誰も教えてくれなかったんだけど。〜子育て編〜
長男初登場時0歳から現在2歳3ヶ月までに私の中に起こったことをまとめました。
子育てに関するビジョンがまったくなかったことへの自戒も込めて書き残そうと思いました。
1.健康で文化的な最低限度の生活は送れない。
産んだその日からあらゆる文化は奪われ、1日の70%くらいを汚物の処理に費やすことになる。
授乳で養分を搾り取られ、無理な大きさのものを入れていた身体は出す時のダメージもあってまさにガタガタ。最高レベルの介護が必要な状態の小さな生き物に1日中ひっついていると、半径1mが認識の精一杯の範囲になってしまう。
一時的に視力と思考能力が激しく低下して、「オレ、食べ物、摂取」「オレ、排泄」「オレ、眠い」くらいしか頭になくなってしまう。動物だ。動く物だ。そこに文化など皆無だ。
そして赤子は上から下から出しまくる。人間は一本の管なのだ、ということも同時に実感した。
2.こどもは齧る。
長男は生後5ヶ月で歯が生え始めた。肉と粘膜を骨が突き破るのだ。それはきっと壮絶な違和感なのだろう。私は全然憶えてないけど。
歯茎の違和感に対する発散の方法はこどもに寄って様々と聞くが、長男の場合はとにかく「齧る」だった。
おもちゃを齧り、タオルを齧り、彼が怪我をしないようにとあらゆる家具の角に貼った保護クッションも剥がして齧った。
「歯固め」と呼ばれる、奇妙な形をした硬いゴム製のおもちゃを渡すと、「ぎゅっこぎゅっこ」と噛みしめる音が部屋に響いた。まるで鬼婆が包丁を研ぐ音みたいに思えた。奴は今牙を研いでいる。私を喰うつもりに違いない。震えた。
その硬いゴムもギザギザに噛み砕かれる。もちろんそれは飲みくだされ彼の胃に納まっているのだ。何が煮沸消毒だ。何が「安全な食材を使った離乳食を」だ。あいつは今どこで採れたかもわからんゴムを喰って健康にうんこしてぷうぷう寝てるんだぞ!
更には私の膝頭を齧った。椅子に腰掛けているとすごいスピードで這ってきて膝に喰いつくので、恐ろしくて1日中立っていた。
もちろん授乳時には乳首を齧られた(こればかりは懇願してやめてもらった。乳児でも意外と話が通じるものだ。だがどれだけ頼んでもやめてくれたのはこれだけだった)。
絵本も文字通り端から齧られた。我が家にある、乳児に与えるための厚紙で作られた絵本は、みんな不自然なアール加工が施されている。長男の体組織の2%くらいは恐らく紙だ。
遂にソファに取り付いて合皮を一心不乱に食い千切っている姿を目撃した時は腰が砕けた。
私が育てているこの生き物は何だ? 野生のエルザか? 狼少女ジェーンか? これは人間になるのか?
絶望した。そして私はベビーマグの煮沸消毒を止めた。
2歳3ヶ月の現在、齧るのは水筒のストローのみとなった。
夫はストローを齧る癖のある人間である。
3.すべてのこどもはしつけの途中である。
こどもは親が1度言ったことはほとんど理解しているし覚えている。だが、それと理性をもって言われたことを実行できるかどうかは全く別である。
私自身、こどもを産むまでは電車や商業施設などで騒いでいるこどもを見ると「しつけがなっていないのだなぁ」と思ったし、道路をちょろちょろするこどもを見れば、「手を繋ぐようにすればいいのになぁ」と思った。
こどもを産んで、それが歩くようになって、さぁそろそろ色々しつけが必要ですな、となって初めて、しつけには「開始」から「完了」までの長い間があるのだということを知ったのだった。
1度言っただけではわからないのだ。いや、わかってはいるけど実行が出来ない。お手手をつないでいないとお母さんは困るようだ、というのはわかっていても、視線の先に超かっこいい電信柱を認めたら、走って行って引っこ抜かなければならない、という使命感の方がダントツに勝ってしまうのだ。
当然繋いだ手は振り払われる。そこを他人が目撃する。(あーあ危ないな。手を繋ぐようにしつければいいのに)
それを追いかけて行って手を繋いで「道路では私と手を繋いで歩いてください。車に撥ねられたらあなたの人生もドライバーの人生もおしまいです」と言い含める。
よし、わかったぞ、母ちゃん心配するな!俺は…おっ!なんだあのゴミ捨て場は!素晴らしい宝の山じゃないか!早く行かなければ誰かに財宝を奪われてしまうやも知れん!ダッシュだ!、の繰り返しなのだ。
それを彼の理性が育ち、母と手を繋いで歩くことが習慣として体に染み付くまで繰り返すのだ。
すべてのこどもはしつけの途中だ。街で自由なこどもを見ると、今はそう思う。
でもドライバーでもある私は、よく動く子にはハーネスつけて欲しいなー、とも思っている。
4.自分の養育環境と向き合う羽目になる
「虐待は連鎖する」と世間は言う。
人間とは、自分を養育した者が自分に与えたあらゆる行為は、他人に施してもいいのだとどこかで思うからではないか、と私は思う。
私は母親はまともだが、父親に少し問題のある家庭に育った。父は全共闘時代に剣をペンに持ち替えた戦士であった。
戦の時代は終わって、そのまま崩れて物書きとなり、1年中コタツで酒を飲みながら万年筆を握ったり放り投げたりしていた。
そして稼いだ金は呑んでしまうという昭和にありがちなやつだ。途中から平成だけど。
父は、運悪く締め切り間際に訪問してきた新聞の勧誘員を、追いかけ回して丸めた新聞紙で殴ったり、新幹線の車内販売のお姉さんにアイスクリーム(あのやたら固いやつ)を固いと投げつけたりするような人間だったが、家族に暴力をふるうことは決してなかった。
代わりに機嫌が悪くなると、椅子を壊れるまで蹴ったり、テレビの音量を最大にして放置したり(当時のブラウン管テレビは60台まで音量が上がるんだなー、と思ったことを憶えてる)という、実にケツの穴の小さい嫌がらせをする人間だった。
現在私は専業で、平日は2歳の長男と5ヶ月の次男と3人で1日を過ごしている。
次男はそもそも大人しくよく寝るこどもで、まださほど動かないので今のところ扱いやすいが、長男の方は大分人間に近づいてきたのもあって、何かと難しい。多少デリケートなこどもでもあって、乳児期はそれこそ1日中泣きわめいていて、随分削られたものだった。
子育てをするにあたってのストレスというのは、今まで味わったことのないタイプのもので、すぐに追い詰められた私は泣いたり爆発したりのたうちまわったり。人生でこれほど頻繁に取り乱すことになるとは思いもしなかった。
矛先は長男にも向かった。彼を追い詰めるように罵ったり机を叩いたりしたことも何度もある。
そうやって物に当たって長男を怯えさせている時、決まって思い出すのは父の姿だ。例えばキレてベランダから家電を捨てまくっていた時の父の顔を思い出すのだ。
私はきっとああいう少し可哀想な顔をしているのだろうな。父が恐ろしくて大嫌いだったのに、やられて嫌だったことを長男にしているのだ。いや、家電は捨てませんけどね。重いし高価だし。
しかしストレスを発散するためにそういう種類の方法を取れるということを「知っている」のだ。これが心底恐ろしかった。このまま続ければきっとこどもたちもこれを継承するだろう。それだけはだめだ。
長男のイヤイヤが終わって、少し会話ができるようになってきて、私も理性を失って怒ることが減った。慣れもあって若干コントロールできるようになったとも思う。
同時に自分の育った環境とこれからの自分とこどもたちについてもよく考えるようになった。大人気ないかも知れないが、長男には自分の弱さのことも話したりしている。わかっているかどうかは不明だが、たまに「だいじょーぶだいじょーぶ」と肩を叩いてくれる。次男や猫の尻にもやっているのでただのブームかもしれないが。
後から聞いたことだが、父は暴力をふるう祖父を嫌い、それだけはやるまいと誓っていたそうだった。彼はそれをきちんと守っていた。なので私もそうしようと思う。
5.こどもは何も知らない。
こどもは何も知らない。
モラルも常識も道徳も羞恥心も何も知らずに生まれてくる。
刃物は危険だと知らない。
うんこが汚いと知らない。
ハゲ頭を嬉しそうに叩いてはいけないと知らない。
それをひとつひとつ教えるのが親の役目である。
刃物は危険だけどどうしても触ろうとするから絶対に届かないところにしまい、
うんこのおむつを替える時に尻を振らないでくれと懇願し、叩いてしまったハゲ頭に平謝りして、それは失礼にあたるからいきなりやるな、と言い含める。
こどもは何故かがわからないので泣いたり怒ったりする。都度理由を説明しながら宥めて少しずつ常識を刷り込んでいく。
もうひとつ言うと、こどもはモラルも常識も道徳も羞恥心も知らないので心がとても自由だ。
「なんか気に入らない」とかいうチンピラみたいな理由で泣いたり、わめいたりする。
ああ、チンピラって大体1歳くらいなんだな、と思う。
当たり前の話なんだが、こんなに何もインストールされていない状態のものを見たことがなかったので、すごく衝撃的だった。
でも2年もするとかなり学習してしまうので、今となってはあの更の状態は少し懐かしい。
6.愛について考える。
生まれたばかりの長男はとにかく泣くこどもだった。昼夜問わず泣きまくり、あまりにも泣くので音が部屋に充満し過ぎて、泣き止んでもしばらく残響が耳に残って混乱したくらいだった。
なのでゆっくり寝顔を眺めたり、しみじみと「かわいいなぁ」と思う余裕がまるでなかった。写真もとても少ない。
泣きまくる時期が終わると、今度は奇声を発するようになった。どこでもかしこでも奇声。しかもこうもりがわんさか飛んできそうな超音波である。
私がこどもを産んだ年とその次の年は、出産ラッシュでかなり多くの友達がこどもを産んでいた。
そして皆一様に「生まれた瞬間からかわいくてたまらない」と言った。
私にはその気持ちが全然わからなかった。長男は常に私の心を苛むモンスターだった。
きっと私には母性がないのだ。こんな寒々しい気持ちでこどもを眺めている母親なんてこの世に他にいないだろう、と思った。
愛って何、とか思ってみたりした。
そういう時、私はゾンビの溢れる終末世界を想像した。(ゾンビでなくても良かったんだけど、ゾンビはロマンなので)
そこには逃げ切れず息絶えた私の側で、わあわあ泣きわめく長男の姿があった。
超泣けた。
号泣した。
こどもに愛情があるかとかいくら考えてもわからない。でも仕方がないからこの感情を愛と定義してやっていこう。そう思った。
長男は笑うようになって歩くようになって喋るようになって、毎日毎日わがまま言って1日中まとわりついて、鬱陶しいことこの上ない。
突然抱きついてきて「おかあさんぎゅーっ」と言ったりする。可愛い。
人がせっかく作ったご飯を食べなかったりする。憎たらしい。
でもやっぱりゾンビの溢れる終末世界にいる長男を想像すると目頭が熱くなる。
多分これでいいんだと思う。
長男が生まれて次男が生まれて、私の人生に含まれた。ちっこいイカダにちっこいオールでえっちらおっちら、たまに方角を見失ってぐるぐる回転しているような毎日。
夫とEテレとTwitterがなかったらどうにもならなかったでしょう。
次男に関しては2巡目ということもあって随分と穏やかなものです。
長男が弟をとても優しく可愛がってくれるのもありがたい。
ちっこいイカダは今日もゆく。