こちら、1943(昭和18)年4月、増資のため川崎重工業が新株式を発行するので購入をと呼びかけるパンフレットです。折り目からみて、優良顧客に証券会社が送付したものであろうとみられます。空には攻撃機、そして建造中の船とクレーンに下げられた大きなスクリュー。戦時下において力を発揮していると示す絵としては満点ですね。

こちら、現代の郵便書簡(ミニレター)と似ている「封緘はがき」です。基本的には書いた後に折りたたんで糊付けして出すのはミニレターと同様ですが、封緘はがきは通常のはがき扱いで料金も同じだったため、手軽に使われたようです(現代のミニレターは郵便扱いで、薄い物を封入できる点はプラスです)。発行は1930(昭和5)年からで、敗戦後の1947年ごろまで使われたようです。

こちら、マガジンハウスから2014年9月に発行された絵本と本の中韓のような本「新・戦争のつくりかた」です。絵本の棚に埋もれていたのを最近発掘しました。「『平和』の反対語は『戦争』じゃなくて『ペテン』だと分かります」と帯にある言葉は、戦争を放棄したことを憲法に掲げる日本だからこそ、特に説得性のある言葉となってきます。

人が生活していく上で、通貨がないと全く不便であることは言うまでもありません。通貨が一定の信頼の下で通用することにより、人々は労働や生産物を通貨の形で蓄積や利用ができるようになったのですから。
そこで、手元にある通貨で、ほんのさわりだけを紹介させていただきます。とはいえ、基本を知れば現在なぜ金が高騰しているのか、日銀にお札を刷らせて各世帯にばらまくといった施策がなぜおろかしいかなど、少しは役に立つと思います。
国策紙芝居には、だいたいその紙芝居が上演される場をイメージしてつくったものがけっこうあります。戦時下の翼賛選挙ものは選挙関連の集まりで、隣組で協力する防空対策などはもちろん隣組、そして勤労報国ものでは、工場での安全教育を考慮したものなどがあります。今回紹介させていただく「山の少年たち」は、明らかに学校や地域の子どもたちの集まりなどで上演して、子どもに勤労奉仕を促したであろう国策紙芝居です。

2026年は年明けから大変です。1月3日には米国のトランプ大統領の指示でベネズエラのマドゥロ大統領が拉致され米國で裁判にかけられるとか、世界最強の軍事力を誇る国が国際法も何も考慮せず、です。ただ、利益のために。ベネズエラでは、民間人を含み80人ほどの犠牲者も出ています。(表題写真は2026年1月7日付信濃毎日新聞)
現在日本国内で流通している紙幣は、すべて日本銀行券です。日本銀行が中央政府から独立し、日本銀行の責任で紙幣を負債として市場に出し、流通させて調整し、経済を動かしているのはご存じの通り。ここに政治的な思惑が入って長期的な円安政策を漫然と続けた結果、スタグフレーションに陥ったのがここ10数年の経済であることは、骨身にしみて感じておられると思います。
一方、日本銀行のような中央銀行とは離れて、政府が独自に発行する紙幣を「政府紙幣」と呼びます。政府紙幣は、政府に対する信頼があればハイパーインフレを起こしませんので、基本的には中央銀行へ政府が預金をして、その範囲内で発行することで、信用を持たせます。
今回、愛国婦人会群馬県支部がお祝いのため作った「戦捷桃太郎」を入手しました。高さ19㌢ほどのしっかりした木箱が丁寧な仕事を伝えます。年代を探る手がかりはありませんが、満州事変当時か、日中戦争の初期のころか、いずれにしても、出征兵士の家などにねぎらいで贈ったものでしょう。

日中戦争が始まると、それまでの貨幣が銀や銅など、さまざまな軍需用の素材を含んでいたことから、たびたびその素材が改められています。そしてそうした変更も追い付かなくなる中、政府は5銭や10銭といった硬貨の代わりとなる紙幣を発行します。日本銀行法に基づいて大蔵大臣の指定と告示によって発行が可能なため、日本銀行券として発行されます。5銭札、10銭札というより、日本通貨変遷図鑑(財団法人大倉財務協会編)では5銭券、10銭券と呼称しています。
戦時下とあって、戦意昂揚にも資するため、表は10銭券が八紘一宇の塔、5銭券が楠木正成というデザインでした。
こちら、1944(昭和19)年12月25日印刷納本、1945年1月1日発行の国民図書刊行会による絵本「日本ノコドモ ヒノマル」です。第9巻第1号とあり、月刊であるので、1937(昭和12)年から発行が続いている絵本のようです。B5判で表裏表紙ともで16㌻、絵本によくある厚手の紙ではなく、普通の紙に印刷されていますが、全ページ多色刷りは頑張っていると思います。

表題は、2026年1月3日午後6時36分の共同通信社のXからの速報です。
ベネズエラの首都カラカスで現地時間の3日未明、7回の爆発音があり、米軍が直接攻撃をしかけて、大統領夫妻を拘束したとのことです。
2025年11月15日、時事通信社(時事ドットコム)は、米国のワシントンポスト電子版が、ベネズエラに対する攻撃を検討していると報じていました。
こちら、印刷した紙をボール紙に貼ってある、B4判ほどの未裁断の「軍人合わせ」です。17枚5段で計85枚のカードが印刷されていて、購入者がきれいに切って使えというもので、こうした玩具はカルタなどにもあります。その分、単価はお安くできたでしょう。

2026年1月1日です。日本は、幸い、戦争のない状態で新年を迎えられました。せめて日本だけでもこの状態を保てたことは大変喜ばしいこと。有難さをかみしめながら、新年のご挨拶に代えて、この記事を書かせていただきたいと思います。
まずは、メンバーシップの会員となって積極的に活動を支えていただいている皆さま、チップや記事の購入で同様に御支援いただいている皆さま、そしてnoteをフォローして関心を寄せていただいている皆さま、Xをフォローして拡散に御協力いただいている皆さま、また、検索で当方のnoteやXにたどり着かれ、関心を持っていただいた皆さま。現在の日本を憂い、或いは歴史修正に疑問を持ち、また、知識を得たいと中の人が書いたもの、写したものを見てくださる、すべての皆さまに、絶大な感謝を述べさせていただきます。本当にありがとうございました。皆さまにとって、この年がよき年でありますよう、祈念申し上げます。
ウクライナへのロシア侵攻は終わらず、トランプ大統領はベネズエラに戦争を仕掛けそうだし、イスラエルのネタニヤフ首相は相変わらずパレスチナ抑圧をやめない。年の瀬に中国は台湾を包囲するように軍事演習と、世界情勢は「戦争がない時代」のすばらしさを忘れたかのような、2025年。
そして我が日本においては、閣議決定した2026年度当初予算案が国債発行に頼る(歳入の4分の1)積極予算とかで、防衛費を初の9兆円台に載せました(表題写真は2025年12月27日付信濃毎日新聞)。この金額は、歳出において、利払いと償還の国債費(21・6%)を除くと、社会保障費31・9%に次ぐ規模(7・3%)で、公共事業費5・0%、文教・科学振興費4・9%をしのぎます。各地で年の瀬の炊き出しや食料配布に行列ができるという、厳しい格差社会において、利益を生まない軍事費にこれだけの予算がつぎ込まれているのです。
そして、軍事予算というのは、ひとたび膨張させると、維持費が伴うため、極めて削減しにくいものなのです。
さらに大晦日のニュースで、スパイ防止法制定への動きが顕在化してきました。何がスパイかは、大変恣意的なものです。今はネットが世界につながっていますので、ネット発信だけで十分、嫌疑をかけることが可能です。そして、この間、冤罪事件で検察が不起訴になるという事例が相次ぎました。これは、戦前の横浜事件などの特高警察によるでっち上げ捜査の復活を可能にする道を開くものと思われます。
適当にスパイとして拘留するだけで、その人の人生に狂いを生むことも可能なのです。そして冤罪で起訴した検察を相手取っても、警察も検察も非をとがめられない時代になってきたことを自覚しなければなりません。
新聞号外の研究家兼コレクターとして知られる小林宗之氏が、ご自身の現段階での研究成果をまとめられた本「アジア・太平洋戦争期の新聞号外ー戦後80年、ここまでわかった『号外空白時代』ー」を出版されました。今回、一部資料写真を提供させていただき、内容も素晴らしいので紹介したいと相談したところ、ご快諾いただきましたので、その内容や一部の図版を紹介させていただきます。

ネットで紹介されていて、中の人も全く詳しくない分野ですので、これは読まねばと先日、近所の書店で見つけて購入した「太平洋戦争と銀行」。とにかく一通り読んだだけで、まだまだ自分のものとできていませんが、早くご紹介できればと思い、取り上げる次第です。

最初の感想は、よく調べたな、というものです。情報提供の整っていない時代だし、マスメディアたる新聞も、ようやく少しづつ広がりを見せていたころ。特に長野県にはまだ、拠点となる連隊の兵営などもなく、どうやって調べ歩いたかは、興味あるところです。

国策紙芝居もさまざまな種類がありますが、こちらは警視庁刑事部防犯課が指導し大日本画劇株式会社が1943(昭和18)年11月20日発行したもの。作・小林夜詩男、画・金子士郎。まずは銭湯の全景に、「出征兵士を送る歌」を歌う男の声が重なります。

戦争が終わると、大量に作った軍需品のうち、民生用に回せるものは次々と生まれ変わりました。以前、防毒マスクの吸収缶を水筒に改造する途中の品や、鉄兜を使った鍋などを紹介させていただいていますが、今回は兵用軍衣改造・女性用ジャケットです。

嘆かわしいことであります。官邸筋の核保有発言から一週間。発言者は更迭されていません。まあ、高市総理が非核三原則の厳守について明確に答弁していませんから、その意を呈しての発言であるのは明らかで、総理としては更迭できないでしょう。
ところでちょうど2年ほど前、2023年11月29日に、中の人は下のように投稿しました。核兵器禁止条約の第2回締約国会議(核兵器保有5大国、日本政府も参加を見送り)が開かれ、議長のメキシコのデラフェンテ前国連大使がガザへのイスラエル侵攻やウクライナへのロシア侵攻などを背景に「核使用のリスクはかつてないほど顕著だ」と危機感を表明したのに合わせた記事です。
核爆弾が投下された場所で何が起きていたか。まさに自身も広島市の自宅で爆風によるガラス片で負傷しながらも、中国新聞のカメラマン記者で、中国軍管区司令部付報道班員だった松重美人さん(1945年当時32歳)が、原子爆弾投下当日の写真を撮影しました。20数枚は撮影できたはずですが、当日、何とか撮影したのは5枚。しかし、その惨状の中で、何とか撮影された5枚の写真は、今でも原子爆弾の被害を伝える貴重な財産となっています。
その写真を撮影した経緯と、奇跡的に分かった最初の写真に写っていた女学生との対面、そしてその5枚の写真を中心に構成された本が、こちら、「なみだのファインダー」です(ぎょうせい発行。初版2003年8月6日、手許にあるのは2006年11月22日発行の第7版)。著者は松重さん、柏原知子さんの監修で成った、63㌻の本で、小学校高学年でも読めるようにと、平易な文章や解説が入っています。
戦争を知る人がいなくなる中、被爆体験者も同じように減少してきています。戦争をじかに知る人が身近からいなくなることは、当時の経験や教訓を伝えていくため、より多くの工夫や行為が必要となる時代に入っています。今回は、当時の新聞報道を振り返ってみました。もとより、政府や軍が行っていた厳しい統制の中で出されたものですが、それが逆に、当時の政府や軍がどのように考え訴えようとしたかを明らかにすることにつながると思います。
まず、1945年8月6日、広島に原爆が投下されます。この第一報を伝えた1945年8月7日の朝日新聞を見てみます。トップは、大和の沖縄特攻に関する布告です。
レイモンド・ブリッグズ作の漫画風にコマ割りした絵本「風が吹くとき」は、1982年の発行で、この翻訳本(さくまゆみこ訳)は1998年に初版があすなろ書房より発行されています。手元にあるのは2011年の14刷です。レイモンド・ブリッグズ氏は1934年、ロンドン生まれ。絵本の中に出てくる第二次世界大戦当時の防空壕の話は、おそらく実体験に基づいたものでしょう。そんな戦争を体験した作者による、核戦争を描いた絵本です。

安全保障政策を担当する首相官邸の幹部が2025年12月18日、報道陣に対し、日本を取り巻く安全保障環境を踏まえ、個人の見解として「日本は核兵器を保有すべきだ」との考えを示したことが、各社から報道されました。米国の核抑止の信頼性にも言及し、日本独自の核兵器保有について議論する必要があるとの認識を示したということです。一方、政権内で議論を進めているわけではなく、核不拡散条約(NPT)体制との兼ね合いから実現は難しいとの考えも示したということです。
とはいえ、高市早苗首相が非核三原則の堅持を国会で問われて、明言を避けています。また、この幹部の発言に関連して小泉進次郎防衛相は19日、記者会見で非核三原則を将来に渡って変更しないかを問われ、「平和な暮らしを守るために、あらゆる選択肢を排除せずに検討を進めるのは当然のことだ」と述べています。現在の政権では、非核三原則を変える選択肢を捨てないという意思を明確に示しています。
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中の人は、核兵器の日本の保有は断乎反対です。また、核があるから抑止力になるという考えも否定します。その詳細は後日、書かせていただきます。
ここでは、終戦間際に軍に召集され、戦車への体当り攻撃を経験した写真家、福島菊次郎さん(故人)が1987年に社会評論社から刊行した写真集「戦争がはじまる 福島菊次郎全仕事集」をご紹介します。核兵器や戦争というものを知る、今の危機に通じるものが多々あると思います。福島さんは多数の写真集を出版しておられますので、その中の一冊でもご覧いただきたいです。そこには、国が隠したいもの、撮影を拒否したものにもカメラで迫っていった福島さんのジャーナリズム精神が生きているからです。国民に知らせなければならないものは是が非でも撮影するという気概こそ、今の時代に必要だと思います。
お正月が近いから、というわけではありませんが、出物があったのでかなり無理して集めました。というわけで、せっかく入手したものを即座にご報告いたします。
こちら、B3版で多色刷りの木版画による「戦勝国婦人雙六」です。制昨年月日や発行者などが擦り込まれていませんので、推測するしかありませんが、軍艦の雰囲気やちょっと英国旗らしいものが見えるので、日露戦争から間もない明治40(1907)年前後のものかとも思いましたが、人物の表現や丁寧な木版画をつくっていた時代を考慮すると、日清戦争後のものとみてもよさそうです。すると、明治30年から明治40年ごろ、今から130ー120年ほど前のものということになります。何しろ、日本は戦争に明け暮れていましたから。