心を閉ざした人と生きるために
著者:ケイヒロ、ハラオカヒサ
心を閉ざした人たちとの10年間
心を閉ざした人の問題を、それぞれの人が望むかたちで解決するのは簡単ではありませんでした。
また心を閉ざした人はさまざまでした。
わたしたちは東日本大震災のあとデマを吹き込まれて避難する必要がないにも関わらず関西や沖縄などへ移住した人たちや、残された家族からの相談を受け活動してきました。またデマを吹き込んだり移住を強要するような言動を繰り返してきた者に無理強いをしないよう働きかけました。コロナ禍の陰謀論集団から離脱を望む人や、家族が陰謀論を信じ込み困りきっている人たちの相談に乗り対応を提案しました。
「心を閉ざした人」は静かに落ち込む人よりも、激しい言葉や行動で周囲を混乱させる人が多く「説得」の無意味さを痛感させられました。
こうした難しさを10年間で無数に経験し、軟着陸に成功した例から導き出されたものがあります。
心を閉ざすほかなかった人が自分の気持ちをセルフケアしたり、大切な人が心を閉ざして意思の疎通さえままならないときどのように対応すべきか、この記事で実例をあげてアイデアを提供しようと思います。
心の容量は限られています
「心を閉ざす」とはどのような状態なのか知らなければなりません。
もうこれ以上は何も聞き入れたくない、影響されたくないと頑なになることが「心を閉ざす」状態です。心を閉ざしてすべての人の言葉をシャットアウトする場合もありますが、ほとんどのケースで限られた人の言葉や行いなら受け入れられていました。
このあと例として挙げるAさんは、夫と息子との関係が崩壊していますが、ネット上のフェミニズム活動家や活動を支持する男性の言葉は受け入れ続けています。
ではなぜ働きかけをシャットアウトするのでしょう。それは心の容量と処理能力には限りがあるからです。
「不安」が原因で心を閉ざす例で説明しましょう。これは不安だけに限らず「怒り」や「悲しみ」などでもまったく同じです。
1.
心の収容能力には限りがあり、様々な感情を無限に受け入れるわけにはいきません。
2-1.
なぜ不安になるのでしょうか。それは恐れや緊張感などの不快な感情(不安)を引き起こすもの(情報)を見聞きしたからです。
2-2.
不快なはずの情報を受け入れ続ける人がいます。嫌なものを見たがる、知りたがる心理が働いているケースがあります。不快な感情が間違いないものであると肯定したいために、不快な情報に接近し続ける場合もあります。こうした感情を肯定してくれる人が、共感を強くするため次々と情報を提供していることも少なくありません。
3.
不安を引き起こす情報が一線を超えて心に溜まったとき、まだ心に余裕があるはずなのに不安を打ち消す情報を受け入れられなくなります。こうして心の傾きが中和できなくなるのが「心を閉ざした」状態です。
4.
しかし心は不安情報ならまだまだ受け入れます。やがて心は不安でいっぱいになって、心の容量を超えて溢れ出します。もちろん不安を中和する情報を注ぎ込もうとしても無理です。
5.
心から感情が溢れ出す状態になると、心を閉ざして孤立するだけでなく周囲に影響を与える言動が顕著になります。「不安」から逃げようとして自分自身を傷つけたり、理解してくれない相手を攻撃したり、救いをもとめて現実世界やSNSで激しく発言するなどの変化が現れます。
ある事例でのできごと / フェミニズム運動から過激な攻撃性へ
─ 事例 ─
(個人情報に配慮し、事実関係が変わらない範囲で修正を加えています)
Aさん(女性 / 50代)はネット上のフェミニズム運動に共感して2019年の春頃から活動を活発化させました。SNS上の活動に限られていたたため、夫(Bさん / 50代)や息子(Cさん / 大学生)はAさんがフェミニズム運動に関わっているのを知らなかったと言います。
Aさんの彼らへの要求が激しさを増して行きます。やがて苛立ちを隠さないだけでなく情緒不安定になりBさんの私物を壊したり捨てたりするまでなりました。BさんとCさんはコロナ禍で在宅時間が長くなったことや自粛が影響していると考え、Aさんを休ませるように家事分担だけでなく生活パターンを変えるなどしました。
しかし改善される様子はありません。
2021年夏、CさんがAさんのSNSアカウントを発見し「男の存在そのものが悪」で「男児は生まれてくる価値がない」という意味の主張があるのを知りました。母親の発言にたいへん傷つき衝撃を受けたCさんは、「男児は生まれてくる価値がない」などの投稿をスマホで表示して突きつけるとAさんは激しく取り乱しました。
Bさんが夫として「息子に対して取り返しのつかないことを言ってしまったな」と責めると、Aさんは「なにもわかっていない」「わかってくれない」と繰り返し言い続けました。
直後にAさんはアカウントを停止しましたが、いまだに夫と息子との関係はぎくしゃくしたままです。その後Aさんは古いサブアカウントに乗り換え、敢えて指摘していませんがBさんとCさんの知るところになっています。
BさんはAさんについて、フェミニズム運動との関わりをどうするか本人に任せるが、せめて情緒の安定と家族間では落ち着いた物腰で会話が成り立つようにしたいと言います。それが駄目でも息子であるCさんに謝罪してわだかまりを解く努力をしてもらわないかぎりトラブルは解決しないと考えています。
閉ざされた心を開こうとしても無理です
心を閉ざした人を前にして、どうにかならないかと誰もが思うでしょう。
しかし一度閉ざされた心は簡単には元通りにはなりません。思い出してください。心の容量には限りがあり、ある一線を超えて心に溜まった感情を中和する情報を受け入れられなくなっているのです。
何かのきっかけで束の間、心が開かれて感情を中和する言葉が届いても、元栓が閉められないままなら「不安」など不快な感情が注がれ続けて、すぐまた心は閉ざされてしまいます。
では、どうすべきでしょうか。
不快な情報を受け入れ続ける「理由」を断てばよいのです。「不安」が心にいっぱいになっているなら不安の理由を断ちます。不安情報そのものは世界に満ち満ちていて、これを元から消し去るのは無理だから「理由」を断つのです。
繰り返しますが、「不安」に限らず「怒り」や「悲しみ」などであっても同じです。
ある事例での手順 / 過激な攻撃性を家族に向けるAさん
夫であるBさんに次のような対応を提言しました。
1.理由を知る
BさんとCさんには、彼らに向けたAさんの言葉や行動を現段階では責めないことを約束してもらいました。その代わり、なぜAさんがフェミニズム運動に共感したか、その延長線上で攻撃的な発言や行動をしたか「理由」を整理しなければ解決の糸口が見つからない旨を伝えました。
ここでAさんを責めても「わかっていない」と反発してますます心を閉ざすのは目に見えています。
理由を導き出すのはさほど難しくありませんでした。Aさんの父母が不仲になった背景に祖父の言動があったこと、小中学校で男子生徒から受けたさまざまな嫌がらせがあったことが原体験になり、その後の人生で何者にもなれなかったことが男性たちのせいであるという思いに凝縮されていました。
BさんはAさんの父親でも祖父でもありませんし、これらの人を肯定してもいません。また小中学校でAさんにひどい嫌がらせをした男子生徒でもありません。何者かになることを邪魔してもいません。
「私たち(Bさん、Cさん)は、あなたを怒らせている人たちと同じなのか」がAさんに問いかけるべき言葉だとはっきりしました。しかし、この段階ではAさんに投げかけるのは時期尚早です。
2.怒りや攻撃性の背景
次のステップとしてBさんとCさんになぜAさんが怒りを制御できなくなったかわかる範囲で考えてもらい、筆者は怒りや攻撃性の背景を整理する手助けをしました。
これまでのAさんの家族への発言や態度、SNSでの様子を元に推察すると、Aさんはいきなりフェミニズムによって怒りの感情が爆発したのではありませんでした。
ネット上のフェミニズム運動がAさんの過去の怒りに噴火口を用意したことで、彼女は運動にのめり込んで行きます。
次のようなストーリーが見えてきました。
当初は内なる怒りを吐き出すためでしたが、運動は次から次へ怒りの情報を送り込んできました。新たな敵がAさんの神経を逆撫でしたり、周囲から怒れとけしかけられる側面さえありました。そこに社会を変えるという大義名分がついて、怒りの受け入れが止まらない状態になっています。
怒りを発散するはずだったのに、心の処理能力を超えて怒りが入り込んできたのです。怒りがある一線を超えて溜まれば、怒りを中和する情報を受け入れられなくなります。これでは始終不快なはずですが、怒りは過去の憎い相手や次々現れる敵に対しての正義の感情と解釈されているので苦痛さえ心地よいのかもしれません。
こうして心が閉ざされ、うまくいかないことの原因は「男性」のせいであり矛先はBさん、Cさんにも向かいました。
BさんとCさんはこのように整理しました。そのうえでSNS上で繰り広げられるフェミニズム運動や男性への怒りを駆り立てる情報を消し去るのは不可能であることを理解してもらいました。
3.誰に対しての感情で主張なのか
息子のCさんの心のケアと同時に、Aさんが誰に向かってどういう態度をしているかを整理しました。
「男児は生まれてくる価値がない」という意味の発言はCさんを念頭に置いたものだったのでしょうか。このほかの攻撃的な言葉や行動はBさん、Cさんに向けられるべきものだったのでしょうか。
そうではなかったとすると実におかしな話になりますが、こうした過激な発言では対象がだんだん抽象的で巨大なものになって行くのはよくあることです。
わかりやすい例として子供の心理と態度について説明しました。
子供は親に対して「お父さんは大嫌いだ」と泣き叫んで反抗することがあります。しかし同級生に父親をけなされると「バカにするな」と怒り出します。学校の作文にはもっと複雑な心境が書かれるかもしれません。
AさんのSNSでの発言や態度と、家庭内でBさんやCさんに対するAさんの言動は同じものか考えました。理解するためのヒントは「わかっていない」「わかってくれない」という反論にありました。
「息子に対して取り返しのつかないことを言ったものだ」
「なにもわかっていない」
この発言に至った事情や背景がわかっていないという意味です。またCさんに向けて「生まれてくる価値がない」と言ったのだとしたら、このような反論にはなりません。
SNSでのAさんの発言や態度は、抽象的で巨大な男性というイメージに対してのものだったのではないでしょうか。では家族に向けられた感情は何なのでしょう。処理できない怒りの感情が溢れたものであるのは間違いないですし、このように感情が溢れても許されると思っているあたりに甘えがありそうです。
Aさんは街角に出て、BさんやCさんのような男性を捕まえて怒りをぶちまけたりしません。そんなことをすれば家族や実在しない男性像のように甘やかしてはくれず、警察ざたか下手をすれば暴力ざたになりかねないのをAさんは知っているからです。
5.
現在ここまで進みました。
Aさんは怒りの受け入れが止まらず、心が閉ざされて夫や息子の言葉を受け入れる余裕がなくなり、心からあふれた怒りをSNS上だけでなく家族にもぶちまけています。
次から次へ入り込む怒りの情報をこの世から消し去ることはできません。またAさんは大人なので、怒りの情報が入り込んでくるスマートフォンやPC、ネット回線といったものを取り上げるのも不可能です。
怒りを送り出す蛇口を閉めるほかありません。
次はBさんとCさんが「私たちは、あなたを怒らせている人たちと同じなのか」と問うステップに入ります。
その後、「こうして心を閉ざしていれば何者かになれるのか」「父、祖父、小学校での男子たちの記憶にケリをつければよいのではないか」「それなら手伝えることがあるかもしれない」などの問いや助言が続きます。
しかし一朝一夕では済まないとBさんには伝えてあります。どこに着地点を設定するか、状況を見ながら考えることになります。
今回のまとめ
BさんとCさんが苦しんでいるだけでなく、怒りに取り憑かれたAさんも混沌のなかにあって安寧とはほど遠い精神状態でしょう。少なくとも夫であるBさんと息子であるCさんがAさんとの関係を完全に切ればすっきりします。Aさんもまた人間関係がシンプルになるのだから混沌の度合いが減ることでしょう。
残酷に思われるかもしれませんが、もっとも簡単で確実な解決策です。ではなぜ心を閉ざした人も、閉ざされて意思疎通ができなくなった人も関係を断たないのか、それぞれが考えたうえで答えを自覚しなければなりません。
心の容量を超えて不安や怒りなどを受け入れ続けて溢れるまでになっている人は、いずれ心が壊れるか既に壊れていても不思議ではありません。こうした態度の人と関わり続ける側も、いずれ心が壊れます。このようなバランスの上に成り立っている問題なのです。だからこそ、なぜ関係を断たないのかはっきりさせる必要があります。
「臍を曲げる」と「心を閉ざす」は紙一重です。例外が多いとはいえ、相手に対しての甘えから心を閉ざし、ときに攻撃的になります。Aさんの例もたぶんこれです。家族に怒りをぶつけるのも、抽象的で巨大なものになっている男性という存在を殴り続けるのも、それぞれへの甘えでしょう。
たとえ甘えであっても、続けていれば心が壊れ、相手は自分が壊れるまえに関係を断つ決断を下すと思ってください。心を閉ざした人と生きるとは、これらを回避するための手立てで、永遠に続けられるものではありません。
[ご連絡は、このページのいちばん下にある「クリエイターへのお問い合わせ」をお使いください。コメント欄では対応が難しいとお考えください。なお筆者2名は過去に脅迫や直接的な危害を受けたことでネット上では実名を出さず活動しています]
文中で紹介した記事や参考にしていただきたい記事
── 当記事の続編