
(知的生産エッセイ)仮にでもタイトルを付けると知的生産が進む
旗印を立てると言い換えても良いのかもしれません。
僕は普段Obsidianというデジタルノートツールを使って、書きたい文章の内容を整理しています。Obsidianはノート同士をリンクできるwikiの様なノートなので、散り散りだったノートが次第に結びついていって、大きな(書きたいことの)テーマが見えてくる事があります。
Obsidianで考え事を整理して、ボトムアップ的に文章を組み立てるのは楽しいのですが、スピード感が足りないとやきもきする場面も多いです。
そんな時にトップダウン的に文章を書こうとしてみるのが、表題の「仮にタイトルを付ける」というやり方です。
タイトルをとりあえずでも付けてみると、そのタイトルに合った見出し(アウトライン)が自ずと見えてきます。このタイトルならこの話はしとかないとな、この話をするなら補足であの話も…という具合です。
アウトライナーと呼ばれるアウトライン作成とその操作に特化したツールの一群が有りますが、それを使うととても快適に行えます。
先述の話は文章でしたが、どのようなコンテンツでもタイトルを仮にでも決めてしまえば、表現するべき事の幅が多少狭まって、まずはこの作業から着手しなくてはというものが分かってきます。千葉雅也さんの著書「勉強の哲学」でいうと有限化ですね。
この文章もタイトルを仮決めしてから、とりあえず書き出してみました。タイトルという旗印が有ると、何を書こうか?表現しようか?と白紙の無限な選択肢を前にしなくて済むので、気持ち的にとても楽です。
文章の話でいくと、タイトルに向かって何かを書いていたのに主題から話が逸れて、文章の全体を見てみるとタイトルが合わないという事は往々にして有ります。これは書くことの妙ですので、悪い事ではありません。
その場合はタイトルを付け直しても良いですし、もしくは書いた内容を微調整して初めに付けたタイトルに合わせても良いと思います。調整の時にばっさりと書いた事をカットする場合など、それは勿体ないと思う時は先にも書いたObsidianなどのノート・メモツールに保存しておくのも良いかもしれませんね。