ロスジェネと私。熊代亨『ないものとされた世代のわたしたち』
「氷河期世代って忘れ去られてないよね。あいつらネットではうるさいし。いいかげんうざいのよね」とマックで女子高生が呟いていた。俺は値上がったマックチキンなんとかを食い、コーラで流し込んだ。俺は小銭を持っている身分になった。ついにマクドで飲み物を追加注文できる身分になったのだ。生き残った。女子高生はいう「氷河期世代がネットのノリを作ったんだよね。炎上とかあいつらがつくった風潮でしょ。だからうちらは『ホワイト化』しなくちゃいけないの」だって。女子高生や脳内萌えキャラをありがたがる時代は、終わったのか。そうでもないのか。俺らが作った爪痕とか墓穴は社会を動かしたのか。
熊代亨さんに本をいただいた。『ないものとされた世代のわたしたち』という本である。
タイトルから予想されるルサンチマン本、アジテート本、世代論、という体裁の本ではない。横に広く、作者の思いがどこにあるのか、俺には読めなかった。「甘ったるさ」がないのだ。
その焦点の定まらなさが、この本の誠実さである。彼は医者であり、氷河期世代の貧乏くささとは距離をとっている。ご家族も公務員らしく「バブルはわからない」と正直に言っているところは、読者に肩透かしを食らわせている。
悲しいかな俺には貧乏とバブルというものがわかる。生まれた新興住宅地には階層があった。何期にも分かれて分譲された住宅地は、初期の分譲地には貧乏人が住んでおり(こいつらは全員ヤンキーになった)、バブル期に差し掛かった後期の分譲地には金持ちが住んでいた。金持ちといっても、いまから思えば大したものではない。地元にできたハイテク系工場の労働者とか、京都で営業事務仕事をしている人々だ。バブル絶頂期に家を売り抜けた人々はいたし、下手を打った人もいる。(貧乏話は悲しくなるから、またの機会にする)
ロスジェネは社会学をよく学んだと思う。「社会が不透明になったから、社会学を学ぶ。」といえば聞こえがいいが、「社会学でぶった切れないぐらいだから、みんな不安じゃないのか」と思い至らなかったのではないか。みんな宮台真司の口真似をしていた。おれは逆張りで文学者の福田和也の本をよく読んだ。福田先生は最近亡くなった。掛馬が予後不良になってしまった。社会を語ることはできるのか。スケベな大学教授のモノマネで本当に世界が見えるのか。社会が島宇宙化したのなら、その島宇宙の土人が夢見る世界とは、所詮セカイではないか。ただ島宇宙の中で、島宇宙について誠実に語ることが、逆説的に社会を生きることになるのではないか。俺はマクドのポテトをつまむ。
熊代氏の描く「石川県」や「ゲーセン」や「昭和時代にはなにもすることがなくて天井を見上げていた」といった個人史は、地に足がついたものだが、俺のアンテナにはひっかからなかった。ただ誠実になにかをなぞろうとしている。私は昭和のどさくさに紛れて建てられた個人商店で幼少期を過ごしたが退屈ではなかった。TVをずっと見ていた。そんな自分がマスゴミとか言い出すのは若い衆には理解できないだろう。ちがうんだ。おれは大好きなTVがあんなになってしまって悲しいのだ。ゲーセンは不良がいて怖くて行けなかった。石川県は俺の生まれた滋賀県とよく似た米作系の農家が多いと思う。工業県でもある。しかし石川の風土は工員や稲作農家と、公務員では、見えてくるものが違うと思う。そして俺も米作農家の傍系の家系だけど、農家ではない。それに工場に務めるような機会はなかった。そして何よりも滋賀県農家は京阪神のベッドタウンになり、農地は高い値段で売れた。
ロスジェネは自己責任論を説いた。団塊左翼の母は「おまえらは竹中平蔵と小泉に騙されているだけだ」と言っていた。大正解である。ただ、弁護をするなら、自己責任論とは、豊かな社会にぶら下がっている奴らを引きずり降ろすための方便であった。終身雇用、利権、年金、マイノリティ。ロスジェネに譲るつもりのない奴らを、その座から引きずり下ろしたかったのである。これはみみっちい言い訳なのだ。が、熊代さんの本にはこういった貧乏くささがなく、彼はクールだ。
クールな社会認識は、第四章でかわる。社会学者は社会を切るように語れないが、おれは精神科医は社会を語れるように思う。社会との不和があるから精神科があるのだ。患者は社会の断片であって、彼らに接すれば社会はわかる。が、患者をネタにしないのが熊代さんの誠実さだろう。第四章には体重が乗っている。精神分析からエビデンス重視の医療にかわったこと、発達障害のブームとが、シロクマ氏が作家としてブログデビューしていくことが交差して語られている。働き、書く。その中で、たしかに社会が変わっていく実感が描かれている。傍目からは呪術としか見えない精神分析学から、エビデンス中心の学問へ。人間の個性を簡単に区分できる「発達障害」という切り口の登場。しかし、そんなことで、セカイは世界へと変わるだろうか、と。
困ったことにロスジェネは忘れ去られていない。ネットの老害として今後しばらく君臨するだろう。俺は膝を痛め、頭はハゲてきたが、まだしばらくは生きるつもりではある。「あんたバカァ?」とマックの女子高生がいう。知らんがな。バカなりにやっているのである。