【北欧読書12】ここは図書館ですよ。静かに[しないで]ください!:アイスランド公共図書館の開かれた対話空間
「開かれた対話」は個人の権利を尊重しつつ民主主義を促進する場所としての図書館の役割を前提としている。
図書館は出会い・交流・対話の場所になった
20世紀の公共図書館は資料を提供する文化施設だったが、21世紀の公共図書館は資料を提供しつつ多様なニーズを持つ利用者の学びを支援する総合文化施設と変化した。現在、公共図書館にはコミュニティの最もハードルの低い文化施設として、複数の役割が期待されているが、その中で重要な役割の一つは地域住民が出会い交流し対話する場を提供することである。
図書館が出会いと交流の場として機能するためには、館内での会話が必要となってくる。公共図書館がよく発達している北欧諸国では、公共図書館でのおしゃべりが許され見知らぬ人同士が対話できる空間となっている。静寂だった北欧の図書館が少しずつオープンになりおしゃべりできるようになるには思った以上に時間がかかったが、徐々に館内で会話が交わされるようになり現在に至る。
北欧の図書館では、友だち同士のおしゃべり、利用者と司書のやりとり、親子の会話、少数グループのディスカッション……いろいろな音声が入り混じって聞こえてくる。少なくとも静まりかえった図書館はほとんどない。このような現実をいち早く、図書館の法律に取り入れたのはノルウェーだった。2013年の「ノルウェー公共図書館法」第1条2項は「公共図書館は公共性をもつ会話と議論のための独立した出会いと活動の場である」とし、公共図書館での対話を推奨している。この法律は他の北ヨーロッパの図書館界を大いに刺激した。
オランダは、2014年の「オランダ公共図書館サービス法」の中で図書館の機能に「集会および議論の場の提供」を入れることで、ノルウェーに次いで図書館が議論の場であることを法律に盛り込んだ。ついでフィンランドは2016年の「公共図書館サービス法」に、図書館の役割として「社会的・文化的対話の醸成」を盛り込んだ。ノルウェー、オランダ、フィンランドの図書館法は、「資料・情報・文化」に向き合い、自己と対話する場所であった公共図書館が「他者と会話する場になった」ことを公に宣言しているようにも見える。このように21世紀になって改正された図書館法には、「公共図書館が対話の場である」という条項が含まれる傾向がある。
図書館で会話が必要な理由
なぜ北ヨーロッパの図書館では会話が推奨されるようになったのだろうか。それは公共図書館の存在意義である自律的な学びには、会話が必要不可欠だからである。19世紀に活躍したデンマークの教育者・思想家のグルントヴィ(Nikolaj Frederik Severin Grundtvig)は対話を中心とする学びの重要性を説き、「フォルケフォイスコーレ(Folkehøjskole)」と呼ばれるデンマーク独自の生涯学習機関を設立した。グルントヴィの思想は、北欧だけでなく全ヨーロッパ、アメリカのインフォーマル教育に深い影響を与え、フォルケフォイスコーレや類似の高等教育機関が世界中に誕生することとなった。
このような経緯もあり、語り合うことの重要性は北欧の教育理念にしっかりと根づいている。そして図書館は人が生涯学び続ける場所であり、静寂と会話が交差することで豊かな学びの空間が醸成されてきたことを踏まえ、法律がこうした対話空間を担保することになったのである。「話す」ことがデフォルトとなった公共図書館では、「静寂を好む利用者」は図書館の一隅に設けられた「静寂空間」に移動する少数派となった。今では公共図書館で会話を交わすこと自体に疑義を持つ人はいない。しかし「図書館法」に書かれているような「公共の対話・会話」は、実際に図書館でどのように実践されているのだろうか。
市民と政治家との対話集会
会話空間となった公共図書館で行われているのは、たとえば市民と政治家との対話集会である。デンマーク図書館協会(Danmarks Biblioteksforening)の機関誌Danmarks Bibliotekerにはユトランド地方のヴァーデ図書館(Varde Bibliotek)で実施された選挙集会の様子が紹介されていた。集会は地方紙Jydske Vestkystenが協賛している。イベント当日には地方議会に立候補した12名の政治家が参加し、同紙の編集者が司会を担当し司書が進行を補佐した。記事には各候補者の話を熱心に聞く地元住民の写真が掲載された。
デモクラシーコンサルタントとは
そもそもデンマークには「デモクラシーコンサルタント(demokratikonsulenter)」と呼ばれる専門職があり、そうしたコンサルタントが政治家と市民との対話集会やワークショップでファシリテーターとして活動している。政治に関する市民参加イベントが日常化していることは、図書館での政治的議論を活気づける推進力となっている。
公共的な議論をリードすることを期待される図書館において、政治家との対話は推奨されるイベントの代表例と言える。だが、図書館に求められる対話や議論は政治の分野だけでなくもっと広い範囲にわたっている。ここでは図書館での自由な対話の例として、アイスランドの首都レイキャビク市図書館の実践例を見ていこう。
レイキャビク市立図書館の「開かれた対話」シリーズ
レイキャビク市立図書館では「市立図書館の戦略 2021 ~ 2024(Stefna Borgarbókasafnsins 2021 - 2024)」を策定するにあたり、図書館を市民の対話スペースとすることに焦点を当てた。そして図書館が自己との対話と他者との会話を重ねることで、個人の学びを深めていく空間として機能するため、「開かれた対話(Opið samtal)」を企画した。
新図書館戦略で描かれた図書館のヴィジョン
「開かれた対話」が図書館で計画された理由として、誰でも歓迎される場所であること、入場が無料であること、普段出会うことができない他者との会話が可能であること、そうした会話によって新しいアイデアが生まれたり、新たな発見があることが挙げられている。開かれた公共空間では、自分が持っている考え、経験、スキルを他者と共有することで知識や理解を深めることができるのだ。「新図書館戦略」において図書館は物語、文化、経験を共有するコミュニティスペースであると定義されている。
「開かれた対話」シリーズの仕組みとテーマ
「開かれた対話」は特定の課題について参加者同士が語り合うことによって、ともに答えを見つけ、多様な視点を切り開いていくことを目標としたプログラムである。住民は自由にテーマを提案することができる。図書館側で各テーマに適した専門家を探してプログラムのゲストとして図書館に来てもらい、ゲストを囲んで議論し合う。テーマに興味があれば誰でも自由に参加できる。
レイキャビクにはいくつか図書館があるが、中央図書館(Borgarbókasafnið Grófinni)で2021年から開催されてきた「開かれた対話」シリーズのテーマがウェブサイトで公開されている。これまで次のようなテーマのもとに集会が開かれた。
レイキャビク市の新しい文化政策について(アイスランド現代美術館の学芸員、舞台芸術監督と住民との対話)
レイキャビク市の新しい民主政策について(環境心理学者、イノベーションプロジェクトマネージャーと住民との対話)
移民へのアドバイスサービス”New in Iceland”について(New in Icelandプロジェクト運営者と住民との対話)
アイスランドの難民および亡命希望者にアイスランドでの高等教育の申請支援を提供するプロジェクト”Student Refugees Iceland”について(プロジェクトスタッフ、ボランティアとプロジェクト利用者の対話)
高齢者の社会的孤立と戦う(ソーシャルワーカーと住民との対話)
年齢差別や年齢制限について(人材紹介組織、職業リハビリテーション機関、パフォーミングアーティスト、女優と住民との対話)
対立する課題に向き合う空間としての図書館
これまでに選ばれた対話のための話題は、環境問題、文化政策、労働賃金、貧困、高等教育、移民問題など多岐にわたっていた。これらのテーマは参加者の社会的・政治的・文化的立場によって、論争と分断を生み出す可能性もある。だからこそ対話の場所に図書館という中立的な公共スペースが選ばれたのだろう。「開かれた対話」は個人の権利を尊重しつつ民主主義を促進する場所としての図書館の社会的役割を前提としているのだ。
日本でも2010年代以降に新たに設置された中央図書館を中心に、会話が許される図書館が少しずつ増えている。学校や大学でもおしゃべりが許される図書館は増加傾向にある。利用者同志の対話が可能なインフラは日本の図書館でも整いつつあり、そこで交わされる対話の積み重ねが生涯学習施設としての図書館の存在感を強めていくことになるだろう。
出典
<図書館内での会話を推奨する図書館法>
■ノルウェー公共図書館法(2013年)Lov om folkebibliotek (folkebibliotekloven) https://lovdata.no/dokument/NL/lov/1985-12-20-108
■オランダ公共図書館サービス法(2014年)Wet stelsel openbare bibliotheekvoorzieningen, https://wetten.overheid.nl/BWBR0035878/2015-01-01
■フィンランド公共図書館サービス法(2016年)Laki yleisistä kirjastoista, http://www.finlex.fi/fi/laki/ajantasa/2016/20161492?search[type]=pika&search[pika]=Kirjastolaki
<北欧図書館がにぎやかになっていった経緯>
■【北欧読書1】 北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(1)
https://note.com/yuko_yoshida875/n/nc2c703c6daf1
■【北欧読書2】 北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(2)
https://note.com/yuko_yoshida875/n/n68f0717f0764?magazine_key=mc4f4c1c941c9
■【北欧読書3】 北欧の公共図書館 賑やかな対話空間への道のり(3)
https://note.com/yuko_yoshida875/n/n4399901f90f1
■デンマークの地方図書館で行われた政治集会の様子を伝える記事
Danmarks Biblioteker 26 årg., nr. 6. 15. december 2022
https://db.dk/bladartikel/valgmoede-paa-varde-bibliotek/
■「市立図書館の戦略 2021 ~ 2024」
Stefna Borgarbókasafnsins 2021 – 2024, https://borgarbokasafn.is/stefnur-og-starfsaaetlanir/stefna-borgarbokasafnsins-2021-2024
■アイスランド・レイキャビク市立図書館「公開対話」のサイト
Opið samtal, https://borgarbokasafn.is/opid-samtal
■見出し画像 筆者撮影・図書館のデモクラシーコーナー(デンマーク・Vanløse Bibliotek)