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祈りだけがある

母が亡くなった。突然のことだった。いつも通りの朝食を食べているところに実家で暮らす兄から一報が届いた。風呂の中で発見されたという。

一瞬、何のことかわからなかった。すぐに向かうと告げると、コップを置いて、立ち上がって、しばらく意味もなく部屋をうろうろと歩いた。キッチンのあたりで腰が砕けたようにふらついて、ああ、こういう時には足にくるんだ、と思ったりした。洗濯機に手を置いて「そうか」とつぶやく。

ちょっと前に母の誕生日を祝うべく食事をしたばかりだった。母と妻と3人で行った新橋の焼肉屋は存外に美味い店で「また来よう」と話しながら店を出た。誕生日プレゼントは白いジャージの上下。悪くしていた足が治ってきて杖なしでも歩けるようになったからウォーキングをしたいと言われて買ったものだった。浅草橋で鞄を買った。帰りの車内でルンバが動かないから様子を見てくれと言われて、帰り際に部屋に上がって見てみたらただ単にコンセントがささってないだけだった。あとは真ん中のボタンを押すだけだから。そう言って別れた。次は新年のご挨拶に来ますから。よいお年を。

車を飛ばして実家に到着するとすでに数人の警察官が来ていた。検視のために遺体は警察に運ばれるという。昨晩は寒かった。入浴中の事故だったのだろうと思う。自宅で死亡が確認された場合には、その死因は監察医が明らかにする。警官たちが数人がかりで黒い袋を運びストレッチャーの上に乗せた。家族が集まり袋を少し開くと顔が見えた。手を合わせる。現実感がない。運ばれていくストレッチャーを見送りながら、空が青いなと思う。

鍋には母が昨晩に作ったカレーが残っていた。兄の家族と妻とそれを小さな器に取り分けて食べた。普通に美味しい、と思う。二日目のカレーの味だった。一人になりしばらく嗚咽する。

これからどうするかを話し合う。兄は住職であるので葬儀やこれからのことについては基本的には任せることになる。母はエンディングノートを残していたので、それを開き、しかるべきところに連絡をする。

警察から遺体が戻ってくるのは明日以降になるという。とりあえず今日のところはもう自分にできることは何もないねということになり、自宅に帰ってきたのが夕方のことだった。着替えて渋谷に向かう。17時半にトークイベントの会場に到着。ぎりぎり間に合った。

「宇野維正×柴那典 ポップカルチャー事件簿 『2024年徹底総括&2025年大展望』編」。

大丈夫だったかな。うまく喋れたかな。

そういうわけで不思議なテンションで壇上に上がった。星野源のことについて。松本人志や中居正広のことについて。音楽、映画、お笑い、ポップカルチャーの世界に起こっている構造的な変化について。メディアとアルゴリズムによって駆動される人々の行動原理がいよいよ政治の世界でも大きな力を振るうようになった2024年のことについて。

宇野さんといろいろ喋って、お酒も入って、最後の方になって、ふとスイッチが入った。それは告知にあった《2024年に起こったことが一体何だったのかを解き明かし、さらに2025年とこれからの世界を共に生き抜くための「答え」を用意していきます》という文章についてのこと。

それまでの話とは全然違う文脈だし、突然こんな話を始めたら観てくれている人にとっては何のことを言ってるのかわからないかもしれないけれど、なんだか言わなきゃいけないことがある気がした。

なのでこんなことを言いました。

「僕は『答え』を持った人だけが『生き抜く』とか『生き残る』とかは全く思っていない。全ての人間がそれぞれ、愚かに、滑稽に、ときに美しく、生きていく」

「これからの世界をどうやって豊かに、美しく生きていくか。そのために必要なのは、ご機嫌であることと祈ることだと思います。祈るということは、個である、ということ」

「バズるとかバズらないとか、そういうことばっかり考えてきたけれど、自分にとって大事な人に向き合うときには、そんなことはどうでもよくて。祈りだけがある」

「僕が最終的によってたつのは神秘です」

その後に喋ったことは、もう、しどろもどろだったけれど、なんだか言葉が降ってくるような感覚があったことは覚えている。

全て終わって、帰宅して、ぐったりと疲れてソファに腰掛けた。

なんだか大変な一日だった。でも、こういう日に自分からふっと出てきた言葉は、この先もずっと自分にとって一つの羅針盤になる気がする。だからここにも書きとめておこうと思う。

祈りだけがある。

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