琉球セメント桟橋のヤード
ヤード内に仮置きされている土砂(岩ずり)
岩ズリといいながら、どう見ても赤い土砂である。
ヤード内で作業する重機
辺野古への土砂搬出に抗議するため、琉球セメント桟橋ヤードのゲート前に集まった人々。那覇空港行きの土砂と主張する業者の説明のため、阻止行動はせず、いずれ始まる辺野古への土砂搬出への抗議アピールを続けている。
なぜ、私企業の港を使うことに問題があるのか
もう一度確認しておこう。
まず、下が新しい桟橋の公共用財産使用許可証と許可条件(一部)である。連日のブログでも説明したように、今回、埋立土砂をこの桟橋を使って搬送するのは許可条件で禁止されている「目的外使用」に他ならない。
許可条件は、「許可にかかる物件を申請内容の用に供するものとし、それ以外の用に供してはならない」と定められ、許可条件に違反した場合は、「許可を取消し、---原状回復等を命じることができる」とされている。
琉球セメント、一皮むけば宇部興産
宇部興産と岸・安倍政権
そして、そもそもなぜ琉球セメントは軍事用カミソリ有刺鉄線を強いてまで政府の基地建設に奉仕しているのか。
琉球セメントの沿革を見てみよう。
県内唯一のセメント製造会社をうたう琉球セメントの母体は、
かつては宇部興産の持分法適用対象の関連会社(発行済株式の45%強を所有)であったが、太平洋セメント、宇部三菱セメントの発足に伴い沖縄県内におけるセメント市場が極端な寡占状態に陥り、独占禁止法に抵触するとの公正取引委員会の指摘に従い、宇部興産が出資比率の引き下げを行ったために現在では宇部興産の関連会社ではなくなっている。 なお、現在でも宇部興産の代理店業務を行うほか、取締役に同社OBを受け入れている。
独占禁止法に抵触するからと、装丁は県内企業にしつらえてはいるが、実際の業務も人事も宇部興産。
わかりうるだけでも、現在の琉球セメント常務取締役 K 氏 は、宇部興産 → 宇部興産建築資材カンパニー → 萩森興産取締役執行委員 → 琉球セメント常務取締役 という流れだ。
そして、山口県と聞いて、皆さんはもう既にお察しのことだろう。
岸信介の長男であり安倍晋三の甥の岸信和がいた会社。そして安倍政権の毎度の政治献金常連企業でもある。
さらにいえば、1868年の山口藩石炭局から、綿々と続く正真正銘の国策会社である。
【広辞苑】国策会社とは。。。主として満州事変から第二次大戦中まで、日本政府の援助ないし指導の下に設立された特殊会社。満州重工業開発会社など植民地・占領地の支配・開発を目的とするものが多い。
宇部炭鉱と朝鮮人強制労働の犠牲者
宇部炭鉱に、多くの朝鮮半島からの労働者が動員された。多くの労働者が亡くなり、そして多くの未払い金が残された。
ぜひご覧になってほしい、この記録データを。
戦時動員にともない、1942年には協和会員数が宇部・小野田・船木で計4万人を超えた。その数はさらに増加した。戦時統制のなかで、1942年3月、沖ノ山炭鉱・宇部窒素・宇部セメント・宇部鉄工所により、宇部興産が設立された。この宇部興産に宇部の東見初や山陽無煙などの主要炭鉱は統合され、その下に多くの朝鮮人が動員された。
主だった事故だけでも
1916年の東見初炭鉱海水流入事故で 235人死亡、
1942年の長生炭鉱海水流入事故で183人死亡、
事故をおこすたびに閉山しては、新しい炭鉱を開削し、まるでアメーバーのように宇部興産へ合併統合されていった。
理不尽な暴行に決起、危険な作業に実働12時間、特高が監視
長生炭鉱での沖縄人労働者
1942年の長生炭鉱事故では、多くの朝鮮半島出身の労働者だけではなく沖縄の労働者も5名が犠牲となっている。
実は2年前、事件から75年がたって、その沖縄出身の犠牲者の2人の遺族が判明した。
山口県内でも有数の工業地帯・宇部市。この街はかつて石炭産業で発展しました。
海岸線に立つ2本の古びたコンクリート製の筒。「ピーヤ」と呼ばれるこの筒は、海底に掘られた長生炭鉱の排気口の跡です。75年前、水没事故が起き183人が犠牲になりました。1942年2月3日、午前9時ごろ、海底からおよそ30メートル下に掘られた坑道が水没。地下で作業していた183人が犠牲になりました。このうち137人が朝鮮半島出身者でした。
慰霊碑には事故で犠牲になった183人の名が刻まれています。実はこの中に、沖縄出身者5人が含まれています。(内岡さん)「日本人の犠牲者の中で山口県出身者は12,3人なんです。ところが沖縄の出身者は5人。どうして沖縄の方々がここに来て、5人も犠牲になられたのかという、そういうことが大きな(疑問で)」
いまも5人の沖縄人の遺骨は、拾われることもなく、137名の朝鮮半島出身者とそのほかの犠牲者と共に、今も、冷たい海底の中に残されている。
死と戦争のために働く日本の私企業
国策会社の植民地主義政策の中で、戦争と国策事業のために搾取され、犠牲になっていた多くの命・・・。
何百という命を海にうずめてきた
いまもかわらず
死と戦争のために人々を働かせる国策会社の姿がそこにある。
地域と共に
と、うたう琉球セメントだが。
しかし、
明らかなのは、
琉球セメントは
「地域とともにに」ではなく、
「政府とともに」あるということだ。
琉球セメントの
白いテントを一皮むけば、
むくむくと本土の宇部興産が姿を現し、
沖縄の山を削り
沖縄の海を生き埋めにして
新たな米軍基地を作ろうとしている。
日本は
戦後73年経っても、
政官業の癒着は何一つ変わってはいない。
ブレーキは壊れ
人の命は十円玉のように軽い
国家権力に庇護され、
国家の植民地支配とミリタリズムと収奪に奉仕する。
辺野古基地建設には参入しないという沖縄の建築会社もある中で、
テントのかげに隠れ、
県民にカミソリ有刺鉄線を向けるとは・・・・。
琉球セメントは、
所詮、国策企業の出張所でしかないのか。
本当の意味での
沖縄の会社にはなれないのだろうか。
この辺野古基地建設問題は
日本の政治と国民の政治意識の問題だ。
本土の皆さんもこのことを重く受け止めてほしい。
そして今の沖縄の為にアクションを起こしてほしい。
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県民にレーザーワイヤーをむけた琉球セメント