ライトノベルは『少女小説』に対して、フォロイーであるがフォロワーではない
コバルト文庫などの女性向けライトノベルはライトノベルについて語るときに抜け落ちるのはなぜか、という話について調べていました。
「ライトノベル」という言葉がかなり範囲の広い言葉(社会全体としては2000年年代から現在に至る20年間にわたって使われている。マニアは1990年代から使っていた)なので、今回は以下のようにスコープを狭めます。
「ライトノベルについて語るときに氷室冴子が脱落するのはなぜか」
これへの回答は
「ライトノベルは少女小説に対して、フォロイーであるがフォロワーではないから、ライトノベルより大きいくくりにしないと氷室冴子は射程に入らない」ということかと考えています。
系譜を考えると、氷室冴子作品はライトノベルではないから、ライトノベルのカテゴリに入れられない。
また、発表時期から言っても氷室冴子作品を含む『少女小説』(1980年代-1990年代)はライトノベルの書き手と読者に読まれていたが、『少女小説』の書き手はライトノベル(1990年代 - 現在)を読んだことがなかったから、『少女小説』に対してライトノベルからのフィードバックはない。
系譜が異なりフィードバックがないとなると、ライトノベルと氷室冴子作品を含む『少女小説』は別カテゴリの創作物としか考えられないため、ライトノベル自体について語るときに氷室冴子は脱落する。
です。
いくつか前提の説明が必要ですね。説明します。
前提1. 少女小説と少年小説は別物。
理由は以下なのですが、切れ味がすごすぎてこれ読んだだけだと理解が追いつかないので、元の論文読んでください…。
「近代日本の大衆的青少年文化には明治期以来の「性別隔離文化」の伝統がある。第二次世界大戦後の<男女平等>や共学化が進んだ社会でも、青少年文化の性別化された供給状況は変わらず、少年・少女向けに分かれた雑誌を主体に少年マンガ・少女マンガも生み出された」(久米依子『「少女小説」の生成』 第14章「ライトノベルとジェンダー」 p318)
前提2. 「ライトノベル」は少年小説(「新興の青少年文化」(前掲 久米依子)の少年側)の新しい呼び名。
呼び名の系譜は以下との理解です。(大橋 崇行 『ライトノベルから見た少女/少年小説史』 第二章「「少年小説」「少女小説」「ジュブナイル」」をまとめていますが間違っていたらごめんなさい)
「少年小説」の系譜
少年小説(1890年代初め) - 中断、少年マンガ隆盛(1960年代 - 1970年代) - ライトノベル(1990年代~)
「少女小説」の系譜
少女小説(1900年代前半) - ジュニア小説(戦後) -『少女小説』(~2000年代) - 現在の呼び名はない
前提3.『少女小説』
上記の少女小説の系譜で最後を『少女小説』と二重かっこで書いているのは、集英社は「青春小説」と呼ばれたかったけど氷室冴子が『少女小説』という言葉でこの界隈を1980年代=バブル前から90年代にかけてリブートした、という経緯だから。まあだから、個人的な区別のためにこの記載です。
このあたりは嵯峨景子『コバルト文庫で辿る少女小説変遷史』第二章の「1 『Cobalt』とコバルト文庫にみる少女小説家プロモーション」を参照しました。
こういう流れを経て、「新興の青少年文化」の少女側の新しい呼び名は今はないので、この分野は「少女向けライトノベル」(とか乙女系ライトノベルとか女性向けライトノベルとか)と呼ばれ始めていますが、まあもともとは違うものだから、違うものとして扱ってほしいな、というのが現時点での筆者の結論です。
一緒にしたかったら一緒にしてもいいし、さらに100年後には一緒にされているかもしれないけれど、実際にその時『少女小説』ジャンルの読者であった人の目線で言うと、違和感がある。私はラノベ読みの人ではないのだ。
つまり、そういうわけで、氷室冴子など『少女小説』がライトノベルでない理由は、「ライトノベルは『少女小説』に対して、フォロイーであるがフォロワーではないから、ライトノベルより大きいくくりにしないと氷室冴子は射程に入らない」。
つまり『少女小説』はライトノベルとは別物であるのみならず、ライトノベルより以前からあるジャンルで、ライトノベルから見るとご先祖のうちの一つではあるかもしれないけれど、同じジャンル名が付くほどの相同性はないから。
というのがいまのところの個人的な結論です。
ちなみに、最初で『少女小説』側を「氷室冴子」に限定した理由は(まあコバルト四天王どなたでもお好みで、という話ではあるが)、
「ライトノベルは『氷室冴子』に対して、フォロイーであるがフォロワーではないから。」は文意が通るけど、
「ライトノベルは『ルビー文庫の書き手』に対して、フォロイーであるがフォロワーではないから。」
だと異議を差しはさむ余地ができてしまって話が大変だから、でした。
氷室冴子を選んだ補強材料としてはなんと言っても、氷室冴子を上遠野浩平が参照した、という作家本人による証言がある(講談社 『ファウスト』 2005 SPRING Vol.5 p167)。
久美沙織も「コバルト文庫の表紙にマンガ家の絵を使った」嚆矢(久美沙織『コバルト風雲録』p156)であるが、『星へ行く船』新井素子の表紙が竹宮恵子という話があって一番槍争いは混迷を極めがちなので(前掲『コバルト風雲録』p154)こちらルートは取らなかった。
(本屋でお客さんとしてあの辺の棚を見ていた人としても、コバルト四天王のベストプラクティス(文体とカバー絵)+講談社X文庫ティーンズハートの展開の仕方を1990年代のライトノベルを売る人達は参照したんだろうなという感じはある。新人賞の出し方とか読者コミュニティの作り方がどのように参照され発展したのかは、筆者はしらないので踏み込みません。)
付記
少女小説と児童書とライトノベルの違いについてですが、どうも青少年文化のうち児童書とエンターテインメント系は混ぜるな危険的な経緯があったっぽいので別物として扱った方が良い模様です。
参考資料
参考にさせていただいた資料は以下の通りです。出版年順。教訓としては「本は本棚に入れよう」(積読山からの発掘二週間、読むの一週間は割に合わん)
メモ: 久美沙織によるコバルトシリーズからその後のエンターテインメント界隈に関するエッセイ。記載対象期間は1977年(くみさわ先生高校三年生)からたぶん2004年(p2で執筆依頼が2004/2にあったと記述があるため)。パラレルクリエイションが出てくる。Kindle版はない。
出版年 2004/10/25
著者 久美沙織
出版社 本の雑誌社
メモ : 言わずと知れた基礎資料。Kindle版がない。「ライトノベル」の語が広く流通するきっかけになったとされる。ライトノベル度診断を踏まえたブックガイドは、どの本がどれくらいライトノベルかの通信簿、ととらえてしまうとケンカになりそうだけれど、個人的には「ライトノベルを読む人はこの本もこれくらいイケるんじゃないの度」を示したブックガイドなんじゃないかと思っている。じゃないと遡及してラノベに入らない作品を評価しているところがよくわからないことになってしまう。
出版年 2004/12/17
著者 大森望、三村美衣
出版社 太田出版
メモ : ライトノベルゼロジャンル論(ライトノベルはいろいろなジャンルを包含したジャンルなんじゃないの論)でよく参照される。なんとこれもKindle版がない。作家が作品を書きながらライトノベルについて論じているので、ちょっと近くで見すぎている感はある。少年向けの方のライトノベルについて詳しく解説している。
一部で有名な(?)源氏物語=ラノベ説はp205- 206あたり。これは本文の記載と違う理由から半分くらい合ってそうな雰囲気になってきたんじゃないかと思う(2024年現在)
出版年 2006/4/27
著者 新城カズマ
出版社 ソフトバンククリエイティブ株式会社
メモ :ここから論文。kindle版はない…(出してほしい)。
特に第12章と第13章を参照しました。「第12章 昭和戦前期から戦後へ」の末尾「しかしライトノベルという呼称に少女小説が包括されてしまうことは、少女小説独自の歴史が軽視され、再び少年向け作品よりも下位のジャンルと位置付けられる危険性を伴っている。また、少女小説が包含されることで、少年向けライトノベルが少女像やセクシュアリティ表現に関して女性蔑視的なまなざしを備えていることがあいまいに見過ごされ、守旧的なジェンダー秩序の再生産を支えてしまうのではないかという危惧も感じる」という指摘は鋭く、ゆるがせにはできないものと思いました。油断するとすぐ女のオタクなど存在しないとかへんな話が湧くからなー(参考 「女のオタクなど存在しない」ツイートから始まったコミケ初期参加者の同窓会 - Togetter [トゥギャッター])
出版年 2013/6/12
著者 久米依子
出版社 青弓社
メモ:Kindle版があるがとても字が小さいので、本の方がいいと思う。資料篇のp274「ライトノベル作品群の統計解析」(太田睦、山口直彦、山川知玄)が面白い。『ライトノベル☆めった斬り!』の「ライトノベル診断表」で挙げられたパラメータのうち、実際に有効なものはどれかを統計的な手法で検証した論文。衝撃の結論は本文を読んでみてください。
結論近くの「ライトノベル作品に現れる文章スタイルや物語構造を論じるケースが多くなっているが、それらは「ライトノベルに現れた特徴」を解析していても「ライトノベル固有の特徴」を解析しているわけではないことに注意しなければならない。ライトノベルの特殊性に注目するあまり、同時期の一般小説にも表れていた特徴までもをライトノベル固有の現象としてとらえる危険性があるからである」との指摘が素晴らしい。この分野で論文書く人大変だ…。
出版年 2013/10/19
著者 一柳廣孝、久米依子
出版社 青弓社
メモ:Kindle版がある。今回かなりの部分をこの評論の第二章「『少女小説』『少年小説』『ジュブナイル』」に拠っている。
ライトノベルはジャンルかそうでないか、は第一章でベイザーマンの「ジャンルとアイデンティティ」を引く形で結論を出しており、説得力がある。
この結論を受けた上で、ライトノベル作家はどのようにコバルト作家と違うかを比較している箇所が注43の前後にある。ライトノベルレーベルからデビューすればそれはライトノベル作家だが、そのことしかしらない人がどのような錯誤を示すかという記述。
「このことは「ラノベ読み」がコバルト文庫の作家を「ライトノベル作家」と呼んでいることが、『Cobalt』内部の論理を知らず、少年向けライトノベルとのさまざまな差異を認識しないままに行われた、外部からの位置づけにすぎないことを示している。「コバルト作家」を「ライトノベル作家」と呼んでしまった瞬間、その人は雑誌『Cobalt』読者共同体の外部の人間であり、少なくとも『Cobalt』という雑誌を手にしていないことを暴露してしまっているのである。」
出版年 2014/1/6(バージョン EPUB3版、Ver 1.1)
著者 大橋祟行
出版社 笠間書院
メモ:Kindle版がある。少女小説 - ジュニア小説 - 氷室冴子がリブートした『少女小説』の流れはこちらの第一章の2「1960年代のジュニア小説とその書き手たち」以降に詳しい。
個人的にはこの本に出てきた本をかたっぱしから『ライトノベル☆めった斬り!』のライトノベル・ブックガイドで調べて、そもそも花井愛子作品がブックガイドに載っていないことを発見したり(キャラ立ちの問題だったと推察する)、『少女小説』はやはり不利(コバルト四天王の頃はリアリティ重視だったので)だと確認したりと面白かった。忘れていたことをいろいろと思い出させてくれる本でした。そして前田珠子をぜんぜん読んでいない自分はやはりあかんなと思いました(屈辱ゲームで勝てるレベル)。
出版年 2016/12/30
著者 嵯峨景子
出版社 株式会社 彩流社
おしまい