子どもが読書する条件、しない条件

子どもの読書について、少し言語化を試みたい。
子どもが読書するようになるには?という問いには、「親が本を読む姿を見せる」という回答が非常に多い。親が本を読むなら家には本があるだろうし、親が読んでる姿を見て子どもも自然に本を読むようになるだろう、と。でも私はこの答えが気に入らない。

なぜなら、私の両親は本を読む人だったが、何を隠そう、私が本を読まない子どもだったから。母はやたら本を読むよう勧めてきたが、私はそのたび逃げていた。押しつけがましく感じて。だから、「親が本を読めば子どもも本を読む」という話は、必ずしもそうではない。少なからずの子どもが本を読まない。

私の塾でも、親は読書家なのに子どもは本を読まない、というケースは結構あった。子育てで相談を受けるのも、「私は本が好きなのに、子どもが全然読まなくて」という悩みは少なくなかった。「親が本を読んでる姿を見せれば子どもは読書する」というのは、半分ウソだと考えている。

興味深いことに、親が読書家だけど子どもは本を読まない、という家庭は2つの条件が共通してる。
①読書家は人間として優れ、本を読まない人間は愚か、という価値観を持っている。
②本読むよう子どもに(やたら)勧める。
この2つの条件が揃うと、小さくない確率で子どもは読書嫌いになるらしい。

①は、「本を読まない僕は無価値だと言うの?」という反発を生み、本当に親が自分を見捨てるのかどうか、「お試し行動」を取りたくなるものらしい。本を読まない僕でも愛してくれるだろうか?と。子どもは親には問答無用に自分を受容してほしいのに、読書しなければ見下す、と親が示す態度に、

子どもは反発し、本当に自分を見下し、見捨てるのかを試そうとする心理が働くらしい。そういう意味で、読書しない人間をバカにする価値観を持っている場合、子どもが読書嫌いになる確率を自ら上げていることになると思う。

②の、本を勧めるというのも、子どもはうっとうしがる。親がわざわざ勧めるものはたいがいろくでもないつまらないものだ、と感じる仕組みが子どもにはあるらしい。特に気性のしっかりした子は、親が勧めてくることには反発心が湧きやすい。自分で始めたことでないと満足できないからだ。

親が勧めてくるということは、親がその内容を知っているということ。自分がそれを読んだとしても「どう?面白かったでしょ?」と言って来るに違いないと未来が読める。親は自分の手柄のような顔をするだろう、苦労して本を読んだのは自分なのに、という反発が起きる。だから読みたくなくなるのだろう。

まあ実際、私も①と②を母から感じ、反発して本を全く読もうとしなかった。そして、塾に来ていた子どもや、子育て相談に来た親御さんたちを見ると、私の知る限り、驚くほど例外なく、①と②の条件を兼ね備えていた。①、②が揃うと、読書家の親でも子どもは本を読まなくなる確率が高くなるらしい。

他方、親は全く本を読まないのに読書家になる家庭もあった。こうした事例は、私にはとても重要に思えた。よく「親が本を読まないくせに子どもに読書しろとは厚かましい」という批判を聞くけど、必ずしもその批判が正しくないことを、これらの事例が示すからだ。

ところで、親が本を読まなくて子どもも本を読まない、という事例には、2つのパターンがあるようだ。
一つは、読書家の親と同様、①、②の条件を備えたために子どもから反発され、本を読まないパターン。
もう一つは、そもそも本を読むという発想がないパターン。

前者は、読書家の親とそっくり。

つまり、親が読書家であろうがなかろうが、①、②の2つの条件を備えると、子どもは読書嫌いになる確率がとても上がってしまうらしい。
さて、親が読書家ではないのに子どもが読書家になるのは、どんな環境条件があるのだろう?私が複数の事例を観察するに、次のような条件を備えているらしい。

1)読書するかどうかで人間の価値が決まるとは考えてはいない。
2)読書かどうかは別として、学ぶ姿勢は大切だと考えている。
3)子どもが知識を得たり本を読んだりするとそれに驚き、喜ぶ。

すると、子どもはとても楽しそうに読書する子に育つ確率が上がるらしい。

これは恐らく、子どもが本を読んだりしてる様子を見て「お前、もうこんな本を読めるのか!すごいなあ」と驚き、感心するから、子どもはもっと親を驚かしたくなって、本を読み、知識を披露しようとするのだろう。それに目を細めて、「ほう!ほう!」と驚きと喜びの声を親が上げてくれると、

親をもっと驚かしたくて、親をもっと喜ばせたくなって、本をますます読みたくなるらしい。
実は、親が読書家で子どもも読書好き、というケースでも、1),2),3)の3つの条件を備えていることが多い。どうやら、子どもが読書するのは、親が読書するかどうかというより、この3つの条件が重要らしい。

親が読書家で子どもが読書嫌いのご家庭では、「いや私たちだって子どもが本を読んでくれれば驚くし、喜んで見せますよ」と反発を受けることがある。しかしどうも私の観るところ、その親御さんは、もし子どもが読書しても「私が勧めたおかげ」「私が読書家だから」と、手柄顔しそうな特徴を備えていた。

子どもは親の手柄顔を予想して、それに嫌気がさして反発するのだろう。子どもは親に自慢げな顔をしてほしいのではない。子どもは親に、自分の成長に驚いてほしいのだと思う。なのに親が自慢するための道具扱いされてる気がして、それに反発したくなるのかもしれない。

本を子どもに読んでほしいなら、まずは1), 2). 3)の3つの条件を備えることが大切だと思う。そして①、②の条件を備えないよう、自分の心構えをデザインし直すことが大切だと思う。これらが、私の観察から生まれてきた仮説。

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