登さん、LAPRASをどう思いますか?そしてエンジニアは今後どうすべきですか?

2020年4月、無償かつ即日利用可能なリモートデスクトップ環境が公開され話題を呼びました。
現在16万人を越えるユーザーを擁する「シン・テレワークシステム」です。

今回登場いただくのは、そのシン・テレワークシステムの開発者として知られる登大遊さん。
登さんは、多忙な業務の傍ら次世代の人材育成にも関心を寄せ、安易な解決策に走るITエンジニアの未来に警鐘を鳴らしています。
「万人受けするアウトプットには価値がない」と断言する登さんに、これからを担うITエンジニアが抱える課題とその解決策について話を聞きました。

プロフィール

NTT東日本 特殊局員
独立行政法人情報処理推進機構 サイバー技術研究室長
登 大遊さん(@dnobori

1984年兵庫県生まれ。筑波大学在学中の2003年に、IPA(独立行政法人情報処理推進機構)の「未踏ソフトウェア創造事業 未踏ユース部門」に採択。自作の『SoftEther』で天才プログラマー/スーパークリエータ認定を受ける。17年、筑波大学大学院システム情報工学研究科博士後期課程修了。博士(工学)。現在は、IPAサイバー技術研究室長、NTT東日本特殊局員、ソフトイーサ株式会社代表取締役、筑波大学産学連携准教授を兼務する。

アウトプットはやるべきことを踏まえた上で

—— LAPRASについて、どう思われますか?

当事者として活用したことがないので、使い勝手について感想を申し上げることはできません。
ただITエンジニアのアウトプットについては、一言申し上げるべきことがあると思っています。
ジャンクフードのような情報を吸収し、それに少し手を加えた程度の情報をアウトプットと呼ぶとしたら、そこに価値はないということです。

—— 「ジャンクフード」というのは、技術的なレベルが低いということでしょうか?

それも含みますが、それだけではありません。
表面をなぞっただけの情報や正しさが担保されていない情報をどこからか拾ってきて、都合よくアレンジしてつくったコンテンツは総じてジャンクフード的と言えます。

自作のソースコードを公開するにせよ、テックブログを書くにせよ、人の役に立つレベルのものを出そうと思ったら多大な労力が不可欠です。
最終成果物が何であるにせよ、アウトプットありきで考えるのではなく、出す前に一度立ち止まって考えるべきだと思います。
よくないことに不特定多数からのフィードバックには麻薬性があります。

もし「いいね」やコメントほしさに、コンテンツを量産に走っているのだとしたら、もっとほかのことに時間を費やすべきというのが私の立場です。

—— なるほど。「出すことありき」で考えてしまうと目的を見失ってしまいそうですね。

他人と競い合ったり、自己顕示欲を満たしたりしたいだけなら、それでもいいのかも知れません。
でも、本気で世の中を便利にしたり、快適にしたりするために自分の技術を使いたのであれば、その前にやることがあるはずです。

—— どのような時間の使い方がお勧めですか?

一番は優秀な人が書いたソースコードを読むこと、二番目は歴史の風雪に耐えた名著を読むことですね。
外に向けて自分の考えやアイデアを発信するにしても、こうした勉強をしてからでも遅くはないのではないでしょうか。

—— それだけ巷には安易な情報が溢れていると?

そうですね。
もちろんすべてとは言いません。しかし、安易なアウトプットに熱心なITエンジニアが、万人受けを狙って、人が理解しやすいことばかりに目を向けているような気がしてなりません。

複雑でこんがらがった問題と向き合うのがITエンジニア使命であるはずなのに、それを避けジャンクフードばかり食べている。そんな印象です。

しかし、ITエンジニアだからと言って技術だけに触れていればいいかというと、それだけでは十分とは言えないと思っています。

—— といいますと?

若いエンジニアの中には、自分が決めた専門領域の技術さえ学んでいればいいと考える人が多くいます。
「歴史、哲学、経済、経営、政治は文系の学問。生物、化学、物理や数学はICTとは無関係だから、ITエンジニアである自分には不要」というわけです。

でも本当にそうでしょうか。コンピュータテクノロジーは、本来、複雑で高度な思考力を必要とする領域です。
現実世界にあるさまざまな事柄と同じように、人類の長い営みのなかで育まれたもの。そうした成り立ちを持つコンピュータテクノロジーが、その他の領域と共通項を持たないはずがありません。
実際、データ構造やアルゴリズムをつくるのに欠かせない論理的思考や概念を抽象化するプロセスは、哲学や政治システムのあり方に通じます。

また、ネットワークセキュリティの基本的概念も民主主義の歴史や安全保障の考え方と無縁ではありません。


▲IPA内に設置されたシン・テレワークシステムの「けしからん」サーバ(出典:登さん提供の講演資料より)

—— なるほど。つまり一見、多くのITエンジニアが専門外だと退けている分野から、技術的な課題を克服するヒントが得られることもあるということですね?

そうです。
問題が大きければ大きいほど、複雑であれば複雑であるほど、技術を含む幅広い分野に目を向けることは非常に大事なことです。

技術分野に焦点を当てても同じことが言えます。
「自分は誰より最新の技術トレンドをキャッチアップしているし、人一倍技術を学んでいる」と自負している人でも、ごく限られた一部、とりわけ高レイヤーに属することしか知ろうとしない人は少なくありません。

誰かがつくった開発言語やフレームワーク、OS、ネットワークを所与のものとして使っているだけなのに、すべてを知った気になっている。
それは決して正しい振る舞いとはいえないと思います。

—— アプリケーション開発に従事するITエンジニアも、低レイヤーの技術を知るべきだと?

そう思います。
自分が勝手に決めた責任分界点のこちら側で仕事をして満足しているだけではできることは限られるからです。
もし、二番煎じではなく、真に役立つオリジナルなサービスを開発したいのであれば、人の尻馬に乗ってラクをしようなんて考えるべきじゃありません。

少なくともアメリカや中国の名だたるプラットフォーマーは、どれほど手間暇がかかっても、自前で高度で複雑なインフラ基盤を整えています。
彼らはそこに競争力の源泉があることを知っているからです。

私は日本の若手ITエンジニアに対し、低レイヤーの技術領域にこそ、未来があると知ってほしい
この事実をみなさんに伝えることも、自分の大事な使命だと思っています。

—— なるほど。エンジニアがアウトプットをしたり、技術課題を解決しようとしたりする際には、専門外の分野に目を向けたり、より深い部分まで知ろうとすることが大切だということですね。

そう思います。

大企業には日本的イノベーションのタネが隠れている

—— 登さんは、なぜ低レイヤーの技術領域に関心を持つようになったのですか?

G・パスカル・ザカリー著の『闘うプログラマー』や、アンドリュー・S・タネンバウム先生が書かれた『コンピュータネットワーク』などを読んで、既存のプラットフォーム上での開発とはまったく異なる次元の面白さがあることを知ったからです。

実際、学んでみるとアプリケーションなどと比べて開発人口も少なく、投じる労力の割に得るものが多いと感じています。

—— 現在、IPAやNTT東日本に籍を置かれているのも、情報セキュリティや通信インフラを担うことにやりがいを感じられているからですか?

一言で申し上げると、どちらも日本を代表する「けしからん組織」だからです。
「けしからん組織」というのは、人材が豊富な割に個人の能力を引き出しきれていない組織という意味です。

独立行政法人であるIPAと3万人の社員を擁するNTT東日本では、さまざまな面で事情が異なるものの、挑戦に対して慎重だという点では変わりありません。
とはいえ、視点を変えると、これほど可能性を感じさせる環境はなかなかないというのが私の印象です。

—— どういうことでしょうか?

保守的な大組織が変われば、日本にしかできないイノベーションが興せると思うからです。だからこそ私は、この2つのけしからん組織に所属しています。


▲登さんは、日本型イノベーションは大企業から生まれると説く(出典:登さん提供の講演資料より)

—— 「イノベーション」というと、どうしても過去のしがらみとは無縁のスタートアップが連想されます。歴史ある大組織、とりわけ大企業によるイノベーションには、どのような可能性があると思われるのですか?

大企業にはスタートアップにはないものが3つあります。
それはヒト・モノ・カネです。
もちろん将来を嘱望されるスタートアップにも多額の資金が集まりますが、本当の意味で、社会に大きなインパクトを残すにはそれなりに時間を要します。

しかし大企業には、すでに能力のある人が大勢おり、かつ使われていない社屋、機器や設備、予算を捻出するだけの余力もある。
もっと言えば、社内をちょっと見渡すだけでも、解決すべき課題は山ほど見つかります。
つまりイノベーションを興すのに必要な要素はすでに揃っているわけです。

「大企業はダメ」「イノベーションは起こせない」と言われがちですが、そんなことはありません。
既成事実を積み重ねて、粘り強く交渉、説得すれば突破口は開けます。そうでなければ、保守的な2つの組織から、シン・テレワークシステムのようなサービスは出せなかったはずです。

—— なるほど。しかし既存のルールを破るのは難しそうです。

確かに簡単ではありません。
でも、本当にやるべきことならどんなに面倒でもやるべきではないですか? 

これまで、何人ものITエンジニアから「自分は頑張って努力したけれど、上司の無理解や、古くさいルールに阻まれて悔しい思いをした」という話を聞きました。
しかし、そのなかに上司や経営者を説得できるだけの材料を揃えて、粘り強く交渉に当たった人はどれだけいたでしょう。一度の挫折で諦めてしまった人も多かったのではないでしょうか。

たとえば私が開発に携わったシン・テレワークシステムもそうです。
本来であれば、IPAのオフィス内に新たなサーバを設置する場合、国が定めた基準でセキュリティ監査や脆弱性診断を受けなければなりません。
おそらく通常であれば、申請から認可まで数カ月を要したでしょう。
しかし実際には2週間で供用を開始できました。なぜだと思いますか?

—— なぜでしょう?

技術面で言えば、大学時代に開発した「SoftEther VPN」のソースコードや、NTT東日本の設備を利用し、独自に構築した光速閉域網を活用できたことが迅速な供用を後押ししたのは確かです。
しかし、いくら技術基盤があったとしても、情報漏洩やハッキングといったクリティカルなリスクを最小化できること、そしてこのシステムをいち早く提供する必然性を上に伝えられなければ、実現はできなかったでしょう。

ITエンジニアは、組織のなかでそれなりのポジションにいる人をバカにしがちなところがあります。
でも私はそうした人たちの意見に与しません。むしろ実際に接してみると、優れたジャッジができる能力と実務能力を備えた人が多い印象すら持っているほどです。

ITエンジニアは自分の提案が受け入れられないと、責任を上に押しつけ、愚痴を言いがちなところがあります。
でも本当にそうでしょうか? 「彼らを説得できるだけの準備が足りなかった」「粘り強い交渉ができなかった」という、内省があってもいいと思います。

ITエンジニアよ、遊び心といたずら心を忘れるな

—— ルールを変えるために自ら動くことが大事なんですね

新しいルールをつくるためには、現行のルールを越えていく必要があります。
場合によっては、責任を問われるのは覚悟の上で、行動が先行することもあるということです。
だからといって、ユーザーを危険にさらすわけにはいきません。
高い技術力と用意周到な準備、意思決定のプロセスや既存のルールを踏まえた行動が必要です。

そういう意味でも、さまざまな分野のさまざまな立場の人から学ぶ姿勢が大事なんだと思います。

—— ITエンジニアが学び続ける上で、考えるべきことがあれば教えてください。

社会人になったからといって、遊び心といたずら心を忘れるべきではないでしょうね。
なぜなら、そうしたカッチリとした目的が定まらない自由な試みからこれまでにない新しい価値が創造されることもあるからです。

いい例があります。UNIXの開発にまつわるエピソードはその典型ではないでしょうか。

▲価値あるものは、バランスのとれた「けしからん」いたずらから生まれる(出典:登さん提供の講演資料より)

—— どんなエピソードでしょう?

UNIXが生まれた1969年当時、AT&Tのベル研究所に所属する研究員だった、ケン・トンプソンは、自身の論文でUNIXの起源について書いています。
かいつまんで説明すると、当時、彼はゼネラル・エレクトリック(GE)との共同研究の合間に、GEから貸与されたメインフレーム『GE 635』上で、自作のゲーム『Space Travel』を動かし遊んでいたんだそうです。

しかしプロジェクトが終了するとGEにメインフレームを返還しなければなりません。このままでは『Space Travel』で遊べなくなる日がやってきます。

そこで彼は研究所内に放置されていたDEC製ミニコンピュータ『PDP-7』に目をつけ、OSごと移植してやろうと思い立ちました。その思いつきが、やがて現在のUNIXにつながります。

トンプソン自身も自分の思いつきと行動力が、やがて世界中で利用されるOSにまでなろうとは思ってもみなかったことでしょう。

ITエンジニアの自由な好奇心が、結果として世界をいい方向に変えることもあるんです。

—— ありがとうございます。最後に読者へメッセージをお願いできますか?

先ほども言ったように、イノベーションはスタートアップの専売特許じゃありません。
大企業に所属するたった数パーセントのエンジニアが本気を出すだけで、この国は大きく変わります。

日本からGAFAと並ぶような世界中で支持される素晴らしいサービスだって生み出せるでしょう。
しかし状況を変えるには大企業の許容度を上げる「生け贄」が必要です。

「登のやっていることがよくて、なぜこのプランがダメなんだ!」と、引き合いに出してもらえるような、面白い試みをこれからも続けるつもりです。

みなさんも遊び心、いたずら心を忘れず、けしからん組織に立ち向かってください。

 
 

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