西ケニアにおける「女子割礼」について

 アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。
 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。


 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を述べたいと思います。前者のいう人道的介入は、多くの場合、国際的非難によって法的に禁止することを促し*1、個別の事例での救援をするとともに、現地の女性たちへの啓蒙や人権教育を進めることによって、現地で反対する女性たちを増やしていくという、比較的穏健なもので、なんでこれが「植民地主義的」とか「西欧中心主義」などと批判されるのか、分からないというのは、ある意味では当然だろうと思います。
 ちなみに、誤解があるのは、人類学者たちが、伝統的文化なのだから介入するなと擁護していると思っている人も多いという点です。そのような立場も文化相対主義と呼ばれることがありますが、そんなことを支持する人類学者はいません。人類学者たちは、むしろ「伝統を守ることに価値がある」とか「伝統だから介入するな」といった言説を本質主義や本質主義的文化相対主義として批判しています。人類学者の文化相対主義は、それとはまったく違うものなのです。
 あるいは、たしかに西欧のフェミニストたちや人権派の人たちが、女子割礼の現地の意味や現地の人たちの声を無視し、自分たちが作りあげた「普遍的な」価値観にもとづいて介入するのは「植民地主義的」かもしれないが、現地の女の子たちが酷い人権侵害に遭っているのを放っておくほうがもっとまずいと思う人もいるでしょう。
 それに対して、クリア社会でのフィールドワークの経験を踏まえての私の意見は、女子割礼をすみやかになくすためには、人道的介入をしないほうがいいというものです。私自身は人道的介入を西欧中心主義的で植民地主義的だと思っていますが、だからまずいとうのではなく、女子割礼をすみやかになくすとともに、現地の女性たちに矜持や自負を保持させるという目的をかえって達成できないからまずいのです。


 それを説明するためにも、クリア社会での女子割礼の概要を紹介しましょう。クリアでの女子割礼は、男子の割礼と同様、通過儀礼の一環としての儀礼として行われます。この儀礼によって、少女は、性交と結婚ができる地位になるというわけです(割礼前の少女との性交は禁じられています)*2。割礼の基本的な意味は、この通過儀礼に伴う身体加工の一種ということにつきます。また、女子割礼はつねに男子割礼とセットになっていて、現地語での呼び方も「女の割礼」ということばで呼ばれます*3。
 アフリカの女子割礼とひとくくりにされますが、その施術のやり方は民族ごとに違うし、また時代によっても大きく変わっています。たとえば、クリアの隣の、ケニアの中で大きな民族であるルオ人の社会では男も女も割礼しません。また北のほうの近隣民族であるグシイでは、もともとクリトリス切除などはせず、クリトリスの先端だけをちょっと切るやり方でした。クリアでは、元女子割礼師の話によれば、1920年代ころまでは、クリトリス全部を切除し小陰唇の一部も切除していたが、彼女が割礼の施術を始めた1970年代ころからクリトリス切除だけになり、1990年代にはクリトリスの先端の包皮を切開するだけとなり、それで出血すれば割礼と認めるというように変遷しています*4。
 クリアにおける女子割礼の変化は、それだけにとどまりません。特別の場所で女子割礼師が行う「伝統的」なやり方ではなく、看護婦の資格をもつ者が自分で開いたクリニックで女子割礼をおこなうようになってきたこと、また、注目すべきことに、1980年代に始まった傾向ですが、女子割礼をしない女性が出てきました。1980年代前半に女子割礼をしなかった女性に話を聞いたのですが、女子割礼をしないという方針を決めたのは彼女の父親で、母親や親族の女性たちは反対し、父親がいないすきに彼女を割礼しようと画策したのですが、女子割礼の儀礼が始まる直前に、父親が彼女を村から連れ出して町に行ったそうです。母親や叔母さんたちが彼女を割礼しようしたのは、もちろんひどい母親というわけではなく、割礼しなければ結婚できなくなることを心配してのことです。その後1990年代後半になると、クリニックで割礼する女性や割礼しない女性が半数近くにまで増えていきます。


 重要なことは、このような変化は、人道的介入やNPOの啓蒙によるものではないということです。クリアにはまだNPOによる女子割礼廃絶運動はほとんど入ってきていません。それは生活の変化に応じてクリア人自身が柔軟に慣習を変えていった結果で、女子割礼をしない女性も、それが性差別だからといってやめたわけではないのです。
 クリア人自身による慣習の変更はかなりすみやかです。80年代では、娘を割礼させなかった父親を非難する人がかなりいたのに、私が調査した90年代末には意外なほど非難の声は聞きませんでした*5。


 ついでに、男子割礼の変化についても触れておきましょう。まず、男子割礼は、女子割礼よりも早く、伝統的な割礼師によらない病院やクリニックでの施術が始まっています。それは、1970年代後半に始まり、80年代ころまでは病院で割礼を受ける少年は親戚や割礼仲間から臆病者と侮蔑される傾向がありましたが、90年代後半には、病院やクリニックでの施術のほうが多くなっています。やり方も、伝統的な割礼師による施術は、70年代までは、包皮だけではなくペニス本体にも切込みを入れるというハードなものでした。そのため、出血が止まらずに死亡する少年が絶ちませんでした。病院での施術が増えたのも、そのためかと思います。現在では、それほど深く切れ込みを入れることはなく、ペニス本体から血が流れればよいとなっていて、止血剤も用いています。また、HIV感染を防ぐために、割礼師が伝統的なナイフで割礼することをやめ、割礼を受ける少年の側で用意した安全カミソリで割礼するように変わり、1996年の割礼の時には、ディストリクト・コミッショナーから、一人の割礼が終わるたびに割礼師は手をアルコール消毒するようにという通達が出されたという変化がありました。
 それらの変化にもかかわらず、私が調査したときの男子割礼では死者が出ました(女子割礼のほうには近年、死者は出ていません)。現在のクリアにおいては、女子割礼よりも男子割礼のほうが危険なのです。けれども、男子割礼については、割礼をしない男性は一人も出てこず、またやめるべきという声も皆無です*6。
 男子割礼についてひとつだけ付言しておけば、女子割礼については人権侵害で野蛮な風習だと非難する欧米社会も、男子割礼については人道的に介入して止めさせよとは言いません。それは、男子割礼が危険ではないと勝手に思っていることもあるでしょうが、大きな理由は、欧米で男子割礼が行なわれているからでしょう。ここにも西欧中心主義が指摘できます。


 さて、クリアの女子割礼については、伝統的な女性割礼師を含む多くのクリア人が、遅かれ早かれなくなっていく慣習だといいますし、実際に、なくなっていく傾向もみられます。ある老人は,「女子割礼がなくなっていくのは、昔は重要な儀礼だった他の儀礼がいまはだれも行なわなくなったのと同じことさ」と言っていました。そして、その変化は、人権意識を啓蒙した結果ではありませんでした。慣習とは、生活のなかでいろいろ選択しながら柔軟に変わっていくのが当たり前で、これまでもそうだったという伝統的な意識からそうなっていっているのです。啓蒙・教育に力を入れるとか、人道的介入をすべきという意見の前提となっているのは、そうしないと、アフリカの人びとは自分たちで変えていく力がないという認識ですが、その前提は、クリアの例をみても間違っていることがわかります*7。

 クリアには子割礼廃絶の啓蒙活動は直接入ってこなかったと言いましたが、それはもちろん、クリア社会が外部から隔絶していることを意味しているわけではなく、エイズ防止の啓蒙活動やその他のNPOの活動はなされています。その人たちからも女子割礼についてのナイロビや欧米での廃絶運動の情報はもたらされますし、教師やナイロビに住んでいたクリア人のなかには、欧米のフェミニストたちの女子割礼廃止論やナイロビでのフェミニストたちによる女子割礼禁止の要求について知っている人たちがいます。ある男性高校教師は、それに対して、女子割礼はクリアの伝統文化であり、それを野蛮とするのは植民地主義と同じだと批判していました。また、ナイロビで反対しているケニア女性はもともと女子割礼をしないルオなどの民族出身か、もう女子割礼を廃止した民族の女性や,都市で生まれて伝統を忘れた女性だと批判して、女子割礼を擁護する者もいます。ただし、クリアでは、たとえば、先の高校教師に、自分の娘にも割礼を受けさせたいのかと聞くと、娘が割礼を受けたくないのならさせないし、自分もさせたくはないという答えが返ってきました。
 これは、人類学の議論でいえば、彼が、女子割礼を「クリアの伝統」として客体化していることを意味します(「伝統の発明」もおなじような過程だといっていいでしょう)。生活や他の文化的要素との関係や文脈から「女子割礼」を切り離して、元の文脈にはない意味(「クリアの伝統を象徴する」なんて意味はもともとの女子割礼がおかれていた文脈にはないわけですから)を付与しています。これを「文化の客体化」といいます。「じゃあ、自分の娘も割礼させるのかい?」と聞かれて、実際の生活の文脈に戻したときには、彼は「させない」と答えたわけです。これは矛盾しているわけではなく、文脈が異なっているだけです。


 問題は、この「文化の客体化」が、外部の(たいていは欧米の)まなざしのもとでなされること、そして、伝統主義者や本質主義的相対主義者やいわゆる「原理主義者」が、この「文化の客体化」から出てくることです。まだ、クリア社会では、女子割礼に関しての外部からの介入がほとんどないため、客体化された女子割礼を生活の文脈におき戻すことはできます。いいかえれば、「生きた慣習」としての柔軟さを保持できているので、この客体化とは別に、慣習の変更がなされていっているといえます。しかし、もともとの文脈から切り離され、客体化された文化・伝統が、生活の文脈まで介入してくると、それは、柔軟さを失い、固定された「伝統」となってしまいます。重要なのは、そのような事態は、外部からの介入がなされたときに起きるということです。
 実際に、ケニアでも、ナイロビを含めた都市部に住む、最も近代化された民族であるキクユ人社会において、「原理主義」的なムンギキ・セクトという集団が、1990年代に、女性たちを強制的に割礼しようとする暴力事件を繰り返しています。彼らは無知で頑迷な「因習に囚われた」人びとではありません。近代化・都市化のなかで、欧米という外部の人々が、女子割礼を、それが置かれていた文脈から切り離して「客体化」し(しかもその多様性や柔軟性を無視して、「アフリカの女子割礼」と一括して客体化しています)、野蛮や差別という意味づけしたことにちょうど対応して、(固定され続いてきた)伝統という意味づけをするという客体化をしているのです。その両者に共通するのは、それが置かれていた生活や慣習という文脈を捨象して顧みずに、人びとの生活のなかに介入していくという点です。人類学者が現地の文脈に置いて理解することが第一歩となると言っているのは、この両者の行っている「介入」と「客体化」を批判しているわけです。西欧など外部からの「人道的介入」が、女子割礼を廃絶することに逆行しているというのは、このような客体化を招いて、かえって、人びとが柔軟に慣習を変更していくことを阻害してしまうからです。


 もうひとつ、人道的介入がまずい理由として、現地の人びとの矜持や自負を損なう恐れがあるということがあります。それは、啓蒙や教育によって女子割礼をやめさせるという穏やかな介入も、親や地域から少女たちを切り離して救う積極的な介入も、結局は、女性たちに、「自分たちの祖先や親は愚かで野蛮だからそのようなことをしていたんだ」という意識を植えつけるからです。積極的介入によって救われた女性のなかには「強い自立した個人」として都市や海外で成功する女性たちも出てくるでしょう。しかし、欧米の人権派が、アフリカの地域社会や女性たちに人権思想を根付かせたり、それぞれの文化において民主主義を土着化させたりしたいと思うのであれば、そのためには、生まれ育った地域やそこの人びとが愚かで野蛮だったという意識は、逆方向にしか働きません。個人が地域の人々や親たちといった周りの人々に働きかけることができるのも、その周りの人々との間に代替不可能な絆ができているからです。周りの人びととの関係のなかの自己に矜持や自負なしに、そのような活動はできません。
 もちろん、人権派の人びとが、地域から切り離して救おうなどと思っているわけではないでしょう。それだと、オーストラリアでかつて行われていた、アボリジニの子どもたちを愚かな因習から解放して救うために、親や地域から切り離して、白人の養子にして文明人に育てるといった思想と同じになってしまいます。緊急のときにやむおうえず「駆け込み寺」を設けるのであって、その後で地域社会に戻すのだということだと思います。しかし、そのような人道的介入の前提となっている思想はやはり問題をはらんでいるし、しかも、手段としても、目的を十分に果たせないものだといいたいのです。


 また例によって、長くなってしまいました。クリア社会という個別の事例を離れて、流通する「アフリカの女子割礼」についての、あまりにも誤った情報を正すということもしようと思ったのですが、それはまた別の機会にしましょう。

*1:ケニア政府は、それまであまり守られなかった大統領令での女子割礼禁止に代えて、2001年に「子ども法案」を制定し、16歳以下の女性への割礼を禁止するとともに、施術したものへの罰則も定めました。

*2:アフリカの女子割礼が、結婚前の処女性を守るためだというおおざっぱな情報も流れていますが、北東アフリカの一部でおこなわれている「陰部封鎖(縫合)」と混同しているものでしょう。割礼したあと、結婚前に性交をする少女たちはいくらでもいます

*3:このエントリーで、「女性器切除」ではなく、「女子割礼」と言い表している理由の一つは、そのほうが現地での呼び方に近いからです。

*4:このように、女子割礼では、クリトリス切除とクリトリス包皮の切開とは交替可能なものとなっています。したがって、「アフリカの女子割礼」の機能は女性の性欲や性的快感を低下されるためだという俗説も、あまり根拠のあるものだとは言えません。

*5:女子割礼しないルオ女性との結婚も増えています。これは以前だったらタブーで、昔は、ルオ女性と結婚するにしても、その前にその女性を割礼しないと許されなかったのですが、現在では、割礼しないで結婚している例が多く、そのうち本人が望めば割礼するけどとはいうものの、非難されることはほとんどなくなっています。

*6:その違いについては解釈がありますが、それは長くなるので省略します。

*7:この前提が「植民地主義的」と批判されるものです。植民地主義は、元住民たちは自分たちを発展させることができないから、外部から「介入」して発展させてやるのだということを理由にして自らを正当化していました。