見出し画像

『対馬の海に沈む』 不正の拡大装置になった「相互扶助」の精神

犯罪学者ドナルド・クレッシーが提唱した「不正のトライアングル」という理論がある。人がなぜ不正に手を染めてしまうのかを「機会」「動機」「正当化」という3つの要素で説明したものだ。

とりわけ厄介なのが3つ目の「正当化」という要素である。はたから見ればどうしてこんなことを? と思うような事件であったとしても、当事者本人は、「正しい」と思うことを遂行しただけであり、突き詰めれば組織文化の中で「正しさ」の定義が歪められたことに起因していることも多いのだ。

今どき、巨悪に端を発した不正のケースなど案外少ないものであり、我々は不正を犯す人のイメージをアップデートすべきなのかもしれない。本書で取り上げられている、長崎県の対馬を舞台にしたJAの共済事業を巡る不正事件も、同じような構造が背景に見て取れた。

中心人物はJA対馬でライフアドバイザーという営業職についていた西山義治。彼は対馬の人口の1割以上に相当する契約者を一人で獲得し、JA対馬の共済事業を支えるスーパースター的な存在であったという。

本書はそんな彼が岸壁から海に向かって車ごと飛び込むという衝撃的なシーンから始まる。さらに自殺したであろう西山が、顧客名義を利用した架空契約や被害申請の捏造など、巧妙な手口で共済金を横領していたことも明らかになる。その金額は22億円を超える規模であった。

著者の興味は、ただ一点。この事件が西山1 人の単独犯であったのだろうか? ということである。これを解明するために、当時の上司や同僚、顧客やステークホルダーに対して、地を這うような取材を行い、核心へと迫っていく。その真相は、巨大組織の闇と片付けられるような単純な話ではなかったのだ。

もちろん、過剰なノルマという巨大組織にありがちな負の側面があったのは事実である。架空契約や虚偽申請によって、見せかけの営業数字を上げることは、西山本人のみならず、ノルマに苦しむ組織全体にとってもメリットがあったのだ。

組織というものが大きな目的を達成するためのシステムである以上、善であれ、悪であれ、あっという間に組織の中へ広がり、常態化してしまう。特に組織が閉鎖的で同調圧力の強い性格を持っていた場合、「長いものに巻かれる」こと自体が「正しさ」に相当する。その結果、ある者は顧客のために、ある者は仲間のために「正しい」行為を行い、不正は不可逆なものへとなっていった。

このような状況において、異論を唱え、内部告発を行った上司が存在したことも本書では明かされる。しかし、彼の勇気ある行いも、システム内の小さなバグであったかのように処理されてしまい、不正の広がりは留まるところを知らない。これが組織というものが持つ性格の恐ろしさである。

しかし、ここまでだと、よくある話のようにも聞こえる。著者は、ここからさらに別の「共犯者」の存在に気づき、その正体を描き出していく。一体、その「共犯者」とは誰であったのか?

本書は最後まで読み終えてから、もう一度読み返したくなる本の典型と言えるだろう。最初は不正の主犯格として描かれていた西山という人物が、終盤の「共犯者」の正体を知ってから読み返すと、まるで被害者のようにも見えてくるから不思議だ。

個人の不正が、組織の不正へ広がり、それがさらに地域全体へと雪崩のように広がり、地域の社会システム全体を歪めていく。個人個人は積極的に不正を行う強い意志などないものの、「相互扶助」の建前が不正を正当化する拡大装置へと変貌していく。この様子には背筋の凍るような思いがした。

最終的に、本書は一連の不正事件を通じて、誰もが「共犯者」となりうる社会の実態を鋭く描き出すことに成功している。経済的な抑圧、ローカル・ルールを優先させる文化、そしてそこへ無自覚に参加していく大勢の人々。本書は個人の倫理と社会システムのはざまで、我々はどうあるべきかという根源的な問いかけを突きつけている。

いいなと思ったら応援しよう!