普通の会社が「兼業推進」や「20%ルール」を導入してもうまくいかないと思う理由

日経新聞にみずほフィナンシャルグループの坂井辰史社長のインタビュー記事が載っていた。
みずほフィナンシャルグループでは今後、人事制度の改革を進め、「社内の兼業を解禁する」と述べている。
兼業解禁後は、一週間のうち数日は希望する部署で働くことができる。
社外でも経営人材を求めている企業や事業継承案件での兼職を進めるという。

日経ビジネスでも同様の取材内容が紹介されている。
副業を含めた兼業を解禁し、70歳、80歳まで実現していくためのスキルを身に付けてほしいと期待しているようだ。

人材を供給し、その後は銀行に戻ってきてもいいし、取引先に行ったきりがあってもいいという。

トヨタ自動車社長が「終身雇用を維持するのは難しいかもしれない」と発言したことが話題となっていたが、日本を代表する大企業の経営者がこぞって「終身雇用無理ゲーやで」と語っているのは、古き良き時代の日本型雇用の黄昏のようなものを感じさせる。

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これからは「終身雇用を諦める」ことを前提に、副業を解禁し、会社員一人ひとりが市場で勝負する能力が求められるようになっていくのだろう。

現在多くの企業で検討されている副業解禁、兼業推進にはおそらく3つの意味があると考えている。

第一に、スキルが特定の部署にロックインされないように、多様な経験を積ませること。
第二に、社内の暇そうな人を異動などの仰々しい手段を講じることなく、別の場所でも働かせやすくすること。
第三に、将来解雇するための準備をさせることだ。

副業解禁・兼業推進が解雇に向けた伏線的な面はあるとはいえ、既得権益の抵抗は大きく、法制度がすぐに変わるとは考えづらい。
問題を先延ばしにしつつ、グローバルスタンダードな雇用慣行の圧力を感じながら、徐々に解雇の規制を緩めるように社会が動いていくことが予想される。

その準備段階である「多様な経験を積ませるための兼業」だが、僕は普通の会社がやってもうまくいかないと考えている。
理由は複数ある。

リソースの問題

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ひとつ目はリソースの問題だ。
新しく兼業で仕事が入ったからといって、それまでの仕事がなくなるわけではない。

自分も兼業として社内横断のちょっとしたプロジェクトに携わったことがあるが、自分が別のプロジェクトに兼業しても当然、元の業務は減らない。

20%分のリソースを別の仕事に向けるならば、20%分の自分の業務を誰かに引き継ぐ必要があるのだ。
引き継ぎには当然コストがかかり、教育もしなければならない。

結局、本業に100%の力を取られている状況では兼業などできるはずがない。
一人の人間に120%働かせるようなやり方では、兼業推進は成功しないだろう。

本気で兼業を推進するならば、「いま自分がやっている仕事をやりたい人」と「これから自分がやりたい仕事をやっている人」のマッチングが必要で、その二人でリソースを交換するようにしなければならない。

そんなジョブマッチングが、隣の島の社員が何をしているのかもわからないほどタコツボ化した日本企業で行われるとは考えづらく、システム的にマッチングさせるような技術力も社内にはないだろう。

結局、兼業推進の号令の元にやりたくもない形だけの兼業を120%のパワーでやらされ、社員が疲弊し、不満が溜まり、みずほFGの離職率が上がる未来が見える。

マッチングが無理なら、兼業を推進する前にまずは余裕を作らなければならない。
現行の業務量を減らし、80%の業務時間でこなせるようになれば、その余裕でサブプロジェクトに取り組むことができるだろう。

インセンティブ設計の問題

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新しいことへのチャレンジは基本的には楽しい。
学びも増えるし、知識の幅も広がる。

モチベーションが高く、残業を厭わない社員にとっては願ったり叶ったりの制度だろう。

とはいえ、20代前半ならともかく、30代以降の社員が「成長できそうな雰囲気」だけで自ら手を挙げて、面倒な承認作業や上司の相談を経てまで別の部署の仕事をやりたがるか、と言われると疑問に感じずにはいられない。

別の部署の仕事もこなすことで賞与が増えるなどの明確なインセンティブがないと、結局動こうとする人は少なくなってしまうのではないか。

古臭い体質が会社中にはびこっている企業であれば、「成長するために兼業するなら転職するわ」という人が出てきてもおかしくない。
みずほFGで高い意欲を持って兼業するような人材は、兼業する時間があれば転職する、という皮肉な結果にならないだろうか。

義務化されても面白くない

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Googleに憧れた会社が「業務時間の20%を創造的な何かに使え」的な指示を出す話はよく聞くが、形だけの20%ルールは成功しない。

社長がやる気だからという理由で兼業や副業を推進する制度ができ、やらされ感満載な仕組みができて、なんでそれをやらなければいけないのか誰にもわからないまま現場に降りてくる。

現場は謎の報告書を作り、兼業や副業の計画を上長に提出する。
上長は兼業の状況を確認し、形だけの評価をして、

「兼業、推進できてます!」

と社長に報告を上げるためのファクトを作っていく。

こんな風に上から義務として降ってくる兼業なんて全く面白くない。

Gmailは上からやらされて作ったのか?
AdWordsは義務感から嫌々作ったのか?

そうじゃないだろう。

「こんなのあったら楽しいよね」
「こんなのできたら世界が変わるよね」

と子供のように目を輝かせてワクワクしたGooglerが、個人的な想いからプロトタイプを作ったのが始まりだったはずだ。

「こんなことをやりたい」

という好奇心や、

「会社のリソースを使って世の中を良くしたい」

という思いが先行して、その情熱を持って創造的な活動につなげるから意味があるものになるのだ。

「20%の時間を創造的に使え」と上から投げて、「制度を作ればイノベーション起きるっしょ」みたいなノリでやっても意味がない。くだらない作業で現場が疲弊するだけだ。

偉い人に報告するためだけの作業

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ヒエラルキーが確立されて、承認文化が根っこの方まで染みついている会社だと、「20%ルール」的な活動は全て小粒なものとなって終わる。

全ての活動が「上の報告して怒られないためのもの」に収斂していくからだ。

報告を前提にした制度からは会社の常識を変えるようなものは生まれないし、基本的には

「一生懸命やったように見えて、実は何もやっていないもの」

に終わってしまう。

「私は20%ルールを使ってこんな活動をしました!(バッチリと決まったプレゼンで偉い人に報告)」

と報告し、拍手が起きて、偉い人が一言コメントを残して一年の活動は終わり、みたいになるだろう。

たしかに一生懸命活動してはいるものの、会社は全然変わらない。

長々と会社員生活を送ってきたが、

「偉い人に怒られないために行う、何の価値があるかわからない作業」

に費やされる時間は想像以上に多い。

会社員生活が人生の半分になる40代後半になると、「その作業が世の中になんら価値を生み出していないこと」にすら気付かなくなる。
会社の常識が全てになってしまうからだ。

そもそも副業で成功する人は会社の許可は求めない

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副業を推進する、と息巻く企業が多いが、そもそも副業で成果を出す人はいちいち会社に許可を求めない。
副業する場合は、独立自尊の精神を持たねばならない。

自分で何をするかを決意し、自分で市場と向き合い、自分でお金を稼がなければならない。

「会社に報告して、許可しなければ動けない」

という会社員の論理とは別の考え方をしなければならないのだ。

真面目に副業をするのなら、開き直りも必要となる。

自分は悪いことはしていない。
税金は自分でちゃんと払う(住民税は会社と別!)
会社に何か言われたらその時はその時で仕方ない。

と、覚悟を決めなければいけない部分もある。

言葉は悪いが、社畜的な精神とは相反するものだ。

「これをやりたい!」と心の中でときめいた副業が、会社から許可されなかったらどうするのだろうか?

「ソーシャルは会社の名前に傷つくかもしれないからダメ」
「他社で働くのは守秘義務があるからダメ」
「勤務時間外に他社で働くと残業の管理が難しくなるからダメ」

やりたいことが会社にダメと言われる可能性はいくらでもある。

ダメと言われてもやりたいくらいの情熱がないと、本業で疲れ切った身体で副業するのは難しいだろう。
それに副業でやることは小さく始めて色々と変えられるのが魅力だ。

承認をもらうために報告した内容と別の事業をやりたくなっているかもしれないのだ。
副業は会社に背中を押してもらってやるものではなく、あくまで自分がやりたいと思ったことを好きなタイミングで始めるのがいい。