novtanの日常

ネタです。ネタなんです。マジレスする人は撲滅すべき敵です。だからネタだってば!

インターネットは人文系暴力の装置なのか?

昔「アクメツ」という漫画がありましてなあ。ざっとあらすじを言うと、自分が大量のクローン人間の一人だということがわかっちゃった主人公がその死ぬのに躊躇しなくて良い特性を利用して不正はびこる与党の政治家に暴力で言うことをきかせて世の中を正す、という身も蓋もない話なんですが(まあ言ってみれば創竜伝もその類だわな)。

現代の民主主義政治の大きな課題というか、一つの目標は、国民に「こりゃもう暴力で解決するしかないな」って思わせないことだと思うんですよね。不正に開き直るのも、世の中のほうがおかしいとなればある程度はしょうがない、と言い訳をしつつ活動している政治家の方もいらっしゃるとは思いますがね、でもそれはあなたのお仕事のやり方としてはおかしいですよって話で。とはいえ、社会において「容認されている悪いこと」を変革していくことは容易ではないし、冒頭上げたような「その力がある人間を脅しあげて解決する」ことを妄想することは一見近道のように思えるんですよね。でも、それって別に社会の常識(というか、価値観)が一気に転換したことを意味しない。単に、純粋な不正のような、単発単品の悪を撃滅することにおいてはその手段は十分有効になりうるけど、当然ながらそのプロセスが暴力的であることを容認してしまうと、それはすぐに他の問題にも援用されてしまい、いずれは不正ではなく価値観の問題も暴力に支配されるだろうと容易に予想されるよね。だから、全体としてそのような問題を容認しないためにも、単発の悪に対して暴力を行使することも厳しく戒められるべきなんだよね(じゃなければ極めてクリアな不正者を暗殺しに行く人がもっと出て喝采を浴びてもおかしくない)。

個対個のパワハラ・セクハラ的な問題を個の問題として当事者同士でやり合う、ということ自体は極めて自然な話だと思うんだけどさ、じゃあそれを世の中一般論に敷衍して問題提起する、それもいいと思うよ。でも、「世の中一般として悪のはずだからこの個は誅滅されるべき」として世の中を圧力として個を封殺しに掛かるってのは、対個の問題としてのプロセスを逸脱していると思うんだよね。そこを逸脱すると運動というのは極めて卑小なものになりがちだし、それだとコモンセンスを構築するに足らない。

僕にはこのようなことは自爆的な行動をしているようにしか見えないし、このままこの勢いで話を続けると一時的な目的は達成できるかもしれないけど、結局の所、そうやって敵対者を排除するんだ、とみなされるのではないかと思ってしまう。

他人を糾弾するな、というわけではもちろん全然ない。個対個でやりあうべきならそうするべきだし、社会に問題を提起するならことさらに個の問題を持ち出さないほうが良い(問題として提示すること自体は良いけど、その個をとっちめることが目的に入らないようにしたい)。プロセスはきちんとしないと、それは逆に自分の首を絞めることにつながる。

本来、他人を説得して意見を変える、ってことはすげーめんどくさいことなんだよ。インターネットでこういったことを書くようになってもう20年近く経つけれども、そういう面倒くささをみんなわかっていて、誹謗中傷とみなされても不思議ではないレベルの言葉の応酬をやってきた時代もあったけど、その頃はみんな「自分のロジックと倫理をわかってもらうためにはどうしたらいいか」に腐心して(それが暴力的な言葉に繋がるのはまだリアルでの論争に近い意識でやっていたからだとは思うけど)いたと思うんだよね。でも最近はそういう本音も交えた腹の底からの論争(これ、たとえ同意できなくても、相手の価値観に一定の敬意を払うところまでいけることもあるんだよね)に耐えられる論客は少ないし、ともすれば「新しい価値観」を振りかざして正義の鉄槌を食らわそうと身構えてるよね。いやその価値観は叩いて伸ばしていくべき対象物であり、プレス機械の方じゃないんだけどなって思う。そういう「ズルさ」を力として発揮していくと次第に「こりゃもう対抗するの暴力しかないな」ってなっていくと思うんだよね。これは、逆に今、そういう運動している人が相手に対してそう思っちゃっているという可能性はあるし、その可能性について軽くみることは良くない。時代錯誤な価値観で喚いていてもうどうしようもないなこいつらって思われてないかは常に自省すべきとは思う。ただ、やる側がそういう志向に切り替えちゃった時点でもうお互い殴り合うしかなくなっちゃうんだから、先に手を出したほうがその正当性について強い責任を負う。

少なくとも、僕は今ワイワイしている問題についてはそういう問題だと捉えている。もう我慢できないから殴りつけてるんですよ、というのであればそういう言明をすべきだと思う。そうじゃなくて、民主主義的なプロセスを踏んで解決したいのであれば、プロセスなり、瑕疵の問題については(別にそれ自体が悪でもなければ主張そのものを損ねることではないのだから)真摯に向き合ってほしいんだよね。そこも含め、どういうスタンスなのかはっきりしてほしい。言論をもって世の中に何かを主張した以上、責任をめんどくさいことでもちゃんとすべきだ。なんで被害者がそれをやらなきゃいけないの、みたいな考え方でいるのでれば、世の中を変えるという行為はそんな簡単じゃないよって思う。