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一回倒れたラノベ作家がアンデッドっぽく起き上がるまで

(作者より)ええと、これから語ることは、自分語りのようなものだ。十年以上ライトノベル市場から離れていた人間が、どうやって細々とはいえ戻ってきたのか、という話だ。
 何かの足しになるかは疑わしい。ただ、消える作家は今も昔も多い。これを書いている自分とて、また消える可能性は大いにある。でも、誰かの参考にでもなればいーかな、と思って書こうと思った次第だ。

——では、はじまりはじまり。

 2004年のことになる。デビュー作の電撃文庫「ストレンジロジック」を書いた後、ぶっちゃけた話行き詰まっていた。

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 いやずいぶん早いな! って言われるかも知れないけど、全く創作蓄積の無いままデビューしてしまった奴である。お許しいただきたい。

 というか、ストレンジロジックの2巻がポシャったのである。原因はいくつかあるが、最も大きなところは自分の遅れだ。一応書き上げた原稿も、今見直してみると冗長だし(一七万字あった)シーンのメリハリも不味いしでそりゃ改稿指示受けるわ、というような代物である。(いずれちゃんとリビルドしてカクヨムにでも出したい)

「新作を企画しなさい」
「担当K氏……新企画か」
「やろう」
「やろう」
 そんなわけで新作を模索することになった。

 しかし、である。あれこれ考えて企画を上げるのだが、没の嵐だ。今思えば、当時は企画書の体裁も読者ニーズもウリの主張や押し出しも、何も考慮せず書いていたのだから当然の帰結というか、当たり前の話だが。担当さんも頭を抱えたことだろう。

(「境界線上のホライゾン」等の川上稔兄さんに、企画書の雛形やら創作のあれこれを、今はもう懐かしのmixiで教えてもらうのはしばし後の話になる。思えば、氏には本当にあれこれ教えていただいた。勝手に師匠のような存在と思っている)

 話を戻す。そういう雑な企画書でも、まあ作れば疲弊はする。要するに努力の方向が間違っているという奴である。そんな期間が、数ヶ月続いた。

 それまでロクに創作もしなかった人間が没を食らい続けるとどうなるか、という話になるが、要するに、ヘコむ。新しい企画書を作ってもダメだしされたところが直っていないような気がして、提出を躊躇う。作業頻度も落ちていく。ドツボである。

 結果、担当さんにも連絡を取らなくなっていく。さて、この辺りが2004年の年末くらいだ。ストレンジロジックの完成が七月ごろ、出版が九月なので、2巻がぽしゃった後おおよそ三ヶ月ほどもがいていた計算だろうか。普通に忘年会で怒られた。K氏、あの当時はすいませんでした。

 しかしまあ、状況が改善されたわけではない。少ない企画は通らず(未熟な上に数もこなさないのだから当たり前だ)、だんだんと腐っていった。「どうせこれもダメだろ」状態である。お前なー!

 電撃文庫編集部に連絡を取らなくなり、しばらくが経った。ええと、同じ立場になったことがある人には理解してもらえるかもしれないんだけど、一回間が空くと、再び連絡取るのがすごく怖いのである。いやこれ、今思ってもすごい怖かった。ひい。

 加えて。何をかくそう、この佐伯という無計画野郎は就活もしていなかった。書かない作家というのは無職と同義だ。当然、ニートしてれば印税も大学中にバイトで溜めていた金も無くなっていく。そんなわけで、地元の公民館で仕事を始めた。

 読者諸兄はもうお分かりだろう。仕事を言い訳に小説を書かなくなっていったのだ。その後、自分は鬱々した気持ちを腹の底に抱えつつ、日々を過ごしていった。

 いやしかし、この期間のことはあまり思い出したくはない。仕事してる内はいいのだ、やることがあるから。ただ、焦燥感と自分への苛立ちは隙あらば顔を出す。それを創作意欲へと変えて行ければいいのだが、当時の自分には出来なかった。

 浅ましい言い方をすれば、お金にならない創作をやる意識が無かったのだ。これ、今にして思えば初めて書いた小説でデビューしたもんだから思い上がってたんだろなー。とんだ調子乗り野郎である。PEッ!

 そして——「書かない」ことへの焦燥感や鬱屈も、いずれは飼い慣らされていく。次の仕事である学校図書館司書を始めた辺りで、新鮮な(それも本を扱う)仕事に「それ」は薄められていった。

 結局学校司書は六年、2013年? くらいまで続けた。小学校三年、中学校三年だ。まあ、楽しかった。当時は学校司書というものの導入時期であったから、小さな図書館を一から作り直す作業は新鮮だった。思えば、創作についての鬱屈をそこに込めていたのかもしれない。

 あと、頼まれて図書館利用やら著作権の講習めいたこともあれこれやったし、子供達の読書・学習の手助けというのは思った以上にやり甲斐があった。今も本、読んでるかなあ、あの子達。読んでるといいな。

 さて、図書館司書などしていると、様々な本に触れる。中には当然ライトノベルもある。昨今の学校図書館には普通に入ってるんです、ライトノベル。知った先生の作品はどんどこ出て行く。同期作家としてのキャリアは凄い勢いで遠ざかっていく。ちなみに有川浩先生の著作は全部入ってた。

 これに何も思うところが無かったというには、まだ自分の中には小説への未練のようなもの、があった。本当に僅かずつではあるが、企画のような物を作っている自分がいた。何年振りか。かつてのファイルの更新年月日を見、過ぎた時間を認識する。余りに長い空白があった。

 空白。その空白が、出す宛てを奪い去っていた。電撃文庫編集部など最早住所すら変わっているのだ。電話番号など知るよしも無い。

 学校司書をしている頃、地元近辺の作家さんとあれこれ関わりを持った。これも小説への執着が消えなかった一因ではあるだろう。ただそれは、事あるごとに自分の現状へと襲い来る劣等感との戦いへの復活でもあった。
 物音も、ネットとの関わりも消えた夜だ。ベッドに横たわりながら呻いた夜は百や二百ではきかない。

 さて、学校司書を辞した後、自分は学校図書館に出入りしていた書店の営業をやることにした。こいつ本に関わる仕事しかしようとしないな……。主な商売相手は学校、幼稚・保育園、図書館だ。これは忙しかった。なんせ日中あちこち車で走り回って、帰ってからは売上他日報作成だ。そして歩合だったから給料も少ない。いやはや、苦労した。

 そんな中、同期のマサト真希先生が島根に旅行すると仰った(この頃にはTwitterも始めていた)。ので「良ければ地元案内しますよ」と声をかけた。

 久しぶりに同期の作家さんと話してお茶を飲むのは大層楽しかった。そしてマサト先生に「(当時先生が書いていた)出版社に紹介しましょうか?」と言っていただいたのだ。2014年、春のことだった。

 その後、反応を返していただいた一迅社文庫と企画を協議した。この頃、かつて川上兄さんに教えてもらっていた企画書体裁をアレンジし、ウリややりたいこと、などを押し出す方式を自分なりに作っていた。思えば8年ほどの半社会人生活も、企画書を書くためには助けになっていたのだろう。

 そして通った企画が「天命の書板 不死の契約者」である。メソポタミア神話を下敷きにした、大地母神ロリババアヒロインの学園バトル小説だ。オモチロイよ。ちなみにこの時、「昔勇者で今は骨」のプロトタイプ企画は提出はしたものの見送りとなっている。

 「天命の書板」は翌年の2月に発売となった。まあ、増刷は無理ってくらいの売上だったが、読者にはおおむね好評をいただいた。中にはこの頃からファンをしていただいている方もいるようで、有り難い話だ。

 しかし。とはいえ。商売というのは売上が全て——とは言わないが大半を占める。新しい企画を上げねばならない。というところで、一迅社担当さんが職を辞した。そして新担当さんと新たな企画会議をする間もなく、一迅社文庫はその規模を縮小し出す。

 詰まるところ、取引先レーベルがライトノベルを出さなくなった。そうなると傭兵まがいの存在である作家は新たな場を探さねばならない。一迅社文庫経験者の作家は結構いるので、残念なことだった。ちなみに一迅社文庫が縁で仲良くなった葉原鉄先生は、現在美少女文庫のエースである。ご一読あれ。

 ここらで、自分は地元の創作関係イベントとかにゲスト待遇で呼んでいただいたりし始める。「いいのかよ俺なんか出ちゃって」などと思いつつも他の作家さん達とも交流が増え、これは正直、モチベーションの維持に一役買ってくれた。「俺もやらなきゃ!」の精神である。

 その後は企画を練りつつ一迅社文庫に企画書を送り(結局これが実る前に一迅社文庫は刊行休止となった)、書店営業の次は図書館司書の仕事を始めた(現在も継続中)。まあぶっちゃけ、自分程度の作家では専業は無理なのである。

 さてこの頃、久住四季先生と出会う。久住先生は電撃文庫でデビュー後、メディアワークス文庫、東京創元社などでも活躍するミステリーを主武器にする作家だ。なんと同郷で、近所だったのだ。お互い全然知らずに暮らしていた。びっくり。

 自分は緊張の元、久住先生から電撃文庫の現在の連絡先を聞いた。出版社とのパイプが無くなった現状、新たな仕事先を見つけねばならない。この男、人に助けられてばかりである。

 この文章の最初の方、思い出していただきたい。期間が空くと、恐怖心が出てくるのだ。そしてこの際、自分が電撃文庫を連絡を取らなくなってから14年近い年月が経っていた。マジかよ。マジだ。

 お分かりだろうか。めっちゃ怖い。——でもやらなくては仕事が無い。

 そうして、多大な恐怖心と緊張の元、電撃文庫編集部へ電話をかけた。
「い、い、以前、「ストレンジロジック」という作品を出させて貰った佐伯という者ですが、き、企画を見ていただきたいのですが」
 言った—————! 言ったぞ———————! おら——————!

 この「さあ後には引けねえぞ」感。ひいひい。
 ——しかし。しかしである。

 実を言えば、当時の担当さんはお二人とも既に編集部にはおらず、さらには自分を知っている人すらいなかったのである……!

 んで、どうなったかというと。
「とりあえず、それでは企画を見せてください。その結果担当がつけば、お話を進めていくということで」
 こうなった。これは普通、作家が新しい出版社に自分から営業をかけて行く場合の流れである。どうやら、作家扱いはしてもらえたようだ。

 これは、「天命の書板」がなかったらどうなっていたか分からない話でもある。商業の出版実績、というだけではない。「作者本人の自信」という意味で、だ。

 大体、一巻で討ち死にし、続きも出せずに一度ドロップアウトした作家の劣等感を舐めてはいけない。敗北感以外無いのだ。その意味でも、「天命の書板」は自分にとって救いでもあった。今でもこの作品には感謝している。

 話を戻す。自分はここが勝負だ! と5つほどの企画を提出した。結果は——どうにか担当がついてくれることになった。それがKさん(初代担当K氏とはまた違う人)だ。
 実はここで奇跡が起こっていた。Kさんは学生時代に「ストレンジロジック」を読んでくれていたということなのだ。世の中何がどう転がるか分からないもんである。

 さて、その新担当Kさんが選んでくれたのが、「昔勇者で今は骨」の企画だ。実はこのタイトルはKさんの発案で、企画書時点では「昔勇今骨」というテキトーなものであり、後でちゃんとしたタイトルを付けるつもりだった。
 これはKさんの慧眼としか言いようがなく、実際タイトルはあちこちで褒められている。スゴイ。

 担当さんがついたのが2016年末。企画が通り、原稿を書いて新作発売が発表されたのが2017年の秋頃。そして発売は12月である。要は丸一年かかっている。

 内容テーマとしては「明るく・楽しく・愛と勇気のファンタジー」である。だのに初稿は「暗すぎる」ということで大幅に改稿していたりする。テーマからズレた原稿はあかん。修正がんばった。

「昔勇者で今は骨」はどうにか2017年12月新シリーズの中では上位の人気を取ることが出来、2巻のGOサインも出て、2018年4月に2巻が発売された。現在好評発売中であるが、新シリーズの常、先行きはまだ分からないというところだ。応援よろしくお願いします。

 そして、現在だ。怠惰という不義理で、自ら作家業から外れた自分は、今どうにかライトノベル業界の端っこに帰ってこれた。だがまた落っこちる可能性は大いにあり、必死になってしがみついていかなければならない立場ではある。

 そもそも、復帰の仕方だって本当に他人のおかげな点が数多い。頼りまくりである。
 現在では小説家になろうやカクヨムなどのツールが多くあり、真に力と意思のある方ならば、そちらから再起することも出来るかもしれない。自分のはレアケースもいいところだろう。

 だけど、これが作家業から不本意に引いてしまった人、目指す人へのなんかこう、参考の一つにでもなれば幸いだ。
 みんながんばれー。

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佐伯庸介
読んでもらってありがとうございましたー。 よろしければ小説の方も読んでみて下さいませね。 http://dengekibunko.jp/title/imahahone/