レポートコピペ問題の問題

小中学生の読書感想文に、ネットのサイト「〜児童、そして生徒のための〜自由に使える読書感想文」からのコピペが増えており、中には市の読書感想文コンクールで上位に入ってしまったものまであって、先生たちが頭を抱えている‥‥というニュースを昨日やっていた。
このサイトは2004年からあるもので、学校提出に限り著作権フリー(パクリ、コピペOK)としており、パクリがバレた時の反省文の書き方にまでリンクが張られているという親切設計。去年の夏休みにはアクセスが65万件とかで話題になっていたので、ニュースで取り上げられるのも初めてではないだろう。
読書感想文を書くのが苦手な子は少なくないらしい。国語の時間に、書いたものを何度か添削してもらうという経緯があればまだしも、いきなり夏休みの宿題で出たら困る子は多いかもしれない。「自由に使える読書感想文」はそういう小中学生の悩みに応えるもの。これは使っちゃうわなぁと思った。読書嫌いな子には本を読む手間さえ省けてしまうし。


全国の大学の先生が頭を悩ませているレポートコピペ問題もこれまで度々ネットでも話題になっていて、こちらのコメント欄にもいろいろすごい例が出されている。「映画を見てジェンダー観点から分析せよ」という読書感想文に近い課題を出している私も、この問題を毎期抱えている。
授業内ではドラマや映画を見て計4回ミニレポートを書かせ、次の時間にそのいくつかを読みながら、この着眼点は優れているとかこういう視点があるともっといいとかコメントを加え、単位レポート提出の一ヶ月前に細かい注意点や評価基準、参考資料などを書いたレジュメを配布し、レポートを書く心理的敷居を低くした上で、「ネットからコピペしても必ずわかるよ。特徴的な単語でググれば一発で出てくるから。これまでそれで何件も見つけたよ。いい?必ず見つけるからね?絶対やるんじゃないよ? 授業で書いてきたことをもうちょっと丁寧に膨らませて書けばいいんだからね。ジェンダーという言葉も無理して使わなくていい。私が見たいのは上手い文章や正解ではなく、その人の思考の跡」と口を酸っぱくして言っているが、それでも毎期のレポートで100人当たり必ず1人か2人は見つかる(少ない方かも)。


そもそも映画レビューはネット上に掃いて捨てるほどあるので、コピペもしやすい。短めのレビューは使えないが、ある程度まとまりのある長目の批評は適していたりする。
一読してコピペだと勘でわかるのは、授業の形式上だいたい把握している学生の文章力から見て、こんな難解な単語やカッコつけた言い回し知らないでしょ?これ本当に意味わかって書いてるか?というのが出てくるからだ。妙に文学的なのもある。「さてはさては‥‥」と思って検索すると案の定。授業内で書いたミニレポートと照合してみると、小学生の作文と一流大学の院生のレポートくらいの落差があったりする。
これまでで一番間抜けだったのは、「私」が主語のはずなのに、途中で「僕」に変わっていたもの(ちゃんと読み直そうよ)。いきなり「『○○』をご存知だろうか?」(○○は作品名)で始まっていたのもあった。単位レポートでそんな大上段な出だしはない。
微妙だったのは、どう見てもこのブログ内の映画レビューを参照したと思えるもの。着眼点と構成と語彙が、非常に非常によく似ている。しかし完全なコピーではなく、文章は少し改変されているし、自分の意見も入っている。うまいことポイントを押さえてまとめたとも言える。悩んだ末、まあそれなりに頭は使ったんだろうということで不可にはしなかったが、その学生の「度胸」には少々驚いた。


コピペを見破るノウハウはそれぞれ研究されている方が多いだろうし、発見ソフトもあるらしいが、コピペ防止については対策がない。せいぜいワープロ不可、手書き原稿しか認めないくらいだ。もちろんそれが防止にはならないが、手書きで写せば時間がかかる分、少しはその内容への理解が深まるかもしれないし、自分なりに言葉遣いを工夫しようという余地も生まれるので、コピペ一発で終わらせるよりはまだ幾分マシだろう。


しかしいろいろ参照したとしても、最終的には「自分で考えて意見をまとめる」という基本的なことが教育できない、その重要性すら叩き込めないとしたら、単に教育者や教育システムの問題だけなのだろうか?という疑問は湧く。それは、「自分で考えて意見をまとめる」ことが本当に大切なことだとは、世間では思われていないということの現れではないか。
自分で考えることが大切なのではなく、そこはショートカットして自分で考えたかのように振る舞えることが(処世術として)大切、というふうになっているのではないか。それどころか、もしそれが他人の意見だとしても、少なくとも自分よりは頭が良さそうな人の意見に右に倣えで、何が悪いのかと。世の中そんなものではないかと。自分の意見なんかいったいどこで求められるんだ‥‥。


そういう認識が基本にあるとすれば、レポートコピペが蔓延するのは、書くのが面倒とか時間がないという理由を差し引いても、ある意味当たり前の現象だと言える。むしろ社会に出てからは、あらかじめある正解らしきものに飛びつかず、何事につけても糞真面目に自分で考えれば考えるほど、躓いたり回り道したり追い込まれたり苦しくなったりすることは多いのである。
個人的には学生にそうなってほしいと思っているが、きっと理解はされないだろう。



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