「うん。今年は適度に雨も降ったし、いい実がなったな。甘みも十分だし、これならいい値が付くぞ」
ロス・ルーラは樹から実を2,3個もぎ取ると、見張り台の上に登って自分で育てた果樹園を見渡した。
丘から山の麓までたわわと実る桃畑を見渡すと、桃の実にシャクリとかぶりついた。
口からあふれこぼれた果汁が太陽の陽射しに光った。
種をブッと吹き出すと、巨大な看板にカコンと当たった。
その看板にはこう書いてあった。
『ロスのすごい果樹園』
墨で書いた文字だけの無骨な看板だが異常な大きさの存在感は半端ない。
この果樹園の主は看板に書いてある通り今年26歳になる独身男性のロス・ルーラだ。
田舎にしては大きな街『ブレン』から馬車で4時間はかかる荒れ地にロスが住み始めたのはいつのころだったか。
いつの間にか荒れ地を開拓し、広大な土地に果樹園を開いてしまった。
この土地は雨が安定せず、作物が育ちにくい、おまけに凶暴な魔獣も多く、普通の人間なら果樹園など開こうなどと思わない。だがロスはひとりでそれをやってのけた。
街の人々は彼のことを働き者と呼ぶよりも変人と呼ぶ人が多い。
しかし、ロスの作った果実は、ブレンの街では100%の信頼を得ている。
今日も、街の人々は彼の果実の入荷を心待ちにしているのだ。
「よし、今日はここからあの麓まで収穫するか」
ロスは果樹園のブロックごとに式紙を張り付けていた。
そして彼の瞳の光彩が翠に変化すると式紙は、ブリムを付けたメイドに変化した。
メイドたちはハサミを片手に桃の実を優しく樹から切り離していく。
収穫した桃は次々と籠に詰められた。
ロスは荷車を曳いて、その籠を積み上げていく。
ひとつひとつは小さな籠だが総重量はかなりのものだ。
長年この仕事をしているロスの手の平は豆で固くなっている。
しかし、この手の豆こそが自分の生きている証だとロスは思っていた。
陽の傾きが午後になると、街へ果実を届けるために馬車に乗り込む。
街までの長い道のりはほぼこの薄暗い森の道を通っていかなければならない。
もともと魔獣が多く危険な道のりだ。
そんな森の道にも犬型の式紙を貼りつけているおかげで普通の魔獣なら嫌がって近寄ることはない。
(妙だ。式紙が一枚燃えている)
ザラザラという音が微かに聞こえた。
「くそっ! 魔獣ザラキか!」
双頭の巨大な蛇が森の間から姿を現した。ザラザラと蛇腹を鳴らしながら馬車を追いかけて来る。
だが、ロスは知っていた。
ザラキはわざと大きな音をたて、獲物を追い込むのだ。
その先には他の魔獣が待ち構えているに違いなかった。
「ちっ、仕方がない」
ロスは馬車を降りると、荷車から馬を解いて逃がした。
「さて、どうしたものか..仕方がない、白虎たちを出すか」
ロスは懐から2枚の式紙を取り出して、息を吹きかけようとした時、森の奥から声がした。
「あきらめないで! 今助けるから!」
ショートカットで後頭部に寝ぐせが付いたままの少女が転がるように飛び出してきた。
「おじさん、大丈夫?」
「おじさん?!」
「もう安心して! この魔法使いライスが来たからにはあんな蛇の一匹や二匹」
[ 私の名はライス・レイシャ、火の精霊よ力を我に—メドレス— ]
空中から火炎球が現れてザラキの鼻先に次々に命中する。
火属性の魔法の選択は正解だ。
ザラキは極端に火を嫌うのだ。
特に鼻先は鋭敏な部分でありザラキは身をひるがえし逃げ出した。
彼女の魔法が終わると精霊の声がどこからか聞こえた。
[ —私の名は精霊シュレ。また会おう、ライス・レイシャ— ]
「うん、またね」
精霊は魔法の闘いが終わると律儀に相手の名前を読んで、あいさつして去って行くのだ。
(ライス・レイシャというのか..しかし、なんだ? この子の違和感は..)
「おじさん、大丈夫? ケガとかしてない? 私がここにいてラッキーだったね」
「俺はこれでも26だ。おじさんはやめてくれ。名前はロス・ルーラだ」
「ロス..ロス、ロス あっ、おいしい桃の果樹園! 私はライス・レイシャっていうの。もう精霊の声で知ってるね」
17歳のライス・レイシャはおどけてほほ笑んだ。
「君、自己紹介はいいけど、まだ終わってないみたいだ。ザラキは逃げたんじゃない。役目が終わって去っただけだ。そして俺たちは既に追い込まれていたんだ」
草がサクッと鳴った。
『シシシ。ほほぉ。私の気配に気が付くとは』
「きゃあ!」
ライスが飛びのいた。
そこには白面を被った男が立っていた。
「お前たちの湿った匂いは、俺の鼻と相性が悪いんだ」
「ふふん。なるほど私クラスに慣れているってことですか」
男の目が白面の上からでもロスを警戒しているのが見て取れた。
「なな.. な.. 何? 誰? お面?」
「落ち着くんだ。こいつは山ヒルの上位魔獣ザビルってやつだ」
「ほう。私の名前まで知っているのですね。マイナーな私にはうれしいことです。あなたの名は?」
「俺はロス・ルーラだ」
「ロス? ああ、この先の果樹園ですね」
ロスはライスに耳打ちをした。
[ ライス、こいつが面に手を付けた瞬間、今までで一番の火炎球を放て、それとな— ]
「ところで、あなた私の素顔までは知らないでしょ」ザビルが白面に手を付けた。
「今だ!」
プッスン・・煙をたてた燃えカスがポロンとザビルの足元に当たる。
「馬鹿っ—」
ザビルが扇形の頭を目いっぱい広げると、ロスの頭から腰まで包みこんでしまった。
「お前の血だけでなく肉まで喰らってやる」
ザビルはヒルのように長く伸びる体でロスに絡みついた。
体中にある唇が開くと薄ら笑いを浮かべこういった「役立たずだな、小娘」
その言葉にライスは体中が恥ずかしさと悔しさで熱くなっていく。
「違う。私は役立たずじゃない。みんなの役に立つためにいるんだ」
「な、なんだ!?」
身体を震わせるライスの周りの空気がメラメラと蜃気楼を作り出している。それはとてつもない力を内包していた。
『くっ、クククク。ハハハハハハ。やはりな・・おい、ザビル逃げたほうがいいぞ。そうしないと俺もお前も煤すら残らないぞ。あいつはこの周辺を爆発させる気だぞ』
「まだ生きていたのか、ロス。どういう意味だ!?」
「俺がある詠唱を教えた。それはとても短いけど威力抜群だ。その言葉は—ゼロ—だ」
「馬鹿な! それは古の精霊と契約を結んだものが使える魔法だ。あんな小娘が知っているはずは— まさか、お前が!?」
「まぁ、半分当たりだ!」
その時、ライスの言葉から詠唱が放たれた[ —ゼロ— ]
それに合わせて、同時にロスが唱えた[ —ゼロは転じイチと成る—キユウリョクノセイ— ]
ライスの周辺から発生した炎は土中へと吸収される。
土中より生えた大木の手がロスを掴むと、ザビルから引きはがし投げ飛ばした。そして何重もの手がザビルを包み込んだ。
『馬鹿な! こんな古の魔法を使う奴がまだ存在するとは—』
手が幾重にも重なりおむすびを結ぶように圧力を加えていく。
手が消えると、ツルツルの琥珀球の中に閉じ込められた魔獣人ザビルの姿があった。
[ —我は精霊モクだ。また会おうライス・レイシャ— 」
・・・・・・
・・
辺り一面の土煙がおさまっていく中、大木の手に飛ばされて、気を失ったロスが目を覚ました。
「イテテテ..」
「あ、おじ、ロスさん、大丈夫?」
「くそ、精霊モクめ。力の加減を知らないのか!」
「ごめん..」
「あっ、大丈夫だ、君のせいじゃない」
「うん」
「それより..久しぶりだなぁ。やっぱり悪いもんじゃないな。膝枕は」
「もう!」
ライスは膝を立てて立ち上がると、ロスは地面に頭を打った。
「イテテ.. だけど、助かったよ、ライス・レイシャ」
「どういたしまして。でも、よく覚えてないけど、何か凄い精霊が来たような気がする。それに、私、あんな魔法を使えたかな? 火の精霊としか契約してないのに」
「ああ..まぁ、いいんじゃないか。きっと気まぐれな森の精霊が力を貸してくれたのさ」
(火属性の魔法でここだけじゃなく果樹園まで燃やされちゃかなわない。しかし、この子、俺の想像を超えた魔力を『ゼロ』に込めやがった。 もしかして、この子が....)
「ねぇ、ところでロスさん。街まで行くんでしょ。だったら私を護衛に雇わない?」
「護衛?」
「うん」
「料金はいくらだい?」
「そうだなぁ。取り敢えずご飯を腹いっぱい食べさせてよ。お腹減っちゃった」
ライスはお腹をさすった。
「くっ、ククク。わかった。雇おう」
「やったぁ。ところで出発前にちょっとだけ桃食べていいかな」
「だめだ。これは商品だ」
「えっ、いいじゃん。別に」
—カプッ
「あっ、こら!食べたな。料金から差っ引くからな」
「え~!けち」
今、ここからロスとライスの冒険が始まった。
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