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夏休みが明けたら

 ──それは毎年、違う色をしていた。
 ──10代前半、思春期の頃の夏休み。

 中1の夏は何してたっけなぁ。やっぱり苦しいこともあって、じぶんを傷つけるような行為もしがちだったけど、図書館に通ってたくさんの本を読むのは楽しかった。児童書やライトノベルばかりだったけど。
 家ではパソコンでテキストサイトを楽しんだり、小説やイラスト、詩、短い漫画を描いていたっけ。

 中2の夏はアクティブだった。中1の秋から入った地域の合唱団の練習に通ったり、長崎市主催の平和研修で、沖縄にフィールドワークにも訪れた。その企画で出会った他校の女友達とは、大人になった今でもときどきSNSで交流がある。
 この頃は学校での友達もようやくできて、自由研究として、一緒に石けん作りをしたっけ。

 中3の夏。この頃は毎日塾通い。学校と塾、どちらも比重が大きかった。どちらも「自分の居場所」感があったような気もするけど、どこかやっぱり気を張っていたような気もする。
 塾で起こったあれこれについて、「4コマ漫画のネタになりそう」と思ったことはノートやプリントの隅にメモしてたな。あれっ、塾に何しに行ってたんだ……?(笑)

 ──中2の冬に転校し、結果としていじめからも逃れ、比較的平穏な学校生活を取り戻した私。

 それまではいじめられることが当たり前だったから、「いじめられない学校生活は、こんなにも鮮やかなものだったんだ」と世界が開いた感覚があった。隣の県の中学校に転校しただけだったけど、ほんとうに「人生、ようやく反転した」と思えた。

 一度、ケガレのレッテルを貼られてしまったらなかなか払拭することはできない。時間の流れを待つには思春期はあまりにも短すぎる。
 でも、転校はそれをひと足飛びに解消できる。

 じつは私は、男子から暴力を振るわれたり、持ち物を汚損されることはそれほど嫌ではなかった。ただ耐えるしか選択肢はなかったから、悩む余地がなかった。(その考え方もどうかと思うけど、当時はそうやって歪んだ考えしか持てなかった)
 むしろ、女子から聞こえよがしに悪口や嫌味を言われるほうが対応に困った。私の名前を出すわけじゃない上、直接の悪口じゃないから言い返すことや反論もできない。そこで「反論できず、言われっぱなしになっている私」の姿が目の当たりになることがとても嫌だった。そうやって、じぶんのプライドが傷つけられていくのがつらかった。

 もし転校していなかったらどうなっていたんだろう、ということはときどき考える。体格も良くなってきた同級生から、もっとひどく陰湿にいじめられたのだろうか。それとも、受験やら何やらでいじめに飽きてきたり関わらなくなるひとが増えてくるのだろうか。あるいは、私の味方も増えていたのだろうか。

 でもとりあえずひとつ言えるのは、転校したことによって、だれかに加害され続けられるような、余計な経験をこれ以上増やすことはなくなったということ。
 そして、いじめにどう対処するかという、本来不要なことに頭を使わずに済むようになったのはとても有益だったと考えている。


 もういじめられたくなかったから、前の学校のときよりも個性は抑えめで過ごしたことで、じぶんを騙しているような感覚もあった。でも、そのぶんは塾という別の居場所を見つけたことで多少は緩和することができた。

 8月31日や9月1日が、まるで、いじめや不登校を考える日になってしまった現状には残念に思う部分もある。
 でも、今の中学生が生まれた頃に中学生だった私からすると、学校外の居場所も探しやすいムーブメントが生まれていることや、いじめの証拠を残しやすい端末が出回っていることは、ある意味で羨ましく思う。

 時代は確実に良くなっている、と信じているし、そう思えるような世界をつくっていくことは、私たち大人の責任でもあるだろう。
 待っててね、少年少女たち。未来の少年少女たち。これから大人になっていく私たち。


 8月が終わってゆく。カレンダーをめくる先の景色が鮮やかなものであり続けるよう、私は生きる。これからも、一日一日を生きる。

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まくはり うづき
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