退職のご挨拶
2024年3月5日。本日をもちまして、11年と3ヶ月の間、お世話になりましたUnity Technologies Japanを退くことになりました。
Unity Technologies Japanでは、コミュニティエバンジェリストとして、そして近年はフィルムおよびアニメ関連技術開発のデベロッパーアドボケイト(シニアエバンジェリスト)として、Unityコミュニティの皆様には大変お世話になりました。
一区切りが付いたことになりますが、Unity、アニメ、そしてAIに関連するリアルタイムコンテンツにはこれからも関わっていきたいと考えてます。
今後ともよろしくお願いします。
さて、今回の『日々の壁打ち』では、いつもとは趣向を変えて、僕が経験した約11年間の旅路について書いてみようと思います。僕の旅路は、あるひとりの勇者と共に歩んだ道でもありました。僕自身の役割りが、勇者にとっては「魔法使いのエルフ」にあたるのか、それとも「酒のみの生臭神父」にあたるのか、はたまた「頼りがいのあるドワーフの戦士」にあたるのかは判りませんが、「僕自身の目から見た勇者の物語」を振り返ってみることで、この楽しかった約11年間の旅路を描いてみます。
今回の挿絵も、自作のGPTs『Japan Anime Character Maker』に提供してもらいました。毎回素晴らしいイラストをありがとう。
本物語の初出は、Unity社内Slackの#Farewellチャンネルに、2024/02/15に英語で掲載されました。今回そちらを日本語に戻し、加筆をさせていただいたものをnoteに載せさせていただきます。
それではご笑覧いただければと存じます。
『ある勇者との旅路』の物語
この 「#Farewell (さよなら)」のチャンネルに、自分もUnityでの楽しかったクエストの思い出を書く時が来ました。
11年3ヶ月。日本のUnity開発者コミュニティと共に旅したこのクエストは、いよいよ3月5日をもって終わりを告げます。僕をこのクエストに誘ってくれた、勇者ヒロキ・オオマエは、この少し前にUnityを去りましたが、この旅の思い出として、僕は彼とのクエストの日々を書き残しておきたい。
勇者ヒロキと初めて知り合ったのは、Unityのファウンダーであるディビット・ヘルガソンが、日本の開発者コミュニティと会いたいとのことで急遽開かれたイベントの会場である、銀座のサエグサビルだった。その時、勇者ヒロキはいきなりディビットの通訳を頼まれた。会場にいた僕らもデイビットに初めて出会ったのだから、自分は勇者ヒロキの旅の始まりに最初から立ち会えたことになるのかな?
そしてディビットに託された「大事な種」を持ち、勇者ヒロキが旅立ったのは、それまで汎用ゲームエンジンが絶対に根付かないといわれた日本市場。あのUE3ですらこの日本市場には手を焼いていたし、他のゲームエンジンはとうの前に倒され、撤退していた。そう、この地はゲームエンジンにとって魔王の支配する土地だったのだ。
その約2年後、勇者ヒロキの冒険の旅のパーティに加わることになった時に、彼から授けられたミッションは2つあった。
ひとつは、「まだこの日本に埋もれているUnity使いの現場の軍曹100人を探し出し、彼らにチャンスを与えたい。」どうしたらよいか?
もうひとつが、「日本のUnityコミュニティをもっともっと盛り上げていきたい。」どうすればよいか?
ひとつめの回答は、「Unityのゲーム以外での使用事例を、世の中の社長族が読むような意識の高い雑誌に載せる」こと。そうすれば朝その記事を読んだ社長が、「我が社にもUnityを使ってみる人はいないか?」と尋ねるだろう。そういう人を僕らは真剣に支援しよう――この提案は採用され、まもなくヤマハ発動機での事例として、『週刊東洋経済』に載せることができた。Unityで作ったゲームフィールド内でセンサーを鍛えるシステムだったが、今考えるとUnityのノンゲーム活用を初めて世に知らしめた例だったのではないかと思う。
もうひとつの回答こそが、「日本人好みのキャラクターアセットを作成し、広く世間に公開する」だった。その時、勇者ヒロキからも、「実は同じ事を考えているんだよ」と、プロトタイプのキャラモデルがあることを教えてもらった。そこから『ユニティちゃんプロジェクト』は始まったのだ。
ユニティちゃんプロジェクトはやがて、その直接の産みの親であるデザイナー・ntny も交え、さらに大きくなっていった。キャラクターを自由に使えるためのライセンスやその仕組みの設計、お披露目のためのコミケ参加、そしてTOKYOゲームショーでの『インディーズゲームフェス』、『ニコニコ超会議』――全てのイベントの場に、勇者ヒロキとユニティちゃんがいて、コミュニティと本気で向かい合っていった。ユニティちゃんプロジェクトが生み出したアセット群は、Unityという枠すら越え、日本から世界の開発者コミュニティへと広がっていった。
勇者ヒロキの指揮の元で日本に生まれたUnity Technologies Japanという組織は、最初から型破りだったと思う。それは最初からコミュニティを大事にしていて、コミュニティ第一主義を前面に押し出した組織だった。
始まりの「大事な種」は、Unityのファウンダーであるデイビットから勇者ヒロキに手渡され、それまでゲームエンジンが根付かなかった日本の土地で大きく花を咲かせた。そして今、その種はUnity Softwareという会社組織すら越えて、まるでカタバミの種のように、表へと飛び出し、広がって行く。
その種を追いかけて勇者ヒロキが旅立つことを決めた時、僕にはそれを留める意志はなかった。今でも留めるつもりはないし、にっこりと笑って送り出した。そして僕が勇者ヒロキから託された最後のミッション「Project_TCCをこの世に解き放ってほしい」は、勇者ヒロキが旅立ってまもなく無事コンプリートした。これは僕らのチームの最後の仕事となった。
勇者ヒロキとの一緒の旅は本当に楽しかった。11年前のあの日に、この僕に重大なミッションを与えてくれたことを、本当に感謝しています。
そして今はいない沢山の海外のUnityの仲間達、君たちが様々な場所で、同じように戦っている姿は勇ましかった。その思い出を胸に今、僕も旅立とうと思う。
11年と3ヶ月長くて短い旅だった。Unityで僕が成せたものは、全て以下のリストにある。
僕がUnityにジョインして間もなく「NINJAはもはやいなくなった」というメールをもらったことがある。かつてUnityの開発者は、皆NINJAと呼ばれていたのだ。
そして今、またNINJAが求められていると思う。残る勇者達一人一人に加護があることを祈ります。
最後になりましたが、今もUnityを含む様々なゲームエンジンを使い、未来のエンターティンメントを作ろうとしている開発者コミュニティの皆さん。僕らは常に、皆さんこそが未来に輝くロックスターであり、僕らはその未来のロックスターを輝かせることを第一の使命として、日々の業務を続けてきました。
かつてゲームエンジンが決して根付かないと言われた「この不毛の地」で、今では日々素晴らしいゲームやリアルタイムコンテンツが生み出されています。
それは皆さんと共に歩んできた旅路の成果であり、そして皆さん自身のトロフィーでもあります。
これからも一緒に、この楽しき道を共に歩んでいきましょう!
またいずこかで再び出会える日を祈って。
皆さんの旅路に幸運が待っていますように。
2024/03/05 小林信行
英語版の全文
最後にお仕事募集中です
さて、新たなる旅に出ることは決まったとはいえ、まだ行く先は未定です。ひとまずは3月いっぱいはお休みをいただき、今まで積んでいたやり残していたことをひとつひとつ片付けていこうと思います。
僕の経歴書は、LinkedInのほうで公開しています。
一緒に旅路を歩んでみたいという方は、声をかけてみてください。
ご連絡お待ちしております。
おまけ:カバーイラストについて
本noteのカバーイラストは、このnoteの本文をそのまま『Japan Anime Character Maker』に与えてやり、ワンショットで出力したものです。