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その文章はどうして硬くなるのか

藤子不二雄Aさんの傑作『まんが道』に、こんなシーンがあります。

筆が遅い自分たち(藤子不二雄)に比べて、「天才」手塚治虫と石ノ森章太郎は、ありえないくらいに筆が速い。しかも雑に描き飛ばしているのではなく、密度も濃いのに速く、うまい。

その理由について『まんが道』では、このように語られています。

「結局、速い、遅い、の差は、線を引く時の自信の差なのだ!」
「自信と集中力を持って引く線は、速くて、きれいなのである!」

『まんが道』(藤子不二雄A/小学館)より

問題は、ここでの「自信」の正体です。

きっと、これは「おれは絵がうまい」といった、技術に対する自信だけではないでしょう。大切なのは、ペンを入れる前から完成形が見えているかどうか。その脳裏にありありと映る完成形への自信が、迷いのない線を走らせるのだと思います。

文章を書くときも、完成形が浮かんでいると、当然ながら筆は速くなります。けれども、気持ちのいい文章は「音」と「意味」の両方に優れていることが必要で、その完成形はメロディのように浮かぶことが多い気がします。

なのでぼくは集中して原稿を書くとき、ぱくぱくと口元を動かしながら、声に出さない音読をして、口のなかで清書しながら、指をぱちぱちタイピングしています。

逆にいうと、読み返して「硬いなあ」と思う文章は、「意味」ばっかりが書かれていて、そこに音符が欠けているのです。メロディが聞こえないのです。

はい。いま推敲中の原稿がまさにそれだったのでした。