『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』、沖縄人(うちなーんちゅ)からもお勧めです
『ヤンキーと地元』の著者、打越正行氏が亡くなりました。
「のんびりしていてみんなが優しい沖縄」のイメージに反し、ヤンキーと貧困だらけの沖縄の闇へメスを入れる一冊。
主に風俗を中心に沖縄の暗部を描いた『沖縄アンダーグラウンド』(別著者)など、地元民としても、この特殊な島国の包み隠さぬ姿には関心と納得があり、興味深く読ませていただいている。
ウシジマくんだって、最後は沖縄にたどり着くわけで、あの土地は本土からは想像もつかない特殊な地場で形成されている。功罪は大きく、僕はとてもじゃないが合わない方であった。もちろん恋しい部分だって多大にあるし、観光地として最適な場所であることも理解している。日常を忘れて数日羽根を伸ばすにはうってつけでしょう。
この「闇・沖縄」ジャンルでお勧めしたい一冊がこちらだ。
『沖縄から貧困がなくならない本当の理由』、なんと直球な書名でしょう! そして、沖縄人(うちなーんちゅ)は、残念ながらこれくらいストレートでないと理解しない。本書は、内地から来た大学教師の著者が、沖縄県民はみな読書を恐れ、自分の能力や知識に自信が無さすぎることへの疑問から始まる。沖縄の人間は本を読むことすら「真面目(まーめー)」であり、なおかつ、あの土地では真面目野郎と認識されると非常に生きづらくなるのだ。
そういった沖縄人(うちなーんちゅ)の機微と閉塞感、見えない同調圧力に、これでもかと正論を叩きつける。
我らが琉球は、最も大学進学率が低く、収入も最低、自殺率はもっとも高い。離婚率だって。要するに日本一の「バカで貧困」な県であることがデータ上で嫌と言うほど表れています。悲しい。が、本人たちはそんなことを意識することもない。なぜなら、沖縄に居る以上、難しいことを考えたって意味はなく、なにかを改善しようとする真面目野郎(まーめー)は、自然と虐められていく。日本一、現状維持を大切にしている場所なのだ。
そりゃ現状が良ければ現状維持も結構。が、先程書いた通り、沖縄は最もバカで貧困そのもの。大学なんかに進学できたら世紀の天才! それでも沖縄で最も難関である大学は内地基準でFラン。どうあがいても絶望。その事実を知って、僕らはみんな子供の頃から将来への希望を抱かなくなる。学ぶべく周囲の大人もみーんな適当(てーげー)で、大人たちだって元ヤン。両親が(しかも僕含め片親だらけ)適当なフリーターや無職、水商売や飲んだくれな中で、どうして子どもが真剣に育つだろう。
そんな環境で、誰かが一抜けしようと才能を見せ、真面目をしようものなら潰す。無意識に、無自覚に。全員が貧困であるからこそ成り立っている社会において、誰かが突出してなにかを変えてしまったら一気にバランスが崩れることを皆が肌身に染みているからだ!
沖縄はすべてにおいて家族と長男を優先する。くだらない。くだらなさすぎるが、田舎において「ひたすらに身内と村で秩序を固める」生き方は最強なのだ。郷に入っては郷に従え。沖縄人(うちなーんちゅ)は、みな「良いお店・良い商品」よりも、身内や友人のお店を優先しなければ叩かれ、家族を重んじる心がなければ危険分子として村からはじき出される。または、それを承知でヤンキーにならざるを得ないが、ヤンキーこそ非常に狭苦しい縦社会。つまり、沖縄ではどうあがいても人間関係から逃れることはできず、しかも独自のルール、「現状維持のために全員でゆっくりと不幸になる」ことを強いられていく。
先述の本書では、そういったもはや陰湿とも言える真の沖縄の姿が書き連ねられていく。そこでは、「泡盛を飲まないやつは空気を読めない敵」なのだ。僕は高校時代に居酒屋でバイトをしていた。沖縄のおっさんたちは泡盛が大好きなわけじゃない。目上の者に怒られないため泡盛を注文するのだ! 居酒屋でウィスキーなんて注文する小洒落たイキり野郎と思われないために! 沖縄はこうした見えない圧力によって「優しい平和」が成り立っている。
こうして出来上がった秩序はもはや崩せない。
定番商品だからだ。泡盛やオリオンビールは、こうして沖縄において最強のシェアを誇る。スーパーも地元密着のサンエーたちが強く、みなが思考停止して「いつものやつ」を購入し足を運ぶ。だから進化せずとも曲がりなりにも経済が崩壊せず、誰かが「良いもの」を世に広めることは禁忌とされている。
クラクションの話が非常に象徴的。
著者は沖縄の渋滞に対してクラクションを鳴らしたところ、周囲から「厄介者」としての視線を浴びせられた。なぜ注意したほうが怒られるのか。それは沖縄では真面目(まーめー)が、最も罪深い敵だから。
この土地を良くしようと行動することは、すべて「クラクションを鳴らす」こととなる。たとえ本気で沖縄をよくするためのスピーチをしようとも、地元民はみながそれに反発する。これまでのバランスが崩壊されると何もかもを失う。「泡盛やオリオンビールより安くて美味しいお酒」が広まると多くの人間が生きていけなくなるわけで。
僕の友人たちは、みな個人経営のお店か自動車整備士になった。あとは土方。そして漏れなく子沢山。それが沖縄で生きるうえで最も幸せな選択だ。どうせそれ以上は攻撃対象だから。子育てしながらマイルドヤンキーライフを堪能する。たまに昔を思い出してバイクで爆走するくらいが「生活」なのです。
それが嫌なら出ていくしかない。
現に、僕含めてどうしてもそんな閉塞感に耐えきれない者たちはすぐに沖縄を離れた。僕なんて十数年戻っていないし母親の顔も見ていない。
「悪」、というわけでもない。
様々な理由から、ただみんなが無意識な現状維持を望んでいるだけで、ある意味で平和で幸せなことだ。だが、たとえば僕のように「自分だけのゲームやアニメを作りたい!」なんて野望は地元で敵わない。そもそもオタクカルチャーも薄いし、そんな真面目(まーめー)はオタク仲間からすらも敵で、誰も味方をしない。仮にそれが成功した場合、全員がたかりにくることも容易に想像がつく。
繰り返すけれども、そんな停滞がときに心地よくもあるでしょう。だから観光にはうってつけなことは間違いない。地元に合わせ、居酒屋で泡盛を頼めばその場で大盛り上がりだ。沖縄のいいところは、そんな適当(てーげー)さである。高校でのバイト時、ほぼ毎日おっさんたちは調子に乗って僕へも泡盛を注いだ。スポーツマンの友人たちは原付きを盗んで甲子園前に退部させられた。そのバカバカしさはやっぱり懐かしい。
善悪を超えた「適当」、なんくるないさー(なんとかなるよ)精神は、明らかに僕にも色濃く継がれている。僕は沖縄に戻る気は一切無いが、やはり嫌いとも言い切るほど憎むこともない。
出る杭は打つ、そんな同調圧力はインターネットにも存在する。足の引っ張り合いはとにかくうんざりだ。幸い、インターネットは、活動していても「見ない」ことで人々の同調から意識を引っ剥がすことができる。
同調や現状維持は、ときに疲れた人々へ安らぎを与えるでしょう。
でも、どうしても僕は夢を見ていたい。
全員が全員、同化してしまう世界は、僕にとって息苦しくちょっと狭いんだ。今は日本すらも狭く思う。次の作品では絶対に世界を驚かせる。そのための多くの苦悩こそ、なんくるないさー。
現実を忘れるには最高の場所だけれども、夢を見るには窮屈な島なのです。