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つまらなかったはずの聖剣伝説、エンディングですべてをひっくり返された

 『聖剣伝説 〜ファイナルファンタジー外伝〜』を遊んだのですが……正直このゲーム、途中まであんまり面白くなかったです。いや、もっとハッキリ言えば、「エンディングまで面白さが掴めなかった」とすら言える。

 別に「全然ダメだ!」と言いたいわけじゃないけど、やっぱり現代水準に慣れてしまった自分からすると、ちょっと物足りないところも多かった。バトルもストーリーも、イマイチ満足しきれなかった。

 ただ、エンディングに辿り着いた瞬間、そこまでのすべてがひっくり返った。エンディングの1シーンだけで、「あ、このゲーム超面白いわ」と手のひらを返してしまった。ということで、エンディングの話からします!


「別れ」のゲームだった

 初代聖剣伝説の幕切れ、それは「世界の平和のために、ヒロインがマナの樹になる」というもの。要するに、せっかく助け出したけど世界の平和と愛を天秤にかけて、前者を取るエンディング。見方によってはハッピーエンド。捉え方によってはメリーバッドエンド。

 このオチが、私はもう衝撃的でした。
 散々「ラストまでイマイチ乗り切れなかった」と言っていたように、ラスボス戦もそれとなく終わらせて、まぁ次のタイトルに期待しようかなと思っていたところで、この離別エンディング。目が覚めるような衝撃でした。

 そんな「ヒロインと離別する」エンディングを見て、『聖剣伝説』というゲームが語りたかったテーマも、ストーリーを遡る形で理解しました。

 そもそも『聖剣伝説』は、「誰かと離別・死別する」というシーンがやたらと多い。そして、その別れが印象的に描かれている。アマンダ、マーシー、ボガード……旅の中で、とにかく多くの「別れ」を経験する。

 その果てに、主人公は追い続けてきた「ヒロイン」とも別れることになる。だけど数々の別れを乗り越えてきた主人公だからこそ、その終わりを受け入れ、先へと踏み出すことができる。これは、「別れ」の旅路だった。

 つまり、逆の順で理解したんです。普通ならオープニングからちょっとずつゲームの全容が見えてくるところを、エンディングに到達した瞬間、そこまでの記憶を遡って、「そういうゲームだったのか!!」と理解しました。

 徹底して、「誰かとの別れ」を描き続けている作品だった。ヒロインを取り戻す旅の中で、多くの仲間と出会い、別れる。寂しくて切ない。だけどその旅を経て、主人公はちょっと大人になった。最愛の人を失っても、その人を騎士として守り続ける覚悟と哀愁。なんて大人なゲームなんだ!

 本当に、自分からすると「最後の1打席で大逆転ホームランを打たれた」ような気持ちでした。ここまで理解できなかったストーリーのすべてに合点が行き、なにが描きたかったのかも納得できる。これはエンディングまで辿り着いて、ようやく完成するゲームだったのだ。

 そしてこの……希望と哀愁が同居する芽吹きのエンディング画面。もう、最高のエンディングだと思います。余韻が延々と残り続ける。「余韻で勝ちに来るゲーム」なんですよ、聖剣伝説。

 プレイしている最中より、エンディング画面が出て「終わった……」と放心状態になっている時が、最も面白いゲームでした。過ぎ去ってから、ぼんやり寂しさだけが心に残り続ける。現実に戻ってからの方が、聖剣伝説の世界に浸れている気がする。こんな体験、あまりしたことがない。

 そんな構成の美しさや、残り続ける余韻を含めて、『聖剣伝説』は「ラストですべてをひっくり返してくるゲーム」でした。途中どころかラスボスを倒すところまで「微妙……」とすら思っていたのに、いまは自分の中で「最高のゲーム」になっている。ホント、魔法みたいなゲームだと思います。


これって「騙し討ち」のゲームなんじゃないか

 そういうエンディングから逆算して考えた時、これってすごい「騙し討ち」の効いたゲームだと思うんです。たとえば、もし『聖剣伝説』がもっとダークな世界観を打ち出しているゲームで、その延長線上にあのエンディングがあったとしても、ここまで響かない気がしています。

 『聖剣伝説』は、ポップでかわいらしく、絵本チックな世界観がウリ。「FF外伝」を名乗っている通り、FFよりちょっとサクッと入れる感じの世界観になっている。だからこそ、「離別」を扱ったストーリーが際立つ。

 「この世界観に対して、このストーリー」という不意打ち的な見せ方が、かなり上手くハマっているゲームだと思います。

 なんとなく、「この世界観なら、最後は姫を救ってハッピーエンドになるんじゃないか」という先入観を、誰しも抱くのではないでしょうか。かわいいらしくポップな世界観なら、その延長はもちろんハッピーエンドだろうと。でも、そうじゃない。そうじゃないのが聖剣伝説。

 おそらくプレイヤーの9割が幸せな大団円を信じて遊ぶ。それは最終的にひっくり返されるのだけど、いざ終わってみると納得感もある。この「騙し討ちによる驚き」と「テーマ性の積み重ねによる納得感」のバランスが本当に絶妙だと思う。あのオチが唐突だと、ただ困惑するだけなんです。

 もっと言えば、ゲーム部分が割と遊びやすい形に仕上がっているのも、狙っているかどうかはさておき「騙し討ち」の助走として効いていると思う。

 たとえば、これが結構ハードな難易度のゲームだったとしたら、ストーリー上で見え隠れする寂しい部分に「なるほど、結構大人に向けた内容なのね」と勘づいてしまっていた気がする。でも、結構遊びやすい感じで、ポップでかわいいタッチで、あのエンディング。ここがいい。

 そんな「ゲームの建てつけ的にそうはならないだろう」というメタ読みの裏をかいたようなところが、実にスクウェア。絶対なんかナイフが仕込まれてるんですよね。ただ王道で終わるわけがない。FFやサガだけでなく、聖剣伝説もそんな気概に溢れた作品だったことに感動していたりします。


すべての見え方が変わってくる

 このゲームのオープニングである「Rising Sun」が名曲なのはもう語るまでもないとして……あのエンディングを経てからは、この曲すら聞こえ方が変わってくるのがメチャクチャすごいと思うんです。

 『聖剣伝説』を遊び始めた時、この曲は「日が昇り、新たな旅の始まりを予感させる旋律」といった印象だった。だけどゲームをクリアして、もう一度この曲を聴いてみると、「旅を終え、世界を救い、誰かを失い、それでもまた日が昇ってくる」という、世界の温かさと無常さを同時に感じる。

 この二段構え、すごくない?
 伊藤賢治天才か?

 GBの音源で、そこまで凝った展開はできないはずの環境で、「聞こえ方が2パターンある」という曲を作り上げているのが……伊藤賢治いつも本当にありがとう。エンディングで使われるから、それがより印象的。

 とにかく、曲やストーリーを含め、「エンディングまで到達すると、また別のレイヤーで世界が見えてくる」という奥行きの感じさせ方が尋常じゃないタイトルだと思います。ED前後で世界のレイヤーが2段構造、みたいな。

 そもそも、RPGには、エンディングに辿り着いた時の「報われた感」が必要だと思うのです。せっかくここまでプレイして、結構な時間を費やして、最後くらいは報われなきゃ許せない。そうじゃなきゃ、名作たりえない。

 ……という思い込みを、『聖剣伝説』に覆された気がします。
 終わりとしては、正直全然報われていない。「ここまでの頑張りは何だったんだ」という憤りも、正当性がある。でも、なぜか晴れやか。悲しいはずなのに、素晴らしいゲームだった。報われないのに、感動できる。

 率直に、「ゲームのストーリー構造」として、ここまで綺麗なものはあまり見たことがない。たしかにテキスト量も少ないし、ゲームとしても極めてコンパクトだけど、「語りたいこと」「見せたいもの」がものすごくハッキリと打ち出されている。それでいてケチのつけようがない。

 一見理不尽なエンディングなようで、ここまでの旅を見届けてきたプレイヤーにとっては理不尽じゃない。悲しいエンディングだけど、同時に納得感もある。この「物語の無駄のなさ」こそ、『聖剣伝説』のすごいところだと思います。

 テキスト量が多くないからこそ、それほど壮大すぎる冒険ではないからこそ、「無駄のない美しさ」が際立つ。だからこそ、一点の無駄もない鋭利な一刺しが最後に突き刺さり、余韻がずっと抜けない。

 『聖剣伝説』、大傑作だと思います。

 そんな初代聖剣のサッパリとした美しさにあやかって、この記事もスパッと終わります! 無駄なことは書きません! 次は『聖剣伝説2』やります! 以上、終わり!!

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