解説講演「台湾iWIN事件」~児童ポルノ対策法制における創作表現の扱いをめぐる論争~
皆さん、こんにちは。台湾の弁護士の周政です。
本日、この機会を与えて下さった日本のNPO法人「うぐいすリボン」の荻野幸太郎理事と、「台北市アニメ・漫画業界労働組合」で理事長を務めていらっしゃる劉佳豪さんに、まずは心より感謝を申し上げます。
これより、2024年上半期に台湾で発生した「iWIN事件」について解説します。最初に、事件発生の背景を話します。次に事件の経過を説明し、最後に総括として、この事件から得られた教訓と気付きを話したいと思います。
お恥ずかしいのですが、このような形で皆さんにお話しするのは今回が初めてです。至らない点もあるかと存じますが、どうぞ最後までお付き合いください。ここからは、少しリラックスした雰囲気で話をさせていただきますことを、お許しください。それでは始めます。
iWIN事件発生の背景 「児童青少年福利権益保障法」と「児童青少年性的搾取防止条例」
「iWIN事件」において、台湾政府のとった対応は、実在の児童と少年の保護を目的とするもののはずでしたが、実際の手段は、虚構の作品の性表現においてまで児童や青少年のあらゆる描写を禁止するというものでした。
ここでいう虚構の作品の典型は、アニメ、コミック、コンピューター・ゲームなどの形式の作品です。その頭文字から「ACG」と呼ばれるもので、この3種類が、最も典型的な虚構の作品であり、これからもiWINの規制を受けやすい創作物の種類となります。
法律的な観点から見れば、iWIN事件は創作表現の自由に対する台湾政府の強烈な干渉と言えます。創作の内容について、直接的に制限をかけるものだからです。
当然ながら、これはACGの創作表現の自由にとって、大きな脅威となります。
私の話を分かりやすくするために、2つの用語について説明いたします。
1つ目は「児少」という用語です。児童と青少年を含んでおり、一言で言えば18歳未満の者を指す意味になります。
2つ目は、冒頭に紹介した台北市アニメ・漫画業界労働組合です。今回、非常に重要な役割を果たした団体で、ACG創作の界隈を代表する中心的存在です。話の中で何度も登場しますので「ACG組合」という略称で呼ぶことにします。
次に、iWIN事件の背景について説明します。この事件が発生した背景には3つの要素が絡んでいます。具体的には「1つの組織」と「2つの法律」です。
「1つの組織」とは、台湾政府が2013年に設立したインターネット・コンテンツの監視機構「網路內容防護機構」です。英語名はInstitute of Watch Internet Network、略称がiWINです。
次に「2つの法律」ですが、1つ目が「児童及び青少年の福利と権益に関する保障法」で、略称が「児少法」です。
もう1つは「児童及び青少年の性的搾取防止条例」で、略称は「児少条例」です。児少条例の以前の名称は、児童及び青少年の性的取引防止条例でした。この名称となったのは条例が制定された当時の主な目的が、成人が児童や少年を対象に性的な取引を行うことを禁ずることだったからです。後にその条例は改正されますが、その過程で、ある人物が「性的取引」を「性的搾取」という概念に置き換えることと、禁止すべき行為の種類を拡大することを提唱します。このような経緯があり、「児童及び青少年の性的搾取防止条例」という名称になりました。
説明を続けます。1つ目の児少法ですが、制定で重視されたのは児少の福利と権益を保障することであり、児少の心身の健全な発達を最大の目的としたものです。
二つ目の児少条例については、成人による児少の性的搾取の防止が最大の目的です。性的搾取の定義ですが、広義の概念で言えば、成人が児少を利用して性欲を満たす行為です。その全てが、いわゆる性的搾取です。このような考え方の出発点としては、児少が未成年であるため、性的自己決定権の意識がまだ薄く、成熟した判断ができないことが挙げられます。性的搾取とは、金銭との交換はもちろん、その他の様々な方法を通じて、成人が児少から性的な満足を得る行為です。この観点から性的搾取は不平等な取引とも言えます。立場が上の成人が、児少の性を搾取するからですが、やはり問題の核心は児少の性が弄ばれることにあります。
このような観点から、性的搾取の概念とは、性的取引よりも広く、それを内含するものと言えます。
補足しますと、これら2つの法律を主管しているのは台湾政府の衛生福利部(衛福部)です。
先ほど申し上げた児少法が最初に制定されたのは1993年になります。ただし、今回の話との関連で最も重要なポイントは、2011年の改正時に加えられた条項です。これにより台湾政府に権限が与えられ、児少の心身の発達を阻害するコンテンツの規制が可能になりました。目的達成のため、政府が民間団体に委託して、監視機構を設立しました。このような経緯で発足したのがiWINです。
改正後の児少法の規定を見てみましょう。サイトの内容が、児少の心身の発達を阻害すると政府から指摘を受けたとします。その場合、児少からのアクセスを防止する措置をとるか、あるいは指摘を受けた部分を削除する必要があります。この内容は2011年の改正の際に児少法に盛り込まれました。この規定が現在まで適用されています。
このような経緯で、2013年に設立されたiWINをめぐり、2024年の今回の事件が発生したというわけです。
続いて児少条例を説明します。児少条例は1995年にはすでに制定されていた法令です。
iWIN事件との関連が最も深いのは、2015年の改正時に加えられた新たな条項です。具体的には、ネット上に掲示された内容に児少の性的搾取行為が含まれると政府から指摘された場合、運営者はそれを削除せねばならないというものです。
ここで言う児少の性的搾取行為については、当然のことながら、児少条例の中で定義されています。2015年の児少条例の改正において定義が新たに拡大し、児少の性行為やわいせつな行為についての図画の制作も性的搾取行為となりました。図画が定義に加わったのです。
刑事罰も新たに加えられ、2015年に行われた改正により、図画を制作した場合は6か月以上5年以下の懲役刑となりました。この罰則は2017年の改正でさらに重くなり、1年以上7年以下の懲役刑となりました。その時に定められた量刑は現在に至るまで変わっていません。
図画に非実在作品を含むか否かについては、2015年の改正時には明確な定義がなされないままになっていました。当時は、含むべきとの認識は薄かったのですが、2023年になり状況に変化が訪れます。児少条例が再び改正されたのです。
この改正により児少の性的搾取の定義がさらに拡大され、児少の性を題材とした客観的に性的興奮や羞恥を感じさせる図画の制作と頒布が加わります。
2015年当時の改正から、どの点が変わったかと申しますと、2015年の定義では、制作される図画の中に児少の性行為やわいせつな行為を描いた内容が含まれているものが対象でした。しかし2023年の改正で範囲がさらに拡大されました。描かれているのが児少で、性に関係のある表現がなされており、客観的に性欲や羞恥を感じさせるものは児少の性的搾取とみなすという規定に変わりました。性行為やわいせつな行為以外の内容も対象となり、規制範囲が大きく広がります。
規制拡大への動きは、これにとどまりませんでした。2023年の法改正においては、改正理由を説明する中で、規制対象の図画の例としてデッサン画・漫画・絵画も挙げられていたのです。これは、条例に定める図画の範囲を、実在の児少から非実在の児少にまで拡大するのか否かという、大きな争点を孕むものでもありました。事例として漫画が含まれていたからです。
2023年の条例改正に際しては、この点についての論争は起こりませんでしたが、これが原因で翌年にiWIN事件が発生したことは間違いありません。
衛福部が行政規制の解釈の中で、児少条例改正の理由に触れて、規制対象図画にはアニメなどの非実在作品が含まれるとの認識を世に示したのは、立法院が同法の改正案を可決した後の2023年11月でした。
以上がiWIN事件発生までの背景です。
iWIN事件の経過
次にiWIN事件の経過について説明します。
最初に動きがあったのは2023年12月のことです。iWINに通報がありました。台湾最大のネット掲示板「PTT」に掲載された、性的なコンピューター・ゲームを紹介した記事についての通報でした。
記事は合計で3本あり、性的なゲームを紹介する内容で、外見からは幼女であることが明らかなように見える多数の登場キャラクターの画像も含まれていました。通報者が、その内容を見て、記事中に幼女の性行為や、それを暗示するポーズの図画が含まれていると指摘したのです。
登場していたのは非実在のキャラクターでした。
iWINは年明けの2024年1月に動きを見せます。3本の記事について衛福部に報告した上で、PTTに本件への対応を命じました。当時のiWIN側の認識ですが、3本あった記事のうち2本については、掲載された図画が児童ポルノに当たるとしました。もう1本の記事にあった図画については、児童ポルノには当たらないものの、性的な暗示の懸念があるとしました。よってiWINは児童ポルノ図画を含むと認定した2本の記事を掲示板から削除するようPTTに要求しました。性的な暗示の懸念があると指摘された図画が掲載された記事については、PTTへ自主的な措置を指示しただけで、対応を静観するにとどめました。
その結果、iWIN経由で送られた衛福部からの通知を受け取ったPTTは、掲載していた3本の記事の全てを削除しました。
この結果が、PTTの利用者の間で大きな議論を呼びます。iWINに対する不満が一気に高まり、わずか1日で掲示板で炎上して、iWINへの抗議が3日間で1000件を超えました。
偶然にもiWINは、大量の抗議が届いた日から数日後に、2024年度の関係者交流会議を開催する予定でした。
この会議でPTTに関する問題も議論の対象となりました。この会議に参加していた衛福部と児少保護団体のメンバーもiWINに不満を表明しますが、彼らの論点はPTT利用者とは全く反対のものでした。3本の記事のうちの1本に掲載されていた図画について、性的な暗示の懸念はあるものの条例違反ではないとiWINは認定しましたが、彼らはこの点が不満でiWINに再検討を促したのです。PTT利用者たちとは全く逆の立場の反応でした。
結局、双方ともiWINへの不満が残ります。この状況下で関係者の議論が白熱し世論も盛り上がります。
次の動きは2024年の2月1日に起こりました。マスコミ取材を受けた衛福部の官僚が、「3月中に専門家と議論して、今回の図画が児童ポルノに当たるか否かを判断する」と答えたのです。
2月5日には、条例適用の正当性に疑問を持った市民たちが、公共政策関連サイトに反対意見を投稿し、オンライン署名を募りました。この投稿には、わずか1日で5000人を超える市民が賛同し、政府が対応を行う必要がある基準に達しました。
2月13日には、別の市民もオンライン署名を募ります。不明確な法律概念で創作表現の自由を奪ってはならないとの内容で、この投稿も要回答基準に達しました。
2月20日には、創作表現の自由を提唱する民間団体がネットで参加者を募り、議員に陳情しました。
続いて2月23日には、立法委員もこの議論を開始します。児少保護団体のメンバーやACG創作者の代表を招く以外に、反対署名を呼びかけた投稿者にも参加を促し、非公開の討論会を開きました。iWIN事件の発生後に、賛否双方が初めて対面で意見を交わす場となりましたが、コンセンサスは得られません。
同じ日に児少保護団体がネット上で非実在作品への児少条例適用の支持を表明し、同時にQ&A形式の宣伝資料で自らの主張を世に訴え、反対側の疑義に反論します。
これに対して同じく2月23日にACG組合が公開フォーラムの開催を予告します。議題はiWIN事件に関する法的な問題です。
その後3月1日に立法院が招集されましたが、この際の総括質問で、ある立法委員が行政院長と衛福部長に対してこの件に関する質問を行いました。立法委員から行政部門へのこの件に関しての初めての質問で、彼はこの中で児少条例規制を非実在作品にまで拡大することに反対を表明しました。
3月9日には、先ほど述べたACG組合の公開フォーラムが開催されます。私もこのフォーラムに招待され、メンバーとして参加しました。日本の参議院からは赤松健議員と山田太郎議員が特別に招待されていました。この他にも日本漫画家協会の里中満智子理事長と、ちばてつや会長が招かれました。日本から大物4人を招待し、彼らの挨拶を映像化して、創作表現の自由を世に訴えたのです。このフォーラムは開催の前後でマスコミから大きな注目を浴び、盛んに報道されました。
その後3月21日に、衛福部が賛否双方の団体からメンバーを招いて、非公開の会議を行いました。終了後に衛福部から、双方が合意したとの発表がありました。しかしこれに対して業界を代表する立場にあるACG組合は、コンセンサスが得られなかったことを表明しました。非常に重要な会議であったため、開催前後で多数の報道がなされました。これを受け、この問題への議員たちの関心も高まりを見せます。
3月26日から27日にかけて多くの立法委員が衛福部と文化部に対して本件に関する質問を行いました。これ以外にも2月から3月にかけ、多数の弁護士が動きを見せます。YouTube上に動画を投稿したり、新聞社の取材を通じて自身の見解を述べました。彼らの動画は大きな反響を呼び、視聴回数は瞬く間にのべ15万回を超えました。このような反応に直面し、iWINとしても問題の解決を目指して動き出しました。
3月27日と4月2日の2回に分けて、非公開の会議を開催します。非実在児童ポルノへの対応基準の策定が主題でした。初回の会議では創作者と業界団体メンバーが招かれましたが、参加した19団体の代表全員がiWINによる基準の策定に反対しました。
2回目の会議では児少保護団体のメンバーと専門家が招かれました。私も招待を受け、この会議に参加しました。会議では多くの専門家が、規制範囲を非実在作品にまで拡大することに反対しました。
しかしその後、注目すべき事件が起きました。4月に入ってから台湾のある芸能人が大きな話題となります。実在児童ポルノ画像を大量に保有していたため、司法機関から取り調べを受けたと報道されたからです。これをきっかけに、さらに捜査が進み、実在児童ポルノ画像の入手元が判明します。出どころは同種の画像を大量に取り扱うサイトでした。この事件に世論は鋭く反応します。人々は声を上げ、児少保護を強化するよう政府に強く求めました。世論の高まりを受け多数の立法委員からも、児少条例を改めて見直すべきとの声が上がりました。
その後、4月11日になってから、創作者に好意的な立場の立法委員3名が、衛福部とACG業界の代表を招いて非公開で座談会を開きました。目的は規制対象を非実在作品にまで拡大することの是非についてでした。
賛否双方が改めて議論し、妥協点となる共通認識を得ようとしました。双方で議論を尽くした結果、最後には意見が1つにまとまりました。
その内容は児少条例の規制対象となる図画の範囲を、実在児少を対象とするものと、ディープラーニングによって制作されたものの2種類に限定し、それについて衛福部が行政解釈として公表し、定義を明確化するというものでした。
規制の対象となるのは、実在児少が対象の図画か、ディープラーニングによって制作されたものだけです。実在の児少か、人間にそっくりで見分けがつかない図画だけが対象です。実際に条例の規制対象となるのは、この2つのみで、これ以外の非実在作品は規制対象外になりました。
4月11日の会議の重要性は衛福部が業界関係者との議論と調整を通じて一定の譲歩を行った点にあります。これによって児少条例の規制対象として非実在作品の全てが含まれることはなくなりました。
実在の児少を対象とした図画と、AIのディープラーニングを活用してコンピューターで製造された人間そっくりの図画だけが規制の対象となります。マンガを含め、ACGと呼ばれる領域の作品が規制されることはありません。対象外です。
4月11日に、ここまで譲歩した衛福部は、5月14日になってから行政解釈文書を発出しました。4月11日に約束したとおりに動いたのです。結果的にiWIN事件では衛福部が折れることになりました。
立法院では、児少条例改正の過程において、各党の協議を経て36回もの修正が繰り返されたと言われていますが、二読会及び三読会を通過して最終的に可決成立したのは、規制対象を非実在作品に拡大する内容は明確に存在しないものでした。これによりiWIN事件はようやく収束を迎えたのです。
iWIN事件からの教訓 行政規制の強力な効果
以上、台湾で発生したiWIN事件の背景と経緯を説明してきましたが、ここからはiWIN事件が私たちに教えてくれた教訓と、今後、心がけるべき点について話したいと思います。
まず初めに申し上げたいことは、経緯から分かるとおり、政府が創作表現の自由に制限を加えようとした時に、実際に強い力を発揮できるのは、司法機関ではなく行政機関であるということです。行政機関のほうが、より強く直接的に規制を執行できると言えます。
確かに、一般的な我々の認識としては、行政規制を受けてもその影響は比較的小さいと考えがちです。例えば、刑法に違反して罰金を科せられる場合と、行政処分による違反金とでは、金を支払う点では同じであっても、刑事責任を問われることの方が罪として重いと感じます。国家が行政権と司法権を行使する場合では、より強く国民に影響を与えるのは司法権のほうであるとの認識を持っているのです。司法で裁かれる罪に対して、より厳しい目を向ける傾向もあります。
しかし、iWIN事件からも分かるように、児少条例の規定では、行政と司法で規制を実行する手順が異なります。
現在の条例の規定では、例えばある人物がインターネット上に図画を掲載したとしましょう。その中には非実在の児少のキャラクターも含まれるかもしれません。描かれた人物のポーズは性的な行為と関係があるもので、人の性欲を掻き立てる表現になっていたとします。このような場合にも条例が適用されれば、児童ポルノとみなされて刑事犯罪になってしまいます。児童ポルノの図画については制作しただけ、あるいは頒布しただけでも犯罪行為となるからです。そのような犯罪行為に対しては、まず警察で捜査が行われます。その後、容疑が固まった時点で送検され、検察で引き続き捜査が進められます。そして、起訴するかを最終的に検察が判断します。もしも現在、児童ポルノの図画が見つかった際、司法手続きにのっとり対応する場合の流れは、警察と検察の捜査、起訴、裁判となるわけですが、裁判については原告・被告の双方が三審まで争えますので、全体として非常に長い時間がかかります。それに加えて、もし最終的な判決に不服がある場合や、納得がいかない場合は、現行の台湾の制度で憲法裁判所に提訴する機会が残されています。司法手続きでは長い時間がかかります。図画をめぐり規制の対象か否かの結論が出るまで何度も審理が繰り返されます。極めて長い道のりです。
しかし、先ほどは触れませんでしたが、児少条例では、行政機関がネット上で児童ポルノの図画を発見した場合は、当該サイトの運営者にそれを削除するよう指示を出すことができます。効果の即時性が高いのです。普通に考えて、行政機関から対応を指示されたサイト運営者の中に指示に従わず図画を削除しない者などいるでしょうか?
あり得ない話です。サイトの運営者は、一般的には創作者とは別なので、面倒なことは極力避けようとする傾向にあります。そのため運営者に対して、創作表現の自由を守るよう期待しても、政府と争ってはくれないでしょう。創作者にとっては厄介な状況です。自分の作品を掲載してくれるサイトがことごとく政府から削除指示を受けたら困ったことになります。
今の時代の特徴として誰もがインターネットを使います。ネットのサイトは自分の作品を発表する重要なチャンネルですから、そこがことごとく削除指示を受けてしまっては、作者にとっては創作表現の自由を奪われたのも同然です。司法による措置に比べ、行政からの措置は、指示を受けた者がすぐに反応するため、表現の自由もすぐに奪われます。これが児少条例のもう1つの側面であり、私たちが深く考えるべき問題をはらんでいると言えます。
iWIN事件は収束しました。現在も、児少条例の条文は、非実在作品にまで規制の対象を広げろとは明記してはいません。司法機関においても、児少条例でいうところの図画が、非実在作品を含むか否かについては、どのレベルの裁判所でも、それを解釈した判例はそう多くはありません。非実在作品を含むとする判断は数えるほどしかないのです。検察には、捜査したものの不起訴とした同種の事案の記録が残っているかもしれませんが、それらが法廷の場に出ることはありません。裁判所には、わずかな判例しかないわけですが、それで本当に多数の裁判官の意見として、非実在作品を対象に含むべきとの最終的な判断で出ている状況と言えるでしょうか。そこには大きな疑問が残ります。
このような状況において、行政機関が公権力を行使して指示を出せばどうなるでしょう。司法機関よりも早く規制を実行することができます。創作者が自作を発表する機会を奪い取ることができるのです。このような結果を招く恐れがある現在の状況は、憲法や創作表現の自由の観点から見て妥当なのでしょうか。今は私にも答えが出ません。今後、私たちが深く議論を進めるべき問題でしょう。
これまでは この種の問題について、法的観点から本格的に議論を深めるような機会は、ほとんどありませんでした。その良いきっかけになればと思い、この撮影に参加させていただいた次第です。今後も議論しましょう。
iWIN事件からの教訓 私たちにできること 「世論戦」と「法律戦」
続いては、私たちができることを考えていきます。
政府が児少条例に定める規制の対象範囲を再び拡大する方向へと動き出したと仮定しましょう。その状況下で私たちには一体何ができるでしょうか。反対の立場で取るべき対応策には、どのようなものがあるでしょうか。
iWIN事件において発生した具体的な動きから見て、私たちにできることは主に世論戦と法律戦の2つと考えています。
世論戦で大事なのは、世論を導き、政府に対して規制強化の正当性と合理性を質すことです。そのために今の時代であれば3つの有効な手段が考えられます。
1つ目は一般のネットユーザーへの働きかけで、これはとても重要なことです。ネット情報は拡散が早いので、もし適切な形で働きかけができれば、かなり短い期間で多数の人々を動員して、一大勢力を形成することができます。
2つ目に手段は、マスコミの注目を集めて、うまく活用することです。規制に反対する全国規模の世論のうねりを作りだして、政府レベルにまで問題を提起するためには、マスコミを活用する手段が必要になってきます。
これらの2つの手段を成功させた後で、最後の3つ目に必要となるのが、議員たちの支持を得ることです。私たちが行政機関と接触して対話を重ねていく上で、議員たちは私たちを助けてくれる存在となります。
この世論戦以外に、私たち弁護士が法律家としての立場でその能力を十分に発揮できるのが、法律戦です。ここで言う法律戦の闘い方は、法律の規定を基づいて、政府による規制強化を阻止するための手段を探し出すことです。政府は規制拡大の方向に向かおうとする際に、何らかの口実を使ってきます。例を挙げるなら「児少保護」といったような美しいスローガンです。そうであっても、我々は議論の主導権を奪い返さねばなりません。主たる争点を、法律の正当性の問題へと回帰させるのです。
今回のiWIN事件において衛福部は2023年の条例改正に関する確固たる理由を準備していました。その説明の中で展開されていた主張はかなり急進的なもので、最終の結論としてデッサン画・漫画・絵画についても児少条例に定める、規制対象の図画の中に入ると定義付けをしました。これを後押ししたのが、児少保護団体から出された要請でした。彼らが政府に望んだのは自身の理念に基づくもので、可能な限り児少を守る手段を増やすことです。過剰なまでの要求ですが、それが彼らの理念の出発点です。
衛福部の考え方も児少保護団体と同じ側に立つものでした。児少保護団体の主張は、あくまでも規制拡大という方針を貫こうとする衛福部とiWINにとって強い追い風となりまし た。ここで弁護士の真価が問われます。戦場を法律の正当性の議論に戻さねばなりません。
民主主義の法治国家において、政府が規制を拡大し、国民の自由を制限しようとする場合は、それが合憲であるか否かと比例原則が問われます。したがって、そのような状況で反対の立場をとり、規制を拡大しようとする政府方針を食い止めるために、できることが3つあります。
1つ目は規制拡大の正当性を崩すことで、合憲性と比例原則に関する論戦となります。規制拡大を正当化するロジックに1つずつ反論せねばなりません。
弁護士にできることの2つ目は、規制拡大の不合理性の明確化です。具体的には規制拡大がもたらす不合理な結果を強調して、行政部門に気付きを与え、目を覚ましてもらうのです。
自身の主張を貫き不合理な結果を招いてしまってもいいのか、本当にそのような措置をとってもいいのか、そのまま運用を続ければ、さらに多くの問題や争いが起きるのではないか、このような指摘を通じて、行政機関の意思決定者に再考を促します。問題がさらに拡大することに気付いてもらうのです。
3つ目は膠着状態に陥ってしまった場合に、互いにとって落としどころとなる妥協案を考えた、双方に提示することです。立場的に行政機関がどこまで譲歩できるのか、そのラインを正確に判断した上で、自分の側で譲れない点は残しつつ、互いの妥協点を探るのです。
まとめますと、規制拡大の正当性を崩し、不合理性を明確化して、妥協点を見いだす、この3点になります。
iWIN事件に関与する中で、実際に体験した様々な事象を通じて、この3点の重要性を次第に理解した私は、討論の場でこれを実践しました。4月2日にiWINが開催した非公開会議の席上でした。その会議には衛福部が招いた児少保護団体の代表と専門家たちが参加していました。当然のことながら本件に関心を寄せていた立法委員たちもこの会議に参加しており、本人が来られない場合は秘書を出席させていました。
当然のことながら児少保護団体からの参加者は規制に賛成する人が大多数でした。法律に関する専門家でこの会議に招待されていたのは、公法が専門の複数の法学部教授と数名の弁護士です。その中には私も含まれていました。
この会議を開催したiWINが参加者による討議の重点をどこに置こうとしていたのかは明白でした。性的搾取図画の認定基準です。どのような図画が非実在児童ポルノに該当するのか、その判断基準を議論したかったのです。この目的を果たすために彼らはネット上で参考素材を集めていました。会議の参加者に見せるためのポルノ図画を。あらかじめ準備していたのです。その中には、どう見ても小学生としか思えない子どもが性行為をしている姿を描いたマンガも含まれていました。iWINは図画を元に参加者に議論させて、認定の根拠となる基準と参考例を作りたかったのです。どのような要素を含む図画が非実在児童ポルノに当たるのか、また逆の判断をする場合には対象となる図画にどういう条件が必要となるのか、iWINの目的はこの議論でした。
その日に行われた会議は、司会者からの挨拶が終了した後で、出席者がそれぞれ意見を述べる流れでした。しかし私は最初から議論の主導権を握るつもりでいました。問題の本質を考えさせるような方向に出席者たちを導こうとしました。非実在作品への児少条例の適用の有無や、条例にある児童ポルノは非実在作品を含むのかという議論です。
当日ですが、会議の出席者の中には法学部の教授が4人いらっしゃいました。その中の1人は私の大学院時代の指導教授だった恩師でした。偉大な先輩方を前にした状況でしたが。それでも私は臆することなく大胆に発言しました。
この会議でまず明確にすべきことは、児少条例が非実在作品を規制対象とすることの妥当性だと指摘しました。先に申し上げたとおり法律戦の戦場では発言の主導権を握り、法律の正当性という根源的な問題の議論に導く必要があります。
これ以外に、私は発言の中でもう1つの問題を強調しました。私がその場で指摘したのは、児少条例では児童ポルノ図画を制作した場合に1年以上7年以下の懲役刑となることです。描くだけで罪になるのです。頒布の有無や他人に見せたか否かは関係ありません。制作しただけで懲役刑です。もし規制対象に非実在作品が含まれるとするなら、例えばある人が自宅でペンを執り紙の上にマンガやイラストを描いた時の内容に非実在の児少の性行為が含まれているだけで罪になります。他人に見せなくても犯罪で、かつ1年以上7年以下の懲役刑です。台湾の法制度では、1年以上の懲役を科せられた場合は、刑務所への収容から逃れることはできません。罰金を払えばそれで済むような罪ではないのです。この点が問題です。作画だけで懲役刑です。もし衛福部の見解どおりに児少条例の規定の解釈を行えば、まるで思想犯を取り締まるような結果となります。重大な事態を招くことを会議に出席していたメンバー全員に気付いてほしかったのです。単に絵を描いただけです。他人に見せておらず頒布もしていなくても、それでも懲役刑です。
規制に賛成の立場を取る人たちの中でも、特に児少保護団体が頻繁に挙げる理由は、主に2つあります。1つ目は描かれているものが例え非実在の児少であっても、それが要因となって一部の人々が児少の性的搾取犯罪を行う可能性があるとの主張です。これに対して、条例の正当性への疑念以外に、先ほど例に挙げた不合理性を述べて反論しました。規制拡大の正当性に疑問を呈し、不合理性を強調したのです。
当日の会議に出席していたメンバーの中には検察官もおり、私の主張に反応を示しました。彼はその場で発言し、規制の拡大により絵を1枚描いただけでそのような結果をもたらすとは想像できなかったと述べました。彼はその場では賛否を明確にしませんでしたが、見る限りにおいては、私の反論を聞いて彼の心中に疑念が生じたのは間違いありません。法律の実務に携わる者として、彼は私の見解を否定しなかったのです。
当日の会議では規制拡大がもたらすもう1つの不合理な現象についても説明を行いました。当然ながら児少の性的搾取を防ぐことは法令制定の重要な目的です。反論の余地はありません。しかし法律が守るべきものという観点から考えれば、何よりも命の価値が尊重されるべきです。これは誰もが思っていることで、人命は性の自由に勝ると考えていますが、実際には奇妙な現象が起きています。規制に賛成の立場を取る人たちは、非実在児童の性的搾取を描いたポルノ図画にも不安を感じます。それらの図画を見た人がその行為を模倣したり、描かれた内容に刺激を受けたいわゆる小児性愛者が実際に性的搾取行為を行ってしまうことを恐れるのです。さらに極端な意見もあり、このような創作物の存在が、児少を性的な目で見て性的対象としてもよいという雰囲気を社会に生み出してしまうと主張する人さえいます。こういった見解も、彼らが規制に賛成する理由の1つです。
私は会議でも指摘したのですが、法律が守るべきものとして人命や身体的自由などを比較した場合は、当然のことながら人命が最上位です。今の台湾でも殺人は最も重い犯罪で、死刑を科すことができます。児少の性的搾取も非難されるべき犯罪ですが、死刑になることはありません。殺人は重罪です。しかし非実在作品における殺人描写の禁止を主張する人はいません。一切駄目だという意見はこれまで出ていません。アニメの世界に限らず社会には殺人を描いたフィクション作品が多数存在しており、映画やテレビドラマでは実際に俳優が演じています。そういう状況です。皆さんもご存じのとおり、もっとひどいものになると、拷問などの残虐な手段で人を殺すことに快感を覚える人物が登場します。この現状を、私が強調したい規制の不合理性の観点から説明しますと。法律が守るべきものとしての順位が低い権益、ここで言う権益とは法律で保護されるべき法益のことですが、法益の順位が低いものに対して管理を厳しくする一方で、順位が高いものに対しては特に規制しない、このような結果となることが果たして合理的でしょうか?
この点は、公権力を持つ行政機関として、彼らが熟慮すべき問題です。
規制拡大による弊害の可能性も考えねばなりません。
彼らが考えるべき問題として、もう1点指摘したいのは、マンガが創作される際の形式です。マンガを描く際は描線のみを使って表現します。人間の顔や体を線だけで描きます。そのため児少と成人の判別が実際にはかなり難しくなります。現実でも見分けがつきにくいことがあります。18歳未満が児少で18歳以上の人が成人なのですが、17歳10か月と18歳3か月で外見に大きな違いはあるでしょうか。おそらく区別はつかないでしょう。非実在作品は簡単な線で描いただけです。作中の人物が成人なのか児少なのか、どうやって判断するのでしょう。この点をiWINに質問したら、判断できると答えるでしょう。彼らは判断材料として作品のストーリーや登場人物の服装などを挙げると思います。あるいは、作中での行為や会話の内容かもしれませんが、それで本当に可能でしょうか。実際の運営では問題が生じるでしょう。
とある会議でこの問題を議論した時に、ある児少保護団体は、目の大小を挙げました。彼らは、描かれた目の大きさから判断すると言うのです。顔の全体に占める登場人物の目の大きさによって「幼態」か否かを判断すると。「幼態」とは台湾で子どもを意味する言葉です。
らはそう答えましたが、マンガでは目が大きい登場人物が子どもとは限りません。
こうした規制の基準は、結果的に創作表現の自由を奪うことになります。創作者たちは、自分の絵が児少であると誤解されないように、人物の目を小さく描くしかありません。創作者にとっては大問題です。表現の自由が他人に制限されてしまいます。登場人物を自由に描くことができなくなってしまうのです。これは創作表現の自由の重大な侵害です。私が、行政機関、衛福部、iWINなどに対して強調したかったのも、この点です。
最後に3点目の妥協案の提示です。私が最初の発言者でしたが、長くは話せないと分かっていました。私はただの弁護士ですから、長い時間が与えられることはありません。そこで私は急いで話して、最後に出席者たちへ向けて、1つの論点を提示しました。2023年の児少条例改正の理由説明の中でデッサン画・漫画・そして絵画が規制対象の図画とされましたが、この規制拡大には正当性や合理性を欠いていました。私は規制対象と解釈すべき図画について、実在人物を描いたものだけにするよう提案したのです。児少条例が規制する行為は実在の児少に対する性的搾取のはずだからです。性的搾取が表現されたマンガやデッサン画などについては、対象が実在児少である場合のみ、禁止された性的搾取が行われていると認定して、1年以上7年以下の懲役という重罰を科すべきと主張しました。これは私一人の功績とは言えません。他の多くの専門家も同様の見解を述べていました。
その後5月14日に衛福部が発出した公式文書の中に、私の提案が採用されていました。微力ではありましたが、iWIN事件への一連の関与を通じて、創作表現の自由の保護に貢献できて本当によかったです。
最後に 創作者のためのプラットフォームの必要性
最後になりますが、私の思いを述べさせていただきます。iWIN事件は収束しましたが問題は依然として残っており、多くの課題が待ち受けています。
児少法規定では、あるサイトが児少の心身に有害なコンテンツを含む場合、政府がその削除を指示できます。この現状では、創作者は活動を行っていく中で、表現の自由を享受できますが、同時に児少保護措置の影響も受けます。作品を発表できる全てのチャンネルにおいて、創作表現の自由が100%守られるとは限りません。政府による児少保護という公共利益の追求と表現の自由の保護とのせめぎ合いですので、双方で落としどころを探すしかないのです。いわゆる妥協点です。
私見になりますが、創作者が安心して作品を発表できるプラットフォームを設立する必要があると思います。当然ながら児少法に定められた規定を自律的に順守できる場所です。あるいは児少がアクセスできない環境です。このような状況であれば創作者が安心して発表できますし、運営者の不安も解消されます。面倒な行政指導が減り、規制の圧力を感じることもないでしょう。安心できるプラットフォームの設立は、ACG業界全体と創作表現の自由を守りたい人々が一緒になって"検討すべき問題でしょう。プラットフォームの設立には課題もあります。運営管理者の立場で考えた時に閲覧者の年齢などをどうやって有効に見分けるかが大きな壁となります。法律が禁じているものを児少に見せないよう、どの閲覧者が制限の対象か判別しなければなりません。私が知る限りではこの問題に関しては台湾以外にすでに欧米各国でも熱心な議論が行われているようです。当然ながら実現にはいくつもの課題があります。閲覧のためにはアカウントが必要で、閲覧者はその番号を登録します。しかしその際にプラットフォームの管理者から登録者の生年月日などの情報を要求できるとは限りません。なぜならプラットフォームの閲覧を希望する申請者に対して生年月日など個人情報の提供を必須条件とするのは、国民のネットを利用する権利への過度な干渉となるからです。
課題は山積みですが、ネットユーザーたちが語っているように、児少法の条文に定められている規制対象への様々な措置には従わざるを得ません。創作者が安心して作品を発表できる環境を作り、かつ創作表現の自由と児少に対する保護措置を両立させるために、我たち法曹界の人間を含めてACGの表現の自由に関心を持つ者たちが今後も努力する必要があります。
私の話は以上です。ご視聴ありがとうございました。知識や経験がまだまだ足りず、不十分な点もあったかと存じます。どうぞご容赦ください。また皆さんと意見交換できる機会を楽しみにしております。さようなら。