「変態さんのことはどうでもいいとして、ここの食事は美味しいね! さすがは、マーサお薦めのお宿だね!」
「風呂上がりだからこそ、余計に旨く感じるのだ。これも、お前が風呂に誘ってくれたからこそだ。宿屋の娘と言うだけのことはあるな。尊敬するぞ、カリーニャ」
「えへへ、マーサに褒められちゃった。羨ましいでしょー? ねえ、ノエル?」
顔を動かさずに目だけをエルフに向けると、ニヤニヤと僕を見ているカリーニャの自慢げな顔があった。だが、また何を言われるか分からないので、相手をすることなく、切り身魚にフォークを突き刺す。
銀色をしたその魚はサーベルフィッシュと呼ばれるそうだ。卓上の切り身からは想像できないが、その名の通り細身の剣のような姿の魚らしい。口にすると、独特の風味の脂と淡泊で柔らかな白身の肉が混じり合う、非常に上品な味が舌を楽しませてくれる。塩だけで軽く味付けをし、バターでじっくり焼き上げたようだ。焦げ付いていないところを見ると、おそらく澄ましバターを使ったのだろう。凝ったソースをふんだんに使った肉料理のような食べ応えがあるわけではないが、魚料理の気品というものが伝わってくる。
「なんか、ここのお風呂に入った後だと、食事も美味しいし、すごく元気になった気がするよー。不思議だなー」
「ここの風呂は温泉の源泉から引いているとのことで、魔素の濃度が高いそうだ。それに、この海で捕れる魚介類も含有魔素が高いらしいぞ。そのせいではないかな」
「そうなんだー。なんだか、いくらでも精霊魔法をぶちかませる気がしてきたよー」
「おお、それは一度見てみたいな。実は私も体内魔素の濃度が高まっているのか、今ならば、普段以上の魔法を発動できそうだ」
「マーサの魔法って何なの? 見せて見せて!」
「私が使える魔法は――、おい、ノエル? 黙りこくって、どうしたのだ。体調でも悪いのか?」
「今からでもお風呂に入ってきたら? きっと温泉の魔素で元気になれるよ? 特別に覗かないでおいてあげるから、入っておいでよー。もしかしたら、変態が治るかも知れないよ?」
そうか。そうだよな。普通は誰でも魔法が使えるものだ。カリーニャの精霊魔法らしきものはゲルタッシュで少しばかり体験した。だがそれ以降、彼女が魔法を使う姿は見ていない。マーサに至っては、出会ってから一度もだ。だから、魔法が使えない自分の不自然さを実感することがなかった。
でもやはり、この二人も普通の存在であり、魔法が使えて当然なのだ。その事実を実感し、僕は自分の不甲斐なさに泣きたくなる。とはいえ、そんなことで仲間を心配させていても仕方が無いので、今は気にしないことにしよう。
「僕は大丈夫だよ。ちょっと考え事をしていただけさ。って、誰が変態じゃい!」
『しかし、魔法ですか……。アタシには、その力がどれほどのものなのか、正直よく分からないんですけどね』
「魔法の力が分からないとは、精霊とは思えない言葉だな。ソニア二等軍曹は様々な魔法を扱えると、カリーニャから聞いたのだが」
『自分が扱えるのは魔法ではなくて、あくまでも自然科学の応用により生み出される現象に過ぎません。もちろん、なかには魔法と同じプロセスを持つものがあるのかも知れませんけどね』
「ソニアはいつも、魔法に対して否定的だよね。でもさ、今の世の中、魔法がなければ何もできないよ。火も点けられないし、きれいな水も飲めない。それに病気も治せない。君だって、一緒に旅をする中でいろんな魔法を見てきただろう?」
『何を偉そうに。アンタが、それ言う? いつも言っているように、アタシは現象としての魔法の存在は認めているわ。でも、何故そういうことが起こるのか理解はしていない。だからアタシにとっては、胡散臭くて疑わしいことであることに変わりはないの。そんなことを言うんだったら、魔法の原理を説明してちょうだいよ』
「だから、僕に聞くなよ。僕が詳しい魔法の話を知ってるわけないじゃないか」
ソニアは魔法について、いつも懐疑的だ。とはいえ、魔法の存在は厳然たる事実であり、この社会がその上に成り立っていることは、彼女も否応ながら認めている。だからこそ、ミルムの複製魔術に、彼女自身も大きな期待を寄せているのだ。
彼女の魔法に対する見解を耳にするたびに、僕はいつも不思議に思う。ソニアは精霊の魔法を幾つも使える。本人は魔法ではないと主張するが、僕は実際に目にしている。確かに銃火器は、魔法を使わない武器にすぎない。しかしソニアは、僕にしか聞こえない声で話したり、遠くの気配を察知できたりする。ある出来事を「動画」という記録物として保管したり、ゴーグルの魔鏡にいろんな情報を映して見せてくれる。これが魔法でなくて、一体何だというのだろうか。
しかし彼女は、それらを「科学技術の産物」と呼び、決して魔法だとは認めないのだ。そして、『原理が解明できないものはただの現象に過ぎず、普遍的な技術として認める訳にはいかない』と、頑なに魔法を理解しようとしない。まあそれは、魔法を使えない僕の側にいるから、魔法の発現を見る機会が少ないというのも理由の一つだろう。僕がほんの僅かでも魔法を使えたならば、彼女の魔法を見る目も大きく変わったかも知れない。
「私も魔法の原理については深くは知らん。魔素を使って目的を果たす手法。知っているのは、初任教程で学ぶその程度だ」
『その魔素って、よく聞きますけど一体何なんですか? そこのお湯にも含まれているって仰いますが、自分のセンサーでは感知できません。以前、ノエルに尋ねたことがあるんですが、この子バカだから何も教えてくれないんです。魔法を使う鍵だとは推測できますが、具体的に何なんでしょうか』
「バカって言うなよ、バカって! 魔素のことぐらい、僕だって知ってるよ! 魔法を使うのに必要なものさ。だから、魔素が凝縮されてできた魔石を採掘するために、世界各地に魔石鉱山があるんじゃないか」
『それで?』
「?」
『だから、それ以外に知っていることは?』
「……」
『ほら! やっぱり何も知らないじゃない! 自分の周囲や体内に魔素がなけりゃ魔法が使えないことぐらい、アタシでも知ってるわよ。アタシが知りたいのは、魔素と呼ばれているものが一体なんなのかってこと。物質なのか、電磁波なのか、それとも他の何かなのか。そしてそれが、どのように魔法という現象に関与しているのか』
「そんなの知るわけないじゃないか。魔素のことなんか、どんな偉い学者でも知らないに決まってるだろ」
「そうだぞ、ソニア二等軍曹。魔素は謎に包まれたものなのだ。万物に宿りながらも、目で見ることができない存在。形として見ることができるのは、魔石や魔砂といった鉱物、あるいは魔物の臓器を包む大網膜ぐらいなのだ。魔石の仄かな光を見たことはないか? それはもう綺麗なものだぞ」
マーサの言葉に、昔の記憶が蘇る。ギルドでポーターをしていた頃は、退治した魔物を開腹して大網膜を切除・回収したものだ。それをアイテムバッグに収納し、ギルドまで持ち帰る。そして目方を量り、それに見合った報奨金をギルドは冒険者に支払うのだ。暗闇で仄かに光る大網膜の、血に塗れた感触とすえた脂の臭いが両手と鼻孔に蘇ってきた。
「しかし、その魔石とて、含む魔素を全て放出すれば、光らぬただの石になってしまう。古より多くの博物者が研究の歴史を紡いではいるものの、一向にその正体は解明されていない。魔素というものは、実に謎多きものなのだ」
『はあ、そうですか。でも、魔素があれば、頭の中に望みを描いて、ほにゃほにゃと呪文を唱えれば魔法が使えるだなんて、自分には未だに信じられません。アタシ自身、何度も試してみたけどダメだったし……』
「魔法って、そんな単純なものじゃないと思うんだけどな……。そんなに簡単なものだったら僕だって――。あれ? 試したけどダメだったって、どういうこと?」
『うっ、うるさいわねっ! ちょっと魔法のことを不思議に思ったから、アンタが寝ているときに試してみただけよ! 別に魔法少女になるつもりなんてないんだから、誤解しないでよねっ!!』
「ソニアさんは魔法を使えるんじゃなかったの?」
『まあ、よく考えると、アタシが魔法を使えるっていう話も、あながち間違いとは言い切れないかもしれない。アーサー・C・クラークの第三法則「十分に発達した科学技術は魔法と見分けがつかない」を当てはめるとするならね。この世界から見れば、地球の科学技術は十分に発達していると言えるでしょうから』
コメント投稿
スタンプ投稿
tm
200pt 2021年3月10日 16時02分
臓器と食事という二つの異なる面の描写が双方共に素晴らしい。 ノエルは魔法が使えずそれはこの世界では珍しい……となるともしかして地球と何らかの関係があるんでしょうか? 魔法少女の真似をしてみるソニアがイチオシの可愛らしさでした。
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
tm
2021年3月10日 16時02分
乃木重獏久
2021年3月10日 21時28分
いつもありがとうございます! そのうえビビッとWポイントも恐縮です! お言葉、感謝です! ノエルが魔法を使えない点は、魔素の詳細とともに、いずれ明らかにしたいです。ソニアの魔法少女も描いてみたいですね。戦闘AIが魔法少女になったら、ある意味無敵かも知れません。
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
乃木重獏久
2021年3月10日 21時28分
うさみしん
1,000pt 100pt 2023年10月23日 0時33分
科学≒魔法談義が面白かったです。勉強になり申した。あと飯テロであります。大網膜という単語を見てハラミを思い浮かべてしまい申した。あっちは横隔膜だった気がしますが、いずれにせよおいしく食べられるんじゃないか、そんな事を思ってしまった深夜であります押忍!
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
うさみしん
2023年10月23日 0時33分
乃木重獏久
2023年10月26日 0時02分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます。作者がSF好きなものですから、どうしても理屈っぽくなるのです。ファンタジーなので、割り切って魔法を描けば良いのでしょうが、どうしても原理を考えてしまうのですが、そのへんをソニアに代弁してもらっております。今後ともよろしくお願いします。
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
乃木重獏久
2023年10月26日 0時02分
羽山一明
1,000pt 100pt 2022年1月16日 12時02分
魔法という胡乱なものに疑問を思わないまま、仕組みが解析されないままに日常に溶け込むさまには不穏を感じざるを得ません。消費があれば還元があり、拡散したリソースが循環する機構がどこかにあるはずですが、根源たるその知識がエルフですら知り得ないのは、なんらかの理由があるのでしょうけど……
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
羽山一明
2022年1月16日 12時02分
乃木重獏久
2022年1月16日 21時18分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! カリーニャは、エルフとしては幼すぎるうえ、人に育てられたため知識が全くありませんが、隠れ里のエルフは魔法の秘密を知っているかも知れません。ですが、それが明かされるのは、まだまだ先の話になりそうです。今後ともよろしくお願いいたします。
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
乃木重獏久
2022年1月16日 21時18分
長月 鳥
300pt 50pt 2021年3月8日 13時26分
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
長月 鳥
2021年3月8日 13時26分
乃木重獏久
2021年3月8日 21時46分
いつも応援下さり、大変感謝致します! Wポイントも恐縮です! いつも頂戴するお言葉やスタンプを糧に書き進めて参ります! 今後ともよろしくお願いいたします。
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
乃木重獏久
2021年3月8日 21時46分
特攻君
50pt 10pt 2022年4月29日 14時41分
※ 注意!このコメントには
ネタバレが含まれています
タップして表示
特攻君
2022年4月29日 14時41分
乃木重獏久
2022年4月30日 20時22分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! お褒めのスタンプ、とても励みとなりました。これからも頑張りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
※ 注意!この返信には
ネタバレが含まれています
タップして表示
乃木重獏久
2022年4月30日 20時22分
すべてのコメントを見る(20件)