
「誰かが一方的に話すだけのミーティング」はつまらない以上に、生産性が低い
今回もミーティングの話。結論は、誰かが一方的に話すだけのミーティングはつまらない以上に生産性が低いよね、「連絡・共有」はチャットなり何なりほかの方法で良いよね。
このテーマ、もう既出でしかないのだけど、あらためて挙げたい。引き続き、「時間」というリソースの希少性は高い。そういう中で、クオリティの低い、あげる気のないミーティングに自分の時間を投じていくことのやるせなさは、皆さんもいまだ感じているはず。
この問題はもとを正せば、コロナ禍まで遡る。あの状況の下で、私達が直面した不都合は実に様々あった。その中ではささやかなことでありつつも、フラストレーションが異様に高まることとして「マイクを握りっぱなしの人が出てくる」というものがあった。一人で話しすぎ。話す手番が多いか、話がいちいち長い。
対話とは、ラウンドロビン(マイクをその場で回す)を各自が意識して、いかに密度の高い回転にするかで、そのクオリティが左右される。そうでなければ、いちいち面と向かって話す必要なんてないんですよ。一方的な発信は、「伝達」でしかない。ミーティングを創造的、創発的な場として捉えるならば、いかにしてその場に「一人では出せない、一人では到達できない情報」を作り出せるかにかかっている。
ミーティングを行うのが目的なのではない、ミーティングという行為を通じて、私達はある場、ある空間に情報を埋めていくワークをしている。その空間は一定であり(ミーティングは決まっている)、詰められる情報には限りがある。その上で、情報の多様さを求めるとしたら、「マイクを握りっぱなし」というのがいかに主旨と異なるか分かるはずだ。
「マイクを握りっぱなし」というのは、その場の形成と発展を阻害していることになる。話すな、ということではない。それほど一方的に伝えることがあったら、簡潔にまとめた文章をみんなの目に届くところに流してくれたらいい。そういう情報はみんなも歓迎する(ただし、くれぐれも簡潔にしよう)。
less is moreなんて言葉を今更引っ張り出さなくても良いよね!いかに少ないエフォート、少ない情報量で、良きことを生み出すか。bitの量をできるだけ減らして、価値の最大化に仕向ける。そういうのが良い仕事だと思わないか。沢山発言すること、ただ情報を生み出すことが、良い仕事なのではない。もっと、場に貢献できるようにしよう。
というわけで今後、「またマイクを握りっぱなしだよ…」という場面に遭遇したら、「この会議、チャットで良さそうですね」と、十二所的なセリフ(「アジャイルなプロダクトづくり」)を差し込んで、場づくりを守ろう。