編集による「わかりやすく」の弊害
過去に一度、原稿のやり取りである著者にこっぴどく怒られたことがある。
その著者はもともと怒ると怖いと業界内では有名だったのだけど、僕はそれまでの数年の付き合いで、辛うじて怒られたことはなかった。
だけど、ある日、突然のごとく怒られることになった。
実際には怒られたどころではなく、それはもう激怒だった。
社会人になってあんなに激怒されたことは後にも先にもない。人から怒られて泣きそうになったのも小学生以来だった。
そして、僕が連日徹夜してゲラに入れていた赤字は見事なまでにほぼスルーされることになった。それどころか、ゲラに入れた赤字を消す作業を泣く泣くした。
「入れた赤字を消す」という謎めいた作業の詳細はあまり書けない。とにかくそういう作業があったのだ。
もう数年前のことだけど、この著者とのやり取りを冷静になって振り返ってみると、「編集」という仕事について考えるきっかけをくれたものだった。
もともと、この著者とは雑誌の連載で毎月のように原稿のやりとりをしていて、原稿はほぼ毎回抜群に面白かった。
ただこの著者は頭が良すぎて、たまに原稿がやや難解に感じることがあった。読みにくいわけではないものの、一読しただけでは解せない部分もあり、でもそれを内容の面白さでカバーしていた。
雑誌の連載ではいつもギリギリに原稿が届いていたから、最低限の編集にとどめ、ほとんどそのまま校了していた。
だけど、連載をまとめて書籍にするからには、よりわかりやすくする必要があると思っていた。いや、思ってしまっていた。
最近は少しでも難しいと読んでもらいづらいし、難解そうな文章は避けられがちだ。
「こんなに面白い原稿が読まれないのはもったい!」という一心で書籍化するゲラに結構な量の赤を入れた、というのが先のツイートだった。
そして赤字を受け取った著者から、特大の雷が落ち、「読者を馬鹿にするな!」という一言が地鳴りのように響いた。そんなつもりはなかったはずが、そんなことにもなりえるんだと初めて痛感した。
著者は「読書は知性を問うものであり、俺の本だって読者に知性を問うている。読者はわからなければ調べればいい」と言った。
その言葉を聞いて、僕はやたらと「わかりにくさ」を絶対悪だと決めつけていたことに気づかされた。
ひたすらに「わかりやすさ」を追求し、そうした編集が正しいと思い込んでいた。それこそが編集することだとさえ思っていたかもしれない。
もちろん、「わかりにくい」のがいいことだとはいまも思わない。だけど、「わかりにくい」の中身も、単に表現の問題なのか、論の飛躍なのか、あるいは難しいことを書いているのかなど、とにかく多様だ。
表現や論理の問題ならば、赤入れは編集者としてある意味で当然の仕事でもある。一方でそうでないならば、判断が分かれるところなのかもしれない。
この著者のケースでは、難しいことが難しいままに書かれていた。それが一見したときの「わかりにくさ」につながっていた。
一般的には「難しいことをわかりやすく伝える」ことが良いこととされている。それはそうだと思う反面、それができるにもかかわらず、あえて難しいまま書く人もいる。この著者がまさにそうだった。
だからこそ、僕の赤字は全然ダメだった。あるいはこのケースに限らなかったのかもしれない。
振り返ってみれば、一義的に難解な文章を噛み砕くこと自体が「編集」だと勘違いして、あえて曖昧さを残した文意を汲み取れず、過度な明確さを求めてしまうような赤字を入れたりもしていた。
それは、編集という行為が、ときに物事のグラデーションを認めない暴力的な行為になることにさえ気づいていなかったからでもある。
「わかりにくい」を「わかりやすく」するためには、何かしらの犠牲が必要なこともある。当然ながら、そうすることで弊害とも言えるものが生まれることだって考えられる。
大袈裟に言ってしまえば、世の中の多くの事柄は、単純ではなく複雑で、矛盾に満ちている。とくに難しいことを伝えようとすれば、そこにはいつだって書き手なりの葛藤がある。
それを汲み取れない編集者が「わかりやすくする」ことを最優先にしてしまえば、その背景にある複雑性や矛盾が情報として削がれてしまうことにもなりかねない。
僕が考えていた「読者ファースト」は空虚だったのだと思う。
「読書は知性を問うもの」という発想はこれっぽっちもなかったし、「最近は編集者が読者をダメにしている」と言われても仕方のない編集者だった。
ただそのことに気づけたのは、この著者に激怒されたからだった。僕にとっては編集とは何かをきちんと考えるようになったという意味で、とても良いレッスンになった。
書籍の発売後、その著者は当時激怒したやり取りを笑ってネタにしてくれた。そして、その後も少し続いた雑誌の連載の最終回で「こんな凶暴な僕に、君は素手で相手をしてくれた。ありがとう」と書いてくれた。
本当は、素手以外に対応する術を知らなかっただけなんだけども。