自意識のセーフティネットを破って

Midas  絵画とは「この私には世界はどう見えているか」を他人に知らせ共有するもの。そもそも「こんな私を見て!」の人が上手くなるわけがない(才能以前の問題)。 2013/02/25

http://b.hatena.ne.jp/Midas/20130225#bookmark-134087494


その通りだと思うのですが、なんとなく「どこにも居場所がなく、美術方面に流れてくる若者」像を思い出したので、少し長いですが拙書から引用してみます(文中の「私のことをわかって」の前提にあるのが「こんな私を見て!」)。

 最初にそうした若者を見たのは、二十年ほど前、美大予備校で働いていた頃でした。「他に何もできないけど絵が三度の飯より好き」「美術だけは人に負けない」というよくいるタイプではなく、「何もできない中で美術がまだ一番マシかなと思っている」タイプ。大学に入れなければ就職するしかなく、それはどうしても避けたい。とりあえず美術なら自分的には何とかなりそうな気がするので、どこでもいいから美大に入りたい。
 どんなジャンルにも頂点と裾野があります。裾野の吹き溜まりから這い上がってくる、あるいは逆にそれを強みにして意外なかたちで突出してくる人は稀にいますが、ほとんど淘汰されていくのが常。しかし彼らのせつない「アート志向」が見えてくると、簡単に「向いてないよ」「進路考え直せ」とは言えなくなります。彼らにとっては、美術、アートが自意識の最後の受け皿なのです。それを取り去ってしまったら自分の居場所がない。人とうまくつながることもできない。「普通」の中で、「普通」のレベルについていけない自分と孤独に向き合っていくのは堪え難い。
 彼らにとってアートの世界は、「社会化」に抵抗するための場所ではなく、黙って受け入れてくれる幻想の「母」の懐のようなものかもしれません。自称でも何でもアーティストは、大人になることをいつまでも先延ばしにできそうな「自由」な立ち位置に思える。アートは「何でもあり」の世界だから、自分もここにいていいと思える。アートというジャンルが自意識のセーフティ・ネットになっているのです。しかしそうしたところから出てくる表現が、「私のことをわかって」からなかなか先に進まないものであろうことは、容易に想像できます。


 喩え話をしましょう。インターネットの普及によって一頃、「それまで聞こえなかった声が飛躍的に可視化された」ということがよく指摘されました。ブログという手軽なツールが出現してから、それまで見えなかった「書く人」が大量に出現した。誰もが「どうしても書きたいことがある」「表現したいことがある」と思っていたのでしょうか。そういう人はネットに参入する前から自分で日記や雑文を書いたり、ミニコミ的な内輪のメディアを作って書いていたりしている。大半はそうではなく、目の前にツールがあってみんなが書いているから書くようになったのです(その証拠にブログよりさらに手軽なツイッターが行き渡って、「書く人」が「呟く人」に移行する現象が見られました)。
 目の前にツールがあったから書いた。それは裏返せば、その機会、手段に出会わなかったら、その人々は何も書かなかったかもしれないということです。とすると、その「書く人」たちは、ブログやツイッターというツールに「書かされている人」になるでしょうか。ただ、たとえ「書かされて」いたとしても、それが誰でももっているささやかな被承認欲を手軽に満たせるツールだったことが大きかったのだと思います。キーボードを叩けばネット上に自分のモノローグが活字となって現れ、全世界に公開される。そしてどこかの誰かがそれを読みに来て、この自分の極私的つぶやきに共感してくれたりする。なんと魅惑的なシステムか。そこで「私のことをわかって」と思って書くのは極めて当たり前の振る舞いでしょう。まさにそれは自意識のセーフティ・ネットです。
 アートも同じことになってきているのではないか。しかしアウトサイダー・アーティストが「(普通ではない)私のことをわかって」という表現をし、それが「個性的」なために注目されるということはあるかもしれませんが、自分の居場所を求めてアート方面に来る人はありふれた存在です。ありふれた存在の「私のことをわかって」表現が人を動かすのは難しい。その「私」の欲望が、「私」自身の存在基盤を問い返すところまで探求されているのでない限り。


 この困難はどのように突破できるのでしょうか。唐突ですが、それを私は黒澤明の『七人の侍』で描かれた菊千代に見たいと思います。三船敏郎が演じた、あの滑稽で粗野で垢抜けない田舎者の菊千代です。
 黒澤映画の傑作『七人の侍』は、七人の役割分担があまりにもよく出来ているために、「共同体や組織において構成員はどうあるべきか」という観点からよく論評されてきました。経営論やビジネス論でも『七人の侍』はしばしば例に出されるし、組織の役割論では生き死にも含めて七人セットで分析されます。しかし自分の欲望によって自己の存在基盤を問い直し、自意識の囚われから脱した人のドラマとして見ると、主人公は圧倒的に菊千代です。
 菊千代はまず、自意識過剰だけれども憎めない俗物として登場します。農民出身であることを恥じ出自を偽って侍を気取り、長脇差しを引きずりながら幼いナルシシズムに浸っている彼の「空想と現実の距離」に目を瞑ろうとする姿は、一応それぞれの分際を弁えて行動する他の六人とは違い、もっとも現代人に近い。菊千代にとって侍は「特別」の証であり、自意識を支える受け皿です。盗んだ家系図まで見せて武家の出であることを主張しようとしたものの、年齢と計算が合わないことをすぐに見抜かれ、リーダーの勘兵衛に「おぬし、百姓の生まれだな」と図星を指されてグウの音も出ない。人によく思われたい、認められたいという「他者の欲望」から自由ではない自分自身の姿を重ねて見ると、その痛々しさも笑えません。
 菊千代が変貌するのは、たった七人で野武士集団の襲撃から村を守るという闘いに参入してからです。彼はそこで持ち前の動物的な勘と八方破れの行動力によって、勘兵衛ら仲間だけでなく村人にも一目置かれるまでの目覚ましい活躍をします。この中で最も印象的な菊千代の台詞は、野武士に家族を殺されて孤児になった百姓の赤ん坊を抱いて叫ぶ「こいつは俺だ‥‥、俺もこの通りだったんだ!」。菊千代は闘いの最中に、自分の忌むべき過去のトラウマに直面し、己の始源の傷がどこにあったのかを改めて自覚するのです。
 百姓を「けちんぼで、ずるくて、泣き虫で、意地悪で、人殺し」の「ケチ臭いケダモノ」にしたのは侍だ、だから百姓の敵を自分が取ってやるという決意によって、「金にも出世にもならない」死闘に全身全霊を賭けた時、菊千代の中で「空想と現実の距離」は蒸発します。侍になるという夢が現実になったのではありません。侍になるとは、「特別」な自分を誇示することではなく弱者のために戦うことだと悟り、その弱者こそ忘れてしまいたかったかつての自分だったと気付いた。これは単なる人助けではなく、正真正銘「己の存在基盤のかかった戦い」であった。そこにひたすら愚直に向かって行くことで、菊千代は自意識の牢獄から解き放たれたのです。
 そう考えると、彼が相討ちで倒した野武士の大将も、侍に扮装しながら侍のサの字もわかっていなかったこの間までの菊千代自身だと見ることができます。困難な闘いに直面して初めて「自分の欲望」に目覚めた者が、偽りの自分を殺した。それが『七人の侍』に埋め込まれた”現代人”菊千代の物語です。強大な敵と戦うこと、言い換えれば大変な難問に挑むことだけが、ナルシシズムから解放される道だということを、菊千代の闘いは教えてくれます。
 しかし、「難問」はどこにあるのでしょうか。それが問題です。


(『アート・ヒステリー』p.217〜221)


自己の全存在を賭けた描くことの快楽と苦痛の前には、絵が下手とか売れないなんてことは瑣末なことです。「難問」が他ならぬ自分自身であり、何をどう描いても自分の外に出られないとすれば、自分自身の足下をひたすら掘り起こしていくしかないのです。
もちろん自己分析は究極的には不可能だし、これは絵というよりむしろ文学の領域なのかもしれません。
いずれにせよそれがあるところまで行き着いた時、「自意識のセーフティネット」は破られます。
そしてジャンルを問わず表現は結果的に、「この私には世界はどう見えているか」を示し他人に共有を促すものに反転するのだと思います。



● 追記
twitterで藤田直哉さんが疑問を呈しておられたので、応答記事を上げています。
藤田直哉さんへのお答え