「晴れのち時々ミサイル」「補償?そこに無ければ無いですね」〜日本列島から自由が消える日”平和主義国家”日本の戦時下in令和~(20240722加筆)
急遽予定変更して、緊急特別記事をお送りします。
まことに愚かな国が侵略戦争を始めた。
「愚かな国」といえば、地球最大の面積と地球最小の道徳を誇るロシア連邦に勝る国は無いであろう。レーニン像が恥辱のあまり崩れ去ってから30年、偉大なソビエト連邦の遺産といえば核兵器と天然資源しか無かった。
実に滑稽なことに、今まさに彼らはその遺産の全てを賭けて、男性器でピアノを弾いていた男が治める国を葬ろうとしている。大祖国戦争の英雄都市キーウを爆撃し、かつてはソ連人民だった者達を戦車の履帯でみじん切りにして、古臭い五芒星の赤旗の染料にしている。耐用年数切れの白熱電球のような輝きを前頭部から放つクレムリンに住む独居老人(70)がどのような坂の上の雲を見つめて坂を上っているのかはわからない。だが、道交法が撤廃された世界の名古屋人が運転する車に同乗したがる人間がいないように、無謀な登山に挑む彼の車には同乗者はいないだろう。車の外観にお世辞を言う子分や知人がいたとしても、である。
建国以来常に崖っぷちのウクライナより一歩先を進むか、そろそろ迎え酒で目を醒まして国際社会に向き合うか。ロシアがどのような選択を選ぶのかは我々日本人にはわからない。当然である。全身にZの入れ墨を入れて、在日ロシア大使館の胡乱なツイートを毎日清書してもわかりはしない。国家間に限らず、個人間でも他者が本当に何を考えているかは推測するしか無い。本人にしても明日自分が何を考えているかはわからない。だからこそ人類社会は何を考えているかがわからない他者の悪意を前提に構成されているのである。
毎度毎度前振りが長過ぎる気がするが、今回は武力攻撃事態、即ち戦時下に直面した令和の日本がどのように国民の権利と自由を制限するのかをご紹介する。今回の記事はこれまでの記事通り「明日使える無駄知識」である。「明日使える知識」に二階級特進するか否かは、我々と隣人達の政治指導者の傑出した理性に期待しましょう。さぁさぁ今こそ旬ですよ。娯楽として享受できるうちにどうぞご堪能あれ。
そもそも「戦時」とは何を指すのか?
天皇大権の一つとして宣戦講和権を規定していた大日本帝国憲法とは異なり、平和主義をセールスポイントとする日本国憲法には同様の規定が存在しない。つまりは宣戦の御詔勅渙発ライブ(ボーカル 徳仁)の開催予定が無いわけであるが、それでは何をもって「戦時」とするべきなのだろうか。
この記事では、戦時を「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(事態対処法。なげーよ)」に基づく武力攻撃事態の認定がされた場合と定義して話を進めていく。
武力攻撃事態とは「武力攻撃が発生した事態」又は「武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態」を言うのだが、この「武力攻撃の発生」が曲者である。
例えば平壌在住の生活習慣病の見本市が余命宣告に絶望し、弾道ミサイルをヤケクソで日本に向けて発射したとする。この場合にはミサイルが日本国内で着弾して被害が発生した時点だけでなく、ミサイルが発射された時点、更にはミサイルの燃料を注入し始め、状況からして明らかに日本への攻撃に着手したと認定できる時点でも、武力攻撃が発生したと認め得るとされているのである。
しかしながら、ウクライナ侵略直前の半年間を思い出せばわかるように、相手国の意図を正確に把握するのは極めて困難であり、武力攻撃事態の認定は高度な柔軟性を有しながら臨機応変に対応するしかない。幸いにも武力攻撃事態の一歩手前の「武力攻撃予測事態」でも、後述する対処措置は可能であるため、こちらを最大限活用する事になるだろう。なおこの記事では国民の権利と自由に対する制約が比較的小さい存立危機事態や重要影響事態については言及しない。
さて、武力攻撃事態が認定された場合、日本はどのように戦時下に突入していくのだろうか。
まず内閣総理大臣が武力攻撃事態についての対処基本方針案を作成し、国家安全保障会議に諮問。国家安全保障会議は、専門家から構成される事態対処専門委員会の補佐を受けながら答申を提出。答申を受け、内閣は対処基本方針を閣議決定。国会はこの対処基本方針を承認する否か議決し……ね、簡単でしょう?(How hard can it be?)
この一連の手続きが戦時に間に合うかは定かではないが、対処基本方針が閣議決定された時点で対処措置が開始される事になる。今回の記事でお見せする地獄の始まりである。果たして自衛隊が我が皇土の微生物達に分解される事だけをその使命とする侵略者共に必要な武力を行使し、これを排除するまで我々はどんな地獄に味わうのだろうか。
気分はもう戦争!……しかし、どうやるの?
(あくまでも他国の例だから飛ばしても良いよ)
究極の緊急事態である戦時に際して、その国家がどのような法体系で挑むかは多様性に満ちている。特に憲法上に緊急事態を想定した規定、いわゆる「緊急事態条項」があるか否かでも、その在り様はまるで異なるものとなる。
まず緊急事態条項がある国を見てみよう。欧州連合の基本原則及び理念の体現者にして、全欧州からの敬意と好意を独占していると勝手に信じている憐れなドイツ連邦共和国では、憲法である基本法に防衛事態(戦時)についての詳細な規定を設けている。ヴァイマール共和国の立憲秩序をスクラップ&スクラップ、全てをぶち壊した事で著名な大統領緊急措置権に対する反省もあり、連邦政府による緊急権の行使には連邦議会(合同委員会)による議決や関与を必要とする「緊急権の議会主義化」が徹底されている。そのため連邦政府には法律と同じ効力を有する緊急命令権などは戦時下でも認めていない(※補足1)。政府による「自己授権(要は自分で認定して、自分に授権する)」の禁止を徹底し、緊急権の濫用を回避しようという目論見は国内外で賛否はあれども貫徹されている。
次に緊急事態条項が無い国であるが、ここではかなりロックというかファンキーな手法で戦時に立ち向かった国を見てみよう。
日本人の憧れの地であり、フランスより少し右にあって、オランダのちょい下の、確かあのへんの、毎日食事を摂る事で有名な……欧州のどこかにあるはずであるベルギー王国である。大部分の日本人はチョコレートとフランダースの犬以外にその名で脳細胞を消費しないが、比較憲法史では全く扱いが異なる。西暦1831年に制定されながら、国民主権を掲げた立憲君主制――後に議会主義的君主制に発展――を採用し、その徹底した自由主義により、「王冠を被った共和制」とも称される憲法を有する王国だからである。
その美名に恥じず「憲法の全部又は一部を停止することはできない」という如何なる状況においても憲法の停止を禁じる明文規定を設けており、日本国憲法以上に厳格な程度で緊急事態条項を否定している。この背景には、7月革命の原因の一つであるフランスのシャルル10世による憲法上の緊急勅令の濫用があったとされる。やはり政体日替わり定食国家が近くにあると苦労するのだろう。
しかし、ベルギーは如何せん立地が悪過ぎた。周りの兄弟達はピーチ城のキノコ共より弱く、オークに焼かれるエルフの村よろしく世界大戦の度に戦火に巻き込まれた。そのため「例外」を認める必要に迫られた。
第一次世界大戦を契機にベルギー王国は、緊急事態において、国王(内閣)が法律と同じ効力を有する緊急命令を制定する事を認めている。議会が立法権を国王に委任する授権法――この委任には「特別権」と「非常権」があり、後者は無期限無制約である――に基づく事もあったが、この授権法すら無しに発した事もあった。当然ながら憲法では国王は法律の停止や免除を禁じられており、ましてや立法権を単独で行使する事は認められていない。
「こんな無法が許されるのか」と憤慨される読者もおられるだろう。当然ながらベルギー国内でも論争があるが、「憲法上の規定からの逸脱が不可抗力が原因である場合には、超憲法的な法の一般原理、即ち不文の緊急権により違法性が阻却される(つまり措置自体は形式的には違憲)」というのが主な判例や学説における立場である。文句ならカイゼル髭とちょび髭にどうぞ。
この枠組みは戦時下に限らず経済恐慌などでも活用されており、コロナパンデミックでも授権法(2020年3月27日法律)が成立し、3カ月の期限付きで国王に特別権を付与している。
なお憲法上に緊急事態条項に規定が無い場合に不文の緊急権に依拠する事例は世界中に存在しており、ベルギー特有の事例ではない事には注意して頂きたい(君主国だからという理由では当然無い)。
戦後日本のこれまでの私権制限についてはこちら
戦後日本は良くも悪くもこの両極端の国の中間地点で漂っている。
現行憲法である日本国憲法には、ベルギーと同様に憲法上に緊急事態条項が存在しないとするのが通説である。だが、「バベルの塔」と書かれたタワマンを35年ローンで買いそうな伊邪那岐命と伊邪那美命というバカップルのせいで、日本国は四季と緊急事態に恵まれた立地にあり、現実には国民の権利と自由を制約するような立法が必要になってくる。中学校公民の授業を教科書を枕に惰眠を貪っていた読者以外は、憲法に規定された基本的人権の制約原理とされる「公共の福祉」を思い出すかもしれない。しかしながら、公共の福祉を巡る学説(一元的内在制約説など)はあくまでも抽象的な原則を示すだけであり、その制約が合憲である否かは「違憲審査基準」と呼ばれるもので判断される。そのため検閲など憲法が明文で禁止するものを除けば、「日本国憲法下ではこのような緊急措置は無理」と一概に断言する事が難しい。今回の記事で紹介される緊急措置も時と場合で違憲である否かは全く変わってくるだろう。
さて、本題に戻る。上の図が示すように、憲法を頂点として、各分野の緊急事態法制が教えるという行為に壊滅的に向いていない教師が指導する組体操のように折り重なっている。戦時に適用され、直接的に国民の権利と自由を制約する法律としては、「自衛隊法」「武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(国民保護法)」、「武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律(特定公共施設等利用法)」などが代表例としてあげられるが、これらは戦時に適用される法律の極一部でしかない。参考例として、大日本帝国憲法下では戒厳が宣告された場合には、戒厳令には罰則規定が欠いており、罰則規定を有する平時の法令(道路法や新聞紙法など)で補完する事が求められた。令和日本における戦時でも平時の法令が平時よりも「幅広く」適用されるだろう。こうなってくると、戦時に適用される法令の全体像が極めて不鮮明になる。
また、島嶼地域に限定されたものであるか、九州や本州への大規模着上陸もあり得るものであるかなど想定される戦時によって、当然行使される緊急権の強弱は変化し得る。前者なら住民の避難や救援のみが焦点になるだろうが、後者なら戦前の本土決戦並みの授権が必要になるだろう。(※補足2)
そこで今回描かれる戦時では、特定の国家を想定せず、恒星間航行が可能な癖に人類の武力で撃退可能である位には手加減してくれる思慮深い宇宙人が攻めてきたと仮定して話を進める。特定の国家を想定すると、日本相手にこのような侵略を行う能力と意思があるか否かに焦点が移ってしまうし、何より角が立つ(重要)。ボイジャーレコードに国際人道法が記載されていたかは定かではないが、何となくロシア語、中国語と朝鮮語は通じる予感があるので大丈夫だろう。
さて、緊急権という悪魔達は今回どんな地獄を見せてくれるのだろうか?
「俺の家をミサイルで吹き飛ばすだと!?訴えてやる!」「ご自由に」
日本の事実上の軍隊である自衛隊の合憲性を巡る論争は、精神と時の部屋の住人以外にとっては避けたい話題ナンバーワンである。筆者としても、おそらく最後の審判までには終わると信じているが、今世紀中に人類の大罪である無知と貧困が根絶されるであろう程度の期待である。
神学論争はともかくとして、いざ戦時下に突入した際に日本国民が祈るのは、常に耳が遠い八百万の神々ではなく、自衛隊である事は間違いない。侵略者達が微生物に侵されて自然停止状態になるのは期待できないからだ。
さて、我が国に対する侵略があった場合、内閣総理大臣は、我が国を防衛するため必要があると認める場合には、自衛隊の全部又は一部の出動を命ずることができる。これを「防衛出動(自衛隊法第76条第1項)」という。この防衛出動を命じられた自衛隊は、「わが国を防衛するため、必要な武力を行使することができる(自衛隊法第88条)」とされている。この条文が意味するのは、国際人道法を遵守し、事態に応じ合理的に必要と判断される限度ではあるが、国際的な武力紛争の一環として人を殺傷し、物を破壊する戦闘行為を自衛隊に行わせることができるようになるという事だ。「武力の行使」においては、治安出動などで認められる「武器の使用」とは異なり、正当防衛や緊急避難などの危害許容要件を課せられる事はない。
更に侵略者共を排除する戦闘行為において、敵兵を殺傷しても、ようやくローンの支払いを終えた貴方のマイホームを榴弾で粉微塵に吹き飛ばしても、敵国に乗っ取られた貴方の会社のサーバーをサイバー攻撃で破壊しても、自衛官が刑事責任を問われることはない。刑法第35条に規定する「正当行為」に該当するため、違法性が阻却されるからである。
また平時なら遵守しなくてはならない医療法や道路交通法などの我が国の国内法令についても、自衛隊法はあらかじめ防衛出動に伴う所要の特例措置を設けている。ただし、この特例措置は戦闘行為以外の部隊の移動や展開などの場面を想定しており、戦闘行為の最中では国内法を遵守できないとしても、自衛隊法に基づく正当な行為となるとされている。例えば自衛隊は道路に防御陣地を構築する際に所轄警察署長にその旨を通知しなくてはならないが、警察署長に通知を届けに行った自衛官が見たのは、「暴力追放」の看板以外は粉々に吹き飛んだ警察署だった……という展開は戦争喜劇映画じゃなくてもあり得るわけであり、幸いにも警察署の建物が無事でも中に誰もいませんよ状態では通知などできない。
もっとも戦闘行為とそれ以外の場面をどう区別するのかについては、国会の審議でも野党側から「そもそも可能なのか」と手厳しく指摘されている。一緒に作戦行動を共にする米軍はそもそも我が国の国内法は適用されないので、その、まぁ、なんだ(尊重する義務は負うだろうが……)
平時の大惨事は戦時の日常になる。自衛隊と侵略者双方による破壊は、最初期こそ我々にとてつもない衝撃を与えるだろうが、その衝撃も長くは続かない。貴方の家族や我が家が喪われても、それは多くの人々の同情を集める悲劇にはならないかもしれない。貴方に与えられた交戦規定はただ一つ、「生き残れ」である事を胸に刻んで開戦日を無事迎えて頂きたい。
「俺は祖国の為に武器を持って戦うぞ」「逮捕」
西暦2022年2月に開始されたロシア連邦による侵略に対して、ウクライナ最高会議はゼレンスキー大統領の国家総動員令を承認。18~60歳の男性の出国を禁じ、全予備役を召集。年老いた老人までもが郷土防衛隊に志願し、一般市民に対しても武器による抵抗を呼びかける光景は、戦後日本に生きる我々に少なからず視覚的なインパクトを与えた。
我が国はウクライナとは異なり、国民皆兵制度(徴兵制)を導入しておらず、また武力攻撃事態下に臨時の民兵組織を組織できるような法整備はなされてはいない(そんなものを別個に組織するなら予備自衛官等の任用要件を大幅に緩和する緊急募集でもした方がまだマシだろう)。
憲法第9条を厳格に解釈する憲法学説の中には、自衛権の行使は、国民が武器をとって侵略者に立ち向かう「群民蜂起」によるべきだとするもの(武力なき自衛権論)も存在しているが、あくまでも「戦時に自然発生的に形成される不正規兵は、憲法が禁止する戦力の保持にはあたらない」というものであり、国家が規律ある民兵を組織する事を肯定するものではない。
しかし、それでも自発的に武器を持ち、祖国と家族を守る為に侵略者の軍隊に抵抗を試みる国民が出てくるかもしれない。日本政府としても、「ジュネーヴ諸条約及び追加議定書に規定する戦闘員の義務を遵守するならオメーらの命なんてどーでもいいけどさぁッ」と杜王町住民のような自己責任論を展開したい所であろうが、恐らく傍観はできないであろう。国際人道法への理解が乏しく、また政府の統制下にあるわけではない「愛国者達無能な働き者」の行動は、自衛隊が組織的抵抗を継続しているような状況である場合には、むしろ日本の戦争遂行を阻害するおそれがあるからである(例えば愛国者達が国際人道法上の区別義務を遵守しない場合、他の国民にも危害が及ぶ)。
幸いにも「右の頬を殴られたら左の眼を撃ち抜け」と聖書に書いてあるトリガーハッピーな同盟国とは異なり、我が国は平時から銃規制が大変厳しい国である。「銃砲刀剣類所持等取締法(銃刀法)」は護身目的での銃器の所持を認めておらず、不法所持罪の成立についても「銃砲等又は刀剣類の危険物たる性格をかんがみ、正当業務行為等の主張が認められるのはかなり限定的な場合である(注釈 銃砲刀剣類所持等取締法)」としており、武力攻撃事態下においてもそれは変わらない。また一旦許可した銃砲等又は刀剣類の所持についても、公安委員会は許可の取消し及び仮領置について広範な裁量が認められており、ナイフの違法所持一つで銃砲の所持許可を取り消しても適法とした裁判例もある(水戸地判平23・7・29)。更に警察官による判断で銃砲等又は刀剣類を一時保管させる事も可能であり、全米ライフル協会が聞いたら全身からガンオイルを噴き出して憤死するレベルの厳しさを誇る。銃刀法の対象にはならない凶器、刃先が短いナイフや金属バット(牛乳の空瓶さえ凶器に該当するとする説もある)などについては、軽犯罪法に規定する「凶器携帯の罪(第1条第3号)」が平時より厳格に適用されるかもしれない。
しかし、戦争は常に水物であり、治安が更に悪化する可能性もある。戦前の戒厳令では「銃砲弾薬兵器火具其他危険ニ渉ル諸物品ヲ所有スルモノアルトキハ之ヲ検査シ時機ニ依り押収スルコト(第14条第3号)」という特別執行権が戒厳司令官に与えられ、人民が所有する危険物を押収(なお要返却である)させていた。実例としては、関東大震災で戒厳司令官が日本史にその悪名を轟かせた「自警団」の凶器携帯を禁じている(関東戒厳司令官命令第2号)。
現行法でも、緊急事態下に危険物に対する様々な緊急措置を規定している。その一つが銃刀法第26条に規定する「授受、運搬及び携帯の禁止又は制限」である。
都道府県公安委員会は、一定の要件を満たす場合には、正当な許可又は登録を受けた銃砲等又は刀剣類であっても、その授受、運搬又は携帯を禁止し、又は制限することができる。更に銃砲等又は刀剣類の提出を命じ、仮領置する事もできる。要は猟師が持つライフルだろうが、文化財である火縄銃や日本刀だろうが、外に持ち出したり、他人に渡す事が一切禁止制限され、更には自分の財産でもある銃砲等又は刀剣類を奪われるのである。正当な理由の有無は一切問わないので、猟師の皆様にはヒグマと遭遇しても無抵抗主義の尊さを説いて、自ら毛皮になってもらえるようなお釈迦様並の話術を磨いて頂く事になる。2023年現在、適用例は存在しない。
火薬類、高圧ガス、毒薬及び劇薬など銃器以外の危険物については、銃器同様に火薬類取締法や高圧ガス保安法等による所要の規制が平時から実施されている。しかし、戦時下ではより一律的に規制を強化する必要があるため、国民保護法第103条に規定する「危険物質等に係る武力攻撃災害の発生の防止」の出番となる。経済産業大臣等は、政令で定める危険物質等の取扱者に対し、下記のような措置を講じるよう命じることができる。
非常に強力な権限ではあるが、同条の規定はあくまでも危険物質等の取扱所が敵の武力攻撃を受ける事を想定してるものであり、政府の意向を無視して暴れようとする国内の朝敵を想定しているわけではない。だが、必要であれば適用するだろう。
もちろん実定法の規定にかかわらず、究極的には自身の生命と財産を守る為に武器を取る権利は誰にも否定できない。筆者としては、他人がどのような選択をするのであれ、その選択を可能な限り尊重し、クリスマスまでに戦争が終わる事を切に願う所存である。
「私は戦わないで逃げるぞ」「最初から逃げろ」
恋と武力攻撃はいつも突然にやって来る。敵兵と目が合った時の胸のときめきは恋の始まりでは無く、単なる恐怖である。仮に日本で国民皆兵制度(徴兵制)を導入されても、全員が戦闘員になるわけではないので大部分の人間は戦場から逃げるしかない。
国民保護法では、武力攻撃事態等対策本部長(対策本部長)である内閣総理大臣は、武力攻撃事態等においては、全国民に警報を発令し、都道府県知事に対して避難措置を指示する事になっている。要避難地域の都道府県知事は住民に対して「避難の指示」をし、市町村長は住民の避難誘導を行う。知事が行う避難の指示は屋内への避難を指示することも可能であり、住民には指示に従う法律上の義務がある。市町村長(都道府県知事)が独自の判断で行う「退避の指示」も同様である。もっとも「住民には個々の事情があるから」という理由で指示に従わなくとも罰則は設けられていないが、「逃げれば一つ、進めば二つ!」と言わずに素直に避難して頂きたい。これまでの人生で築いてきた財産が水泡に帰すのは本当に耐えがたい苦痛だが、その財産はその場で貴方の生命を犠牲にしても守れるものではないのだから。ウクライナでも戦時下に悪い意味で染まってしまい、空襲警報発令中に暢気に飲食店のバルコニー席で食事を続けているキーウ市民の姿も報じられている。同様の事例は戦時下の日本でも間違いなく発生するだろうし、これを罰則で防ぐのは極めて難しいだろう。
更に武力攻撃災害が発生し、又はまさに発生しようとしている場合においては、市町村長(都道府県知事)は住民の生命又は身体に対する危険を防止するために「警戒区域」を設定する。これは、武力攻撃災害への対処に関する措置を講ずる者以外の者に対して、当該区域への立入りを制限し、若しくは禁止し、又は当該区域からの退去を命ずるもので、命令に違反した者には30万以下の罰金又は拘留の罰則が科される。お値打ち戦時価格であるので、災害対策基本法の警戒区域と比べて、3倍もの罰金となっている。市町村長ではなく、都道府県知事が設定する場合には2以上の市町村に被害が及ぶ事が想定され、相当広範囲になると思われる。
それでは、避難した住民はどうなるのだろうか。台湾・尖閣諸島有事を想定した避難では、宮古、八重山を合わせた先島地方の全住民11万人近くが沖縄県内又は県外に避難する事が予想されており、公園あたりに連れてこられて「ここをキャンプ地にする!!」というノリで放り出されては堪らない。国民保護法では、対策本部長の指示により、避難住民の受入れ先である都道府県知事が「救援」を実施するとしている。収容施設(公民館や体育館、長期化する場合にはプレハブ住宅など)の供与、炊き出しその他による食品の給与及び飲料水の供給など自然災害の際の「救助」とそう変わらない内容となっている。
しかし、自然災害と異なる点がある。救援は避難住民が住んでいる都道府県以外の都道府県で実施される可能性が高く、その規模は大規模になるであろうという点である。不幸にも避難先となった都道府県(市町村も含む)の職員は救援の実施で生きた屍になり、行政サービスの質は間違いなく低下するだろう。そうなると、避難先住民の不満は高まる事になる。そして、その矛先は侵略者では無く、目の前にいる避難住民に向けられるおそれがある。住み慣れた我が家を捨てて戦争から逃避してきた避難住民とズワイガニ食べ放題付きバスツアー客との区別が付かない一部の避難先住民とのトラブルが増加するのは避けられないだろう。当然ながら受入れを「余力がない」として拒否する都道府県も登場する事も予想され、拒否する都道府県知事に是正の指示を出しても従わない場合には、内閣総理大臣は自ら又は総務大臣を指揮して、避難住民の受入れの為の措置を講じる代執行権を行使することができる。だが、避難先住民の不満が消えるわけではない。
「避難とは、住民に根こそぎ生活を捨てさせることだ。 簡単に言わないで欲しいなぁ」という某映画で登場する首相の台詞はまさに至言であろう。
「何が戦時下だ。自由にドライブして何が悪い!」「はいはい強制撤去しますね~」
いざ鎌倉。戦地に向かう自衛隊。だが、「遅刻~遅刻~」とベタな台詞を吐きながら乾パンを口に咥えた自衛官達が見たのは、事象の地平線まで続く渋滞であった。グランド・セフト・オートよろしく戦車で踏み潰して前進するというたったひとつの冴えたやりかたを思い付いたが、彼らは国民保護を蔑ろにする事に定評がある旧日本軍でも無ければ、ブルーアーカイブ世界の住人でもないのだ。果たしてどうすれば良いのだろうか。どうにもならないのである。
武力攻撃事態等においては、その利用が不可欠であり、かつ、利用が集中するであろう港湾施設、飛行場施設、道路、海域、空域及び電波について、自衛隊や米軍等に優先的に利用させる「特定公共施設等利用法」の出番となる。この法律では、利用に当たっての「利用指針」を定めて、その利用の総合的かつ横断的な調整を図る仕組みを設けているが、中でも目を引くのが内閣総理大臣の代執行権の強大さである。例えば「非核都市を標榜する港湾都市が米軍艦船の入港に対して非核証明書の提出を求めた」「政府が軍事利用させない旨を過去に答弁していた事を理由に空港の管理者である自治体が利用を妨げた」などして、対策本部長の要請又は指示を拒否した場合、内閣総理大臣は、国土交通大臣を指揮して、港湾施設については利用に係る処分の変更又は取消し等、飛行場施設については利用に係る必要な指示等をさせて、更に必要ならば船長や機長に船舶や航空機の移動を命じ、それにすら応じないなら行政代執行させるという「国家権力欲張りセット」の対応が可能である。そして、「物資の収用等(自衛隊法第103条)」により、港湾施設や飛行場施設の一部は自衛隊の直接管理下に置かれる可能性まである。
海域や空域の利用についても、海上保安庁長官による罰則付きの「航行制限」や国土交通大臣による「飛行禁止区域(航空法第80条)」の設定により、国家の完全な統制下に置かれる。「戦争になったら国外脱出する!」とお考えの方は、隠れて搭乗する為の楽器ケースの準備をしても、レバノンに逃げられるわけではない点にご留意願いたい。
さて、電波は後述するとして、残るは道路である。当然ながら道路は我々の日常生活に最も身近な存在であり、その利用指針は文字通り人生を左右する。利用指針を担保する緊急権が「交通の規制等(道交法第114条の5、国民保護法第155条)」である。公安委員会は、区域又は道路の区間を指定して、自衛隊(米軍)が使用する車両や国民保護措置を実施する車両以外の車両の道路における通行を禁止し、又は制限することができる。更に警察官(自衛官)は車両その他物件の占有者等(この場合は運転手)に通行禁止区域からの移動等必要な措置を命じ、従わない場合は自らその措置をとることができる。要は貴方が持ち出せる財産全てを自家用車に詰め込んでも、渋滞に巻き込まれた挙句に動けなくなり、愛車を強制撤去されるという事もあり得るという事である。避難の際に持ち出すのはひときれのパン、ナイフ、ランプだけにしろとは言わないが、必要最小限度に留めて欲しい。禁止又は制限に従わなかった車両の運転者は、3カ月以下の懲役又は30万円以下の罰金に処されるので、いつものように反則金では終わらないのだから。
交通の規制等で問題になるのが「住民の理解」である。災害対策基本法が適用された阪神淡路大震災においても、自分とそう変わらない車両が「標章」を付けているだけが通行できる事に納得できない住民が多かった。兵庫県警交通規制課長(発災当時)であった尾久哲夫氏曰く標章が「特権の象徴」「水戸黄門の印籠」とみなされていたとし、更には標章の偽造が相次いだとしてる。他人の標章をカラーコピーをするのはまだ知性を感じるが、マジックインク等で手書きしたのを見せてきたり、警察に「標章を自作したいので細かい基準を教えて欲しい」と直接聞いてきた大手企業の社員に至っては、水場争いに勝利して歓びのあまり骨を空に放り上げる猿と同程度の知性しか感じない。標章の交付には警察側の不手際もあったので情状酌量の余地もあるが、一部の偽造については後に県警が立件してるのであまり「お目こぼし」を期待しない方が良い。
また尾久氏は報道関係者だから、有力者だからという「人」の着目した標章の交付については厳に戒めている。その時は本当に標章が水戸黄門の印籠になってしまうと。戦時下の「忖度」は直接的に国を滅ぼす事は、「前回」学んだので安心したいものである。
「自主的なご協力に感謝する。祖国日本の為に尽くしてくれ」「え」
ある店舗のトイレに入ると、「いつもきれいに使っていただきありがとうございます」という張り紙が壁あたりに張ってある事が多い。この張り紙は貴方の排泄行動を24時間365日に確認して評価しているわけではなく、「マリア様でもキスしたくなるように綺麗に使え。汚した奴は店の業務用ミキサーで滑らかな舌ざわり、爽やかな苦味をもった液体にした後に便器から流して葬儀代を奢ってやる」を謙虚な日本人向けにして注意を喚起する為に存在している。このような言い換えは相手側の面子もあるので行政実務では大変重要である。
さて、武力攻撃事態等における国民に労役負担を課す「人的公用負担」も、性格の悪い人間に言わせれば「徴用」である。厳密には人的公用負担には分類されないものも多数含まれるが、面倒なので纏めて解説する。
最も有名なのが「防衛出動時における物資の収用等(自衛隊法第103条)」に基づく都道府県知事による業務従事命令だろう。自衛隊の行動に係る地域以外での地域における特定の業種に対して、防衛大臣等が指定する業務に従事することを命じるものであり、具体的には次のような業種が対象となる。
その他にも都道府県知事等が避難住民への医療の提供を医師、看護師その他医療関係者に要請又は指示する「医療の実施の要請等(国民保護法第85条)」、避難住民や緊急物資の運送を運送事業者に求める「避難住民の運送の求め・緊急物資の運送(国民保護法第71条、第79条)」がある。エネルギーや通信などを支える「指定公共機関」は運送事業者以外は命令等を受けないが、国民保護業務計画に従って業務を実施することになる。
都道府県知事等が発せられる命令等には、これに従う法律上の義務があるが、災害救助法等の従事命令とは異なり、罰則は設けられていない。もっとも法改正で罰則を付与する事が「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない」とする憲法第18条に反するとは政府見解でも明言されておらず、命令等を拒否する事によって生じるであろう雇用契約上の不利益処分については、「労使の問題だ(中谷元)」としてるので間接的な強制だとの批判も強い。
罰則を設けない理由(業務従事命令はリンク先Q9)はついては様々だが、「業務従事者には自発的かつ積極的に協力してもらわないと、期待する効果が得られない」という点では共通している。確かに死亡又は負傷する可能性も無くは無い以上、「覚悟完了。当方に迎撃の用意あり」「リングは最高裁だ!」というノリで拒否された場合、政府にはもう何の手立ても無い。仮に罰則で強制させても、戦前の国民徴用令に基づく徴用が効果的に機能していたかと言われると厳しい評価となるのもある。言うまでもなく戦時が長期化し、士気の低下が顕在化した時は罰則ではもはやどうにもならない。
また政府はこうした法令に基づく命令等に頼らず、事業者と行政契約を締結する事で法的問題を回避する可能性がある。あくまでも事業者との「合意」に基づくものであり、強制されたものではないと。これは行政法学においては「契約への逃避(碓井 光明)」と呼ばれる現象である。この場合、例えば業務従事命令で従事する者に補償される損害補償(死亡した場合は貴方の平均賃金を基礎とする支給基礎額の千倍。もう少し奮発して)に相当するものが支払われるかは微妙である。逆に事業者の理解を得る為に法より手厚い補償を約束する可能性も無くは無いが……。戦時下にサインする書類はちゃんと確認しよう。命知らずの外人部隊(エトランジェ)ではないしても、それに近い何かの可能性はあるのだから。
コロナパンデミックでもお馴染みの地域住民への「協力要請」は当然ながら戦時でも活躍する。国民保護法だけでも、避難住民の誘導への協力(第70条)、救援への協力(第80条)、消火、負傷者の搬送、被災者の救助等への協力(第115条)、保健衛生の確保への協力(第123条)と豊富なラインナップである。これに協力しない事については、「その要請に当たって強制にわたることがあってはならない(第5条)」とする趣旨から罰則は無い。一方で一定の状況下で公務員からの要請を正当な理由なく拒否した住民に「変事非協力の罪(軽犯罪法第1条第8号)」が成立する可能性については特に明文で否定されていない。一部の解説書(井阪 博)には国民保護法に基づく要請も一例として記載されている。また国民保護法に基づく要請の適用が否定されても、消防法や警察官職務執行法など他の法律に基づく協力を命じられた場合はどうなるかも特に言及されていない。もっとも罰則が拘留又は科料のみであり、自己の生命や身体の危険を冒すような場面では成立しないので深く考える必要は無いのかもしれない。平成30年までに検挙件数が130件というレアな犯罪であるので検挙されたら友達に自慢してみよう。
戦時下の公僕各位におかれましては、協力を仰ぐ国民に対しては、まず平素から防衛行政に格別の御理解と御協力を賜っていることにお礼を申し上げ、「愛は地球は救わないが、貴方の協力は日本を救う」を懇切丁寧に説明しましょう。はい。任意ですから。無理は申しません。そうですね。皆さんはやっておられるようですね。えぇ、私が知る限りは。ご協力有難う御座います。次の方どうぞ。
「お前のものは国のもの」「いや。私のだよ!?」「じゃあ収用」
太平洋戦争を題材にした作品の多くは、前線銃後関係なく物資の欠乏に苦しむ描写が入るのが御約束である。創造主が僅か6日間の納期に追われる中でヤケクソになって作り出した日本列島は立地条件が悪いだけでなく、現代文明を支えるあらゆる資源が欠落している。食料、燃料、鉱物資源その他様々な物資を海外からの輸入に頼っており、その輸入が途絶えるような戦争に巻き込まれないよう憲法9条を神棚に掲げて世界平和を日々祈願している。
しかしながら、日本語しか喋れない平和主義宣教師の輝かしい活躍にも関わらず、戦争に巻き込まれた場合はどうなるのだろうか。ウクライナ侵略における「あれは軍事目標だ。私がそう判断した」というダブスタモスクワクソ親父(70)の無差別攻撃のおかげで、我々日本人も他国からの武力攻撃に聖域が無い事を知った。もしシーレーン(海上交通路)を航行中の船舶や港湾施設、発電所を始めとする電力インフラが攻撃された場合、国民生活に甚大な影響が出ることは間違いないだろう。
前回の記事でもご紹介したように、日本の緊急権法は財産権の制約を可能とする緊急権を次のように豊富に取り揃えている。あくまでも一例である。これが全てではない。
都道府県知事は、自衛隊の作戦行動や避難住民等の救援に必要な物資の保管を命じ、所有者の同意無しに収用することができる。更に同じ目的のために土地や建物を所有者及び占有者の同意無しに使用することができる。一応損失補償の規定は設けられているが、あくまでも「通常生ずべき損失」に限定されるため、「あの物資は暴騰していたあの時に売り捌いていたら大儲けできていた!補償しろ!さもなければ5000兆円くれ」は門前払いである。
また「物価の統制額指定」により、ある物資について統制額以上の価格での取引を禁止し、更に「割当て又は配給等」にてあらゆる物資の割当て、配給、使用、譲渡の制限若しくは禁止を政令で定めることができる。戦時下に「転売は正常な経済活動である」と宣う転売屋はことごとくお縄にすることができる。石油ショックの際には西ドイツにて休日における自家用車の使用禁止が行われたので、燃料が極端に不足する状況では割当て又は配給等によって検討されるかもしれない。
電気やガスの需給逼迫が見込まれる場合には、省令が定めるところにより使用制限令を出せるようになっており、昨年度も発動が噂された。大口需要家を対象にした措置ではあるが、我々への生活への影響は絶大だろう。
更に令和6年には「食料供給困難事態対策法」が新たに成立し、食料供給が大幅に不足するような事態が発生した場合には農家など農林水産物生産業者に対して、増産の要請、生産計画等の提出指示、生産転換の要請又は指示などを行う権限を農林水産大臣に与えた(ただし加筆時点では未施行)。罰則は生産計画等の指示を拒み、計画を提出しなかった場合のみであり、果たして1人1日当たりの供給熱量が現在の摂取熱量である1,900kcalを下回るような極限状態(おそれも含むが)で有効であるかは疑問である。はだしのゲンの登場人物あたりにでも聞いてみよう。
最後は「電波の利用調整」である。総務大臣は自衛隊(米軍)の作戦行動や国民保護措置に必要な無線通信を優先させる為に免許条件の変更等必要な措置を講じることができるものである。「優先させる」ので、自衛隊の作戦行動に際して、我々が生活の中で使用している無線通信に混信その他妨害を与えてたとしても、違法性は阻却される事になる。オンライン対戦ゲームで「ラグい」とか言えるのは平時の特権になるかもしれない。
「仕事はまじめでそつなくこなすが今ひとつ情熱のない男」の年齢に数年で到達する事に気づいて絶望する筆者には、収用されるような財産の持ち合わせは無いが、せめて明日を生き延びるための種モミだけは残してほしいものである。
「戒厳令!?」「いや違うからね」
餅は餅屋という言葉があるように、神と運に見放された一部の国を除けば、治安の維持は警察の仕事であり、軍隊の仕事ではない。暴力と無法が主宰する立憲主義の合同葬の様相を呈した戦前においても、軍隊(憲兵を除く)が治安の維持にあたるのは、①憲法に基づく戒厳が宣告された時、②地方長官(府県知事)から治安出兵の請求があった時に限られていた(ここでは法執行又は軍の自発的出兵の説明を省く)。戦後日本においても、自衛隊が治安の維持に関与する例外的な場面は極めて限られている。
そして、その例外的な場面の一つが防衛出動を出動を命ぜられた自衛隊に与えられる「公共の秩序の維持のための権限(自衛隊法第92条)」である。権限が行使される場面としては、戦時下という状況も相俟って、「暴徒が重要な施設を襲ってきた、あるいは橋梁その他交通施設を破壊している」という世はまさに世紀末な状況も過去には想定されており、「治安出動(自衛隊法第78条、第81条)」で行使される権限とほぼ変わらないとはいえ、その権限の行使はより苛烈なものになる可能性も否定できない。まぁ戦時ですから。
それでは具体的にどのような権限が与えられるのかを見てみよう。クソ長いから流し見で良いよ。ここ定期テストに出ますもやりません。
え、マジでこの長文をちゃんと読んだの?真面目ですね。
この武器の使用についての規定は、戦前の衛戍令に規定された武器使用権限よりも広範であるとして、「戦前の天皇制軍隊でさえも同胞である一般大衆にたいする武器使用に関して保持していた法令上の自制を、自衛隊法ははるかに大きく踏みこえている(大江志乃夫)」と批判する論者もいる。流石にこれは些かイデオロギー色が強い批判ではあるだろう。旧軍とは異なり、戦後の自衛隊は内閣総理大臣による文民統制下にあり、その武器の使用については法的制約だけでなく政治的制約にも服することになるのだから。
しかしながら、軍隊に対する授権と言う点では、大江がこの文章を書いた頃と比較して令和の自衛隊には比べ物にならない授権が与えられているのも事実ではある。一例を挙げれば、自衛隊は病院、診療所以外にも自動車整備工場、給油施設等の施設を直接管理下に置き、民間業者に必要とする物資の保管を罰則付きで命じることができる(自衛隊法第103条)し、警戒区域(国民保護法第114条)を設定し、住民に対して強制的に退去を命じることもできるようになった。「事態に照らし緊急を要すると認めるとき」と「市町村長等がその場にいない場合に限り」という制約はあるにはあるが、それを判断するのは結局は自衛隊となる。殆ど議論されていないが、抑留対象者(外国人に限る)に該当すると疑うに足りる相当の理由がある者に対する自衛官による「拘束措置(捕虜取扱い法第4条)」、逃走捕虜等の再検束のために行う「土地又は建物への立入り等(捕虜取扱い法第164条)についても、戦時下ではその在り方が問題視されるかもしれない。
もっとも戦前の事例を見ても、戒厳が宣告されても、実務の殆どが地方長官(府県知事)に委ねられている場合が多く、自衛隊自身が強権を振るうというのも考え難いだろう。しかし、忘れてはならないのは、我々がやるのは戦争であるという事である。自然災害やパンデミックとは異なり、明確に悪意を抱いた相手が存在するのである。「我が国の政治文化では無理だよ」とケラケラと笑っている映像の下に「過信の報いはすぐそこに迫っていた」のテロップが付かない事を切に願うとしよう。
※なお市町村長等が「その場にいない場合」とは、他の緊急の業務に専念しなければならない状況も想定されている。
「親方、空から核、生物、化学兵器が!?」
冷戦終結後には国家間同士の大規模正規戦は過去の遺物となり、雑多な小火器で健気にも立ち上がってきたテロリストを無人機の空対地ミサイルで一般市民ごと木端微塵に粉砕する事が正義とされるような退屈な時代が到来した。冷戦時代にはスナック感覚で使用される事が想定されていたN(核兵器)・B(生物兵器)・C(化学兵器)も、テロリストがちまちま手を出した以外は、ポリティカル・スリラーを手掛ける小説家が原稿ページを水増しにする為の存在に成り下がった。しかし、クレムリンの禿(70)がやらかして以来全面核戦争でどれだけの死者が出るかの記事が人気を博し、現実逃避を憲法慣習としている日本の政治家達が核シェルターの整備について討議するような素晴らしき新時代が到来した。
核兵器や化学兵器で壊滅的な被害を受けるのは日本国民は既に経験してるので、生物兵器の事例で考えてみよう。侵略者が人類史の偉大な変革者である「黒死病」ことペスト菌を日本国内でエアロゾル散布したとする。肺ペストの潜伏期間は最短で12~15時間、通例では2~3日間。適切な抗菌薬が使用されない場合の致死率は、発症から24時間以内に100%近くと極めて凶悪である。ヒトからヒトには飛沫で感染するため、早期の封じ込めに失敗するとペスト医師に扮した尾身会長が渋谷で諸葛亮孔明と死の舞踏を踊るしか無くなるような惨事が待っている。しかも、誰による攻撃であるかを判断するのが極めて難しい。敵が関与を否定する可能性も高いだろう。
我が国の緊急権法も当然ながらNBC兵器による攻撃を想定している。国民保護法第107条、第108条に規定された「放射性物質等による汚染の拡大の防止」である。万が一NBC兵器による攻撃を受けてしまった場合に被害を最小化するため、内閣総理大臣は関係大臣を指揮し、汚染の発生の原因となる物の撤去、汚染の除去その他汚染の拡大を防止するために必要な措置を講じさせなければならない。この場合において、厚生労働大臣等は次のような措置を講じることができる。
汚染され、又は汚染された疑いがあるものは、生きてようが死んでいようが有機物であろうが無機物であろうが措置の対象となる。放射性物質で汚染された貴方の家族の遺体には面会すら叶わず、生物兵器に感染した疑いがある貴方のペットは「その他の物件」に含まれ、廃棄(殺処分)となる(※補足3)
上記の措置の中で、特に強権的な措置となり得るものが「⑤建物の封鎖」と「⑥交通の制限又は遮断」である。類似の規定がある感染症法と比較してみよう。感染症法に規定される建物の封鎖では、建物からの出入りを完全に禁止するものの、建物から外に出る事には罰則を設けていない。これに対して、国民保護法は建物から外に出る事に罰則を設けている。生物兵器として散布されている以上、その危険は平時のそれとは比較できず、外から出た人間による二次被害が許容できないからと推測される。早めに救助される事を信心深くアラーとキリストと仏陀に同時に祈るしかない。もし運良く救助されても、感染の有無を確認する健康診断(拒否できない)が実施され、その結果次第では積極的疫学調査や入院勧告・措置の対象となる。もし調査で虚偽の答弁をしたり、病院から脱走した場合には感染症法上の罰則がある。
さて次に「交通の制限又は遮断」だが、感染症法では72時間に限定されていたものが、国民保護法では無制限になった。更に「消毒により難いとき」という制約も撤廃されている。交通が完全に遮断された場合には交通遮断区域から出る事は犯罪となるので、気分はゾンビゲームのモブである。残念ながらモブであるのでコンティニュー不可であるが。
これら一連の措置は差し迫った必要があるときは、掲示や書面での通知ではなく、現場にいる職員の指示のみで実施する事が可能であり、まさに究極の事態を想定している。
内閣総理大臣は汚染の拡大防止のための措置を都道府県知事にも実施させることができるが、知事に協力を「要請」するという形で行わせることになる。何故強制力がある「指示」ではないのかというと、「(NBC兵器による攻撃は)地方公共団体の対応の限界を超えており、地方公共団体に汚染の拡大防止のための措置の実施を義務付けることはできないものと判断されたためと考えられる(磯崎陽輔)」とのこと。核攻撃で都道府県庁が物理的に消滅している可能性もある以上は当然であろう。
「地方自治は尊重されねばなりま」「あ、指示が来たゾ」
前世紀末から今世紀初頭における地方分権改革は、他国では憲法改正に匹敵する大変革であった。かつて国は包括的な指揮監督権を有する機関委任事務を通じて、地方自治に絶大な影響力を有していた。その影響力は「ある町のバス停を100メートル移動させるだけで運輸省との折衝のために東京と地方を何往復もしなければならない」とまで揶揄され、都道府県の事務の7割以上を機関委任事務が占める有り様だった。更には内閣総理大臣は職務執行命令訴訟等を経た上で都道府県知事を罷免できる権限(平成3年に廃止)まで有しており、日本国憲法が掲げる「地方自治の本旨」という看板は、激安風俗店のプロフィール写真よりいかがわしいものとなっていた。超党派で支持された「地方分権一括法」はそんな国の関与を最小化し、地方公共団体の自律性と自主性を高める為に制定された。同法により機関委任事務は廃止され、国の関与は法令に根拠を有する場合(関与の法定主義)に限られるようになった。ハッピーエンドだ。ブラウザバックしろ。
訓練された読者諸兄は既にこれが単なる前振りである事を理解されているだろう。戦時である武力攻撃事態等においては、国及び国民の安全に万全の措置を講じる必要があるため、事態対処法は内閣総理大臣に地方公共団体の長等に対する「指示権」と「代執行権」を付与している。
まず指示権から解説しよう。指示とは法律上の義務を伴うものであり、命令とそう変わらない。国民保護法では「是正の指示」と「方針の指示」の二つが設けられている。
是正の指示とは、例えば避難の指示を出す事を地元からの反発で躊躇してるような都道府県知事に「やれ」と再度指示するものである。方針の指示は迅速に措置を実施するために必要な指示を行うものであり、具体的な内容は都道府県知事の権限に属するものであれば、何でも良いとされる。集会やデモ活動を規制する公安条例改正の専決処分を指示しようとか悪い事は考えないように。自然災害の類似例では菅直人首相(当時)が東日本大震災の際に住民の退去を命じる警戒区域設定や農作物の出荷制限等を指示している。
更には令和6年に地方自治法の一部を改正する法律が成立し、国民保護法など個別法が想定していない国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生した場合には各大臣は閣議決定を経るだけで地方公共団体に対して「補充的指示権」が発動できるようになった(ただし加筆時点では未施行)。この改正により戦時である武力攻撃事態等においては、国の指示権は殆ど無制限に近いものになる事が予想され、地方公共団体の自主性及び自立性に極力配慮するよう求める附帯決議はあるが、「既に支払いが終わったゲームで求められる利用規約の同意欄」と大差無いものと言える。
とはいえ、都道府県知事が法的拘束力がある「指示」に従わないからといって、アバダケダブラでしめやかに爆発四散するような仕組みにはなってはいない。「なんで日本で戦争があんだよ。憲法はどうなってんだ憲法は」と突然言い出して対処措置を講じないユニークな都道府県知事も47人もいるのだから一人くらいは出るかもしれない。また市町村がまるごと壊滅してしまった場合は都道府県知事が代行できるが、都道府県までもが壊滅するような事態もあり得るのが戦時である。
そこで出番となるのが代執行権である。これまでの記事にも頻繁に登場しているが、もう一度説明する。内閣総理大臣は、国民保護のため緊急を要する場合など特に必要がある場合には、本来は地方公共団体等が実施すべき対処措置を自ら実施することができる。地方自治法では「代執行」は原則として高等裁判所での代執行訴訟にて勝訴を勝ち取る必要があるというと、その強権さが理解できるだろう。当然ながら法律に明文規定があるものに限られるが、国民保護法に規定する住民の避難や避難住民等の救援については、ほぼ代執行が可能である。内閣総理大臣は地域住民に対して避難の指示を直接出したり、救援に必要な土地や建物を使用し、物資を収用することができる。
また、都道府県庁に対するミサイル攻撃等により、知事、副知事その他職務代理者(沖縄県だと総務部長、知事公室長)までが纏めて死亡した場合、総務大臣には知事の「臨時代理者(地方自治法第252条の17の8)」を選任することができる権限が与えられている。つまり令和の官選知事の爆誕である。総務大臣は「長の被選挙権を有し、当該団体の区域内に住所を有するものであれば、誰を選任してもよい(松本 英昭)」が、仮に貴方がその資格を満たしていても燕尾服を着込んで大命が降下するのをウキウキ待つのはお勧めしない。その燕尾服が白装束に変わるまで恐らく30分もかからないからだ。当然ながら総務大臣も実務を理解できる人間が欲しいので、かつて知事だった人物か都道府県庁で生存している職員を選任する事になるだろう。
更に地方自治にとって悪い事態が到来する可能性がある。内閣総理大臣が発する「緊急事態の布告(警察法第71条)」である。これは都道府県公安委員会の管理下にあるはずの都道府県警察を内閣総理大臣が直接統制するものであり、「準戒厳(小林 直樹)」という少々大袈裟な評価がされる事も多い緊急権である。しかしながら、軍事力(自衛隊)と警察力(都道府県警察)が内閣総理大臣一人の手に委ねられる事を過小評価する都道府県知事は少ないだろう。
もっとも国には人がいない。その出先機関(地方支分部局)にはもっといない。都道府県や市町村にはもっともっともっといない。いないいないばあっ!である。ヒト・モノ・カネ全てが不足する令和日本の戦時において、暢気に政治的内戦をやる余裕など何処にもありはしないのだ。平時から国と地方との間の信頼関係の構築に努め、やたらと分断を煽る人間を皇居のお堀に沈める事こそ先決だろう。
「私のタワーマンションが吹き飛んだわ!賠償して!」「小銭でよろしいですか」
コロナ・パンデミックは、余りにも多くの人間から当たり前の日常を奪った。一昔前までは外出自粛要請や休業・時短要請(命令)が出され、飲食店には臨時休業中の看板がぶら下がり、観光地はゴーストタウンとなった。一方でその対価として「補償」を求める世論が高まった。どうやったら批判されずに限界まで国民の筋肉を削げるかだけを日々考えてる財政規律の守護神である財務省と、その主人である日本政府も、給付金や協力金という形でそれに応じる羽目になった。
人も物も盛大に破壊される戦時下では、さぞかし手厚く補償される……と良いのだが現実は甘くない。令和5年現在で敵味方どちらの攻撃であるかを問わず個人の戦災を補償する規定は現行法には存在していないからだ。
まず最初に検討されるのは、違法な行政活動に対する損害賠償を求める「国家賠償」だが、適切な補償を定めた法律を制定しなかった国会議員共の立法不作為や戦時下における個々の事例における国側の違法な行政活動を追及する事になるだろうが、古美門弁護士あたりを1個連隊投入しても良い結果は望めないだろう。
一方で適法な行政活動による損害の補填である「損失補償」は比較的ハードルが低く、「私有財産は、”正当な補償”の下に、これを公共のために用ひることができる」とする憲法第29条第3項をその根拠としている。正当な補償とは、私人に課される「特別な犠牲」に払われる償いとされており、個別具体的な事例で判断される。例えば医療従事者と医薬品が戦争の影響で極端に不足し、愛する家族が平時なら取るに足らない疾病や怪我で死亡するような間接的な被害をもその対象とするかは難しい政策判断となる。太平洋戦争における戦災補償を求める訴訟でも、最高裁が在外財産補償訴訟で示した「国民のすべてが、多かれ少なかれ、その生命・身体・財産の犠牲を堪え忍ぶべく余儀なくされていたのであつて、これらの犠牲は、いずれも、戦争犠牲または戦争損害として、国民のひとしく受忍しなければならなかつた」という受忍義務を前提にした判決が多く、戦災者全般への補償は認められていない。財産権の補償規定を生命の喪失にも類推適用するのは異論があるが、将来の裁判所が秘めていた良心に突如目覚める事に多くの期待を掛けるべきではない。
とはいえ、一般に戦争その他の変乱は火災保険などの免責事由に該当するし、国がびた一文出さないのは、財務省とベルゼブブが許しても、世論は許さないだろう。そのため「政策上の補償」は確実に検討される。自然災害による被災者を想定した支援制度を例にすると、生計維持者が死亡した場合の災害弔慰金は500万円、被災者生活再建支援金(東日本大震災)では自宅全壊で最大300万円となっている。さて、貴方の値段は幾らになるのでしょうか?
「ち、超法規的措置と言われましても」「いつも平気でやってる事だろうが。今更御託を並べるな」
ミサイルや砲弾が飛び交う戦時下においても、残念ながら行政機関は国会が制定する法律に基づき活動しなくてはならないとする「法律による行政の原理」を遵守する必要がある。だが、起こり得る全ての事態を想定してあらかじめ立法化するのは、霞が関の官僚と衆参両院の議員達がラプラスの悪魔に魂を売らない限りは不可能である。
例えば「新型インフルエンザ等対策特別措置法」の逐条解説書や施行前の自治体向けの質疑応答では、緊急事態措置での外出自粛要請又は施設の使用制限等(休業・時短要請又は命令)は、潜伏期間等を考慮し、1~2週間程度の短期間を想定していた。実際にはどれだけの期間、自粛に喘ぐ事になったかは鶏より脳細胞が多い読者はよくご存じであろう。また飲食店は使用の制限等の要請の対象となる施設としては最初から想定してなかった。
いみじくも「事前計画の価値と言うものは事態の複雑性の増大と共に減少する」という格言が示すとおり想定外の事態というものは常に起こり得るのである。
それでは戦時下に想定外の事態が発生した時、法律の規定にその根拠を求める事ができないからと言って、国会が立法化するまで「慌てない、慌てない。一休み一休み」と胡坐をかく事は果たして許されるのだろうか。そもそも国会が生き残って立法を続けてくれるかわからないのである。
こうした話題が出てくると、1977年に発生したダッカ空港ハイジャック事件における「超法規的措置(超実定法的措置)」を思い出す読者が多いかもしれない。この事件では、法務大臣がテロリストの要求を受け入れ、矯正局長に刑事訴訟法の規定によらず収監中の犯人を釈放するよう指示したものであり、福田首相の「人の命は地球より重い」という言葉は今日まで悪いネット住民のおもちゃになっている。この措置について、日本政府は「実定法を支える法秩序全体を流れる法の理念からして許容されるもの」とし、「違憲ではない」と答弁している(内閣衆質183第66号)。この答弁の妥当性はともかくとして、超法規的措置と明言していなくても、緊急事態下にその適法性が問われる措置は数多く為されている。比較的最近の例だと、新型コロナワクチンの接種を医師法の規定に反して歯科医師に行わせる事を「公衆衛生上の観点からやむを得ないもの」として違法性は阻却されると整理した厚生労働省の通知が物議を醸した。(※補足4)
一方で裁判所はこうした行政の緊急措置については、行政訴訟にまで発展するケースがそれほど無いのもあるが、お茶を濁している事が多い。著名な判例としては、「浦安町鉄杭強制撤去事件」がある。1980年6月、漁港管理者である浦安町長が漁港内にある鉄杭100本を強制撤去した。無許可で打設されていた上に船舶の航行に危険を生じさせるおそれがあったからである。町長からすれば、「降りかかる火の粉は払いのけるのが、あったり前じゃない(CV宮村優子)」ではある。ところが浦安町(当時)では鉄杭を撤去する根拠となる漁港管理規程が未整備であったため、この撤去は違法であり、撤去に要した費用を公金で支出するのも違法であると町民らが訴えたのである。最高裁は「鉄杭撤去は緊急事態に対処するためにとられたやむを得ない措置である。措置自体は違法であるが、この措置に基づく公金の支出は緊急避難の法意に照らしても、違法では無い(要約)」と判示した。要は「お前は間違ってるが正しい」というものであり、最高裁は緊急事態下に法律上の根拠規範が無い場合の緊急措置を正面からは認めていない。(※補足5)
この判例はあくまでも平時であり、日本国憲法の「生命」そのものが喪われる危機である戦時においては、「憲法の存続を図るため非常措置を講じることは不文の法理として肯定せねばならないであろう(佐藤幸治)」とするような不文の緊急権を消極的に肯定する憲法学説が頻繁に引用されるかもしれない。先に述べたベルギーのように、諸外国でも戦時下に行使された不文の緊急権を裁判所が追認した例は少なくないからだ。
しかしながら、不文の緊急権を正面から肯定する事に反発を覚える論者は当然ながら多い。憲法改正を支持する立場からは、「憲法を無視するような事態を防ぐ為にも緊急事態条項を設けるべきである」との主張が多く見受けられる。ドイツの憲法学者であるコンラート・ヘッセも次のように長々と述べている。
筆者としては、この言説については「せやな」という肯定も否定もわからない関西人の特権で対応するしかない。
しかしながら、指摘できる事は一つある。結局のところ憲法改正も「銀の弾などない」という大変つまらない結論を皆様に提供するだけになるだろうという事である。ヘッセが愛するドイツ連邦共和国基本法においても、ありとあらゆる緊急事態を想定して憲法に規定する「規範完璧主義」には限界があり、その欠缺を補うためには不文の緊急権を承認するしかないとする学説(J・イーゼンゼーなど)が世界同時多発テロ以降に活発化している。憲法でさえ想定されてない事態は容易に発生し得るからである。
我が国の憲法改正草案では内閣に法律と同じ効力を有する緊急政令権を認めるものが多いが、現場レベルの個々の緊急措置には間に合わず、間に合ったとしても、政令を事後的に承認するべき国会が敵の攻撃で物理的に消滅してる場合には、結局は違憲の措置になり得る。仮にこのような事態を防ぐ為に要件を厳格化or緩和しても、究極的には人間の想像力には限界があるという最初の話に戻るのである。
南北戦争で大統領の戦争権限を拡大解釈し、人身保護令状すら停止したエイブラハム・リンカーンが「腕は生命を護る為に切断されるが、生命は決して腕を護る為に差し出される事は無い」と述べたように、我々は諦めなければならない瞬間があるかもしれない。ただ、腕として切り落とされるのが自分自身であり、腕どころか体ごと持っていかれる可能性には留意すべきであろう。この世界には錬金術も魔法も無いのだから。
我々が経験する戦時下とは如何なるものであるか
「もはや戦後ではない」。ウクライナ侵略以後の国内外の空気を一言で纏めるならこうなるかもしれない。イデオロギー対立が齎した狂気の集合体であった冷戦が終結し、ポストアポカリプス作品の住人になるような「最悪の事態」はトム・クランシーシリーズの中に留まるであろうという希望、願望とも言えるものを抱くことができた時代に我々は生きていた。
だが、そんな時代を懐かしむことができるのは、もう回顧録と死体以外この世に残せないだろう年老いた外交官だけになった。2022年12月には中国による台湾侵攻を想定し、日本政府は反撃能力の保有などを明記した「安全保障関連3文書」を閣議決定。8月31日に夏休みの宿題の進捗がゼロである事に気づいた小学生のように矢継ぎ早に安全保障政策の充実を打ち出し、実行に移している。冷戦中に北海道がロシアンティーのおやつにされる事を想定していた頃よりも実戦的、であるかはさておき、極めて意欲的な内容となっており関係者を驚かせている。その驚きには何故ここまで焦っているのかという部分にもあるだろう。
中国による台湾侵攻があるか否か。それに伴う我が国の武力攻撃事態がどのような展開を見せるかは誰にもわからない。今回の記事で描いたような悪魔の出番は無く、先島諸島からの避難だけが焦点になるだけかもしれない。
しかし、どのような展開を見せるにしても、戦時下においては我が国の国民の生命と財産が喪われ、基本的人権は消費期限が一週間前の惣菜パンよりも安い値段しか付かないのは確実である。「もはや戦争は避けられない」という自己成就的予言に惑わされず、外交的軍事的を問わずありとあらゆる手段を尽くして、「その日」が来る事を一日でも先延ばしにする努力を怠らないにせねばならない。そのような手段があるのか懐疑的であってたとしても、である。
そして、努力の甲斐も無く、「その日」が来た時には、我々は民主主義国家として戦う事を忘れてはならない。緊急権という悪魔達に自分達の権利と自由をステーキガストの健康サラダバーのように気前良く振舞うような真似は許されない。我々は今後も自分達の権利と自由について、何に妥協し、そして何を妥協しないのか苦悩し続ける事になるのだろう。
不治の病である戦争が根絶されるその日までー
加筆修正履歴(20240722)
令和6年に成立した改正地方自治法、食料供給困難事態対策法などの内容を新たに加筆。
※補足1 もっとも個別分野毎に制定されている緊急事態法――役務確保法など――は、連邦政府が制定する法規命令(日本では政令に相当)に白紙委任している領域も多いので、そう困る事は無いのだろう(この白紙委任については基本法に規定は無い)。
※補足2 そもそも何故2000年代になるまで戦時に備えた緊急権法、俗に言う「有事法制」は何故成立しなかったのかという点には争いがある。憲法問題や戦前日本の国家総動員に対する感情的な反発の緩和、それまでの左派政党と比較すると現実的な安全保障政策を取る野党第一党である民主党の登場、極東アジア情勢の緊迫化など様々な要因が挙げられる。しかし、これとは別の要因も考えられる。西暦1964年に陸上幕僚監部法務課が作成した報告書である「国家緊急権 : 比較法的研究を中心として」より長々と引用する。
諸外国の戦時における授権法は、平時から制定されているわけではなく、開戦後又は開戦直前である事は珍しくない。太平洋戦争においても、戒厳に代わる戦時立法の制定は真珠湾攻撃後である。冷戦中に想定されていた本土決戦に必要な戦時立法は戦前のそれと変わらないかそれよりも過酷になる可能性も高く、成立させるのは諸外国でも政治的ハードルが高かっただろう。極東ソ連軍の大規模着上陸であれば、法案の成立まである程度猶予がある事を考えれば、平時は防衛庁内部で草案だけ作成しておくという選択肢も最善ではないが次善の策ではあっただろう(立法が間に合わないなら不文の緊急権で押し通すだろうし)。しかし、大規模着上陸の蓋然性が低下し、冷戦終結後の平時と戦時の境目が曖昧な多角的な脅威に対しては、そのような文法が通用しなくなった……というのが私見である。余談だが、冷戦期に戦時に際しての緊急権法(1948年市民防衛法などはあるにしても)を平時から制定してなかったイギリスにおいても、戦時から自然災害まで一纏めにした2004年民間緊急事態法が制定されたのは、国民保護法とほぼ同時期である。
※補足3 感染症のまん延防止の為に行われた動物の殺処分としては、2005年の静岡市で4類感染症であるレプトスピラ症に感染した輸入動物(アメリカモモンガ)に対して、厚生労働大臣(結核感染症課長)の指示により、市長が感染症法に基づく殺処分の措置命令を取扱業者に発した事例がある。武力攻撃の規模によっては、家畜伝染病予防法に基づく口蹄疫や鳥インフルエンザ発生時のように、地域全体での予防的殺処分になる可能性も無くは無い。当然だがペットの為に罰金を払っても、知事が免罪符を売ってくれるわけではないので殺処分自体は実施される。
※補足4 ただし、歯科医師による接種については、感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律等の一部を改正する法律(令和4年法律第96号)の成立により、根拠規定が設けられた。ただし施行は令和6年4月1日であり、現行のコロナ特例臨時接種には出番が無さそうである。
※補足5 他に注目すべき例として、熊本水俣病3次訴訟の原告が主張した「緊急避難的行政行為論」がある。「法律上の根拠規範が無くても、国民の生命と健康に重大な侵害の危険が現実化するなどした場合には、行政庁にはありとあらゆる手段を講じて、危険を防止又は排除すべき法的義務がある(要約)」とするものだが、当然ながら正面から肯定する判断はされていない。
参考文献
・武力攻撃事態対処法の解説Q&A(編集 武力攻撃事態対処法研究会)
・令和4年版防衛白書
・衆憲資第87号「緊急事態」に関する資料 平成25年5月 (衆議院憲法審査会事務局)
・衆憲資第98号 「緊急事態」等に関する資料 令和4年3月(衆議院憲法審査会事務局)
・日本国憲法論(著 佐藤 幸治)
・新版 逐条地方自治法 第9次改訂版 (著 松本 英昭)
・国家緊急権 非常事態における法と政治(著 小林 直樹)
・逐条解説災害対策基本法[第三次改訂版](編 防災行政研究会)
・逐条解説国民保護法(編 国民保護法制研究会)
・国民保護法の読み方(著 礒崎陽輔)
・逐条解説 新型インフルエンザ等対策特別措置法(著 新型インフルエンザ等対策研究会)
・新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する質疑応答集(新型インフルエンザ等対策特別措置法に関する都道府県担当課長会議資料3)
・注釈銃砲刀剣類所持等取締法(著 大塚 尚)
・注釈 警察官職務執行法(著 古谷 洋一)
・行政法概説Ⅰ行政法総論第7版(著 宇賀克也)
・行政法概説Ⅱ行政救済法第7版(著 宇賀克也)
・行政契約精義(著 碓井 光明)
・日本の防衛法制第2版(編著 田村重信他)
・戒厳 その歴史とシステム (著 北 博昭)
・戒厳令(著 大江 志乃夫)
・戒厳令詳論 : 附・武器使用限度論(著 三浦恵一)
・戒厳令概説(著 鵜飼信成)
・ドイツ憲法の基本的特質(著 コンラート・ヘッセ/初宿正典)
・ドイツ緊急権の憲法史(著 長 利一)
・非常立法の本質 : 「国家非常措置の法政的研究」委託調査報告書(著 防衛研修所 田口 精一「ベルギー王国の国家緊急権」より)
・国家緊急権 : 比較法的研究を中心として(著 陸上幕僚監部法務課)
・De noodtoestand in het Belgische publiekrecht(著 Van Haegenborgh他)
・States of emergency in response to the coronavirus crisis: Situation in certain Member States(著 Krisztina Binder他)
・その時最前線では―「交通規制は魔法ではない!」(著 屋久 哲夫)
・緊急事態食料安全保障指針(令和3年7月農林水産省)
・実務のための軽犯罪法解説(著 井阪 博)
・自衛官による加害行為と刑法三五条に基づく違法性阻却 : 防衛出動等における武力の行使を中心に(著 久保田 隆)
・戦後処理の残された課題―日本と欧米における一般市民の戦争被害の補償(著 宍戸伴久)
・緊急事態の法的コントロールー大震災を例としてー(編 初川 満)
・1日1万人、完了に10日 八重山住民避難で県試算(2022年12月22日付け八重山毎日新聞)
・一般社団法人日本感染症学会 肺ペスト(pneumonic plague)最終更新日2019年7月23日
・国立感染症研究所 ペストとは(2019年12月27日改訂)
・国際政治 恐怖と希望(著 高坂正堯)
・The Falklands Conflict Twenty Years On: Lessons for the Future(編 Stephen Badsey他)
必要は法を知らない(Not kennt kein Gebot)