「うちで踊ろう」を用いた安倍首相の動画について毎日新聞の取材を受けました / ついでに、歌詞解釈の短い続き

まえがき

安倍晋三首相が、星野源さんがソーシャルメディア上に投稿された「うちで踊ろう」の動画を利用し、外出自粛を呼びかける投稿をしたことについて、少し前に毎日新聞から取材依頼を受けました。

いわゆる「炎上」に近い拡散をしている投稿についてでしたし、ことは政治にまつわるセンシティブな現象です。自分や自分の大切な人々にどう飛び火するかも想像がつきません。取材をお受けするか自体も大変迷いました。

しかし、(取材依頼をいただくもとになった過去のツイートもそうであるように)星野さんの意図や事態の背景をより深く想像する一助になればいいと思いましたし、元報道機関の人間として、誠実な取材には最大限協力したいとの思いもあり、お受けすることにいたしました。

下記がその記事です。僕のコメントが使われているのは有料域ですが、よろしければお読みください。「あきれて凍り付いた」は僕のコメントじゃないです。あと(お読みいただくとわかりますが)僕がちょっと偉そうなのは僕自身の語り口の問題です。ごめんなさい。笑

ご担当いただいた記者の方には丁寧かつ真摯にご対応いただきましたし、公開された記事も、僕の意図を正確に伝えようとしていただいたものになっていると思います。言っていないことを書かれたとか、意図と反するように解釈された、切り取られた、ということはありませんでした。一連のご対応に、この場を借りて改めて感謝申し上げます。

とはいえ、ウェブ記事といっても文字数には一定の縛りがあるわけですし、話した内容をすべて反映して記事にしていただけるものではありません(このこと自体に不満はないですし、むしろ当然と思います。僕自身もそうしてきました)。

そこで、自分の場所、つまりこのnoteアカウントで、こういうことを言おうとしていた、というログを残すこととしました。ただ、後出しジャンケンのような形になるのはできれば避けたいところです。繰り返しますが、毎日新聞とその記事を批判する意図は一切ないからです。

実は、取材を受けるにあたって、自分の考えをまとめ、できるかぎり正確に伝えるため、メモ書きを作成していました。取材依頼をいただいてから実際の取材までにほんのわずかな時間しかなかったので、ほとんど走り書きの一筆書きですが、このメモを公開してみようと思います。内容は取材依頼当時から、読みやすさなどを考慮して多少の編集を加えた以外は、ほぼ変えていません。

なお、このメモは、作成したことを含め記者の方にはお伝えしていません。取材はテキストベースでなく口頭で行われましたので、僕がこの通りにしゃべれた自信もありません。そのような中で、当該記事がどれぐらい僕の意図を正確に汲んでいただいたかを、むしろポジティブに評価する材料になると思います。長文になりますが、ご興味の方はご笑覧ください。

(毎日の記事が出てからメモをそれっぽく作成したんだろ、という邪推もありうるかと思いますが、その疑念には「信じてくれ」とお答えする他ありません。すみません)

取材にあたって用意したメモ前半 -安倍首相が「うちで踊ろう」を利用した動画を投稿したことの、何が問題なのか-

「うちで踊ろう」を外出自粛を呼びかけるために利用したこと自体には、問題は感じていない。どのような人でも、誰かのメッセージに賛同したり、今回のような企画に参加したりすることそれ自体は自由だし、制限されるべきではない。

また、「楽曲の意図」という点においても、目にしたものをどう解釈するかは受け取り手の自由に委ねられているし、「意図を正確に理解していないものは企画に参加すべきではない」というルールもないので、そこも問題には感じていない。

基本的には、ひとえに「(首相アカウントが投稿した)コンテンツとしての質の低さ」が根本的な問題であると考えている。

今回の動画とそれに付随するコメントは、具体的には以下の点で問題があると感じる。

- 動画:高級そうな部屋でソファに座り、犬と戯れたり、くつろいだり、紅茶(コーヒーかも)を飲んだり、テレビを見たり……というのは、一般的な「外出自粛」のイメージや実態と異なると感じる。

止むを得ず外出を自粛できない人(たとえば医療関係者など新型コロナ対策の現場従事者、リモートワークが不可能な人、出社義務を課せられている人)や、外出を自粛しつつも、制限された環境下で忸怩たる思いを抱えながら耐えている人に対しても、寄り添えていない内容だ。自国の首相に国民が求めるイメージと食い違っているとも感じる。

(ただし、首相であっても自宅でくつろぐことまで否定するつもりは全くない。大変な仕事を大変な時期にされているので、ゆっくり休んでほしい。とはいえ、それを動画として国民に公開するかはまた別の論点)

加えて言えば、元々の動画は音楽というフォーマットを使ったものであるにも関わらず、メロディもリズムも同期していない。

音楽系のアーティストは星野さんに合わせて歌ったり演奏したり、星野さんの詞にインスパイアされてラップをしたりしている。踊る人たちは、星野さんの楽曲のリズムに合わせて踊っている人が多いし(子どもとかペットとかは除く)、絵を描いている人も、星野さんの様子を描いたり、曲の内容に近い内容の絵を描いていたり、気の利いた人は元動画のリズムとドローイングのテンポが合うように動画編集をしている人もいる。そういう一連の動画と比べると、首相の動画は「音楽コラボ動画」としての質が低い。

- コメント:外出自粛は首相の言うような「友達と会えない。飲み会もできない」にとどまるものではない。飲食店や文化事業者は困窮しているし、それ以外の人々も、もっと色々な不便を飲み込んで生活している。それを過小評価しているかのような印象を与えたことが、怒りを買った背景にあると思う。

また、「過酷を極める現場で奮闘して下さっている」というのも言葉足らずだと感じた。奮闘して下さっている方々の筆頭が「医療従事者」であることは疑いないが、それ以外にもスーパーマーケットやコンビニでレジを打ち、商品を補充してくれている店員さん、運送業者の方々、交通機関など各種インフラ従事者の方々など様々な方々がいる。そういった方々に言及していないということは、無視したということと同義に受け取られてしまう。

Twitterの文字数制限は原則140字であり、言えることには制限がある。しかしだからこそ、何を書いて書かないかがシビアに求められる世界。そのへんの配慮はあったのか疑問に感じる。

星野さんが投稿した楽曲名は「うちで踊ろう」だった。安倍首相が何か楽器をやられるのかは存じないが、もし首相が楽器、あるいは歌、踊りで星野さんの楽曲にレスポンスした動画であったら? あるいは、それらの内容でなかったとしても、動画やコメントが「うち」にいる時間の楽しみ方として、見る人の生活との距離が近いものであったら? 反応はまた違ったと考えている。

======ここから先は、取材で言わなかったこと(だから記事に反映されてなくて当然、言ってないんだから)======
なお、「安倍首相がより音楽的に寄り添った動画の作り方をしたらどうだったか」という思考実験をすぐ上でしたが、もしそれで反応が一定変わったとしても、文化事業者に冷淡な対応をしておいて、流行した音楽の力には便乗するという姿勢が非難されることは変わらないだろう。

また、少ないとは思うが、この動画を見た人の中には、星野さんが安倍首相に協力していると誤認する人が現れないとも言い切れない。そうなった時に、星野さんに不利益を生じさせることは、極力避けるべきだ。

一方、星野さんは、もし首相の投稿が自分の投稿意図に照らしてそぐわないと考えられるのであれば、それを自由に発表されて良いと思う。
======取材で言わなかったことここまで======

取材にあたって用意したメモ後半 -なぜこのような「ズレ」が生じてしまうのか-

これは安倍首相サイドが星野さんが動画を投稿し、またその動画が支持を得たことを、単に「現象」としてしか捉えておらず、その「内容/意図」や、「なぜ多くの人の心を捉えたのか」という点への考察が不足しているからだと考える。

つまり、「表層的な理解のまま、流行っているものに乗っかった」という構図があり、それがズレの原因だと思う。

直近、YouTuberのHIKAKINさんと東京都の小池百合子都知事がコラボ動画を出し、多くのポジティブな反応を得ていた。しかしあれは、HIKAKINさんが自らのノウハウを駆使して制作し、動画内ではHIKAKINさんの鋭い質問に小池都知事が誠実に回答していた。

内容へのこだわりや、動画で伝えたいメッセージが明確だったことが要因となって成功したのであって、「若者に影響力のある存在に乗っかってコンテンツを作ればいい」という「ガワ」だけ真似しても上手くいくものではない。

ただし繰り返しになるが、「理解が浅い」「ズレた」行動をとること、それ自体はあり得て良い。万人に与えられた権利と考える。あくまで、提出されたコンテンツの内容、あるいはそのコンテンツを提出していい(したほうがいい)と考えた意思決定に問題があるわけで、それに対する批判が大いになされるべき。

健全な批判は、健全な活動を育てる。そのサイクルが回ればいい。

(政策への評価は別として、あくまで情報発信に限定して言うと)平時の安倍首相のソーシャルメディアを通じた情報発信は、フォロワー数などを鑑みれば、一定の支持を得てきたといえる。これまでなかなかリーチできなかった若年層に対して語りかけることが可能になっており、他の政治家も参考にすべき点は多々ある。

ただ、今般の新型コロナ禍が起きて以降の発信は(緊急事態宣言の発表会見の冒頭発言を除いては)大きな問題があると思っている。

いわゆる「出羽守」になるつもりはないが、他国と比べても、日本の政治家の情報発信の拙さは克服すべき課題だと個人的に感じており、より慎重、かつ受け取り側の心情を真剣に考慮した発信であってほしいと感じる。

文中、大きく間違ってないけど補足したいこと(記事ネタバレなし)

職業「デジタルマーケッター」:デジタル以外の仕事もやっていますが、主戦場がデジタルであるのは間違いないので、この表記で大きくズレてはいません。ちなみにマーケティングの世界に来たの自体がけっこう最近です。

「コラボレーションの企画」:コラボレーションは「共同作業」の意味合いが強いので、今回の件はどちらかというと、「便乗」とか、ヒップホップにおける「ビートジャック」(誰かが作ったビートの上で、作成者とは違うラッパーが勝手にラップすること)に近いのかなと思います。
ただ、僕自身が取材中に口頭で「コラボ企画」と口を滑らせた可能性はあります。記者さんのミスではないと思います。また、星野さん自身が「重ねてくれないか」と呼びかけている時点で完全な「勝手」ではないですし、「Aという動画とB という動画を組み合わせてCという動画ができた」という意味では、「合作」と言えなくはないかも。

「SNS上のコンテンツ編集も手掛ける坪井さん」:SNS上以外でのコンテンツもオンライン・オフライン手広くやっているのですが、SNS上のコンテンツ編集も手掛けているので、これも間違いではないです。読んでくださっている方、機会があればいつかお仕事ご一緒しましょう。
(豆知識ですが、そもそもSNSという表記自体が、海外のビジネスシーンではあまり用いられません。ソーシャルメディア(Social Media)という表現が一般的です。ただ、SNSという単語が日本のメディアや読者間で広く膾炙しているのは事実ですし、SNSと書かれた方が理解しやすい人も多くなっているでしょうから、ここでSNS表記を採用するのは反対しません)

「ツイッターの文字数制限は140文字」:正確に言うと140字以上書く方法はあるので、メモでも「原則140字」としているのですが、首相の当該投稿はハッシュタグもアルファベットも使っていないので、140字制限が効いてると思って間違いではないです。

「重なり合えそうだ」

ところで。

Twitterの検索窓に「うちで踊ろう」と打ち込むと、「うちで踊ろう 嫌い」という検索語句がサジェストされます(俺だけ?)

スクリーンショット 2020-04-12 18.53.04

俺は「うちで踊ろう」、好きなんですが(だからツイートしたし)、別に嫌いな人がいるのはいいと思うんです。歌が気に入らなかった、星野源さんがあまり好きじゃない、前向きになるのを強制されているようだ、たくさんの人が絶賛してるのが気持ちわるい……人の感じ方はさまざまです。

ただ、そもそも星野さんは曲の中で「一つになろう」とかって一度も言ってないんですよね。この記事の末尾に星野さんのもともとの投稿を埋め込んでおくので見てくださるといいんですが、歌詞で出てくる表現は「重なり合う」です。

しかも、「遊ぼう 一緒に」「踊ろう」「鼓動 弾ませろ」「歌おう」「手を繋ごう」「生きてまた会おう」とは言いますが、この「重なり合う」という表現では、「〜しよう」と勧誘表現を使うことすら避けています。「たまに重なり合うよな」「重なり合うよ」「重なり合えそうだ」。あくまで状況描写にとどめています。インスタ投稿の最後の呼びかけも「誰か、この動画に楽器の伴奏やコーラスやダンスを重ねてくれないかな?」です。

ちなみに、もともと英語タイトルに着目したツイートをきっかけに取材いただいたので、歌詞の英語訳にも触れておくと、「重なり合う」が登場する3箇所は以下のとおりとなっています。

"We cross paths every once in a while"
"We'll cross paths in our own spaces"
"I get the feeling we"ll cross paths in our own spaces"

ほかの「踊ろう」などの歌詞英訳では使っている勧誘表現の"Let's"を採用していないのがわかります。

「重なり合う」は「一つになる」とは異なる表現です。手と手を重ねると、自分と相手は違う存在であることが強く認識されるように、「重なり合う」ことは、むしろ他者との相違を確認する作業でもあります。英訳では"cross paths"、「出会う」、直訳すると「道が交わる」という表現になっています。自分と自分以外の誰かが、たまたま道を同じくするわけです。

新型コロナ禍は、日本中、世界中を覆う災害となっています。「一致団結」してこの危機を乗り越えようという人がいます。僕の個人的な感覚ですが、「団結」はする必要がある気がしていますが(東京大学・大橋順准教授の感染者数に関するシミュレーションによると、99%の感染者が接触頻度を55%減らしても、1%がふだん通りの行動をとると、感染者数は1.2倍になるそうです)、完全に「一致」する必要はあるのかな、と考えています。

今これを読んでくださっているあなたと、僕は違う。星野源さんと、安倍晋三首相は違う。それはそれでいい。その人の人格を否定する必要はない。ただ、その人が何を為したかについて意見論評したり、批判したりするのは構わない。もちろん、疲れたらそのサイクルをお休みする自由も含めて。

そろそろまた、次の1週間の足音が聞こえてきました。平凡な日常が遠く感じられ、心がクサクサする日々ですが、どうか踊るように生きられますように。


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坪井遥
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