三次元ヌードへの拒否反応

今日のデザイン専門学校のデッサンの授業は、ヌードクロッキーだった。私の行っている学校では、全コースの一年生が一度はヌードクロッキーをすることになっている。美術系のヌードモデルをしているベテランのモデルさんが、毎年来る。彼女から、アニメ専門学校に仕事に行った時の興味深い話を聞いた。


クロッキーの授業が始まってしばらくしたら、気分が悪いと言って退室する学生が幾人か出たという。初めてヌードモデルを描くという緊張感で気分が悪くなったのか? 後で教官に訊くと、どうもそれだけではなかったらしい。
アニメーションコースに来るような学生は、だいたい女の子の絵を厭というほど描いている。実物の女のヌードを目の当たりにする前から、女の子のヌードの絵も描いている。そこで頭の中に、かわいくて理想的な女の子の身体イメージというものが、既に確立されている。
しかし。現実の女性はアニメ絵とは違う。ずっとずっとナマナマしくリアルそのものだ。二次元では余計なものとしてあらかじめ省かれたり簡略化されたりしている細部もある。体を捻った時にできる皺とか脂肪の盛り上がりとか毛とか、その他いろいろ。
頭の中の女の子像とそれらとは、もちろん一致しない。どんなきれいなヌードでも、アニメの女の子のようには脚が長くないし、じっと見ていればさまざまな「ノイズ」が目に入ってくるのは当然だ。そのことに耐えられなくなって、気分が悪くなると。


モデルには太った人から痩せた人、20そこそこから40近くまでさまざまなタイプの人がいる。グラビアアイドルみたいな人は滅多にいない。そのモデルさんはもちろん体のメンテには気を配っており、30代半ばにも関わらず若々しく引き締まった体型を保っていた。痩せてはいるが鍛えているせいか、筋肉もつくべきところにはちゃんとついている。
しかしアニメ絵を見慣れた目、それが「基準」になっている目には、現実の女の裸が「過剰なもの」に見えてしまうのだ。中には最初にチラッと一瞥くれただけで、後はひたすら下を向いて描いている学生もいたそうだ。見ると、目の前のモデルとは別人の完全なアニメ絵を描いている。
モデルさんにとってはちょっと失礼な話なんだけれども、学生の方は生身の女を見て描くことが、どうしてもできない。三次元の女の身体の情報の多さとリアルさに、頭がパニック。そして拒否反応。


アニメでもマンガでもそうだと思うが、現実の人の形が基準となり、それをデフォルメしたり簡略化したりし、それぞれの作画スタイルが作られる。そこで正中線がずれていたり、膝の形がおかしかったり、腕の付き方が現実離れしていたりといった、見る人に違和感を与えるようなデッサンの狂いはまずい。
だからまず実際の人の体を観察して、基本的な形態を知ることが重要とされてきた。基本を一応押さえた上なら、かなり大胆なデフォルメをしても、ちゃんとカッコがついて見えるものだ。
たぶんそういう意図の元に、ヌードクロッキーやヌードデッサンが導入されているのだと思うが、それが一部で機能しなくなっている。


私達は、ノイズがあらかじめ消去されたクリーンな二次元に囲まれている。グラビアのヌードだってちょっとした蔭や皺は修正されていることがあるだろうし、化粧品のコマーシャルの女優の顔のアップなど、毛穴が不自然なほど消されている。
そういうものに慣れてしまうと、いざ混沌とした現実を目の前にした時にうろたえる。うろたえて気分が悪くなるような体験をすれば、ますます三次元の実体/実態から遠ざかりたくなる。でも二次元のアニメで前提とされているのは三次元空間であり、三次元で動く人。
では、それらの情報調達もすべて二次元内で済ませればいいのか。


そうなると実物ではなく、デッサンのしっかりしたリアルな絵をたくさん模写し、そこからノウハウを学ぶことになろう。観察力があって要領のいい人なら、一度も実際のヌードを見たことがなくても、人物デッサンをしたことがなくても、それなりには描けるようになるだろう。アカデミックな美術系だとそういうわけにもいかないかもしれないが、アニメやマンガなら無理矢理生身の人間を描かせることもないという考え方もある。
二次元上の表現に際して、まず現実を観察し、現実のノイズに慣れ、そこから表現に必要なものだけ選んで作画していくというのが、古典的学習方法だった。でも「二次元から二次元」でもいいじゃないとなると、そういうややこしい過程は必要なくなる。
実際、アニメの中の建物の絵を描くのにわざわざスケッチに行くより、写真を撮ってそこから絵を起こす場合の方が多いだろう。現場のことには詳しくないが、たぶんヌードだって同じだ。要はそれらしく描けていればいいのだから。


結局、問題はそれらしく描ける技能を得るために、写真や絵の模写体験だけで充分なのか、やはり実物体験が必要なのかということだ。アニメやマンガ専攻の学生にヌードクロッキーや人物デッサンが必須とされるのかどうかは、議論の分かれるところかと思う。
個人的には、現実のナマナマしさにうろたえ打ちのめされて、鉛筆をもつ手が止まってしまうような経験の多い方がいい気はしている。それが直接技能には結びつかなくても。


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●追記
教訓1:「アニメの学生」と書いただけでは男子と思われがち?(退室者に女子も含まれていた)ので、性別明記が重要。
教訓2:アニメ専門学校の一部であったエピソードを書いただけで、オタクを批判していると読む人もいるようなので、「これはオタク批判の意図はない」との明記が必要(だけどそう読む人はたぶんいなくならない)。