大人になった
大人になった 与謝野
逃避
御香典
ネズミの鳴き声
台湾 マル秘グルメ情報
分別したプラスチックはどこへ行くのか
ナイス橋本
逃避
やらなきゃいけないことがある時ほど筆が進む。本当はこんなふうにキーボードをカタカタさせるよりも優先して行うべきタスクがある。気がついたのだが、これはテストの前日に部屋の掃除をしてしまうのと同じだ。逃避。本当にやるべきことから目をそらすためだけに行う手慰み。
思えば、はてなブログを始めたのが就活していたとき、いちばん活発に更新していたのが新卒で入った会社をやめて無職だったときだ。人生においてストレスが強くかかっていいて、ほかにやるべきことがある時期ほどものを書いている。記事の更新頻度が心身の調子と反比例をしているのだ。でも、ものを書くのは部屋の掃除よりは有意義なので書きたいうちにいろいろ書こうと思う。どうせまたすぐ書かなくなって健康になってしまう。
御香典
生まれてはじめて香典というものを人に渡した。大人になった。
冠婚葬祭にはなにかとマナーがあるのでネットでいろいろ検索をした。こういうときインターネットがあって助かるなと思う反面、こういうふうに簡単に調べられるからこそ世の中がマナーにうるさくなっている気がしなくもない。たとえば香典にはピン札を入れてはいけない、新札の場合はひと折りしなくてはならないらしい。最初は銀行に行かずに済んで楽だなと思ったが、かといって財布に入っているヨレヨレのお札を使うのも品がないように思えるし、結局ピン札を用意してひと折りした。なんだそのマナー。結婚式のご祝儀にピン札を使うのはわかるが、香典でヨレヨレのお札を使うと故人は喜ぶのだろうか。
そういうマナーも面倒くさいが、なにより困るのは字がヘタすぎることだ。年に数回ある手書き文字イベントはほんとうに困る。A4コピー用紙いっぱいに『御香典』と練習する。この30分で一生ぶんの『御香典』を書いてるような気がするが、本当はまだこの100倍ぐらい書くことになる。そしてあとこの100倍ピン札を折ることになる。ふざけんな。このマナーで誰が得をしているんだ。
ついでに得た知識なのだがキリスト教の宗派によっては御ミサ料と書くらしい。御ミサ袋にはピン札の100ドル札をひと折りして入れるのか?
ネズミの鳴き声
なんだか最近壁から小さい生き物の鳴き声のような音が聞こえる。電子音のようにも摩擦音のようにも聞こえるそのチュッ(ジュッ?)という音はとても小さく、タイミングや音の長さは一定ではない。例えるならDJのスクラッチみたいな音がする。
もしこれがネズミの鳴き声でそれがスクラッチのような音ならば、このネズミが増えていくことでこの部屋のフロアみがどんどん増していくことになる。
DJマウス インダハウス(自宅)。
台湾 マル秘グルメ情報
台湾のセブンイレブンに売っているグリーンカレー丼はめちゃめちゃうまい。ネットに台湾グルメの情報は数あれどきっとこれを紹介しているメディアはないだろう。私は台湾に住んでいたことがあるのだが、その台湾生活でまちがいなく一番食べた料理だ。本当にうまい。
左の方、泰式緑咖哩飯(辣)
しっかり辛く、めちゃめちゃスパイシー。たぶん日本のコンビニでここまで辛くすると売れにくいだろう。国民的に辛さの耐性が強いからこそ出せる商品だ。本格的な味わいでチキンもしっかり入っている。
そもそもグリーンタイカレー丼がお弁当の棚の定番ラインナップに入っていることがすごい。期間限定とか季節限定でなく、私が住んでいたときからずっと置いてある。その人気もそのおいしさを裏打ちしていると言っていい。
台湾でタイカレーを食え!というのもずいぶん倒錯した話だが、たとえば出国前の空港でさっと食べたいときとか、コンビニしか選択肢がないときにぜひ食べていってほしい。グリーンカレーなんて別に日本でも食べられるだろ!と言われたら返す言葉もないのだが。
分別されたプラスチックはどこへ行くのか
私はとても徳の高い男なので、ちゃんとプラスチックを分別して捨てている。油の付いているプラスチックはきちんと洗うし、ボックスティッシュもプラスチックの部分だけを剥いで紙と分けて捨てている。本当にえらい。今後、履歴書の右下にある埋めづらい項目に『プラスチックを分別しています』と書くことにする。資格と自己PRのさらに下にある4行ぐらいの謎スペース、あれをちゃんと埋められる人間はいない。
ところで、分別されたプラスチックはどこへいくのだろうか。
この疑問が胸にきざしたのはいつとも知れないが、ながらくぼんやりと私の中にある。人間というのは不思議なもので、この文章を打ち込む数秒を使ってグーグルで検索すればスッキリ解決する疑問を何年も持ち歩いてしまうものだ。疑問にはすぐに答えを知りたい欲求にかられるものとそうでないものがある。答えを知りたくない、というのでもない。プラスチックを分別している私は分別されたプラスチックがどこに行くのか知らないまま一生を過ごすのだ。
いま私のなかで2つの仮説がある。
仮説1
ふつうの燃えるゴミよりいい感じに燃やしてくれる。プラスチックはいい感じに燃やされると環境への害が少ない。燃やすことには変わりないので、プラ容器についた半額シールをムキになって剥がす必要はない。
仮説2
リサイクルされる。プラスチックはいい感じにリサイクルされるとトイレットペーパーとかになる。再利用されるので、純粋にプラスチックのみの状態にするように努める必要がある。でもそんなに頑張らなくてもよい。
以前住んでいた町ではペットボトルは燃えるゴミだった。優れたゴミ処理施設を持っているからだと聞いたが、それが本当かどうかは知らない(でも燃えるゴミとして扱うのは正しかった、と記憶している)。あらためて考えると『優れたゴミ処理施設を持っている=ペットボトルはリサイクルしなくてよい』という理屈もよくわからないし、いまの町でちゃんと分別してゴミに出したペットボトルがどうなっているのか知らないし、プラスチックとペットボトルの素材としての違いもわからない。私は4年制の大学を出たが、なぜオイルショックのときトイレットペーパーがなくなったのかもわかっていない。香典にピン札を使ってはいけない理由も知らない。世の中わからないことだらけだ。
ナイス橋本
だれも知らんと思うけど、10年くらい前、ナイス橋本というラッパーがいた。あんまり売れなかった。けど、俺がはじめてCDを買ったアーティストだった。
きょうはきもちのいい夜だったのでなんとなくドライブをしていたら、なにがきっかけかはわからないが俺は彼のラップを口ずさんでいた。最初はこの曲だれのだったっけな、と考えながら歌っていたが、曲がサビに入ると、脳にカーン!と『ナイス橋本』という名前が浮かんだ。いまはじめて彼を知った人もそう思っているだろうが、俺も改めてそう思った。なんだその名前。
車を止めてSpotifyで『ナイス橋本』と検索してみた。さすがに出ないかと思ったが(彼はそのくらい売れなかった)、ちゃんと彼のアルバムが出てきてうれしかった。745人の月間リスナーと書いてあった。745人。これでナイス橋本にいくらの印税が入るのだろうか。
ナイス橋本のことを知ったのはSAKUSAKUというテレビ神奈川の音楽番組で彼の曲が紹介されていたからだった。次から次へと知らん名前が出てうっとうしいと思うが、SAKUSAKUは木村カエラを輩出したそこそこ有名なローカル番組で神奈川以外の地域でも放送されていた。番組の月間エンディング曲にナイス橋本の歌が使われていて、当時中学二年生だった俺にとって彼がはじめてみる日本語ラッパーで、新鮮に『かっけ~』と思った。そしてアマゾンでCDを買った(代引き)。SAKUSAKUは当時の俺にとって唯一といえる音楽情報ソースで、その番組でキリンジの『エイリアンズ』とチャットモンチーの『シャングリラ』を知った。いまでも聞くが本当にすてきな曲だ。
でもちょっと悲しいことを言うと、きょう改めて聞いたナイス橋本はあまり良くなかった。『かっけ~』はずだったナイス橋本の曲はあのときと同じなのだから俺の味覚がこの10年で変わってしまったのだろう。それは俺の舌が成熟したということではなく、もっと単純に味の好みが変わってしまったんだと思う。4ギガしか入らないiPod nanoであんなに毎日しきりに聞いていたのにな。
きょうは本当に夜風のきもちいい五月のおわりだった。また10年後の五月にナイス橋本のことを思い出せたらいいなと思う。