「ノエル、本当に大丈夫? 少し休憩する?」
ふうふうと、荒い息で荷車を引く僕のことが気掛かりなのか、度々カリーニャが尋ねてくるが、「問題ない」と僕は答える。
だが、正直言って辛かった。体力には自身があるものの、小さな岩が方々に突き出る荒れた地面を、マーサを乗せた荷車を引いて進むのは、結構骨だ。土の精霊が、車輪を押し上げて手伝ってくれているとは言うものの、長い斜坑を上り進むのは、かなりきつい。
ブリダヌスも、僕のことが心配のようで、「替わろうか」とでも言うような目を時折向けてくるが、僕は無言で笑みを返す。
確かにロバならば、荷車くらいは易々と牽いて進むことだろう。だが、カリーニャとともに地底に現れたブリダヌスは、軛を嵌めてはいなかった。そんなロバの体に、直接ロープを巻いて重量物を牽かせては、輓獣と言えども苦しいはずだ。カリーニャの大切な家族に、そんな辛い役目を負わせるくらいなら、荷車くらいは僕が引く。
しばらく荒れた道に耐え忍ぶと、ようやく道は、煉瓦敷きに変わった。途端に荷車が軽くなる。勾配はこれまでと変わらないというのに、スイスイと前に進む荷車に、荷台のマーサを落としてしまったのかと焦って振り向くが、彼女は動かぬ姿で車に揺られていた。舗装の効果がここまでのものだとは、正直考えもしなかった。
精霊の浮き火が辺りを照らす中、僕たちは地上に向けて歩み続ける。ロバと僕の足音と車輪の音が、煉瓦の壁に大きく響く。
「しかし、ノエルよ。お前、本当に何があったんだ? そんな妙ちきりんな格好をしているかと思ったら、以前のお前からは想像もできんような魔法で、あんなに恐ろしい魔物を倒しちまうなんて」
「ギルドを出てから、いろいろあったんだよ」
「もしかして、修行か? 山籠もりでもしてたのか」
「……まあ、そんなところかな」
「どんな修行をしたんだ? いい師匠にでもついたのか? 魔法がからきしダメだったお前が、あんなに凄え攻撃魔法を使えるようになってるなんて、俺は今でも信じられん」
「確かに、師匠には恵まれたかもしれないな」
ロバに揺られながら話しかけてくるポグランに、僕は言葉少なに答えた。
あの頃、僕は決して修行のためにギルドを出たんじゃない。ただ、逃げ出しただけだ。だが、僕の言葉は決して嘘じゃない。ソニアという師匠に出会えた事実があるのだから。
「それにしても、羨ましいな、お前。美人の軍人さんと組んでるかと思ったら、こんなに素敵なエルフのお嬢さんとも仲間だなんて。女っ気の全くない、昔のお前からは想像もできん。一体、どこで知り合ったんだよ」
「素敵なお嬢さんだって! ノエル、聞いた? ポグランさんって色男なうえに、女性を見る目もあるんだね! 誰かさんとは大違いだよー」
手綱を握ってロバの横を歩くカリーニャが、にやけた笑みを浮かべながら僕を見る。
「騙されるなよ、カリーニャ。ポグランは男前に見えるけど、実は――」
「おい! 余計なことを言うなよ、ノエル」
「なになに? 男前の秘密、聞きたいなー。もしかしてポグランさんって、ノエル以上に変態だとか?」
「――おい、ノエル! お前まさか、カリーニャさんに変態行為を強要しているのか! この野郎、なんと羨ましいことを!」
「馬鹿野郎! そんなことを、僕がするはずないだろうが! カリーニャも、誤解を招くようなことを言うんじゃないよ!」
「そうだぞ、カリーニャ。ノエルは、決して変態などではない。気高く貴い魔戦士で、その信念は尊敬に値する。それほどに素晴らしき男なのだ。それは、お前も知っているはずではないか」
「でも、今朝だって、わたしのお風呂を覗いたり――って! マーサ! 気がついたの!?」
背後からのその声に、思わず後ろを振り返ると、荷車の上でマーサが身を起そうとしていた。僕は思わず車を止めて彼女に駆け寄り、急いでその身を縛る縄を解く。
拘束から解かれたマーサは荷台から降りて、大きく伸びをする。欠伸こそはしないものの、心地よい眠りから目覚めたばかりのようにも見えるその様子に、僕は心の底から安堵した。
「ここまで私を乗せてきてくれたのか、ノエル。さぞ、重くて辛かっただろう。誠に申し訳ない」
「気にするなよ、仲間じゃないか。それよりも、体調はいいのか? 魔物との戦闘で、どこか痛めたんじゃないのか?」
「私は大丈夫だ。左足の傷以外には、何も問題ない。その傷でさえ、今は痛くもなんともないぞ」
マーサが足の傷に手をやりながら、そう答えた。脹脛に穿たれた穴は痛々しいが、出血はすでに止まっており、彼女の様子を見る限り、その言葉に嘘はなさそうだ。どうやらイフィー族は、外傷に対しても特殊な耐性があるらしい。
『しかし、一体何があったんです? まさか、中佐が気を失って倒れているなんて、思いもしませんでしたよ』
「いや、恥ずかしいところを見せてしまったな。どうやら、戦闘で全ての魔力を使い切ってしまい、気を失ったようだ。この魔剣、凄まじい力を持つだけあって、使う魔力の量も尋常ではないらしい。まあ、魔力の適切な配分を誤った私が拙かっただけの話だがな」
「魔力を使い切ったって? そんな状態で起きて大丈夫なのか? 僕が引いていくから、荷車に乗りなよ」
「気遣いは無用だ。今の体調はすこぶる良い。魔石のせいか、この坑道は魔素に充ち満ちているようで、すでに私の体は魔力に満たされている。ほれ、見るがよい。ここに潜った時よりも調子がいいぞ」
マーサはそう言うと、荷車に括り付けたロープを解いて、魔剣を手に取った。途端にグリーノが、幻想的な紫の光を放つ。その輝きは、先ほど目にしたものよりも神々しく感じられた。
「うわあ、マーサの剣ってすごくきれい!」
「これは私の剣ではない。ポグラン殿が貸してくれたのだ」
「いいえ、マーサ殿。それはグベルマという私の仲間の剣なのです」
「グベルマ殿の! そうか、これが彼の魔剣なのか……。後で、しっかり礼を言わねばな」
マーサは魔剣をポグランに手渡す素振りを見せたが、「やはり、直接グベルマに返したい」と言い直し、抜き身のままの魔剣を握り直した。グリーノを受け取ろうとしたポグランは、マーサのその行動に、一瞬戸惑いの表情を見せたが、「そうしていただくと、グベルマも喜びます」と言って納得したようだ。
だが、僕は知っている。マーサがポグランの折れた右足に気付いて、剣の受け渡しを止めたことを。怪我人に重い両手剣を持たせまいとする、彼女の細やかな気遣いが清々しい。彼女に対する尊敬の念が、なんだか更に強くなった気がする。
「でも、マーサ。魔剣を握ったままだったら、また魔力を吸い取られて、倒れたりしないか?」
「この剣の扱い方は身につけた。魔力を極力絞れば問題ない」
マーサの言葉に魔剣を見ると、いつの間にか妖しい光は消えており、ただの両手剣にしか見えなくなっていた。確かに、見た目は問題無さそうに見えるが、果たして本当に魔力を消耗しないで済んでいるのだろうか。
魔法の使えない僕には理解できないが、彼女がそう言うのならば、信じるしかあるまい。
マーサを下ろした荷車は路肩に置いて、僕たちは再び地上に向かう。重い車を引かなくて済むパーティーの進みは著しく速くなり、気付けば、町へと繋がる階段に着いていた。
伝声管を通して、魔物の駆除の成功と、要救助者一名を救出した旨を連絡すると、坑口を開けるので、そちらへ向かうように促された。ロバに、狭く急な階段を上らせることに不安を抱いていた僕は、少し安心した。
「しかし、カリーニャ。あんなに狭い階段を、ブリダヌスを連れてよく下りてこられたな。危なくなかったか」
「階段? 違うよー。わたしが入ってきたのは、山の方にある大きな入口だよ。そこからブリちゃんに乗せてもらって、ノエルのところまで行ったんだ」
どういうことだ? カリーニャは坑口から入ってきたのか? 町の顔役によれば、魔物を封じこめるために、坑口は完全に封鎖されているとのことだった。まさか精霊の力で、無理矢理に坑口を通ってきたとでも言うのだろうか。
「しかし、さっきから不思議だったのだが、なぜカリーニャがここにいるのだ? 迎えに来てくれたのか?」
「わたしはみんなを助けに来たんだよ。ねえ、ノエル。わたし、役に立ったよね!」
「ああ。本当に助かったよ。マーサには信じられないと思うけど、カリーニャの友達の精霊は、すごい奴らだった。彼らがいなけりゃ、僕らは今も海底下だよ」
「それはすごい! その活躍を、是非見たかったものだ」
『カリーニャも凄かったんですよ。いつもの脳天気ぶりはどこへやら、この娘が弩で魔物を射貫く姿は、それはもう女神のようで――』
「待ってくれ。ちょっと、カリーニャ。一つ聞きたいことがあるんだけど」
ソニアの言葉を聞いて、僕は妙なことに気付いた。妙というか、不可解なことに。
「なあにー? 女神様の秘密が気になるのかな?」
「あのさ、カリーニャ。確かに、君の弩の実力は凄いと思う。仮に精霊の助けがなくても、相当の実力者だと、正直思った」
「なによー。そんなに褒めるなんて、どういう風の吹き回しかな? ノエルの言葉とは、とても思えないよ」
「でもさ、分からないんだ。なんで今、その弩を君が持っているんだ?」
「なんでって? わたしの弩だから、わたしが持っていて当たり前じゃない」
「その弩や矢籠に矢は、宿のアイテムトランクに入れていたはずだ」
「勝手に開けたことを怒ってるの? でも、みんなを助けたかったから――」
「怒ってなんかいないよ。よく助けに来てくれたと、感謝している。でも、不思議なんだよ。なんで君が、それらをアイテムトランクから取り出せたのかを。だって収納魔道具は、能力のないものには扱えないはずなんだから」
彼女が助けに駆けつけてくれたときも、戦いの最中にも、そして、この瞬間まで、僕は気付かなかった。エルフが手にする弩の謎に。
「でも、わたしがトランクを開けたら、すぐに矢も弩も出てきたよ? もしかして、収納魔道具使いの血が流れているのかも! わたしってスゴイ!」
「カリーニャさんも、収納魔道具を扱えるのですか? それならば、是非ともうちのギルドに来ていただきたい! エルフのポーターなんて、大人気になりますよ!」
「大人気!? それもいいなー。ちょっと考えてみてもいいかな?」
普通、収納魔道具は、それを扱える能力を有する者しか使用できないはずだ。軍の輜重部隊や冒険者ギルドで重宝されるこの能力は、魔法の技能とは異なり、生まれつき持つ身体能力の一つに過ぎないが、そうそう目にするものではなく、非常に希有なものと言えるだろう。そのうえ、この能力は男性にしか宿らないと聞く。
いくらエルフが特別な存在だとは言え、そんな特殊な能力を、カリーニャが持っているなんて信じられない。だが、弩を手にするエルフを見ると、それが答えなのだろう。
どうにも釈然としない僕をよそに、脳天気なエルフは、ポグランとの軽口を楽しんでいる。どうやら宿に帰ってから、じっくりカリーニャを問いただす必要がありそうだ。
その時突然、浮き火の明かりが届かない上り坂の前方から、重い響きが伝わってきた。そして、進む闇の先に、白く明るい光が小さく点る。強く優しいその光は、おそらく陽光だろう。それは、魔物を恐れて固く閉ざされていた坑口の封鎖が解かれたことを示していた。
つい先ほどの、伝声管を通した駆除完了の報告が伝わるにしては早すぎるような気がしたが、陽光を目にした感激に比べれば、そんな疑問など些末なことだ。
僕たちは、神々しい光に向かって、闇を背に駆け出した。
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うさみしん
1,000pt 100pt 2023年11月16日 4時38分
一度はボグランに魔剣を渡そうとしたマーサがためらったシーン。やはり魔剣に魅入られて手放せなくなったのかと思い申した。彼の足の状態を気遣った行動であり安心したです押忍。とは言えこれがミスリードでないとも限らないのです押忍。どのみちお礼を名目に魔剣はマーサの手元に残る気がし申す。
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うさみしん
2023年11月16日 4時38分
乃木重獏久
2023年11月17日 0時24分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます。常人が用いればただの剣ですが、魔力の高い者だと異常な性能を発揮するこの魔剣には、大きな秘密があるとだけ申しておきます。軍剣を折ってしまったマーサ、果たしてグリーノを手に入れるのでしょうか。この先のお話でお確かめ下さいませ。
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乃木重獏久
2023年11月17日 0時24分
羽山一明
1,000pt 100pt 2022年2月6日 6時23分
尊き凱旋に、謎がひとつ。疲労にさいなまれるなか、無言で労働を買って出る。師の薫陶を受けられない所作は、紛れもなく彼生来の優しさでしょう。さて、収納箱に関しては仕組みがちらりと。時代背景も相まって、安全性の高いものは重宝されるものだと思いますが、この場合、ノエルのプライベートが……
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羽山一明
2022年2月6日 6時23分
乃木重獏久
2022年2月6日 22時31分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! マーサも復活し、あとはソニアが元に戻れば安心なのですが……。カリーニャが収納箱を開けられることについては、かなり先の収納魔道具に関するお話で明らかになる予定です。とはいえ、仰るようにノエルのプライバシーは危機に晒されることでしょう。
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乃木重獏久
2022年2月6日 22時31分
忠行
1,000pt 100pt 2021年5月22日 6時29分
100話達成おめでとうございます!
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忠行
2021年5月22日 6時29分
乃木重獏久
2021年5月22日 21時35分
いつも応援いただきまして、ありがとうございます! ここまで書き進めてこられたのは、いつも頂戴するお言葉のおかげです! コメントからモチベーションをいただき、本当に感謝しております。この先も、頑張って書き進めて参る所存ですので、今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年5月22日 21時35分
tm
500pt 100pt 2021年5月28日 8時18分
ここできつい役目を買って出るところがノエルのかっこよさですね。強さ以上にこういったところが魅力的です。アイテムボックスの機能に制限をつけるのは凄く良いアイデアかと思いました。誰でも使えてしまうと便利すぎてしまいますよね。 そして、100回到達おめでとうございます!
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tm
2021年5月28日 8時18分
乃木重獏久
2021年5月29日 16時58分
ノエルをお褒めいただき、大変嬉しいです。アイテムボックスの使用者制限や収納物が冷たい点には裏設定があるのですが、いずれ明かしていきたいです(明かす明かす詐欺?)。ここまで書き進めてこられたのは、頂戴する大きな応援のおかげです! 本当にありがとうございます!
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乃木重獏久
2021年5月29日 16時58分
長月 鳥
1,000pt 50pt 2021年5月23日 18時59分
祝百話ーマーサ良かたーヽ(=´▽`=)ノ
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長月 鳥
2021年5月23日 18時59分
乃木重獏久
2021年5月23日 21時50分
いつも大きな応援をいただき、ありがとうございます! マーサも喜んでいることでしょう! いただいたコメントやスタンプ、そしてレビューに励まされて、ここまで書き進めることができました。これからもお楽しみいただけるように頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年5月23日 21時50分
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