「殿下、畏れながらお願い申し上げます。ご存じのとおり、カリーニャは私の大切な愛娘にございます。私に免じて、今宵ばかりは何卒お許し願えませんでしょうか」
「おや、ザンギかい。久しぶりだねぇ。このところ、毎夜訪ねて来ているというのに、なかなか顔を見せないじゃないか。てっきり、忘れられたかと思ったよ。それにしても、ただの養女のカリーナを自分の愛娘だなんて、なかなか面白いことを言うねぇ」
店主の謙った態度に自尊心をくすぐられたのか、殿下はエルフの金髪を掴んだ手を離す。カリーニャはその場に崩れ落ちるが、そのまま、立ち上がろうとはしなかった。
「とにかく、ボクはカリーナを今夜中に連れて帰ると決めたのさ。貴様がどう言おうとな!」
「殿下、そこをなんとか! 明日のこの時間までには、必ずや娘を説き伏せて見せます。何があろうと、誓って自ら登城させますので、どうか今宵ばかりはご容赦を!!」
「ええい、くどい! まさか、知らぬわけでもあるまいが。この町でボクに逆らった者の行く末を。ここではボクの言うことが全てなんだ! いくら貴様が元衛士隊長とはいえ、お前たち下賤の言うことなど、シラミの屁ほどにもなるものか」
「いい加減にしやがれっ! このクソ野郎っ!!」
ついに僕の怒りは爆発した。テーブル上のヘルメットは『やめてっ!』と叫んでいたが、知るものか。とにかく、このクズ人間をぶちのめしてやりたい。只々今は、それだけだ。
しかし、目前の敵に繰り出そうとした拳は、下衆の顔面に吸い込まれることはなかった。ドルフが後ろから、その丸太のような両腕で、僕の身体を抱え込んだのだ。
「おっさん! 何を!?」
「殿下とご家来衆の皆さん方に、ご忠告申し上げますぜ。こちらの旦那の風体に、どこか気付きはしませんですかい?」
「何を言うか、この平民が! なぜ勝手に口を挟む! この無礼な若造が、いったい何だと言うのだ」
僕とドルフへ怒りに燃える目を投げてくるランツァの後ろで、衛士たちは僕を見ながら、己の記憶をまさぐっているようだった。
「いやあ、殿下。すいやせんねぇ、まったく。いや、ただね。敬愛する殿下に何かあっちゃあ、俺ら臣民一同は、これから一生、嘆き悲しみながら生きて行かにゃあならねぇんで。だから、心して聞いてくだせぇよ」
何を言っているんだ、ドルフのおっさん!
「さて、こちらにおわすお人こそ、死神つれて幾年月。いかなる敵も切り刻み、あとに残るは欠片のみ。魔王でさえも裸足で逃げる、『雷閃の死神』その人でさあ!!」
「何を言い出すかと思えば、なんだい、その『ナントカの死神』っていうのは。ボクはそんなヤツは知らないし、聞いたこともない! それが一体どうしたと言うんだい、お前は。あまり訳のわからないことを言っていると、二人とも牢にぶち込むぞ!!」
しかし、油を注がれた殿下の怒りが燃えさかる後ろで、柄の悪い衛士たちが、ざわつき始める。
「『雷閃の死神』だと?」
「あの、噂のあれか?」
「まさか、こいつが?」
「実は俺も、さっきから気になっていたんだ。そいつの格好」
「うそだろ、おい! ヤバいぞ、こりゃあ」
そのとき、うろたえる衛士たちを押しのけて、一人の衛士が進み出た。たたき上げの軍人のような厳めしさが感じられるその男は、その集団には場違いなほど、他の者とは全く格が違う。
「本当に、この者が『雷閃の死神』なのか」
「へえ、そうですぜ、ライカンの旦那。先ほど、このお人が酒場に入ってきたもんで、どうか俺たちを殺さねぇで下せえと、必死にお願いしていたところでさぁ。そうだよなあ、おめえらよ」
先ほどから、声も発さず推移を見守っていた酔客たちが、そうだ、そうだと話を合わす。
ライカンという名の衛士は、鋭い刃物のような目で僕を一瞥すると、一拍おいてから、ランツァに振り向く。
「畏れながら申し上げます。どうやらこの者は、巷で『雷閃の死神』と呼ばれる、非常に危険な魔戦士のようです。誠に恥ずかしながら、今この場で剣を交えることになりますれば、殿下をお守りすることは、非常に難しいと思われます」
ライカンの言葉を聞き、殿下の顔はみるみるうちに、陶磁器のように白くなっていった。その後ろでは、下品な衛士たちが震え上がっている。
「殿下。今夜は一旦引き上げ、明晩、再びお迎えに上がるべきかと」
「しかし、今宵こそカリーナを連れ帰るつもりでいろいろ――」
「殿下!!」
ライカン衛士の強い口調に、再び僕に向ける殿下の目からは怒りの炎は既に消え去り、替わりに恐怖の色が浮かんでいた。
「ま、まあ、ライカンもそう申すことでもあるし、くわえてザンギのたっての願いでもあるわけだしな。わかった。よかろう。今宵は、おとなしく帰ろうじゃあないか。だけど、明晩には必ずカリーナを連れ帰るからな」
店主に必ず明日までに、エルフを得心させるよう念押しし、隠しきれない動揺を見透かされまいと、より尊大に振る舞うランツァ。
そして、僕とは一切目を合わせることなく、店内の見物人たちを威圧しながら、怯える衛士達を引き連れて出て行った。
「ザンギ殿。誠に申し訳ございません」
床に倒れたままのカリーニャの側に屈み込む店主に、一人残ったライカン衛士が頭を下げる。
「ライカンよ、気にするな。坊やの悪癖は、今に始まったものではないからな。お主こそ、あのような振る舞いを黙って見過ごさねばならないその役目、大変辛いことだろう」
「はっ。この様な時でさえ、小官ごときにお気遣い下さるとは、なんと申してよいやら」
「だから、いつも言っとるだろう、そう畏まって話すなと。儂はもう、お主の上官ではないんだぜ。あれから何年経ったと思っとるんだ」
「しかし……」
よほどショックを受けたのか、赤子のような姿勢で床に横たわったまま小刻みに震える、放心気味のカリーニャを抱え上げた店主は、厨房とは違う奥の扉へ向かう途中、振り返ることなく歩みを止めた。
「ライカン、もう行きな。さもないと、坊やがまた癇癪を起こすぜ」
「……」
「お主にも立場があることぐらい、皆わかっているぜ。さあ、早く行かんか!」
再び歩を進め、扉に消える店主の影に、苦渋の表情で一礼すると、さっとマントを翻す。そして、再び僕の顔を一瞥すると、軍靴を鳴らして出口に向かう。扉の前で立ち止まり、酔客達に宴の邪魔を詫びてから、ライカン衛士は月明かりの中へ消えていった。
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羽山一明
500pt 100pt 2021年7月29日 2時16分
上官と部下。住民たちの関係性が変わるほどの幾星霜、このクソ野郎はクソ野郎ムーブを繰り返し続けてきたのですね。渡りに船ならぬ、渡りに死神。ひとまず今夜を乗り切るも、きっとクソ野郎は寝て覚めれば忘れるような明晰な頭脳をお持ちのはず。根源を絶つしかない…!
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羽山一明
2021年7月29日 2時16分
乃木重獏久
2021年7月30日 0時41分
いつもありがとうございます! 御殿下様は悪運が強いようで、ノエルの制裁を、ひとまずかわしてしまいました。この先どうなるのかをお楽しみいただければ幸いです。コメント、大変励みとなりました。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年7月30日 0時41分
ろじねっくす
40pt 2021年1月6日 14時12分
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ろじねっくす
2021年1月6日 14時12分
乃木重獏久
2021年1月6日 23時31分
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乃木重獏久
2021年1月6日 23時31分
鷲巣 晶
100pt 5pt 2022年8月1日 20時13分
エルフを侍らしますか。ちなみに私は異種族だと角のある女の子が好きです。最近だとワンピースのヤマトが好きです
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鷲巣 晶
2022年8月1日 20時13分
乃木重獏久
2022年8月1日 21時53分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます! Wポイントも恐縮です! 角娘、いいですよね! 実は、相当かなり先にはなりますが、角っ娘が登場する予定ですので、楽しみにしていただければ幸いです。これからも頑張って書き進めて参りますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2022年8月1日 21時53分
彦間栄寿
100pt 1pt 2024年1月27日 23時51分
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彦間栄寿
2024年1月27日 23時51分
乃木重獏久
2024年1月28日 22時17分
いつも応援下さいまして、ありがとうございます。頂戴したスタンプのお言葉、大変励みとなっております。これからも頑張って書き進めて参りますので、引き続きお楽しみいただけましたら幸いです。今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2024年1月28日 22時17分
六葉翼
1,000pt 2021年3月6日 1時40分
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六葉翼
2021年3月6日 1時40分
乃木重獏久
2021年3月6日 11時52分
いつもありがとうございます! 大量ポイントにスタンプ、恐縮です! 本当に励みになっております。いただくお気持ちを糧に頑張っていきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
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乃木重獏久
2021年3月6日 11時52分
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