なぜブータンは唐辛子大国になったのか?
唐辛子の国と言って思いつくのは、どこだろうか。キムチはじめなんでも赤い韓国か。タコスや辛い料理が多いメキシコか。じつはそれらの国々と並ぶ唐辛子大国が、ブータンだ。
とわかったようなことを言うけれど、私は実際に訪れるまでブータン料理が辛いと知らなかったし、なぜか素朴で塩味のみの味付けの料理を想像していたから、辛い国リストの候補にも入っていなかった。
ブータンの料理は、唐辛子をよく使う。驚くのは、味付けがいつも唐辛子味というのではなく、唐辛子をメインの野菜として使うことだ。
食卓に毎日必ずのぼる食材をあげると、「唐辛子・チーズ・米」。唐辛子のことをエマと呼ぶが、エマは生の青唐辛子とドライ赤唐辛子の二種類が主に売られていて、作物としては同じもの。青唐辛子はピーマンくらい大きくて万願寺とうがらしのように細い。国民料理はエマダツィで、これは唐辛子をチーズ(ダツィ)で煮たものだ。「田舎の家ではエマダツィしか作らない。もちろん子どもも食べる」と聞いた。
家庭に滞在していると、本当によくエマダツィが登場する。そのほかには、じゃがいも(ケワ)とエマをダツィで煮たケワダツィ、きのこ(シャモ)とエマをダツィで煮たシャモダツィ、それから干し肉とエマを煮たシャカムパー/パクシャパーなど。いずれもエマダツィの派生系とも言える。唐辛子がないと始まらない。それくらいブータンにとって重要なのが唐辛子だ。
しかし、いったいどうしてそうなったのだろう。唐辛子は南米原産とされる。一方、ブータンはヒマラヤ山脈奥地の小国。どうしてここに辿り着き、そこにあっただろう地元野菜の地位を奪い、食文化を上書きして、ここまで重要な食材になったのか。
現地の人に聞くと「昔から育てていたから」という答えしか返ってこない。「昔」というのはつまりその方の親か祖父母世代までだろう。知りたいのは、それ以前の話だ。気になって仕方ないので、文献を漁り、言われている諸説を端から考察してみた。
1. 寒いから体を温めるため?
寒冷地で体を温めるために唐辛子を食べる、というのは唐辛子あるあるな説だ。
確かにブータンは首都ティンプーで標高2,400メートル、高いところでは7,500メートルに及ぶ高地だ。
しかし、この説明はどうも気に入らない。唐辛子は、寒い地域では「体を温めるために食べる」と言われ、インドなど暑い地域では「汗をかいて体を冷ますために食べる」と言われるからだ。結局暑くても寒くても食べるんじゃないか。
そして、ブータン全土で見ると、7,500メートルの寒冷地もある一方標高100メートルの熱帯もある。標高2,400メートルの首都ティンプーの年間気温を見ると、実は東京と大して変わらないどころか冬は東京より温暖だ。にもかかわらずどうもエマダツィは全土で食べられていると聞いた。寒いからだけでは説明がつかない。
2. 育てやすく手がかからない?
次の説。この気候で育てやすい、数少ない作物なのではないか。
たしかにブータンは、農業が難しい土地だ。急峻な地形により、耕作できる土地も育つ作物の種類も限定され、1960年代までは農業生産が深刻な課題だった。少し話が逸れるが、ブータンの農業には日本人が大きく貢献している。農業技術者として派遣された西岡京治氏がブータンで高収量が見込める日本のコメ品種を導入し、換金作物としての野菜や果樹の栽培指導を行い、農業機械化センターや種苗センターなどの仕組みを整え、農業の近代化と食糧事情改善に大きく貢献した。この功績により、「最高に優れた人」という意味をもつダショーの称号を国王から受けた。これは外国人としては唯一のことで、日本人の誇りとしてよく語られる(参考:外務省HP)
現地の市場を歩いていると、たしかに大根や和梨など、日本の野菜・果実がよく目につく。今でこそそれなりに多くの品目が並んでいるけれど、ダショー西岡以前は野菜の栽培もままならなかったという。単一作物が植えられた「畑」という概念すらも、あるようなないような状態だったそうだ。
そんな土地で「育てやすい作物」とあらば、圧倒的に普及するのは間違いないだろう。唐辛子は、寒冷で痩せた土地でも放っておけば育って、手がかからないゆえに急峻な土地で普及したのだ...と思ったらそんなことは全然なかった。むしろ唐辛子を育てる人(=首都に住む人以外ほぼ全員)に聞くと、皆「唐辛子は手がかかる」という。それならばなんでわざわざ...
彼ら彼女らに聞くと「だって一番大事な作物だから。エマがないと料理ができない」という。それはそうなんだけれど、なぜそもそもそのポジションになったのかが知りたい。
*農学・農業に詳しい方教えてください。唐辛子って寒冷急峻高地で"育てやすい"のですか?
3. 欠乏しやすい栄養素を多く含む?
単一の作物が突出して普及するということは、何か栄養学的な合理性があるのではないか。たとえば、日本食は米と大豆を組み合わせがベースとなっている。これは、主食の米に含まれる必須アミノ酸のうち、最も不足している(=第一制限アミノ酸)リジンを多く含むのが豆だから、生存のために理にかなった組み合わせだとされる。米と大豆を組み合わせることで、タンパク質の吸収率が大いに向上し、米だけでも一升食べればタンパク質需要を満たせるようになるのだ。メキシコなどで、主食のとうもろこしと豆を煮たたもの(フリホーレス)をあわせるのも同様。少品目の食品のみに頼らざるを得ない環境だと、そのようなことが起こりやすい。
ブータンも栽培できる品目が限られているし、このパターンなのではないか。そう考えてみたけれど、なんかいまいちだ。唐辛子に「豊富」と言えるほど含まれる栄養素は、ビタミンCしかない。しかしビタミンCって不足したのだろうか?不足する理由がいまいちわからない。そして、文部科学省の食品成分データベース(日本食品標準成分表(八訂))でビタミンC含有量を確認してみると、
生の唐辛子は100g中に120mgのビタミンCを含み、緑黄色野菜の中でも割と多い方
しかし乾燥唐辛子だと100g中1mg。乾燥赤唐辛子はビタミンC的には無力に等しい
唐辛子よりもピーマン、それも完熟した赤い実の方がビタミンC量が多い。似てるけど違うぞ唐辛子。
加えて、唐辛子は辛くてたくさん食べられないので、ビタミンCを摂るなら、寒冷地でも育つじゃがいも(ビタミン含有量35mg/100g)の方がよいのでは??という気がする。
4. 幸福感?
辛いものを食べると、脳内からβ-エンドルフィンというホルモンが分泌されて幸福感をもたらすとともに、ドーパミンも放出されて「おいしい!もっと食べたい!」と脳を興奮させるそうだ(参考:ハウス食品)。唐辛子の辛味と幸福感の関連については研究がされており、しばしば激辛ブームの説明として語られる。
しかし、「おいしい!もっと食べたい!」だけで主役になるだろうか?それだったら世界各地で耕作が放棄されて唐辛子一辺倒になるはずだ。一理あるかもしれないけれど、その理由だけで、というのは弱い気がする。
5. 元々似た食品があって好まれていた?
激辛で知られる四川料理は、もともと四川山椒が使われ刺激的な味が好まれていたところに唐辛子が到来し、味覚的にも環境的にも受け入れる土壌があったために唐辛子が普及した、という説がある(ただしこれも四川への唐辛子浸透を説明する一つの要因でしかなく、他にもいくつかある)。
ブータンも同じなのだろうか。
たしかに、山椒のようなものはよく登場する。ブータンの家庭でしばしばつくるおかずにエゼというものがあるが、これはコリアンダーの葉やチーズ(ダツィ)などにブータン山椒(ティンゲィ)をまぜたあえ物のようなもので、ご飯のお供。あえ物だと持ってばくっと食べたら、山椒の刺激が予想の10倍強くて口の中が麻酔状態に陥った。日本のよりかなり、かなり強い。
また、漬物や佃煮のようなポジションで棚から出てくる小さなおかずもあった。それはブータン山椒とにんにくを揚げたような「ご飯のお供」。山椒が強くて私は一粒で口全体がしびれるくらいだったのけれど、皆喜んで食べていた。元々野菜なんてろくに育たなかったらしいから、この少量でパワーのある山椒おかずだけでご飯を食べていたとしてもおかしくない。これがあったから受け入れやすく、置き換えられたのだろうか?
たかだか数週間過ごしただけの私には、彼らの味覚嗜好は十分にわからないが、度々ブータンに通う信州大学農学部の松島憲一教授は、著書「とうがらしの世界(講談社)」の中でこの山椒の存在こそがブータンで唐辛子が多用されるようになった理由であろうと語っている。ヒマラヤ近辺では唐辛子到来以前から山椒がよく使われていたと考えられ、人々が刺激的な味に慣れていたゆえに唐辛子を受け入れられるだけの食文化的な下地があった、と考えられるという。
6. 唐辛子は呼吸器系の機能を補う?
これは人に聞いた話。中医学の五行学説には五味の分類があり、そのうちの辛は五臓の肺にあたる。唐辛子は呼吸器系の機能を補うという理由で、国土の大半が高地のブータンで唐辛子がよく食べられるようになったのだという説があるそう。
なるほど、納得感がある。高地トレーニングのような生活では、辛いものが肺の働きを助けてくれるということか。
しかし、「唐辛子をよく食べる理由」にはなっても「唐辛子ばっかりを案ん何食べる理由」としてはやはり不十分な気がする。
7. 少量でごはんがたくさん食べられる?
これは、少量のしょっぱいおかずで山ほどのご飯を食べていたという昔の日本の話から連想したこと。塩の代わりに唐辛子、ご飯が進みそうだ。実際、ブータンの家族の食べる様子を見ていると、小鉢程度の量のおかずで、ご飯を丼2~3杯おかわりする。
しかしヒマラヤに位置するならば塩の入手に困らないのでは?という気がしないでもない。実際、家庭でふつうにヒマラヤのピンクソルトが使われていて、うらやましい…と思った。
が、どうやらそれは輸入品らしい。ヒマラヤはヒマラヤでも岩塩が採れるのはパキスタンなど西の方で、ブータンではない。ブータンで塩を得るとなると、パキスタンやチベットの岩塩を持ってくるかインドの海塩を持ってくるかという2択になり、いずれにしても遠いし、地形を考えると輸送は楽ではない。昔は塩の入手は難しく、唐辛子の方が手が届きやすかったというのはそれなりに妥当に聞こえる。でも、唐辛子が栽培できるようになったのって塩が入手できるようになるより前なのか?
結論
色々考えた挙句、「これだ!」とすっきりするような強力な理由は見つけられなかった。悔しいけれど、食の変化というのはたったひとつの理由で起こるものではなく複合的なものなのだろう。
育てやすく手がかからない x 元々の山椒文化があって受け入れられた x 少量でご飯がたくさん食べられる塩代わり、あたりの合わせ技だろうか。
先の松島先生の「とうがらしの世界(講談社)」には、『トウガラシの「隣国問題」』という興味深い話が紹介されている。激辛で知られるタイの隣国カンボジアはあまり辛くない料理が好まれ、唐辛子大国メキシコの隣国グアテマラはあまり唐辛子を使わず、韓国料理は赤いけれど日本料理は唐辛子をあまり使わない。隣接してる国なのに、一方は唐辛子を多用しもう一方はほぼ辛くないという事態が生じるのはなぜか、という話だ。これについては、植民地支配によって食文化が変容したという説明もできるものの、すべての国に当てはまるわけではない、と語られている。
唐辛子は世界を魅了した食物の一つだけれど、その定着度合いには明らかな偏りがあって、それがグラデーションではなくパッチワークのようになっているのは、すっきりしないけれどますます興味深い。現実世界は、シンプルじゃないな。
ということではっきりした理由はわからないけれど、唐辛子はブータンの食卓になくてはならないものになっている。一週間にひと世帯で消費される唐辛子の量は約1キロ以上ともいわれ、その量に驚いてブータン人の方に話すと「うちはもっと使ってるけどな」と言われた(乾燥ではなく生の重量であることに注意)。胃がん・胃潰瘍患者は多く、高齢の家族がいる家では「唐辛子なし料理」を作っていたっけ。
それがこんにちのブータン唐辛子事情。多様な野菜が育てられるようになり、唐辛子を食べすぎることによる健康被害が認識されるようになったら、辛くない方向に向かっていくのだろうか。それともやっぱり唐辛子は重要であり続けるのだろうか。