ローファイ・ヒップホップとは?その起源と日本文化の影響。
Writer:@cplyosuke
盛り上がりを見せるローファイ・ヒップホップ
2010年代半ば頃から盛り上がりを見せる新興ジャンル、「ローファイ・ヒップホップ」。音楽性としては、落ち着いたムードのピアノやギターのループに淡々としたドラムを使ったものが中心。派手な展開はなく、ラップや歌が乗らないインストで発表されることが多い。そのスムースさから、作業や勉強のBGMとしての人気を集めている。
ローファイ・ヒップホップは、アーティストの作品単位で聴かれるよりも、様々なアーティストの曲をネットラジオ的に配信するYouTubeやプレイリストで聞かれるのが一般的だ。YouTubeでは、スタジオ・ジブリ作品など日本のアニメを思わせる映像がループされるものが添えられることが多い。人気YouTubeチャンネル「ChilledCow(チルド・カウ)」で使われている、「study girl(スタディ・ガール)」と呼ばれる勉強する少女の姿は、ローファイ・ヒップホップのビジュアルイメージとして広く浸透している。
BandcampやSoundcloudで自らローファイ・ヒップホップのタグを付けて発表するアーティストもいるが、アーティスト本人にその意図がなくともそこにカテゴライズされることもある。代表的なアーティストと言われることも多いドイツのビートメイカー、Wun Two(ワン・トゥー)は日本の音楽メディア・ARBANの取材で「聴いた人が好きなように解釈すれば良いと思っている。かと言って、僕の音楽がすべてローファイ・ヒップホップだとは思っていないよ(笑)」と話している。
ローファイ・ヒップホップは、そのポイントさえ押さえればインスタントに制作できるシンプルさや作家性の薄さなどから、しばしば批判の対象になっている。意図せずしてカテゴライズされてしまったアーティストから、「あんなものと一緒にしてほしくない」と拒絶反応が出ることもある。また、初期のThree 6 Mafia(スリー・シックス・マフィア)やWu-Tang Clan(ウータン・クラン)などの「ローファイなヒップホップ」を誤解させるような名称への批判の声も上がっている。
本稿では、この賛否分かれるムーブメント「ローファイ・ヒップホップ」の誕生やその変化について、ヒップホップを中心としたサンプリングの歴史を振り返って探っていく。いかにして「ローファイ・ヒップホップ」的なものが誕生し、それに「ローファイ・ヒップホップ」という名称が付き、そしてそのムーブメントが加速していったか。それを確かめていくことで、この文化の現状を整理していきたい。
ブーンバップの発展
サンプリングによるヒップホップのビートメイクは、NYのプロデューサーのMarley Marl(マーリー・マール)が80年代に発明したと言われている。ファンクやソウルのサンプリングにより生々しいファンクネスを手に入れたヒップホップは、80年代後半から90年代前半にかけて急速に成長していった。サンプリングによるループ感の強いスタイルは、ドラムとベースの音を表す擬音から「ブーンバップ」と呼ばれた。ブーンバップのビートメイカーたちはレコード屋に通い、誰も知らない最高のフレーズを求めてレコードを買い漁った。
この時期に登場した重要なビートメイカーの一人に、Pete Rock(ピート・ロック)が挙げられる。NY出身のPete Rockは、当時の人気ビートメイカーの中でも屈指のレコード・ディガーとして知られている。Pete Rockの作風は、タイトなドラムとジャズやソウルの旨味を凝縮した美しいループ。ラッパーのC.L. Smooth(C.L.スムーズ)と組んだユニット、Pete Rock & C.L. Smoothの代表曲「T.R.O.Y.」等で聴かせる、暖かみのあるホーンを使うことを得意としていた。その名ビートの数々は多くのヒップホップリスナーを虜にし、後述するJ Dilla(ジェイ・ディラ)など後進のビートメイカーに大きな影響を与えた。
また、遊び心溢れるサンプリングで人気を博した、NYのコレクティヴのNative Tongue(ネイティブ・タン)も重要な存在だ。構成グループの一つ、A Tribe Called Quest(ア・トライブ・コールド・クエスト)は91年の2ndアルバム『Low End Theory』でジャズを大胆に導入した。同作ではジャズからのサンプリングだけではなく生演奏も取り入れ、各種メディアで高い評価を集めていった。
A Tribe Called Questだけではなく、「Jazz Thing」という曲も発表していたGang Starr(ギャングスター)のGuru(グールー)もジャズに接近していたアーティストだった。93年には、ジャズとの融合を進めるコンセプチュアルなシリーズものの第一作『Guru's Jazzmatazz, Vol. 1』をリリース。これらの動きは「ジャズ・ラップ」と呼ばれ、ジャズとヒップホップ(特にブーンバップ)は以降もどんどん接近していった。
J DillaとDJ Shadowの登場
90年代半ば頃になると、A Tribe Called Questの周辺から大きな才能が登場した。当時はJay Dee(ジェイ・ディー)と名乗っていたデトロイトのビートメイカー、J Dilla(ジェイ・ディラ)だ。
Pete Rockなどから影響を受けたというJ Dillaは、The Pharcydeの作品などで95年頃に浮上し、その後A Tribe Called QuestのQ-Tip(Qティップ)とAli Shaheed Mohammad(アリ・シャヒード・モハマッド)とプロデュースチームのThe Ummah(ウマー)を結成。96年のA Tribe Called Questのアルバム『Beats, Rhymes and Life』にも(Q-Tip主導ながら)貢献し、注目を集めていった。
J Dillaの作風は時期によって異なるが、評価を集めたポイントは大きく言うと二つの点だ。一点は、ビートのリズムを調整する機能「クオンタイズ」を使用せず、よれたグルーヴをそのまま出すことでビートに人間味を持たせたこと。もう一点は、ボサノヴァやハウスといった、これまであまりサンプリングされてこなかったジャンルの音楽も巧みに使用したことだ。J Dillaのこれらの要素と、そのビートメイクに没頭して大量の曲を生み出す姿勢は、後進のビートメイカーに大きな影響を与えていった。
また90年代半ば頃には、ラップが乗らないインストヒップホップの作品でも金字塔がリリースされた。ベイのビートメイカー、DJ Shadow(DJシャドウ)が96年にリリースしたアルバム『Endtroducing.....』だ。レコード屋でのディグの風景を収めたジャケットが印象的な同作は、タイトなドラムなどにブーンバップの名残を感じさせつつも、さらに進化したサンプリングヒップホップの形を提示した傑作だ。ニューエイジやアンビエントも取り込んだ同作は様々なメディアで高い評価を獲得。ジャンルも飛び越えて多くのアーティストに影響を与えた。ほかにも日本のDJ Krush(DJクラッシュ)などもラップを入れない作品を発表。ビート主体の作品は、ヒップホップのビートメイカーの選択肢の一つとして浸透していった。
多様化していくサンプリングのヒップホップ
90年代後半になると、Mannie Fresh(マニー・フレッシュ)やSwizz Beatz(スウィズ・ビーツ)、The Neptunes(ネプチューンズ)やTimbaland(ティンバランド)などが活躍。メインストリームではサンプリングよりも打ち込みで作られた曲が目立つようになっていった。しかし、その裏ではDJ Spinna(DJスピナ)やMadlib(マッドリブ)などが登場。メインストリームからは若干離れたものの、サンプリングによるヒップホップは根強い人気を誇っていた。
00年代に入ると、Jay-Z(ジェイZ)のもとからKanye West(カニエ ・ウエスト)とJust Blaze(ジャスト・ブレイズ)が登場。Jay-Zの01年作『The Blueprint』での二人の手腕から、サンプリングのヒップホップは再びメインストリームに返り咲いた。Kanye Westは03年には自らラップした1stアルバム『The College Dropout』をリリースし、ビートメイカーとしてだけではなくラッパーとしても成功。以降、サウンドを進化させながらシーンのトップを走っていく。
また、01年にはUKのレーベルのBBEがブーンバップ系のビートメイカーを主役に据えたリリース企画「Beat Generation」を始動。第一弾としてJ Dillaが『Welcome 2 Detroit』、第二弾としてPete Rockが『PeteStrumentals』をリリースし、高い評価を集めた。Pete Rockは98年の初ソロ作『Soul Survivor』では客演を多く迎えたラップアルバムを制作していたが、『PeteStrumentals』はインストの比重が大きい作りだった。ラッパーとの作品が多かったPete Rockのようなビートメイカーがこういった作品を発表したことは、インストのヒップホップが徐々に市民権を得てきたことを示す一つの例と言えるのではないだろうか。
そして、日本からもNujabes(ヌジャベス)が登場。彼のレーベルのHydeout Productions(ハイドアウト・プロダクションズ)で03年にリリースしたコンピレーション『Hydeout Productions 1st Collection』と、同年のソロアルバム『Metaphorical Music』で、美しいメロディ感覚が光る新しいヒップホップの形を提示した。アンビエントなど実際はジャズ以外からもサンプリングしていたが、Nujabesが聴かせたサウンドはGuruやA Tribe Called Questらが牽引したジャズ・ラップの流れとして人気を拡大。DJ Deckstream(DJデックストリーム)やUyama Hiroto(宇山ヒロト)ら、Hydeout Productionの面々も注目を浴びた。また、美メロを売りにした「ポストNujabes」も次々と登場。Nujabesたちの音楽は日本を飛び越えて全世界に広がり、多くのアーティストに影響を与えていった。
ラッパーによるミックステープ
これまではビートメイカーの動きを中心に振り返ってきたが、00年代前半にはラッパーの動きでもサンプリングと深く関わる新たな動きがあった。ラッパー主導のミックステープの登場だ。
始めたのはNYのラッパー、50 Cent(フィフティー・セント)。メジャー契約を掴むも、トラブルによりデビューすることなく表舞台から姿を消してしまった50 Centは、これまでDJが制作していたミックステープを作ることで再起を図った。50 Centのミックステープは、既存曲のインストを用いた「ビートジャック」と呼ばれる手法で制作された曲を多く収録していた。ミックステープは、無許可で曲を収録してもプロモーション効果などから黙認されることが多い状況にあった。50 Centのこの頃のミックステープは、正規で販売されるアルバムと比べて著作権的にゆるいミックステープならではの作りだった。ミックステープが話題を呼んで人気を拡大した50 Centは、Eminem(エミネム)率いるShady Recrods(シェイディー・レコーズ)と契約。03年に1stアルバム『Get Rich Or Die Tryin’』をリリースし、大ブレイクを果たした。50 Centのブレイク以降、多くのラッパーがそれに倣ってミックステープを発表。ミックステープは新進ラッパーの登竜門のようになっていった。
既に成功を掴んでいたラッパーがミックステープを発表し、さらに人気を拡大していく動きもあった。その中の一つに、Hot Boys(ホット・ボーイズ)の一員としてブレイクしていたCash Money所属のラッパー、Lil Wayne(リル・ウェイン)の動きが挙げられる。Lil Wayneは、00年代半ば頃からミックス―プを精力的に発表。ビートジャックはもちろん、The Beatles(ビートルズ)などの大ネタも大胆にサンプリングした作りはミックステープならではの自由さに満ちていた。Lil Wayneはミックステープによってシーンのトップに上り詰め、多くのラッパーに影響を与えていった。
また、ミックステープ界の人気DJであるDJ DramaとDon Cannonが07年に「海賊盤を販売した容疑」で逮捕された前後から、ミックステープは手売りでの販売からインターネット上でのフリーダウンロード形式での発表が増加。Lil Wayneのミックステープも多くはフリーダウンロードで発表された。以降、ヒップホップはこれまで以上にインターネットに根を張り、その人気を拡大していった。
Lil Bの「ベイスド」
00年代後半頃から、ヒップホップシーンでは「スワッグ」という言葉が注目を浴びた。スワッグとは、大雑把に言うとオリジナリティに自信が加わったようなものを表す言葉だ。00年代後半から10年代前半にかけて、至る所でこの言葉が登場した。そして、この「スワッグ」を突き詰めて、また新たな概念を生み出したラッパーがいた。ベイのラップグループ、The Packのメンバーとして登場したLil B(リル・ビー)だ。
The Packは00年代半ば頃に登場したが、後半にはそれぞれのメンバーのソロ活動がメインとなっていった。ソロでのLil Bは、Lil WayneやKanye Westの影響を覗かせながらThe Pack時代とは異なるスタイルに開眼。「ベイスド」という概念を強く打ち出した。「ベイスド」とは、「自分自身であること。人からどう思われるかを恐れないこと。自分のやりたいことをすることを恐れないこと。前向きであること」を指すという。Lil Bは「Based God」として、ベイスドの神の言葉を曲で伝える。
Lil Bの音楽は、この「ベイスド」のための音楽だ。従って、「人からどう思われるかを恐れない」ことを示すようにThe Pack時代とは打って変わって不安定にラップし、「自分のやりたいことをすることを恐れないこと」を示すようにアンビエントなど多彩なジャンルに手を伸ばす。ミックステープを主軸に活動してきたLil BはLil Wayne以上にサンプリングネタも奔放で、浜崎あゆみや宇多田ヒカルなど邦楽も多くサンプリングしていた。
Lil Bは作品を発表するスパンも短く、時には600曲を越えるようなボリュームの作品を発表するなど、異常な制作ペースでも話題を呼んだ。Lil Bはカルト的な人気を集め、多くのアーティストに影響を与えた。そしてLil Bが一部の曲で生み出した音楽性を発展させ、また新たなムーブメントが誕生。10年代前半に大きな話題を呼んでいく。
チルウェイヴとエコージャムズ
ヒップホップ以外に目を向けると、00年代後半にはインディロックの分野でもサンプリングと関わる新たな動きがあった。R&B的なスウィートさをノスタルジックに調理したムーブメント、「チルウェイヴ」の誕生だ。チルウェイヴの元祖と言われているのは、西海岸のミュージシャンのAriel Pink(アリエル・ピンク)だ。NYのインディロックバンド、Animal Collective(アニマル・コレクティブ)のメンバーであるPanda Bear(パンダ・ベア)の07年作『Person Pitch』がその前身と言われることもある。
このムーブメントはジョージアのミュージシャン、Washed Out(ウォッシュド・アウト)から広まった。Washed Outは、サンプリングによる気だるい雰囲気のビートでリヴァーブのかかった歌を聴かせる名曲「Feel It All Around」を09年に発表。EP『Life of Leisure』も話題を集めた。また、サウスカロライナのToro Y Moi(トロ・イ・モア)も重要なアーティストだ。Toro Y Moiもサンプリングのビートとリヴァーブがかった歌でノスタルジックな音像を提示したアルバム『Causers of This』を10年にリリース。チルウェイヴを牽引していった。Washed OutはDJ Shadow、Toro Y MoiもJ Dillaを影響元として語っている。チルウェイヴはインディロックの分野のムーブメントだったが、その背景にはヒップホップの偉大なビートメイカーの存在があったのだ。
「Causers of This」がリリースされた10年には、また別の分野で一つの重要な作品が誕生していた。Chuck Person(チャック・パーソン)がリリースしたアルバム、『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』だ。Chuck Personの正体は、Oneohtrix Point Never(ワンオートリックス・ポイント・ネヴァー)として知られるNYの電子音楽家、Daniel Lopatin(ダニエル・ロパティン)。『Chuck Person's Eccojams Vol. 1』で聴かせたのは、OPNの作風とは異なる簡素なループミュージックだ。既存の曲から一部分を切り取ってループし、遅く加工してエコーをかける。Daniel Lopatinは同作の手法について、「自分が好きなものから好きじゃないところを取り除いて聴きたい、という欲望を鎮めるためのもの」と語っている。この手法は後に同作のタイトルから「エコージャムズ」と呼ばれるようになり、そこからさらに発展して新たなムーブメントの誕生に繋がっていく。
クラウド・ラップとHydeout Producion
00年代末から10年代前半にかけ、ヒップホップでは「クラウド・ラップ」と呼ばれるジャンルが新たに誕生した。これを生み出したのは先述したLil B。サイケデリックでぼんやりとした美しいサウンドが特徴だ。
クラウド・ラップの代表的なアーティストとしては、Lil Bと同じベイのラップデュオのMain Attrakionz(メイン・アトラクションズ)とビートメイクデュオのFriendzone(フレンドゾーン)が挙げられる。Lil Bを聴いて「音楽っていうのは自分のやりたいようにやればいいんだ、何でもできるんだ」と気付かされたというFriendzoneは、日本のアニメやゲームに親しみ、Nujabesからの影響も語る親日家だった。この二組のタッグは名曲「Chuch」でNujabesと同ネタを用いたほか、彼らが中心となった11年のコンピレーション『Kuchibiru Network 2』ではUyama Hirotoのビートも使用。Hydeout Productionsからの影響を、これまでのフォロワーの多くとはまた違った形で打ち出した。
ニュージャージー出身のビートメイカー、Clams Casino(クラムズ・カジノ)も重要なアーティストだ。初期のClams Casinoは05年頃のKanye Westのようなソウルフルな作風だったが、Lil Bの名曲「I’m God」などでは重苦しくも美しいスタイルに変化。11年に発表した、ラッパーに提供したビートをまとめて一曲追加したインスト集『Instrumentals』も高い評価を集めた。
また、Clams Casinoは11年にソロでのEP『Rainforest』を、この頃盛り上がっていた新ジャンル「ウィッチ・ハウス」を代表するレーベルのTri Angleからリリースしていた。ウィッチ・ハウスは、チルウェイヴをダークで不気味な質感に変質させたような電子音楽だ。ペンシルヴァニアのビートメイカー、Balam Acab(バラム・アカブ)などが代表的なアーティストとして挙げられる。クラウド・ラップとチルウェイヴ、ウィッチ・ハウスは親和性が高く、同時期に誕生したことからリスナー層も重なっていた。これらのムーブメントはジャンルを越えて大きな支持を集め、10年代前半に急成長していった。
ヴェイパーウェイヴの誕生
クラウド・ラップやウィッチ・ハウス、チルウェイヴが人気を集め始めた11年には、ある重要な作品が生まれていた。Macintosh Plus(マッキントッシュ・プラス)の作品、『Floral Shoppe』だ。「リサフランク420 / 現代のコンピュー」や「外ギン Aviation」といった、翻訳サイトを通したと思しき違和感のある日本語の曲名。ピンク色の背景に彫刻の頭が印象的なアートワーク。80年代R&Bやスムースジャズなどをスロウダウンさせたノスタルジックな音楽性。何もかもが異質だった同作は、10年代を代表する大きなムーブメント「ヴェイパーウェイヴ」の始まりを告げた。
同作の音楽面は、Daniel Lopatinのエコージャムズの手法を踏襲していた。Washed Out「Feel It All Around」に通じる質感もあり、ヴェイパーウェイヴというジャンル名もチルウェイヴのパロディだという説もある。Macintosh Plusの「中の人」であるポートランドのビートメイカー、Vektroid(ヴェクトロイド)はMacintosh Plus以外にもNew Dreams Ltd、情報デスクVIRTUALなど複数の名義で作品を発表。通じる音楽性を持つINTERNET CLUBなどの活動もあり、ヴェイパーウェイヴはじわじわとインターネットに広がっていった。
Vektroidが多くの変名を使っていたことからも伺えるように、ヴェイパーウェイヴは匿名性の強さも特徴の一つだった。また、比較的簡単に制作できることもあり、正体不明のアーティストの作品が次々と増殖。匿名性の強さと参入ハードルの低さから、Bandcampの「vaporwave」タグには混沌とした世界が誕生した。
エコージャムズの手法と「自分で聴くために作る」という肩肘張らない思想は、音楽制作・発表のハードルを引き下げた。その影響か、制作方法に近いものがあるインストヒップホップも、ヴェイパーウェイヴ以降はインターネットで増加。また、J Dillaの制作に向かう姿勢を受け継いだビートメイカーたちも精力的に曲を発表し、後にローファイ・ヒップホップと呼ばれるものの土壌が育まれていった。
邦楽や日本のアニメの使用
クラウド・ラップ誕生以降もLil Bは引き続き多くの作品を発表。音楽性はクラウド・ラップだけに留まらなかったが、先駆者としてさらに注目を集めていった。11年にはタイトルが大きな話題を呼んだアルバム『I’m Gay (I’m Happy)』をリリース。同作収録の「Gon Be Okay」は、スタジオ・ジブリ映画「千と千尋の神隠し」サウンドトラックをサンプリングした優しく穏やかなビートで、Lil Bのラップが乗ることを除けばローファイ・ヒップホップに通じる仕上がりだ。また、「Kuchibiru Network」の名前の元ネタで、Friendzone作品のアートワークにも使われた岡田有紀子の曲も使用していた。
クラウド・ラップとファン層が重なっていたヴェイパーウェイヴでも、邦楽のネタ使いが増加していった。ヴェイパーウェイヴをダンサブルに進化させた新ジャンル「フューチャー・ファンク」の代表的アーティストであるSaint Pepsi(セイント・ペプシ)は、山下達郎などJポップをネタに使用。また、アートワークや映像といったビジュアル面でも日本のものを使う例が登場していた。フューチャー・ファンクのシーンから登場したマクロスMACROSS 82-99は、そのアーティスト名以外にも日本のアニメのビジュアルを好んで使用。こうした動きはフューチャー・ファンクだけではなくほかのヴェイパーウェイヴにも見られ、邦楽や日本のアニメの要素はヴェイパーウェイヴの特徴の一つになっていった。
そして、13年にはYouTubeがこれまで一部のユーザーに限定していたライブストリーミング配信機能を一般ユーザーにも解禁。ここでヴェイパーウェイヴとその流れを汲んでいるジャンルのネットラジオ的なチャンネルが登場し、ヴェイパーウェイヴのビジュアルイメージを用いた配信が行われていった。
ローファイ・ヒップホップの始まり
ローファイ・ヒップホップの始まりは、YouTubeチャンネルのChillHop Musicが13年に公開したプレイリスト「a lo-fi chill beats」だと言われている。かつてBBEが「Beat Generation」と題した企画でブーンバップ系のビートメイカーの作品をリリースしたことからも伺えるように、ヒップホップにおける「beat」という言葉にはブーンバップ系譜のビートというニュアンスが含まれている。「hip hop」ではなく「beats」という言葉を使うことは、先述した「ローファイなヒップホップの誤解」問題もなく、「ローファイ・チル・ビーツ」とは言い得て妙なネーミングだ。
しかし、ヒップホップ以外にも「ビート」はあり、ヒップホップファン以外にそのニュアンスを通すことは難しい。その関係なのか、その後に登場した同系統のプレイリストやライブストリーミング配信では、「ヒップホップ」であることを強調するように「lo-fi hip hop」という名称の使用が主流になっていった。こうして、リラックスしたインストヒップホップが「ローファイ・ヒップホップ」の名のもと集結。ジャンルの誕生に至った。そして、ローファイ・ヒップホップ専門のYouTubeチャンネルがヴェイパーウェイヴの影響で、アニメの映像と共に曲を配信するようになっていった。
NujabesやDJ Shadowほど作家の主張が強くないローファイ・ヒップホップ。そのソフトで聞き流せる音楽性は、先述した通り勉強や作業用のBGMとして多くの人の心を掴んでいった。17年頃からは、ライブストリーミング配信を積極的に行っているチャンネルを上位表示するYouTubeの仕様もあり急速に知名度が上昇。現在の状況に至った。
ローファイ・ヒップホップの今後は?
こうして大きな人気を獲得したローファイ・ヒップホップ。コロナ禍の今年は世界的に在宅時間が増加したことも手伝い、さらに大きく視聴数を伸ばしたという。BGMとして消費される、従来のヒップホップとは少し性格の異なるこのムーブメントは、今後はどのように発展していくだろうか。ミューザックとしてより浸透したり、リラックスの効能を買われてクレーム受付電話の保留音などに使われるかもしれない。あるいは、インストヒップホップ全体への追い風となり、ビートメイカーのスターが増えるかもしれない。音楽に留まらず、ほかの何かと結び付いて発展することも考えられる。展開の少ない音楽性だが、このムーブメントの今後の展開に注目だ。
*ミューザック:街中の小売店や公共施設などでBGMとして再生される音楽のこと。
(お知らせ)
本マガジン(「洋楽ラップを10倍楽しむマガジン」)では、洋楽ヒップホップの内容等をさらに深く理解して楽しむための記事を更新しています。
興味を持っていただいた方は、ぜひフォローの上、購読をご検討ください。
ここから先は
¥ 100
「洋楽ラップを10倍楽しむマガジン」を読んでいただき、ありがとうございます! フォローやSNSでのシェアなどしていただけると、励みになります!