扉を開けるザンギに促されて足を踏み入れると、幾つかの燭台の灯る、窓のない小さな部屋だった。
その小部屋の中央に置かれたテーブルの上には、見たこともないような豪勢な料理が、燭台の灯りに煌びやかに輝いていた。その量は、とても僕一人では食べきれないほどであり、他にも相席する者がいるのかと問う僕に、「あなただけです」とザンギは答える。
そして、掛けるよう勧められた席のすぐ左側には、僕の食事の世話をせんとカリーニャが控えていたが、その表情は少しばかり硬かった。
『絶対おかしいわよ、これ! 何でこんなに厚遇されるのよ、アンタ!』
僕が内心抱いた思いをソニアが代弁する。ザンギ氏は、僕に一体何を望んでいるのだ?
正直なところ、この不可解な状況で装備を身から離したくはない。だが、背もたれのある比較的立派な椅子には、大きな荷物を背負ったままでは、腰の下ろしようがなかった。
仕方がないので、右脇の床に背嚢を置く。後ろの壁にスライムの盾を立て掛け、外したグローブはポーチにしまう。そして小銃は両股に挟み込み、抱え込むようにして席に着いた。
決して敵対的な雰囲気ではないものの、得も言われぬ不安が重くのしかかってくる。
ミルムによると――いや、彼女がそうと言ったわけではないが――ザンギはこのあと、僕に何かを頼もうと考えているらしい。
仮にその望みを聞き入れることができず、個室の宿代や豪華な食事の代金を求められたとしても、支払える路銀は僅かしか持ち合わせていない。
彼らのこれまでの振る舞いから、意に沿わないからといって、決して暴力的な行為をとるものとは思えない。だが、彼らと過ごした時間は、その素性を知るには短すぎる。何が起こっても不思議ではないといえるだろう。
僕は用心のためにヘルメットを被ったまま、ゴーグルだけを跳ね上げ、魔鏡を通さない生の目で対峙することにした。これで少しは彼らの素性に近づけるだろうか。
「此度は当家へお立ち寄りくださり、有り難く存じます。あらためて御礼申し上げます。申し遅れましたが、私は当家の主でありますザンギと申します。こちらは娘のカリーニャにございます。昨夜は我が娘のためにお気遣いいただきまして、誠に恐縮にございます。まずはご挨拶とお礼まで。どうぞ、ごゆっくり食事をお楽しみいただければ幸いです」
ザンギのあらたまった挨拶のなか、カリーニャが切り分けてくれた七面鳥と思しき肉が皿に盛り付けられて目前に置かれても、なかなか口にする勇気は出てこなかった。しかし、自分の皿に次々盛り付けられてゆく見たこともない豪華な料理と促す言葉を拒みきれず、ええい、ままよと、ついに手を伸ばす。
そしてその美味さに、今度は手が止まらなくなった。七面鳥だけではない。鹿や猪、なかにはよく分からない獣の肉もあったが、そのいずれもが、今まで食したことがないくらい美味なのだ。これらはミルムが調理したものなのだろうか。
一度は口にしたいとは思いながらも、その希少ぶりに指をくわえることしかできなかったトマトやキュウリ、桃に枇杷といった高級果実。さらには、大好物の大根やジャガイモまである。すでに僕の口と手は暴走したままだった。
『いつも思うんだけどさ、なんでこの世界には、地球と同じような野菜や動物の肉があるのかしら。そりゃあ人間や馬がいるくらいだから、鹿や猪については百歩譲るとして、トマトやジャガイモみたいな南米起源のものが、当たり前のように存在するのが理解できないんだけど』
ソニアは、時々意味の分からないことを話すことがある。普段なら興味深く耳を傾けるところだが、今はただ、返事をすることもなく、僕は咀嚼と嚥下を繰り返していた。
『ついでに言うと、度量衡がメートル法に酷似してるのも、訳わかんない。星自体の大きさが地球と全く違うから、そんなの絶対あり得ないはずなのに』
耳元でブツブツと呟き続けるソニア。しかし僕は、声だけのソニアに返事もせず、果実や肉を食い漁る。その姿は、客観的に見れば下品に見えるかもしれないが、この機会を逃せば、いつお目にかかれるか分からない食べ物を前にすれば、どんなに上品な人間でもこうなることだろう。僕は只々、舌と喉を悦ばせ続けた。
『まあ、言葉がほとんど一緒なことも不思議だし、そもそも人間がいる時点で疑問を放棄するしかないんだけどね。って、アタシひとりに喋らせてんじゃないわよ。何か言いなさいよ、ノエル! アタシ、バカみたいじゃない!』
ふと視線を感じて顔を上げると、いつの間にやら僕の側から離れてテーブルの向こう側に立つカリーニャが、怪訝そうな表情で僕の顔を見つめていた。視線が交わらないことから、どうやら僕の頬あたりを見ているようだ。
「あの、何かついてます? この辺りに」
「えっ、べっ、別に何も。すいません!」
右頬を指さして問う僕に、焦ったようにカリーニャが答えるが、視線は依然として僕の耳あたりに注がれていた。そしてその表情は、先ほどよりもさらに強張っているかに見える。
それにしても、昨夜の気さくさはどこに行ったのだろう。もしかしたら、まだ精神的に不安定なのかもしれない。
「少し掛けさせていただいてもよろしいか」
突然、ザンギが僕に語りかけてきた。
来た。ついに来た。予想はしていたとはいえ、走る緊張に思わず顔を俯けてしまう。果たして、一体何が彼の口から語られるのか。今し方、口に放り込んだ肉片を咀嚼することなく飲み下した僕は、肉汁で汚れた手をテーブルクロスで拭いながら、なんとか落ち着こうと努めるが、意に反して、僕の心はざわめき続けた。
何とか意を決して再び顔を上げると、ザンギが向かいの席に腰掛けていた。その側にカリーニャが俯き加減で立っている。そしてザンギは再び口を開いた。
「ノエルさん。あなたの旅に、カリーニャを同道させていただけませんか」
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羽山一明
1,000pt 100pt 2021年11月20日 16時39分
ソニアが実現する高高度の米製装具の開発まで、現時点からあと100年掛かると仮定。一方、現地の文明レベルをルネッサンス直後とみれば、およそ700年ほどの差がある計算に。これだけの期間のズレがあれば、現地を開発したのは地球人で、だからこそ知識が流入していた、という可能性も…。
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羽山一明
2021年11月20日 16時39分
乃木重獏久
2021年11月21日 1時00分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! これはまた、鋭い考察に感謝です! ソニアは、この世界に対して多くの疑問を抱いているようですが、それらの謎は、いずれ全てが明らかになるはずですので、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年11月21日 1時00分
特攻君
50pt 10pt 2022年3月2日 11時39分
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特攻君
2022年3月2日 11時39分
乃木重獏久
2022年3月2日 22時17分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! おかげさまで頑張れます。この先もお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2022年3月2日 22時17分
dobby boy
500pt 1pt 2021年10月31日 16時31分
ザンギの頼み事の意外さに驚きましたが、それ以上に、ソニアの疑問に大きな意味があると勘ぐらざるえない気がしています。
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dobby boy
2021年10月31日 16時31分
乃木重獏久
2021年11月1日 0時02分
いつも応援くださいまして、ありがとうございます! ソニアが抱いている疑問の数々……。鋭いご指摘に、驚きです! ご賢察の通り、大変重要な意味があるのですが、かなり先のお話で、少しずつ明らかにしていく予定です。この先もお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします
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乃木重獏久
2021年11月1日 0時02分
彦間栄寿
100pt 1pt 2024年2月13日 13時01分
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彦間栄寿
2024年2月13日 13時01分
乃木重獏久
2024年2月13日 20時27分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます。興味深いとのスタンプが嬉しいです。ノエルはこの申し出を受けるのでしょうか。引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2024年2月13日 20時27分
ろじねっくす
1,000pt 2021年9月12日 8時35分
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ろじねっくす
2021年9月12日 8時35分
乃木重獏久
2021年9月12日 18時21分
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乃木重獏久
2021年9月12日 18時21分
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