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博報堂の雑誌『広告』(2023年3月31日)におけるジャニーズをめぐる対談の「削除」について

2023年3月31日、博報堂による雑誌『広告』が刊行されました。目次を通覧しただけでも、かなり読みごたえがありそうです。本雑誌で僕は、『アイドル・スタディーズ――研究のための視点、問い、方法』(明石書店、2022年9月)の著作がある社会学者の田島悠来さんとジャニーズをめぐって対談しました。60年代から続くジャニーズの歴史と現在を語ったものですので、よろしければ読んでみてください。

とはいえ、英BBCによるジャニー喜多川の性加害をテーマにしたドキュメント番組が放送されて以降、社会的にはジャニーズを単に称揚するわけにはいかないだろうという向きがあると思います。僕自身はいまのところ、BBC以前と以後で態度を変更する必要はとくに感じていませんが(というか僕自身、BBCの取材協力者のひとりでもあるので、根本的な態度変更はしようもないとも言えます)、へんに炎上してから取り繕ったように見られるのも不本意なので、『広告』の対談記事に関してはさきに以下のことを述べさせください。

※ちなみに、自分およびジャニ研(大谷能生・速水健朗・矢野)のこれまでのスタンスの確認や現在の考えについては、ゲンロンカフェでおこなわれたイベント「ジャニーズの持続可能性」をぜひご覧ください。それなりに重要な論点を提出していると思っています。

ジャニーズ事務所に対しては、英BBCが問題にしたようなセクシュアル・ハラスメントの問題と、日本におけるボーイズ・アイドル文化の確立という功績の裏表としての業界内での権力の強大化を指摘できます。両者は相互に絡み合っています。つまり、数字が見込めるジャニーズタレントのキャスティング権を握っているゆえ、メディアは事務所のセクシュアル・ハラスメントの問題を大々的に追及できない構造がある、ということです。

このことは、まさに英BBCの取材で答えて話したものでした。加えて言えば、セクシュアル・ハラスメントの一点を断罪することをもって、ジャニーズがもたらした文化を全面的に否定することは良いことではない、ということも取材で話しました。もちろん社会的には断罪すべきですが、そのような関係性をもつことの意味合いは、芸能文化という観点からも分析すべきだろう、と。また一般論として考えても、僕は、ハラスメントの防止を人間関係の希薄化によって実現するという方向性には反対なので(必要なことはむしろ、ケアの発想でしょう)、人間関係それ自体を批判するような「正論」(と、ここでは呼んでいます)にも反対という立場である、と。

このたび、『広告』掲載のジャニーズをめぐる対談でも、上記のようなことを話しました。論旨上、ジャニーズのセクシュアル・ハラスメントの問題ついても明確に言及しています。さらに言えば、対談の直前には版元の博報堂の談合事件が報道されたこともあり、ジャニーズも博報堂もメディア・広告の業界内で力を持つと相互批判ができなくなる、ということも言いました。ちなみに、これもしばしば表明していますが、東京オリンピックはその決定時から冷ややかに見ていたので、博報堂の談合の報道を受けていっそ断ろうかなと思ったくらいですが、直前に断るのも悪いので、むしろ対談でメディアの問題として一般化して指摘すればいいか、と思いました。

さて、上記の博報堂およびジャニー喜多川のセクシュアル・ハラスメントについての言及を受けてか、対談終了後には、編集長の小野直紀さんはじめ編集サイドからは「博報堂という企業の立場上、一部の発言が使えない可能性があります」ということを、申し訳なさそうに言われました。もっとも、これは強調しておきますが、そのとき、編集サイドは「自分もそのような企業文化は良くないと思ってる」と明確に言っていました。「だから、不本意なことがあったらがんがん書いてくださってけっこうです」と。頼もしい言葉でした。

はたして、返ってきた文字起こし原稿には、まあ当然と言うべきか、セクシュアル・ハラスメントについての言及と博報堂についての言及がカットされていました。版元に対する批判はともかく、ジャニー喜多川のセクシュアル・ハラスメントは裁判所で認定されている事実なので誌面に残せないかな、と思ったのですが、残念ながらカットでした。結局、このあたりの話題は最終的に以下のようにまとまりました/まとめました。

矢野:要するにジャニーズが打ち出すエンタメの背後には、ジャニー喜多川という稀代のプロデューサーが築き上げた壮大な人間関係があったということだと思うんです。ビジネスとは異なった濃密な人間関係があって、それこそがまさに“ファミリー”だった。昔から演芸の世界ってそういうところがあると思うんですよね、旅一座だとか。でもこれはエンタメ以外の仕事全般にも言えることなんですけど、そうした人間関係をとっぱらって飲み会も全部なくして、人間関係を希薄にしてしまうことが本当によいことなのかっていうのは疑問がある。ちょっと潔癖に切り分けすぎなんじゃないの? と思っちゃうわけです。
 同じことがジャニーズのあり方に言えるような気がしています。ジャニーズは’60年代初頭にはナベプロの傘下としてやってきて、ある意味この分野の開拓者であるが故に’80年代以降は非常にマスメディアに対して力を持っていったと思うんですね。“ジャニーズ帝国”というような言われ方もしますけど、よくも悪くもとにかく大きな力を確立することに成功した。著作権や肖像権管理の厳しさだとか、あるいは囲い込み、独占するようなコントロールをマスメディアに対して影響力を持ってやってきて……。いまの時代はとくに、メディアの独占的なコントロールやハラスメントなどはその問題性を追及されるべきところだと思います。
 ただ、そのような正論をもって批判することは可能だし重要なんですが、それだけではときに重要な何かを見過ごすことになりかねないという気持ちもあります。「芸能(ショービズ)のやり方」というものに魅せられている部分が自分には大いにあるので、清濁併せ呑むというか両面を見ていくことが大事だと思います。

最初に明かしておくと、以上は実際の誌面からの引用ではなく、文字起こし原稿の直しです。

赤入れ段階の原稿

ということで、原稿直しを経て雑誌の刊行を待つことになるわけですが、そのさなかに例の英BBC放送があり、ジャニーズ事務所のことが話題になったのでした。そうして本日(2023年3月31日)、雑誌『広告』が送られてきた、というわけです。

さて、出来上がった誌面を見ると、対談記事の末尾に以下のような付記がありました。

本記事は、ビジネスパートナーであるジャニーズ事務所への配慮の観点から、博報堂広報室長の判断により一部表現を削除しています。

『広告』p.540

たしかに誌面に載った原稿は、「一部表現」が「削除」されていました。「削除」されていたのは、上記引用部の太字にした部分です。

『広告』p.531

ここまでの経緯を知っていると、この付記に対しては、なかなか多くの情報を読み取れます。おそらく、以下のような事情ではないか。すなわち――。

話したときよりいくぶんマイルドな表現にすることで編集部サイドはぎりぎりのラインで矢野の批判的言及を残してくれた。しかし、上がってきた原稿に対して「博報堂広報室長」がNGを出した。とはいえ、編集部の独立性を全面的に譲ることにならないように、「削除」の事実および「削除」の主体を明確にする付記を載せた――。

多くの部分推察ではありますが、僕の立場からは以上のような事情に思えます。必要以上の「配慮」をする博報堂広報室に強い疑義を呈すると同時に、もし組織内での交渉・闘争があったのならば、その点に関しては敬意を表したいと思います。

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